「ヘンプ」「アサ」「大麻」「マリファナ」は、同じ植物を表わしています。

いま、ヘンプは石油と森林に替わる可能性を秘めた農作物として、また、様々な生活習慣病を改善する新しい健康食品として世界中で注目されています。   
            
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ヘンプは世界各地で栽培でき、110日という短期間でまっすぐに2~4mに成長する一年草です。 
害虫や雑草にも強いため、土地や水を汚染する農薬と化学肥料をたくさん必要としません。 
農薬の空中散布なしでは栽培が難しい綿花(コットン)と比べるととても環境にやさしい作物です。 
その作物は、今や衣服だけでなく、住宅用の建築素材、土に戻るプラスチック、紙、化粧品の原料などに使われはじめています。 

さらに麻の実(ヘンプの種子)は、畑の肉といわれる大豆に次いでタンパク質が多く、必須脂肪酸やビタミンがバランスよく含まれています。 
そのため、心筋梗塞やアレルギー疾患などを予防・改善する食べ物として見直されています。 
ヘンプからできる商品は、およそ25,000種類にもなるといわれています。 

ヨーロッパ諸国やカナダでは、第二次世界大戦後から約50年間ヘンプの栽培が禁止されていました。 
1990年代に入り環境にやさしくて利用価値の高いことが評価されると、栽培が解禁されるようになりました。 
それに伴ってヘンプの研究と商品化が急速な勢いで進んでいます。 
ヘンプを推進する国々では、農業活性化、地域振興、新しいマーケットの拡大、雇用対策に大きく貢献できる1つの産業(=ヘンプ産業)として捉えているようです。 

一方、日本では、ヘンプ(大麻)から作った衣服を着て、麻の実を食べていたことが縄文時代の遺跡から発見されています。 
ヘンプは、戦前までは、繊維を衣服や縄に、種を食料や燃料に、茎は建材に、そして葉や根は薬用に利用してきました。 
今でも、七味唐辛子の一味、花火の火薬、神社の鈴縄など意外と気づかないところに使われています。 

また、「麻衣」「麻美」「麻里」など名前に麻という文字をよく使います。 
これには麻のように素直ですくすくと丈夫に育ってほしいという親の願いがこめられているそうです。 

ところが、第二次世界大戦後にGHQ、大麻取締法の影響によって、「麻薬」というイメージを植えつけられてしまいました。 



<ヘンプ(麻)の10大特徴> 

1)再生可能な資源  
  アサ科の1年草であるヘンプは、有限な化石資源と異なり毎年再生産が 
  できる 

2)成長が早い 
  昔から100日草と呼ばれ、3ヶ月で約3メートルにまで成長する 

3)最も古い栽培植物 
  栽培植物としての起源は最も古く日本でも縄文時代の遺跡から繊維と 
  種子が出土 

4)農薬不使用 
  ヘンプは病害虫に強い作物であり、殺虫剤、除草剤などの農薬は使用 
  しません 

5)世界中で栽培可能 
  沙漠、氷雪原、ツンドラ気候と湿地以外では、痩せた土地・半乾燥地 
  でも栽培可能 

6)様々な生活用品を生み出す 
  繊維から衣類、縄、紐、紙ができ、繊維をとった後の麻幹(オガラ) 
  から建材、炭、プラスチック副原料、燃料、動物用敷藁、 
  種子から食品、化粧品、塗料、潤滑油、葉から肥料、飼料、 
  花から医薬品と25000種類の生活用品ができる植物  

7)工業原料としての実績 
  リーバイスのジーンズ、メルセデスベンツ等の自動車内装材、ユーロ 
  紙幣、ザ・ボディショップのボディケア用品、EUでの自然素材断熱 
  材など天然繊維の工業利用のノウハウが最も蓄積された植物   

8)地産地消のバイオマス 
  将来、日本で栽培、加工、製品化できる資源作物として期待される 

9)バイオ・リファイナリーができる模範的植物 
  麻から繊維・麻幹・種子をとり、様々な加工によって無駄なく使え、 
  持続可能な安定供給ができ、技術が進めば石油に変わる植物由来の 
  工業用基礎原料になる 

