腐敗撲滅運動の真の目的は

中国の近平指導部は今、共産党政権史上最大規模の腐敗撲滅運動を展開している最中である。2012年11月に習近平が共産党総書記に就任したと同時に、盟友で同じ太子党幹部の王岐山を腐敗摘発の専門機関である共産党中央規律検査委員会の主任に据えた。おそらくその時点から、凄まじい嵐を巻き起こそうとする決意は既に習近平の心の中で固められていたのではないかと思われる。

 2013年3月、国家主席のポストを首尾よく手に入れて名実共に中国の最高指導者となってからは、習近平は上述の王岐山と二人三脚で、無制限の捜査権を与えられた規律検査委員会という強力な「大目付」機関を用いて、党・政府と人民解放軍の幹部、特に高級幹部たちに対する厳しい腐敗摘発を始めた。

 去年9月4日、中国新聞社は習近平が国家主席に就任して以降地方や省庁の高級幹部9人が汚職の嫌疑をかけられたことを挙げ、「近年まれに見る厳しい取り締まりぶりだ」と報じたが、それはほぼ誇張のない事実である。過去30年あまりにおいて、腐敗問題で摘発を受ける高級幹部の数は毎年せいぜい6名前後であったから、今回の腐敗摘発運動の猛烈さは確かに前代未聞であると言えよう。

 以来腐敗の摘発はさらに猛威を振るって大きく前進した。去年の秋頃から摘発の矛先は中国共産党政治局前常務委員の超大物である周永康とその子分たちに向けられ、今年の3月からは、軍内の大物幹部である制服組メンバー2の軍事委員会前副主席の徐才厚ともう一人の軍事委員会前副主席の郭伯雄の身辺にも取り調べが及んだ。

 そして今年6月30日、習近平指導部は徐才厚の党籍剥奪を発表した。周永康の側近幹部だった公安省の李東生元次官や国有資産監督管理委員会の蒋潔敏元主任ら周永康の党籍剥奪も同時に発表された。特に徐才厚については、共産党軍事委員会の副主席で制服組のトップだった人物が腐敗摘発によって葬り去られたという前代未聞の事実が党内と軍内に大きな衝撃を与えた。

 その数日後の7月2日、指導部はさらに海南省の冀文林副省長や司法部門を統括する党中央政法委員会弁公室の余剛副主任らの党籍剥奪を決めたが、冀も余も前述の周永康前政治局常務委員の秘書を務めた経歴の持ち主であることから、周永康自身に対する摘発がすでに最終段階に入ったことが伺えた。

 このようにして、習近平指導部、というよりも習近平主席その人は今、党・政府と軍の幹部たちに対して史上もっとも大規模な腐敗撲滅運動を強力に進めていることが分かるが、彼は一体何の目的のために、このような凄まじい摘発運動を展開しなければならないのか。



 
 それを理解するためには、習主席の腐敗撲滅運動の中身をもう一度詳しく吟味する必要があろう。たとえば、高級幹部の一体どういう人たちが摘発されていて、逆にどういう人々が摘発されていないのかという視点から色々と調べてみると、腐敗摘発運動の隠された目的がはっきりと見えてくるのである。

 ここでは順番を逆に、まずはどのような高級幹部が摘発の対象となっていないかを見てみよう。前述の党籍剥奪された幹部たちやその他の摘発された幹部たちの出自や経歴を調べてみると、実は習主席や王岐山と同じ太子党の幹部、つまりその父親が毛沢東・鄧小平と同じ「革命第1世代」に属するグループの幹部たちは一人も摘発の対象になっていないことに気がつく。そして次には、摘発された幹部の中には、「共産主義青年団幹部」の経歴を持つ人はあまりいないことも分かる。要するに、前国家主席の胡錦濤の率いる共青団派という派閥の幹部たちも概ね摘発の対象から外されているということである。

 それなら、腐敗摘発は一体、どこの派閥の幹部たちをターゲットにしているのか。これに関しては、日本の一部の論者たちもすでに指摘しているように、腐敗摘発運動の最大のターゲットはやはり、江沢民元国家主席の率いる江沢民派(上海閥)の幹部たちである。

