私たちの故郷は、どうやら「あの世」らしい。そして私たちの本体は、霊魂=意識体である。この地球という学校へ勉強にきて、いま寄宿生活をしている。故郷へ帰りたがってはいけないから、学校へ入る前に一時的に故郷の記憶はみんな消去される。 

この学校での生活は、制約があって、努力しないと非常に生活しにくいように仕組まれている。だから、誰もが、いやおうなく勉強する。ここでは、肉体という不便な入れ物のなかに各自が閉じこめられる。 
「あの世」では見たいものは何でも見えた。ほかの人たちの気持ちも、そのままわかった。どこへでもいきたいところへすぐいけた。これでは、楽で便利すぎて、なかなか努力しないから、この世の制約のある肉体という入れ物のなかで、霊魂という生命体の本体に勉強させるのである。 
  
この学校や寄宿舎では、誰もが努力して食べていかなければならない。他人にも負けたくない、向上したいと考えるようにできている。そうしなければ、生活しにくいのである。 
こうして勉強しているあいだに、やがて入れ物=肉体が老化し、故障し、壊れて、なつかしい故郷の「あの世」へ帰れるようになる。 
  
ただ、学校に入る前に、故郷のこと=「あの世」の記憶は消去されているし、なるべく学校でいろいろ学ぶために、この学校(この世)は最高の場所だと教えられる。そのための入れ物=肉体はなるべく大事にし、老化や故障を起こさないようにし、ほかの仲間と仲よくするのがよいのだなということを、学校に入ってから自然と覚えるように仕組まれている。 
  
また、学校で効率的に勉強させるために、故郷で親しかった者や、昔、学校で知りあいであった霊魂たちを、なるべく一緒にするようなこともよく行われる。学校や寄宿舎での記録は全部残しておかれるし、今後、この学校へ再教育のために入るときに、それを参考にして入学日とか入れ物とか仲間が決まることになる。 
  
さらに、この学校で学習したことは、霊魂のなかに貯えられ「あの世」=故郷で整理され霊魂のものとなるし、また再び学校に入学したときに、それが活かされることになると考えれば、だいたいご理解いただけよう。 
  
こう考えると、「あの世」のことや、「死は終わりではない」などということは、人間は知らないほうがよいともいえる。 
  
ただ現在では、人間という生命体の本体である魂のレベルが進化し、高くなった人も多くなったので、生と死の原理などが、われわれ人間に徐々にではあるが明らかにされてきた、と解釈したい。 
人間は、野獣より神に一歩近づいたようだ。だから、これからは天地自然の理を魂のレベルに合わせて少しは知ってもよいし、もっと知るよう努力するべきだろう。 

(船井幸雄氏著作より)