10)日本の伝統文化を支える素材 
  神社の鈴縄、注連縄、御幣、下駄の鼻緒、花火の火薬、凧糸、弓弦、 
  相撲の化粧回し、漆喰原料の麻すさ、茅葺屋根材、麻織物、七味唐辛 
  子の一味など今でも使われている 




日本の敗戦により、GHQによる日本人の精神性、文化、生活様式を徹底的に破壊し、アメリカの従属国家とするために日本弱体化計画が計られ、その一つに大麻草を取り上げました。 
またそれと同時に石油を世界の共通エネルギーとするために石油産業が物凄い勢いで台頭してきました。 
日本も当然石油や石油製品のマーケットにする為に、石油メジャーと植民地政策が一致し、『麻薬』と位置づけ、大麻取締法が制定されました。 

日本では大麻草は生活の一部ではあったが、外国のように吸引する文化はあまりなく、取締法制定時には、担当省はもちろん多くの人達がアメリカの勘違いや自分達の読み間違いだと思ったくらいでした。 

中毒性はコーヒーよりも少なく、致死量もない。生活必需品であり農家の大ダメージを考え、当時の役人達が必死の交渉の結果、栽培における免許制を設けることで今にかろうじて残されています。 

しかし不思議な事に、海外特に先進国では部分的に大麻の活用が合法化されており、2012年暮れには、アメリカの首都ワシントン州とコロラド州では嗜好品大麻が合法可決されました。 

麻薬と言う危険性はないからです。 

大麻はそのイメージと性質上、吸引してハイになり、麻薬中毒ということが議論ばかりされますが、吸引に対しても全く害はないのです。 

大麻は産業として大きな効果が見込められます。 
なおかつその製品は石油と違いエコで無害なのです。 


大麻市場のリブランディング

自宅栽培や購入まで含めて大麻を完全に合法化した国家はウルグアイが初めてだが、医療用大麻については、最近、世界的に合法化の動きが活発化している。米国では50州のうち23州がすでに合法化し、そのうちコロラド州とワシントン州では、嗜好用大麻も合法になった。

大麻の吸引は人体や社会に悪い影響がないとは言えないが、一般に、脱法ハーブ(危険ドラッグ)や煙草に比べれば害が少ないという見方が有力だ。大麻を合法化後、コロラド州のデンバーでは、犯罪率の低下や大麻税による税収の増加といったメリットも生まれているという。

そういった事情から、今後、米国では、さらに大麻の合法化の動きが進むと見られ、大麻産業は2018年までに102億ドル(1兆200億円)の規模に成長するだろうという予測もある。機を見るに敏な起業家たちがそんな有望な市場を、見過ごすはずがない。インターネット上でも、今のうちに大麻ビジネスに参入して、シェアを確保しようというスタートアップが続々と登場している。

その中で好調なスタートダッシュを見せているのが「Leafly」である。同サイトは2010年6月にカリフォルニア州で3人のエンジニアが創設し、翌年末に未上場企業への投資会社Privateer Holdings社に買収された。「世界最大の大麻情報コミュニティ」を謳い文句に、大麻に関する広範な情報を提供し、顧客と大麻の販売者とを結び付けている。収益源は大麻に関連する事業主からのスポンサー料である。


Leaflyの創設者らは大麻という特殊な分野に進出したが、彼らがしたことはそうでない分野に挑む起業家にとっても、起業する際に何を検討するべきかの参考になる。

1.そのビジネスには、モラルの点で問題がないか?
起業家であれば、世の中の変化を嗅ぎ取り、ビジネスのチャンスを常に探す努力を続けるのは当然だ。しかし大きなチャンスを他人より早く見つけても、モラルの面で問題がないと納得できない限りは、安易に手を出すべきではない。

