世界にはオリンピックが3つあります。

一つは一般的なオリンピック。

そして身体障害者のためのパラリンピック。

そして日本ではほとんど知られていなかった知的障害の方のスペシャルオリンピックス。

2005年2月に、アジアで初めて長野県でこのスペシャルオリンピックス世界大会が開かれました。

このスペシャルオリンピックスの知名度がぜんぜんない時代から、この活動にかかわってこられた、細川元総理の婦人である、細川佳代子さんの講演の一部をここにご紹介します。


私がこの「スペシャルオリンピックス」の活動を始めたきっかけは、今から13年前、地元熊本の新聞を読んでいましたら、大きな記事で「ともこちゃん、スペシャルオリンピックス世界大会で銀メダル獲得!」と記事が出ていました。

私はパラリンピック以外に、もう一つオリンピックがあることをそのとき初めて知りました。

ともこちゃんはわずか10歳、ダウン症で難聴。

ほとんど耳は聞こえない状態でありながら、床運動の体操で銀メダルと獲得したことが分かりました。

私はびっくりしました。

そして、その体操指導したボランティアの先生の談話が載っていました。

「スペシャルオリンピックスという競技会は、ベストを尽くして途中であきらめず、最後まで頑張り抜いた選手はみんな勝利者で、表彰台に上がれるんです」

それに私は心を惹かれました。

そしてその方をお招きして講演会を行いましたが、そのときにある牧師さんのお話が出てきました。


山本さんは鎌倉にある聖ミカエル学院の牧師さんで、アメリカでスペシャルオリンピックスに感動し、80年に日本スペシャルオリンピックス(JSOC)を設立した方です。

その山本牧師の言葉。

どんなに医学が発達しても、人間が生まれ続ける限り、人口の2%前後は知的障害のある子どもが生まれてくる。

それはなぜかというと、その子の周りにいる人たちに優しさとか、思いやりという、人間にとって一番大切な心を教えるために神様が与えてくださるからだ。

彼らは神様からの贈り物なのだ。

知的障害のある子どもたちは、本来は優れた能力や可能性をいっぱい秘めて生まれてきている。

けれども自分一人でそれを人に伝えたり、発表したり、発揮することが不自由なのだ。

だから、もしご両親や家族、地域の人たちが、世間では障害とよばれているその不自由さ、生きにくさ、困難さを理解せずに、能力の劣った、かわいそうな子ども、何もできない子どもと思いこんで、何もさせず、ただ保護したり、養護したり、隠したりして育ててしまったら、彼らは本来の可能性を伸ばすこともなく、大変寂しい、孤独で不幸な人生を送ることになってしまう。

でも、もしご家族や地域の周りの人たちが、その一人ひとりの障害という特性をよく理解し、困難や、不自由をちょっとサポートすれば、本来の能力を発揮して、その人らしく社会で生き生きと暮らしていける。

子どもたちが幸せになるか、不幸な人生を送るかは、周りの人たちの理解とサポート次第である。このことばを聞いて、殴られたようなショックを受けたという。

知的障害者を見る目が間違っていた。

それまでは、かわいそうな気の毒な人たち、なんて運が悪いのだろうと思い、生まれてきた意味がわからなかった。

この人達と深く関わると、何か重い物を引きずってしまいそうで怖い。

ほどほどに距離を置いておこう。

うちの子どもはみんな健常児でよかったと胸をなでおろしていた自分に気づいた。

傲慢で自己中心的な自分に気づき、自分の勝手な価値観で、「かわいそうな人たち」と決めつけ、「同情心」しかもっていなかった。

理解とサポートがない環境に生まれてきたことが不幸なのだ。

そして「すべての人間には生まれてきた意味があるのだ」と気づき、活動に関わりを持つようになった。

実は、ともこちゃんは予選で一番成績が悪かったんです。

なぜならば、耳が聞こえないために、音楽が鳴っても踊りだせずに、高い天井を見つめてボーっと立っていたんです。

その彼女を見て、観衆がみんな立ち上がって、声援を送り、ようやくともこちゃんは気付いて踊り始めたんです。

それで、予選で落ちたと思っていたら、決勝に出られることが分かりました。

コーチが、どうして一番だめだったともこが出られるんだろう、と訊いてみたら、「スペシャルオリンピックスでは、予選で落ちる選手は一人もいないんですよ。予選はクラス分けといって、同じレベルの子で競技をする、そのための予選なんですよ」

といわれ、よーし、と頑張って銀メダルを取ることができたのです。

つまり、スペシャルオリンピックスが一番大切にするのは、ナンバー1(世界記録を出す)というものではなく、一人一人が自分の能力、可能性に向かって、勇気をもって挑戦し、自分のベストを尽くした人、それこそ勝利者であり、価値観だということを知って、私はまた感動してしまったのです。

私たちのスペシャルオリンピックスだけ最後に複数の「S」が付いています。

オリンピックやパラリンピックは「ク」で終わっています。

これは、世界大会をする団体だけじゃないからです。

年間通して継続的に、日常生活の中で毎週、地域のボランティアの方々を通じて、今日の土曜日も今この時間に行われて、いつもいつも行われている、だから「S」が付くんです。

この活動でどんどん成長していくんですが、実は、周りの人も変わってくるんです。

私もその一人です。

最初は知的障害者のことを、かわいそうと思い、一方的に「なにかしてやろう」という、たいへん傲慢な気持ちを持っていました。

ところが彼らと楽しく一緒に触れ合っていくうちに、「知的障害者はこっちのほうだ」ということが分かってきました。

彼らはほんとうに純粋な魂を持ち続けて、だれよりもやさしい。

そして、いたわりの心が人一倍強い。

そうしますと、知的障害者という言葉を作ったこと自体が、まちがいであることに気付きました。

それは私たちの物差しで勝手に、知的障害者という言葉を作ったんです。

でも、別の物差し、例えば、やさしさ、思いやり、どっちが人間らしいか、という物差しではかった場合、彼らのほうが、ずっと上等な人間なんです。

あるがままを受け入れる、やさしさ、誠実さ、私たちはとてもかなわない。

彼らと触れ合うことで、人間としてとっても大事なことを学んで、私たちのほうが成長する、魂を彼らに磨いてもらっていると思っています。

こんな素晴らしい活動だから日本中に広めて、かかわった人がみんな、やさしく和やかになって、だれも認め合って支えあう、そんな社会になったらどんな素敵だろう、そう思ってこの活動を続けています。


涙が止まらないより転載