 今まで摘発された最大の幹部グループはすなわち前政治局常務委員の周永康とその周辺の幹部たちであることは前述の通りだが、5月19日掲載の私の論文でも指摘しているように、周永康自身は江沢民派の大幹部の一人であり、彼の率いる石油閥こそが江沢民派の主力をなすものである。習主席の腐敗摘発運動はまさにこの石油閥に焦点の一つを絞って彼らに対する集中攻撃の様相を呈していたのである。

 その一方、解放軍幹部、より厳密に言えば解放軍の元幹部に対する摘発も結局、江沢民派の軍幹部にターゲットを絞って行われている。

 摘発された最高級の元軍幹部の徐才厚は紛れもなく江沢民派の軍幹部であり、軍における江沢民派の代弁者のような存在であった。

 徐才厚という軍人はもともと、元国家主席の江沢民によって抜擢され、制服組のトップの座についた人物である。彼が軍人としての大出世を始めたのは1999年に党の軍事委員会委員と軍の総政治部常務副主任に任命された時であるが、この人事を断行したのは当時の軍事委員会主席で国家主席の江沢民であった。2002年11月に開かれた第16回党大会で、江沢民は党総書記を辞めてからも一時は党中央軍事委員会主席の座を手放さず軍の指揮権を引き続き握っていたが、そのとき、江沢民は徐才厚を軍の総政治部主任に昇進させ、軍における自分の右腕として使った。

 総政治部主任という職は人民解放軍将校の人事に関与する立場であるから、徐才厚が人民解放軍の人事を握ることによって、江沢民の影響力の基盤を提供していたとも言える。2004年9月になって、江沢民はようやく党中央軍事委員会主席のポストを胡錦濤国家主席に引き渡したが、胡錦濤を牽制するために江沢民は徐才厚を軍事委員会における制服組のトップに据え、徐才厚を通して軍に対する影響力の温存を図った。このようにして徐才厚という人物は、2012年11月の第18回党大会において年齢制限による退陣となって党の全職務から退くまでずっと、軍における江沢民の代理の立場にいたわけである。

 もう一人の軍幹部である郭伯雄も、出世街道まっしぐらの経歴が徐才厚と驚くべきほど類似している。2002年11月に開かれた第16回党大会で党総書記を辞めた江沢民が引き続き軍事委員会主席の座にしがみ付いた時、軍事委員会の一平委員であった郭伯雄をいきなり軍事委員会の副主席に任命した。それ以来、郭伯雄は徐才厚と並んで、軍における江沢民派のもう一人の代理人となった。2012年11月の第18回党大会で徐才厚と共に退任した。

 そして、この党大会で党と軍のトップとなった習主席は体制を固めて腐敗撲滅運動に着手するやいなや、党と政府における石油閥・江沢民派に対する容赦ない摘発を進めていった。同時に、軍における腐敗幹部の代表格幹部として摘発のターゲットにしたのがまさにこの二人の江沢民派軍幹部である。

 こうしてみると、習主席の腐敗撲滅運動のターゲットは党・政府と軍の両方においてまさに江沢民派幹部であることは明々白々である。そうすると、習主席の進める腐敗撲滅運動は、「腐敗」そのものの撲滅を目指したような単純なものではなく、むしろ摘発の対象を厳密に選別した上で党内のある特定の派閥を排除するための権力闘争であることは明らかであろう。要するに、腐敗撲滅運動の展開を通して、党・政府・軍における江沢民派勢力とその残党を一掃するというのがまさに習主席の最大の政治的狙い、ということである。

 今回の腐敗撲滅運動の開始以来、党総書記と国家主席に就任してまもない習近平がどうしてこれほど大規模な政治運動を上手く展開できるほどの政治力を手に入れたのか、という疑問は常に付きまとってきたが、習主席と共青団派との「結盟」という視点から見れば、このような疑問も解けてくるのであろう。つまり、胡錦濤元主席の率いる党内最大派閥の共青団派の助力があったからこそ、習主席の腐敗運動は強力に進められた、ということである。