起業家にモラルが求められるのは、日本も米国も変わらない。失った利益は取り返せる可能性があるが、自らの行いで傷ついた履歴を白紙に戻すことはできない。

2.大勢と競争するよりも、その大勢を顧客にする方法はないか?
Leaflyは大麻産業への進出を決めたが、大麻を販売して利益をあげるというビジネスモデルは選ばなかった。大麻の合法化が進むとなれば、大麻を扱うビジネスが増えることは分かりきっている。大麻については素人の彼らが参入しても、有利にはならない。そこで大麻に関連するビジネスが増加したら、次に何が求められるかを考え、「大麻の情報」を専門にして、大麻を扱う人たちを顧客にする方法を取った。

米国では、昔から「他の人たちが金の採掘に明け暮れているときには、シャベルを売れば儲かる」という言葉があるそうだが、大勢の人が金脈に群がり始める気配を察したら、その人たちに売れるシャベルに当たるものはないか探してみよう。

3.リブランディングの必要性はないか?
商品の売行きを決めるのは、その商品の品質や魅力だけではない。その商品分野全般に対する世間一般の認識も影響する。

有名な例だが、ホンダは1960年代に米国市場に進出した際、「You Meet the Nicest People on a Honda(世界のナイセスト ピープル ホンダに乗る)」をスローガンにしてスクーターのキャンペーンを行い、従来のオートバイに付き物だった暴走族の乗り物といったネガティブなイメージを一掃し、独自の市場を開拓した。

もしあなたの扱う製品にネガティブなイメージが付きまとっていたら、それを払拭するために、製品をリブランディングして、新たな切り口で消費者にアピールすることを考えてみよう。


 
60年ぶりに麻栽培が復活

大麻でまちおこしをする智頭町の取り組み。いま麻でまちおこしをする鳥取県智頭町の取り組みが注目されている。
移住してきた若者が大麻栽培免許を取得。地元の古老、町役場、町長、知事らがサポートし、60年ぶりに麻栽培を復活させた。
限界集落の再生を目指す試みだ。

一般的に、日本語で「麻」(あさ)というと繊維のことを連想し、「大麻」というと麻薬のことを連想するひとが多い。
実は「麻」も「大麻」も同じ植物を意味する言葉。最近は大麻の繊維でつくった衣服は「ヘンプ」(HEMP)と呼ばれることもある。

古来より日本人の生活に密接に関わっていた大麻草。伊勢神宮の神札を大麻と呼ぶ由来となった植物であり、神道とも深い歴史的な関わりを持っている。

戦前、大麻は米につぐ作物として日本のどこでもつくられていた。しかし戦後は大麻取締法によって、所持や販売が厳しく制限されてきた。
智頭町では麻薬成分(THC)のない安全な品種を使い、新たな産業としての挑戦を始めている。


アサ(麻、Cannabis)は中央アジア原産とされるアサ科アサ属で一年生の草本。

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かつての麻産業を復活させる。産業用大麻栽培者、上野俊彦さんは2年前に智頭町へ移住した、いわゆるIターン組。戦後初めて鳥取県でこの免許を取得した。

「かつての智頭郡では麻が大きな産業でした。100年前の時点で五十五町歩(約545,000平方メートル)もの栽培面積がありました」

繊維を使って魚網や縄や紐、麻布、畳糸などを生産し、そしてそれら繊維を取ったあとのオガラ(麻幹)を茅葺屋根や、焚きつけ用の松明として用いたり、蚊やブヨなどの虫よけに使われたという。

「お盆には先祖の霊の送り迎えの儀式に使われてきたんです」

上野さんは智頭町で麻栽培を行う会社、株式会社八十八やを立ち上げた。株式会社八十八やは、中国・四国地域で唯一の麻栽培を行っている。麻を利用した商品やサービスを提供することによって過疎化・高齢化のまちを元気にすることを目的としている。

移住のきっかけは東日本大震災だった。上野さんはそれまで群馬で麻の栽培免許を持っている方のもとで働いていた。
震災後、子育てのために智頭町へと移住した。畑で野菜を自給し、余剰分を販売していこうと考えた。最初は「麻づくり」は考えていなかったという。

