人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

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ブランドは、単なる個性とは違う。 

自分を売りたいがために、 
人との違いだけを追い求めて、付け焼刃のブランドを構築しても、 
それはエゴでしかない。 

自分らしさを最大限に活かし、他者や社会に貢献する存在になる。 

そこに生まれる自他感動の世界。 


デジタルのドラスティックな発達は、 
人とひとがつながるというアナログのドラマティックな価値を生み出した。 

自分という究極のアナログの存在が、 
信頼と絆の時代の関係性革命のリーダーになるために。 


『感動3.0 自分らしさのつくり方』(平野秀典著)の前書きより 

もっともっと、と行政に要求すれば、ばらばらと手当やサービスが降ってくる。こんな高度経済成長期の行動パターンから、もういいかげんに抜け出さなければならない。 

年率10%近い成長が続いた高度経済成長期には、税収も飛躍的に増えた。1955年度の一般会計税収は約8千億円。これが65年度には約3兆円、75年度には14兆円になった。その後成長は鈍ったものの税収は伸び、90年度は60兆円に達した。 

だが、バブル崩壊後には一般会計税収は40兆~50兆円台を行き来し、リーマン・ショック後の2009年度は40兆円を割った。一方で1950年には総人口の5%に満たなかった65歳以上の高齢人口は、今や22%だ。 
社会保障費だけで毎年1兆円も増えると予想されるなかで、負担増なくして、今の手当やサービスを維持することすら難しい。わかっていながら行動パターンを変えられなかった結果が、後世代にツケを回す900兆円の債務残高だ。 

税金の無駄遣いを徹底的に洗い出し、本当に必要な施策や人に効率的に使う努力はもちろん欠かせないが、負担増を少しでもやわらげるために私たちにできることの一つが、行政に過度に頼らず自分たちでできることは自らする姿勢と、ネットワークの再構築だ。 

国が貧しく行政に頼れなかった時代には、家族や親せき、地域の人が助け合って暮らしてきた。戦後の繁栄は、そうしたしがらみに縛られない生き方を可能にした。 
また、私たちが望んだ介護保険制度は、家族介護の厳しさから女性を解き放つなどのメリットもあったが、所在不明の高齢者など負の側面も生んでいる。 

行政の肥大化を防ぎ、人と人のきずなを取り戻すために、今の時代にあった、新しい「縁社会」を本気で模索する時期にきている。 

10年版の高齢社会白書によれば、近所の人たちと親しくつきあっている高齢者は、88年には64%いたが、08年には43%に減った。あいさつをする程度が半数を超える。 
子どもとの同居も減っているが、問題は海外諸国と比べて別居している子との接触頻度が極度に少ないことだ。米国やフランス、ドイツ、韓国などでは週1回以上接触を持っている人が6~8割なのに、日本では半数を切る。 

高度経済成長期以降、多くの人が地方から都会に集まりサラリーマンとして働いてきた。社縁に守られているうちはいいが、そこから退出したときに属する集団を見つけるのが難しい。 
団塊世代の退職はすでに始まっている。体力も経験もある人が、日がな家に引きこもりテレビを見て過ごすなどというのは本人にとっても、社会的にももったいない。 

東京都稲城市は07年に社会福祉協議会と連携し、介護支援ボランティア制度を発足させた。65歳以上の希望者に登録してもらい、受け入れ先の有料老人ホームやNPOで散歩の同伴や話し相手、配膳や洗濯物の整理などをする。活動するごとにポイントがたまり、1年で最高5000円の換金が可能だ。 

NPOの中にもきずな作りのために高齢者が集うサロンを開設したり、配食や食事の場の提供、ゴミ出しや電球の交換など高齢者の困りごとに対応する動きなどもある。 

人は独りでは生きられないし、誰かの役に立つことで喜びを得られる。 
最初は趣味的な活動でもいい。まずは地域に出て顔見知りをつくることが重要だ。そうしたなかで、地域に役立つさまざまな活動に踏み出すことができる。 

(日経新聞 101024中外時評:新しい「縁社会」は築けるかより) 

101024nikkei
 

引きこもり、モンスターペアレントといった大人になれない人たちに共通するのは、自己愛が強く、傷つくのを恐れ、成熟を拒否するところだ。 

進学、就職に失敗したり、異性にふられたり、あるいは会社で上司にしかられたりと、自分の思ったとおりにならないことがあると、すぐに傷つき、それ以上傷つくのを恐れ自分の殻に閉じこもったり、うまくいかないことを他人のせいにしてしまう。 

