日本経済は「輸出から投資へ」という変化を強めている。日本は、「企業や家計の投資収益の増加 > 賃金の増加」という時代に入っている。 
これは、投資をする(できる)者と、しない(出来ない)者との、生涯所得格差をじわじわと拡大させる。 

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その結果、日本でも、USで起こっているようなOccupy Wall Streetに似た風潮が強まるだろう。 

21世紀とは、17世紀(東インド会社設立)以降の400年間に渡って欧米先進国に搾取された新興国が、独り立ちを始めた世紀だ、と後年位置づけられるだろう。 
その独り立ちのプロセスで起こっていることは、先進国の中間階級の中で、新興国と競合した結果、負け組になり中間層から落ちつつある人々の感じる不満の増加である。 

その意味では、茶会運動も同じ範疇にあると思う。 

Occupy Wall Streetや茶会運動で最も不満を持って参加しているのは、製造業従事者が多い。彼らが新興国との競合の最前線にいるからだ。 

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17世紀以降の400年間で、先進国で勃興&増加した中間層とは、まさに製造業従事者だった。 
それが、「資本主義が判断実行する世界規模の裁定取引(どこで何を作るか)」によって、中間層の地域分散が元に戻りつつある。 

企業は国境を越えて新天地を求めることができる。しかし、労働者は、特に日本のような島国で言語障壁が高い民族は、新天地を求めて移動するよりは、座してしまう傾向が強い。 
そして政治・民主主義とは、まさに国境内にとどまっている国民の単純多数決で動いている。有権者に占める「不満を感じる層」は今後も着実に増加する。 

座してしまう = 何かにブラ下がって事態の改善を、ただ待つ。しかし、改善は来ない。新興国の隆盛はまだまだ今後も継続し、その程度はますます大きくなる。 

その際に問題になるのは、右肩上がりで経済が上昇ることを前提として設計された社会保障制度だ。 
先進国の社会保障制度は、将来を先食いしてきた。右肩上がり前提だから、少々先食いしても・・・・と政治家も後期現役世代も、安易に負担を前期現役世代に押し付けた。 

しかし、前提が崩れたので、先食いは終わりだ。後期現役世代の先食いを、戻してもらう必要がある。 
一旦もらったものは、それが不当利得であっても、1円たりとも戻さないと考えるべきだろう。自主的に戻さないなら、政治的な制度変更(増税など、所得の再配分)で戻してもらうしかない。 

社会保障は、誰が、誰に、何を、どの程度、保証するのか、所詮、絵に描いた餅の運命なのか。 
社会保障は当って玉砕する特攻隊では無く、長期籠城といった持久戦を戦う陸上部隊の長期戦争だが、これに正面から向き合う羽目になるのが、21世紀の先進国民主主義国家だ。 

既に長らく地位を維持している政治家は触れたがらない問題だ。 彼らは、票にならないと判断しているからだ。 
後期現役世代・先食い国民も触れたがらない。彼らは損をする議論に参加しない。前期現役世代が、投票で多数を占めるまで、事態はDead Lockになる可能性が高い。 

福祉の先食いは、選挙民の買収としては、最も安上がりで、かつ最もパワフルだった。 
1円でも貰えるなら貰っておくのが人情だし、一旦貰ったものは、不当利得であっても、1円でも減らされることには反対する。 
だから、既得権者が多数になったら、民主主義では、是正は不可能 。 

Occupy Wall Street では、資本主義の恩恵者を攻撃している。だが、資本主義自体が悪者ではない。 
地球規模の裁定取引の推進者は資本主義だ。かつて、17世紀以降の400年間にわたって、新興国を搾取して、先進国に超過利益をもたらし、先進国中間層をエンジョイさせてくれた張本人が資本主義だ。 

先進国の中間層に恩恵を与えてくれた貢献者であった資本主義が今や、先進国に牙をむいている。Occupy Wall Street の参加者は、資本主義の変わり身を攻撃しているのだ。 
だが、それは月から地球を眺めながら判定すれば、理不尽・屁理屈の怒りだ。格差社会を前提とした「先進国の偏狭な民主主義」はアンフェアだ。 

個人でも、企業でも、国でも、ビジネス能力(=金銭獲得能力)には差がある。同じ条件の畑を耕作しても、農民間で収穫量に差が出る。格差が生じるのは、自然の摂理だ。そして、格差を是正しすぎるのは、アン・フェアだ。 

今までが「あまりにも楽な時代で、福祉の先食いを厳しく問われずに済んできた」ゆえに、急に規律の回復と言われてもと、何も行動出来ずに民主主義は逡巡している。その間、事態は着実に悪化しており、隋所で悲鳴が上がっている。 

*春山昇華氏のブログから転載