あるとき、88歳になる集落の古老が上野さんの畑にやってきた。鍬の使い方を教わったり、昔話をしているうちに、昔、智頭町は麻の産地だったという話をしてくれた。
古老が言うには、「このあたりでは昔、麻のことを「お(麻)」と言っていた。お(麻)は、大きく延びて、葉っぱもきれいで、いいにおいがしてなあ。大麻は麻薬とかそういうイメージもあるかもしれないけれど、わしが思うに植物界で最も強い繊維がつくれる植物だと思っている」

古老はその集落で麻栽培に関わってきた最後のひとりだった。
上野さんは古老の話から、麻はこの地方で生活のすみずみまで利用されていたことを知る。
群馬で免許を持っている方のもとで大麻の栽培をしていたという話をすると、古老は「だったらまたやればいいじゃないか。皆で協力する」と言う。免許は簡単に取れるものではない。

古老は上野さんにあるものを手渡した。
「これは昔、自分が麻をつくっていたときの麻縄と、100年前にワシの父がつくった麻袋だ。何かの役に立つときがくるかもしれないから、持っておきなさい」と上野さんの右手をつかみ麻袋を握らせた。

上野さんはそのときの感覚をこう語る。

「その瞬間、ビリビリっと体中に電流が走ったような感じがしたんです」

尋常でない感覚だった。100年前の麻袋とおじいさんの笑顔。上野さんはその瞬間、鳥取県で麻の栽培を復活させるために免許を取ろうと決意したという。

「人間は不思議だと思った。もしあのときおじいさんが麻の袋と麻のひもを持ってこなかったら、麻づくりはしていなかったかもしれません」

集落の長老が上野さんに手渡した麻の袋と麻のひも。地域のなかにある麻づくりの伝統を知り、麻再生の取り組みが始まった。

智頭町の89の集落がある。もしかしたらほかにも麻づくりの記憶を持つひとたちがいるかもしれない。上野さんは智頭町のお年寄りたちに取材を始める。

智頭町の暦史資料にあったってみると3~4世紀に全国各地に麻を伝えた徳島県の阿波忌部族(いんべ)の氏族の所縁の神社が鳥取県内に多数あることから、この氏族が麻を伝えたと考えられる。
江戸時代に智頭の大庄屋を務めた石谷家に残る「万日記帳」には、文政11年(1828年)に麻をつくり、使っていたころの記録がある。ほかの集落には麻のひものさまざまな用途を教えてくれるおばあさんがいた。
 
大麻づくりの記憶を持つ人は、数多く存在したのだ。町長へのプレゼンテーション。「これはわしの首にかけてもやらなければならないなあ」
智頭町の寺谷誠一郎町長は、上野さんの麻づくりのプレゼンをじっと聴いたあと、そうつぶやいた。
智頭町の協力のもと、鳥取県の知事に申請をした。
大麻栽培の免許取得は簡単なことではない。そこから町と二人三脚での大麻栽培免許取得のプロジェクトがスタートする。

関係各所への説明、用地の取得、事業としての具体的なプランづくり。麻薬成分がない麻とはいえ、防犯のためのフェンスや防犯カメラも必要だ。上野さんの群馬県での栽培経験も役にたった。耕作放棄地の活用や雇用の創出、かつての伝統文化の再生など、町としてのメリットもアピールした。

2013年、戦後初めての鳥取県で麻の免許がおりた。夏も近づく八十八夜のその日だった。会社名を「八十八や」とした。

最初の年は「種とり」から始めた。群馬の麻農家からわけていただいた一握りの種から栽培していくための種を増やすこと。昔のやり方で繊維を取れたらいいなと考えていた。

そんなとき、となりの集落から2メートル40センチの「桶蒸し」の桶が見つかった。桶蒸法は西日本各地で行われていた麻の繊維を取るための加工法のひとつ。室町時代から行われてきた伝統技法である。
かつての麻の桶蒸を復活させようと、全国からひとびとが集まった。