この背後には、自分とわが子を一体化して、コントロールしたいと願ったり、子供の可能性や子供の挫折を自身のものと同一視してしまう母親がいる。 

そして、親子とも失敗に正面から向き合えず、いまを受け容れることができていない。 


大人になるということは、何でもできるようになることではなく、何でもできるわけではないということを、受け入れられるようになることである。 

しかし、大人になることの意味を誤って解釈し、現実の自分と向き合うことができていない。 


人は、自分にとって大切な対象を失うときに嘆き悲しむとともに、失ったという事実をしっかり認識することによって、そこから抜け出す糸口をみつけていくものである。 

しかし、それができていない。 


現代の日本社会では、身近な人の死に遭遇する機会が減った。 

人は、死との遭遇により苦しみ悲しみ喪失感を覚えるとともに、それを乗り越え、仕方のないことを身をもって受け容れる。 

そして、伝統的な社会の下で、人々は規範やしきたりなどの制約によって縛られ、人生は思い通りいかないことを子供のころから身をもって学んできた。 

しかし、核家族化や地域のコミュニティーでの人間関係の衰退により、外部の規範から解放された。 

そして、その代償として自己責任がのしかかり、失敗すれば向き合うのは自分自身という社会になってしまった。 


いま、ここを過去の必然として、失ったもの、失敗したことから目をそらさないで、真正面から受け容れることが求められている。 ”これから”という言葉をつぶやくために、・・・。 


(一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病 片田珠美著 より抽出・編集) 

日本の国債が下落に向かい市場金利が上昇するのは、日銀が、市場を経由せず、直接に国債を買い受ける時。 

このとき、海外ファンドの空売りが増える。 

米国FRBが量的緩和(国債の買い取り)をするという予想から、ドル安になっている。 
理由は、$のペーパーマネーの増発、言い換えればFRBの資産・負債の拡張は、ドルの価値の下落であると認識されている。ゴールドの高騰は、ドルの価値下落の反作用。 

これから円は、一時的に$1=70円台になったあと、そのまま60円台に進むのではなく、2011年の半ばくらいから円安=ドル高に向かう。 

日銀の国債引き受けが急に増える時が、円安。日銀の国債の大幅買いは、グローバル化した金融では有効でない。 
2012年、政府財政の悪化は、日本のほうが米欧より先行する。 

米国の政府財政がどんどん悪化するのは、$2兆の医療費と、$1兆の軍事費による。 
2013年ころ、共和党に変わった米国政府下で、核拡散防止を名目にイスラエル・イラン戦争があるかもしれない。 
兵器と弾薬を費消したイラク戦争から10年。米国軍需産業には兵器・弾薬・ミサイルの在庫が貯まっている。 

このとき、原油が$200に向かい、資源、一次産品、穀物、食品価格の高騰も同時に起る。 

2011年には、2012年から予想される金利の高騰、財政の破たんに向かう一里塚、円の下落に備えて、資産の防衛策を考えねばならない。 

・ 切り株を避けて耕せば、仕事は楽に進む。 

・ 重要な言葉は、耳元で囁かれる。 

・ どんな道にも、水たまりはできる。 

・ 冷たい態度への変化は、一夜では起きない。 

・ 敵を混乱させたいなら、敵を許してやれ。 

・ 手ごわい相手を、切羽詰った状況へ陥れてはいけない。 

・ 既に言ってしまった冷たい言葉を、元に戻すことはできない。 

21世紀の歴史 - 未来の人類から見た世界  ジャック・アタリ著 

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フランスを代表する現代の知性ともいわれるジャック・アタリによる「21世紀の歴史」、 
長い歴史から学び取れる21世紀を読み解くためのキーワードを抽出し、そこから考察する21世紀の予測書。 

歴史の法則、成功の掟は、未来にも通用する。 

 ・知識の継承は、進化のための条件である 
 ・新たなコミュニケーション技術は、時の権力者に情け容赦ない障害をもたらす 
 ・専制的な国家は市場を作り出し、そして市場が民主主義を作り出す 
 ・テクノロジーと性の関係は、市場の秩序の活力を構造化する 
 ・多くの革新的な発明は、異なった研究に従事していた研究者による産物である 
 ・人類とは、良き知らせの上には決して何も築き上げることができない輩である 
 ・女性とは、次世代の再生産や知識の伝承を支配している 


1.人類が市場を発明するまでの長い歴史 
2.資本主義はいかなる歴史を作ってきたのか 
3.アメリカ帝国の終焉 
4.帝国を超える「超帝国」の出現     - 21世紀に押し寄せる第1波 
5.戦争・紛争を超える「超紛争」の発生  - 21世紀に押し寄せる第2波 
6.民主主義を超える「超民主主義」の出現 - 21世紀に押し寄せる第3波 


