130420

        「平穏死」という選択 (幻冬舎ルネッサンス新書)  石飛 幸三 (著) 

なぜ8割の人が安らかに死ねないのか。本人の意思を確認できないまま、老衰末期の高齢者に胃ろうなどの人工栄養が機械的に処置されている現実。 
医療の進歩と行き過ぎた延命至上主義が私たちから穏やかな死を奪う。このままでいいのだろうか。 
外科医から特養の常勤医へ転身した著者の「往生の哲学」が、いずれ死を迎える私たちすべてに生き方への深遠な問いを投げかける。 


「寿命を受け入れるという考え方に大賛成! この本を読むと、「死」が怖くなくなります」 
――『大往生したけりゃ医療とかかわるな』中村仁一氏推薦! 

「命を延ばす」だけが正しいことなのだろうか――。 
8割の人が、自宅で死にたいと願いながら病院で死んでいるという現実がある。「看取り」の医師が、誰もが必ず迎える死の場面において、尊厳という観点から現在の医療のあり方に警鐘を鳴らす。 

安らかな最期を実現するために、患者や家族はどのような知識をもって終末期の医療とかかわるべきか、看護師や介護士はどのような思いで患者と接しているのか、医師はどのような思想を持つべきなのか、法制度はどうあるべきか。 

医師は患者の命を終わらせる最終責任者となる責任を逃れ、機械的に延命のための胃ろうなどの人工栄養を行い、患者を施設に送り返しているのが現状だ。「餓死させるつもりか」という言葉を突きつけられ、自分の意思を表明できない患者の家族は医師の勧めに従うしかない。胃ろうを付けられ、寝返りも打てずじっとベッドに横たわったままの高齢者は30万人とも40万人ともいわれている。 

本当にこのままでいいのだろうか? 人間には本来、自然に、苦痛なく死を迎える機能が備わっている。 
無理な延命治療をしなければ、苦しまずに穏やかに最期を迎えることができるのだ。それを邪魔する医療であってはならない。尊い死を家族から奪ってはならない。 

超高齢社会が到来し、一人ひとりが「我がこと」として考える時が来ている。延命医療の最前線で活躍する外科医から特別養護老人ホームの常勤医師へと転身した著者の「往生の哲学」が、いずれ死を迎える私たちすべてに、生き方への深遠な問いを投げかける。 


◇ 死は高齢者に寄り添う最良の友かも知れません  By タッキー 

何故,私がそんなにこの本を薦めるのか.人は皆死ぬからです。私はもう直ぐですが,あなたもいずれ死にます。 
人の宿命たる死を実例を挙げて何度も説明しているこのような本を私は他に知りません。石飛幸三先生は説かれます、長い人生を終え、今は死を迎えつつある人に医療を行ってはいけない。 

求められるのは静かな看取りだと。私はこの歳になって漸く眼を開きました。 
死にいく人を人工呼吸器につないだり、点滴をしたりして医療が介入するのは「平穏死」に逆行し、ヒューマニズムに合わないのです。 
それは実のところむごい処置なのでした。 
老衰は病気ではない。だから医療は要らない。木から舞い落ちる枯れ葉のように命も体から離れます。 

日々繰り返される自然の営み ----。でも、その瞬間に崇高な何かがが輝いたとしたら、それは看取りがあったからなのだと本書を読んだ今、想像します。 


★たきがみ博士の意思表示 Self Dignity Declare. 
  [自然死、平穏死に向けて]