室町時代から行われていたという伝統的な麻の桶蒸しが復活した。桶蒸しの公開実験イベントが2013年9月に行われ、限界集落に200名の人が集まった。今年は9月20日(土)に開催される智頭麻まつりで桶蒸しが行われる。
自然栽培で育てた鳥取県智頭産の麻。
栽培2年目となる今年、八十八やはいよいよ麻の商品化に取り組む。
上野さんにはひとつのこだわりがあった。全国で大麻の免許を持って栽培している農家は数十件あるが、無農薬・無化学肥料の大麻は少ない。

「オーガニックの麻製品を智頭麻のブランドで出していきたい」

麻製品のトップランナーとして自然栽培で育てた麻で勝負したいと考えたのである。初年度は自然栽培で育てた鳥取県智頭産の麻の炭「智頭麻の炭」と「ちづ麻の油」を商品化した。
ヘンプ・オイルは食品のほか、ボディーケア製品・潤滑油・塗料・工業用途など、非常に広範囲に使われる可能性がある。
また麻炭は1gあたりの表面積・細孔容積は備長炭のおよそ4倍、孟宗竹の1.6倍あると言われる。いずれもそこからさらなる商品開発の可能性を秘めている。

行政も支援。広がる麻の利用法。鳥取県の東南に位置する智頭町。2013年、移住者の上野俊彦さんが大麻の栽培免許を取得し、株式会社を八十八やを立ち上げた。

麻の実は食品として活用できるほか、油は空気を汚さない車の燃料にもなり、繊維は耐久性の高い紙や衣類になり、クリーンな建材や、土に還元するバイオプラスチックの原料にもなる。
循環型社会を形成するために、麻の利用価値は極めて高い。戦後初という大麻の栽培免許を取得できたのには智頭町のこれまでのまちづくりがあってこそ。

鳥取県智頭町の寺谷誠一郎町長にお話を伺った。
「現在は大麻の栽培に関して国の規制法も厳しい。しかし正式に手続きをして、しっかりやれば、すごい世界が広がってくる」鳥取県智頭町長、寺谷誠一郎さん。行政として「麻」を産業として復活させようと考えている。

智頭町に移住してきた上野さんが、大麻栽培免許をとりたいと寺谷町長に相談したのは2013年のこと。

「彼が智頭町にきて大麻をつくりたいという。最初はびっくりした。
大麻ってマリファナだろ? と聞くと、厳密にはマリファナと大麻は違いますと言う。大麻は古来から日本で使われている“麻”のことだと。大麻は怖いけど、麻なら怖くない。よく聞いて見ようということで、彼の話を聞いたら、麻はいろんな用途に使えることがわかった」

まず現在の産業用の大麻には麻薬成分(THC)のない品種が使われているということ。安全な麻を使うことで、天然素材を使った産業が起こせる。農業、林業にも関わることで、耕作放棄地の解決策になる可能性がある。
智頭町の歴史をひも解けば、60年前までは麻の栽培が行われていた。
林業が低迷するなか、伝統的な麻産業をもう一度復活させていこうと考える上野さんを支援していこうと寺谷町長は決意する。

「麻の認可権は知事が持っているという。だったら知事にお願いしてみようと。町もバックアップすることにした」
前例のないことではあったが、結果的には栽培の許可証がおりた。

「誰でもできることはインパクトはない。ハードルが高いところはいろんな世界がみえる。その高みから見る世界は驚きの世界でした」

日本では行政として産業育成にかかわっている地域はほとんどない。麻産業を地域としてのトップランナーを目指す。

「麻はいろんな用途に使える。たとえば花火にも麻が使われているんです。花火メーカーから最低500kg?1tの麻が欲しいという問い合わせがあった。もし1tつくるなら、20町歩必要だという」これだけの需要があるなら、
耕作放棄している畑を活用できるチャンスにもなるはずと考えた。