 習主席が江沢民派勢力を党内から一掃しなければならない理由は実に簡単である。習自身、江沢民派の後押しによって今の地位についたが、2012年11月の党大会で習近平指導部が誕生した時、「習氏擁立」の功労者を自認する江沢民派はその勢いに乗じて、新しい最高指導部の政治局常務委員会に自派の大幹部を大量に送り込んだ。その結果、7名からなる常務委員会に江沢民派幹部が4名となり、習近平指導部が江沢民派によって乗っ取られたようなものだった。

 そのままでは、習主席自身が最高指導部内の江沢民派幹部たちに強く牽制されて身動きもできない状況であり、何とかしないといけないと考えた習主席は結局、政治局常務委員会の枠組みからはみ出した規律検査委員会という特別機関を用いて江沢民派の追い詰めを始めたわけである。その際、摘発のターゲットはまず、既に引退した江沢民派幹部の周永康とその周辺に絞られた。中枢部に座っている現役の江沢民派大幹部たちよりも、権力を既に失った連中の方が摘発しやすいのも理由の一つであろう。

 しかも、既に引退した江沢民派幹部を容赦なく摘発することによって、政治局常務委員会にいる江沢民派幹部たちに脅しをかけることもできる。「いざとなったらお前らも摘発の対象にしてしまうぞ」と、彼らを黙らせて服従させることができるわけである。そうすることによってはじめて、習主席は江沢民派の包囲から脱出し、自前の権力基盤を作り上げることができるが、今のところ、習主席の作戦はかなり成功しているように見える。

 その一方、胡錦濤前主席の率いる共青団派は習主席の江沢民派潰しに助力していることの理由も実に明快である。2012年11月までの胡錦濤政権の十年間、胡錦濤主席自身と共青団派はずっと、党内と軍内最大勢力の江沢民派に圧迫されて散々虐げられていた。なりふり構わずの江沢民派幹部の猛威を前にして、胡錦濤主席は忍耐と我慢を重ね、時に泣き寝入りを余儀なくされることもあった。

 当時の胡錦濤主席はどうしてそれほどまでに江沢民派を恐れていたのだろうか。その理由は実は二つあった。一つは江沢民派大幹部の周永康が「中央政法委員会主任」のポストに就いて中国の警察力を一手に握っていたからだ。そしてもう一つ、前述したように、江沢民は「引退」してからも、徐才厚と郭伯雄という二人の軍人を中央軍事委員会の中枢に送り込んで、彼らを代理として軍の指揮権を実質上掌握していたからである。つまり胡錦濤政権時代の十年間、軍と警察の両方は実際、胡錦濤自身によってではなく、江沢民派によって牛耳られていた。だからこそ胡主席はずっと、江沢民派に忍従する以外になす術はなかった。

 別の意味で言えば、胡錦濤政権時代の十年間、江沢民の代理人として「胡錦濤虐め」に直接に関わったのはまさに警察トップの周永康と制服組トップの徐才厚と郭伯雄であった。したがって、習政権になってから、胡錦濤前主席と彼の派閥が習主席の江沢民派撲滅作戦に加担したのはむしろ当然の成り行きであり、その腐敗撲滅運動の最大のターゲットになったのは周永康・徐才厚・郭伯雄の数名であったことの理由もまさにここにあった。つまり今の腐敗撲滅運動は胡錦濤前主席にとって、往時の仇に対する見事な復讐作戦である。

 このような視点からすれば、今の腐敗撲滅運動は表向きでは習主席が主導しているように見えるが、裏で糸を引いているのはむしろ胡錦濤前主席ではないかという見方もできるのである。第一、今までの撲滅運動の中で摘発された大物の周永康にしても徐才厚にしても郭伯雄にしても、それらの連中は習主席の仇敵というよりもむしろ胡錦濤前主席の仇敵なのである。摘発の照準を誰に当てるかというもっとも重要な問題に関して、主導権を握っているのはやはり胡錦濤前主席であるようだ。

 それでは、引退したはずの胡錦濤前主席は一体どのような力をもって、現役の習主席を操って腐敗撲滅運動を主導することができるのか、という疑問は当然浮かんでくるだろうが、それに対する答えも実に簡単だ。要するに今、人民解放軍を握っているのはまさにこの胡錦濤前主席だからだ、ということである。