智頭町で麻栽培をする上野俊彦さん。株式会社八十八やを立ち上げた。無農薬・無化学肥料。国産オーガニックヘンプの商品開発でトップブランドを目指す。

中山康直さんのヘンプカープロジェクト。麻の栽培復活のニュースが伝わると智頭町には麻文化普及のキーパーソンが集まりはじめた。ヘンプカープロジェクトの中山康直さんもそのひとりだ。現在、麻の実を絞った油=ヘンプオイルでディーゼルエンジンを動かす「ヘンプカープロジェクト」をすすめている。
中山さんにお話を伺った。

「いま伊豆大島に住んでいるんですが、昨年、伊豆大島は土砂崩れで被災したんです。そのとき災害に強い社会というのは自然とつながった社会と考えたんです。実家が静岡県の浜岡原発の近くに生まれたこともあり、
エネルギー問題は人ごとでないと考えた。
私は30年前に麻に着眼し、戦後初めて静岡県で麻の栽培免許を取得しました」

ヘンプカーを走らせる狙いは何だろうか。

「ヘンプオイルは軽油に比べて、酸性雨の原因となる硫黄酸化物を出さず、呼吸器障害の原因となる黒煙が3分の1以下と環境に優しい燃料です。
石油、石炭、天然ガス、原子力等の枯渇性地下資源エネルギーに代わる再生可能なエネルギーとして、また一般的にほどんど知られていないこの植物の多様性と可能性についてアピールしています。
車以外にも、農機具、発電機、漁船、建設機械。これ全部、麻のオイルで動くんです。
そして環境の面でも素晴らしい。
2億年かけてつくられて自分の車に入ってくる地下資源と、たった200日で生育する麻の油では雲泥の差があるんです」と中山さん。

燃料にするには国産の麻の実は少なく、このヘンプカープロジェクトを始めるとき、中国から麻の実を2トン輸入した。それを絞りながら車を動かしているという。

「麻の実を絞り、その上澄みを燃料として使うんですが、沈殿物、油かすという副産物が出る。
それを販売させてもらいながら、事業体としてこのヘンプカーを動かしている。
それによってここまで来る燃料代はペイできています。僕たちも燃料は“消費”か“浪費”だと思っていました。
地下資源を使う限り“消費”ですが、このヘンプカーは完全に事業化していて、投資になっています」

国産の麻から油がとれるようになると、畑がエネルギーと食を生み出す場所となる。

「ガソリンスタンドにお金を払うのではなくて、植物油は植物の種ですから生産者に燃料代をお返しすることができるんですね」

ヘンプカープロジェクトをささえるスタッフには東北のメンバーもいる。東北の復興のためにも被災地に麻畑を広げていくこともアイデアとして出てきているという。

ヘンプカープロジェクト、中山康直さん 。10キロの麻の実から約2リットルのオイルを搾ることができき、不純物を取り除くと燃料として利用できる。排気ガスは環境と人体に優しく嫌な匂いもない。プロジェクト開催期間中は、各訪問地で実際に油を搾って走る様子を公開している。

麻の実は食べることができる燃料。実際に麻から絞ったオイルを見せていただいた。

「燃費も軽油よりよくなるし、馬力もいい。エンジンにとってもクリーン。非常に合理的だと思います。
そして麻の実ですから、私たちは燃料を食べることができる。絞ったオイルを舐めることもできますが、沈殿物のバターがものすごく美味しい。そして元気になる」

麻の実には大豆に匹敵する必須アミノ酸が豊富。健康食材としても注目されている。

「地元の畑で採れた麻の実で車が走り、その副産物を道の駅で売る。お土産もの屋に出荷する。あらたな地域の特産物となる。過疎の村における耕作放棄地の活用であり、新たな雇用を生むことができます」

中山さんは麻の油の利用を核にしたまちづくりをイメージしている。そのすべてが地域の資源を使ったものとして地域の活性化につながる。

「実際におじいちゃん、おばあちゃんにも畑でとれた麻の実で車が動くことを見てもらう。見て、食べて、知ってもらうことで、爆発的に注目されると思うんです」

麻の実を絞ったヘンプオイル。10キログラムの麻の実から約2リットルのオイルを搾ることができる。1回濾して不純物を取り除くと燃料として利用できる。

寺谷町長に麻をとりまく状況を聞いてみた。
「智頭町では地域の行政が加わったということに注目される意味があるのかもしれません。いま日本では国として規制しているから。大麻の事業化の旗ふりは地域の行政でやるしかない。智頭町としては、これを事業化していく後押しをしていきたい。事業とするにはお金がいるが、幸い地域の銀行も応援してくれている」