 そう、自分の政権時代の十年間、江沢民によって軍を握られ散々虐げられた胡錦濤は今、軍を掌握することで「第二の江沢民」になっているのである。

 胡錦濤による軍掌握の一部始終は2012年10月に遡る必要がある。この年の10月といえば、共産党第18回大会の11月開催を控えて胡錦濤の引退は間近になっていた。しかし、このタイミングで、胡錦濤は中央軍事委員会主席の権限において、人民解放軍の新しい参謀総長を任命した。それはすなわち現在の房峰輝参謀総長である。

 房峰輝はもともと広州軍区の参謀長だったが、2005年に当時の胡錦濤軍事委員会主席が初めて多くの軍人たちの軍階級昇進を実行した時、その中で房峰輝は少将から中将への昇進を果たした。それ以来、房峰輝は胡錦濤主席に近い軍人の一人として出世を重ね、2007年には重要な北京軍区の司令官に任命された。そして2009年、中国は建国六十周年を記念して天安門広場で盛大な閲兵式を執り行う時、「閲兵指揮官」として胡錦濤主席の側に立ったのはまさにこの房峰輝であった。それ以来、彼は数少ない「胡錦濤の軍人」として認知されるようになった。

 そして2012年10月、共産党総書記と党の軍事委員会主席からの引退を一月後に控えて、胡錦濤主席は突然、軍の作戦を担当する重要ポストの参謀総長に房峰輝を任命した。それはどう考えても、胡錦濤が自分の引退後の軍掌握を計るための布石以外の何ものでもない。引退以前の江沢民のやったことを、胡錦濤がそのままやろうとしているのである。

 胡錦濤の動きはそれで止まったわけではない。いよいよ11月に入って党大会の開催が目前に迫ってきた時、彼はまたもや動き出した。11月4日開催の中国共産党中央委員会、つまり胡錦濤自身が党の総書記として主宰する最後の中央委員会において。彼は軍人の范長龍と許其亮の両名を党の中央軍事委員会副主席に任命した。

 胡錦濤が行ったこの最後の軍人事は実に異例である。彼はその4日後の11月8日に開催予定の党大会において引退する予定である。本来なら、軍事委員会の新しい副主席任命の人事は、党大会後に誕生する新しい総書記・軍事委員会主席(すなわち習近平)の手で行われるべきである。普通の会社でも、新しい代表取り締まり社長が誕生すれば、次の役員人事は新しい社長の手で行われるのは普通であるが、胡錦濤はこの「普通のこと」をやろうとしなかった。自分の引退が決まる党大会開催わずか4日前に、彼は大急ぎで次の中央軍事委員会の最重要人事を自分の手で行った。習近平が新しい軍事委員会主席に就任した暁には、その周辺は既に「胡錦濤の軍人」によって固められたわけである。

 このようにして、2012年10月の参謀総長任命と11月の軍事委員会副主席任命をもって、胡錦濤は自分の引退後の軍掌握を完成させた。現在に至っても、共産党軍事委員会のただ二人の副主席は両方とも胡錦濤によって任命された軍人であり、もう一つの重要ポストの軍参謀総長も彼の側近が就いている。軍の中枢部は完全に胡錦濤の掌中にあるのである。

 このような形で軍を掌握しているからこそ、引退したはずの胡錦濤は影で糸を引いて習主席の腐敗撲滅運動(すなわち江沢民派掃討作戦)を主導することができたわけであるが、問題は、江沢民派の一掃を目指す腐敗撲滅運動がその目的を達成して終了してから、軍を握っている胡錦濤が一体どう動くのかである。それはまた新しい権力闘争の開始を意味するものとなろう。

 今の胡錦濤前主席と彼の率いる共青団派は、共通の敵である江沢民派を一掃するために習主席と連携していることは前述の通りである。しかし運動の目的が一旦達成されて江沢民派の残党が葬り去られて現役の江沢民派幹部も無力化されてしまうと、つまり共通の敵が消えてしまうと、次なる権力闘争はむしろ胡錦濤前主席と習主席との間で、すなわち共青団派と太子党との間で展開されていくはずである。