麻に関する議題は、平成26年4月1日に農林水産委員会でも取り上げられた。民主党の鷲尾英一郎議員が農水省と厚労省に質問した。

「繊維型は産業用大麻としてさまざまな使われ方があります。家の建材として。強度があり湿度を調整するので内装材に非常に良い。
断熱材に使用すれば解体した後は土に返る。麻の実はミネラルのバランスが良く、カナダでは広く食用として用いられている。
メルセデスベンツ社では自動車の吸音断熱材として、ポルシェやルノーではプラスチックに代わるものとしてドアノブやダッシュボードに組み込まれている。日本では伝統的に神社のしめ縄として使われていたが、これが黄金の国、ジパングの由来になったという説もある。
バイオマス燃料としても、トウモロコシやテンサイよりも麻を使ったほうが量が採れる。さらに麻は、硝酸態窒素の元になる窒素を土の中から吸収する。
TPPの問題がある中で、農水省としては有望な商品作物が何かということを調査研究をしていかなければならないと思います」(第186回国会 農林水産委員会 第5号(平成26年4月1日)より)

これは産業用大麻が注目されて世界各国の大麻の規制が変わってきているなかで、日本では1948年に大麻を規制する法律がつくられてから全く変わっていないことに対する農水省と厚労省の考え方を問いかけるものだった。

寺谷町長は語る。
「政治家がいま本気になって麻に取り組まなければならない。耕作放棄地の問題もたくさんある」

智頭町の山菜料理を食べることができる「みたき園」。智頭町の自然を生かしたランドスケープが楽しめる。町長自らデザインした人工の滝のスケールに圧倒。まち全体を森の博物館に。「必ず田舎に風が吹く。そう信じてきた。」と寺谷町長。

「智頭町は93%が山なんです。山や森を捨てたら意味がない。昔は木材が高く売れたので鳥取県でも裕福なまちでした。しかし外材が入ってきたて林業は衰退した。50年育てた木が大根一本と同じ値段。これではやってられない。なんとかしなればならない」

山や森に新たな価値を与えたい。まち全体を「森の博物館」にしたい、と考えた。

「お金がなければ知恵を出せ、知恵がないなら借りてくればいい。町民の知恵を借りようと『百人委員会』というのをつくった。林業、農業、教育、さまざまな領域でヒアリングして良いアイデアには予算をつけようということになりました」

智頭町では地域の魅力を住民自ら見つけ出し、さまざまな取り組みを行っている。住民主体で始めた「森のようちえん」や「森林セラピー」などは、今後の日本や日本人に必要なものを提示する取り組みであると感じているという。

こどもを山の中で自由に遊ばせる「森のようちえん」。子どもたちが山に入ることによって山林が教育のフィールドに代わった。川で遊び、森で学ぶ幼稚園だ。
NHKが取材して、英語版は世界130か国で6回放映された。世界各国から智頭町に取材に来るようになった。

科学的に森の効用を数値化した「森林セラピー」は、東京,大阪など都市圏の企業から注目され、保養のために活用されている。また都市住民との交流や移住定住の促進をはかるために「疎開保険」や「民泊事業」も進めている。
麻づくりをはじめた上野さんも智頭町の移住政策にひかれ、ここで子育てをしたいと移り住んだ。

「おかえりなさい。智頭町へ」

智頭町が発行した冊子に寺谷町長はそんな文章を寄せている。いまの時代は、「本当の豊かさとは何か? 幸せな人生とは? と皆が立ち止まって考えはじめた」時代。田舎でしかできないことがある。

「そして麻なんです」

寺谷町長は強く、これからの「つくる」を言葉にした。