 胡錦濤自身が「第二の江沢民」と化して行く中で、習主席は今後十年もその顔色をうかがって生きていくのはやはり嫌であろう。とくに太子党である習主席の場合、自分たちの父親が命をかけて作った共産党政権に対して自分たちこそが正当なる後継者であり本当のオーナーであるという意識が強い。習近平は、「雇われ社長」の胡錦濤の政権壟断は許せないであろう。従って、江沢民派が潰滅した後には、習主席にとって排除しなければならない人物はまさに胡錦濤であるに他ならない。両者間の激しい戦いが予測されるのである。

 しかし習主席にとって、次なるこの戦いはまったく勝算のないものであろう。軍と警察を握った大幹部が既に引退して力の大半を失った江沢民派とは違って、今の胡錦濤が確実に軍を掌握している。6月27日掲載の私の論文でも、今や「胡錦濤の軍人」の代表格の一人となった房峰輝参謀総長の増長と跋扈を紹介しているが、軍の中枢部を占めている彼ら胡錦濤派の軍人たちが習近平主席を何とも思っていないことは明々白々である。

 その一方、胡錦濤派は軍だけでなく、実は共産党の政治局でも大きな勢力を擁している。政治局常務委員以外の18名の政治局委員のうち、いわゆる共青団派の幹部が7名もいて、さらに胡錦濤の息がかかっている軍人の二人を加えると、総数半分の9名を占めることになっている。しかも、政治局委員となっている胡錦濤派の幹部たちは現時点で50代前半である人が多く、最高指導部の年齢制限が定着している中で、彼らこそが2017年開催予定の次の党大会後も政治局に残る公算である。逆に、胡錦濤派以外の政治局委員の多くは現時点でも既に60代後半となっているから、次の党大会では確実に引退することとなろう。

 このような状況はどう考えても胡錦濤派にとって大変有利であるが、その中で焦点となるのは次の党大会で誕生する新しい政治局常務委員会の人事である。前述のように、今の政治局常務委員の7名のうち4名も江沢民派となっているが、彼ら全員は60代後半となっている。現在展開している江沢民派掃討作戦の中で彼らがいつ失脚するか分からないが、たとえば服従の姿勢を示すことによって次の党大会まで今の立場を維持できたとしても、この党大会では彼ら全員は確実に退場するのであろう。そうすると、次の党大会で誕生する政治局常務委員は半数以上の入れ替えが予測され、政治局から多くの幹部が常務委員会に上がってくる公算となる。

 それでは、現在の政治局委員の誰が上がってくることになるのかとなると、その時こそ、今の政治局で活躍している胡錦濤派の50代前半の幹部たちの出番となろう。年齢の優勢からしてもそうなってしまうのが普通であるし、胡錦濤が軍を握ったままの状況下なら、ほぼ間違いないと思う。

 そうすると、胡錦濤派(すなわち共青団派)の次なる政権戦略ははっきりと見えてくるのであろう。つまり、今の習主席たちと手を組んで江沢民派を一掃して江沢民の影響力を完全に排除した暁には、残された党内の最大勢力はすなわち彼ら自身である。そして、次の党大会までに(あるいは次の党大会において)政治局常務委員会から江沢民派の残党を一掃した後には、軍の支持をバックにして共青団派の若手幹部を政治局から大量に昇進させ、次期の政治局常務委員会、すなわち党の最高指導部を一気に掌握してしまうのである。

 そうすると、今から三年後に開かれる予定の党大会を経て、そのまま胡錦濤派の天下となろう。そしてその時こそ、在任中には江沢民派に抑えられて辛酸をなめ尽くした胡錦濤その人は、中国の実質上の最高指導者としてこの国に君臨するのである。

 おそらくそれはすなわち胡錦濤と共青団派の目指す「天下取り戦略」の全容であろうが、今や習主席が旗を振って展開している腐敗撲滅運動は結局、胡錦濤派による「天下取り戦略」の露払いであるにすぎない。習近平主席という人はむしろ、胡錦濤の手のひらで踊られている操り人形のようなものだ。

 言ってみれば、腐敗撲滅運動の陰で高笑いして、そして最後に笑うのは、やはり胡錦濤という江沢民以上の狸親父なのである。