◇中心都市 
市場と民主主義の結びつきは、紀元前1000年ユダヤ・ギリシャの思想に由来する。ユダヤ・ギリシャの理想とは、世界を行動と幸福を実現する唯一の場であると捉える。このためには、自由こそが究極の目的であり、また道徳規範の遵守ともなり、生存条件でもある。 
これまで市場の秩序は中心都市に組織され、そこにはクリエイター階級(起業家、商人、技術者、金融業者)が集まり、新しい発見に対する情熱に溢れていた。 

幸福を実現するためには、軍事力の擁護による安全の確保が必要であり、金融が整っており、自由があり、知恵が発揮でき、港や後背地に農業や工業を持っているという条件が必要である。 
この条件にかなったところが中心都市で、産声を上げたのがイタリヤのブルージュであり、その後ヴェネチィア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨークへと東に移動し現在はロスアンジェルスに辿りついている。 
これらの中心都市が衰退し、他の場所へ移動する理由は、繁栄で気づかないうちに進む傲慢さによる高コスト社会、バブル発生・崩壊による金融機関の破綻、戦争や地政学的変化といった偶発的な出来事などである。 

10番目の中心都市は、中国、インド、日本、韓国、ベトナム、インドネシア、ロシア、メキシコ、ブラジル等が検討されるが、どこも難点を抱えており実現性に乏しい。 

日本の首都東京は、1980年にチャンスを掴みそこねたが、2030年においても普遍的な価値を創造する能力に欠如しているだろう。 
中心都市になるために外国から才能豊かな人々を十分に集めることをしないのは日本人の選択であり、たかだか100年前後で移り変わる中心都市になるのではなく、辺境の地にとどまり自らの才覚で外のものを取り込んでいく方が東京にあっている。 


◇超帝国 
近代資本主義は市場の秩序と国家の秩序の間で生き続けてきたが、新しい技術と知識が超ノマドという階級を生んだ。 
超ノマドとは、世界に影響力を持つ企業の戦略家や経営者、ソフトウエア設計者、発明家、法律家、金融業者、作家、デザイナー等からなる。 
彼らの多くは自営業者でありながら、国境を越えて移動することができ、その独自の知識と技術で巨大企業を事実上リードして行く。 

超帝国とは、世界の秩序が国家を超えて統一された状態を意味するものであり、超帝国における富とメディアの支配者である超ノマドは世界中で活躍し、洗練されたネットワークを持っている。 
超ノマドはどこまでも個人主義者で血縁とも地縁とも無縁な存在であり、競争に勝ち続けることだけが彼らの興味なのだ。 


◇超紛争 
もともと地球規模の性格をもつ市場が、ローカルな性格をもつ民主主義の法則に背を向ける。 
国家は、資本やクリエイター階級に対する課税引き下げ競争を演じて財源を失い、教育、医療、安全、さらには統治権すら市場に委ねるようになる。 
そして、治安は悪化し、労働者の賃金は減少する。 

地域紛争、テロ、およびグローバルな地球規模の紛争が勃発する可能性が高くなる。 


◇超民主主義 
収益が最終目的ではない企業や組織、あるいは個人が登場する。 
トランスヒューマンは、自分への愛から始まる他者への愛が人類の存続条件であることを、他者を通じて理解する。 
そして市場経済と並行して愛他主義経済を作り出す。 

女性は男性よりもトランスヒューマンに向いている。相手を喜ばすことに喜びを感じることが母性本能であるからだ。 
経済・社会のあらゆる局面において、女性が次第に台頭してくることで、トランスヒューマンが増殖していく。 

 

いま、人と環境にやさしい持続可能な経済、社会システムの構築が求められている。 

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また、社会の長寿化に伴い健康で活力あふれるシニアが増えており、 
その表現力(体力>理解力>対応力>関係力>包容力)を活かした社会参加の機会を拡大する ことが求められている。 


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そこで、シニア世代が人生をよりよく活きるために、一人ひとりがみずからの存在を表現し、世の中の困っている人のお役に立つ取り組みを活性化したい。 

人の営みに密着したテーマを、すてきな仲間とひも解き、組み立て、輪を広げ、シニアが培ってきた価値観、知見・ノウハウを貴重な資産として活かしきる、その過程を、一緒に楽しめたら嬉しい。 

そのために、人とひとが集いつながり、一人ひとりが輝き、活きる場としての「すてきな笑顔を咲かせるプラットフォーム」の整備に取り組み、世の中を、もっと元気に、もっと幸せに、もっとすてきな笑顔を咲かせ、溢れさせたいと想う。 


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私たちは人脈やスキルなど様々な資源を持っていて、それらを組み合わせれば、いろんな企てができる。 
結果的に成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。巨大なビジネスになるかもしれないし、細く長く続く家業になるかもしれない。 

誰にでもやってみることはできる、『してもいい自由』がある。 

何をするかよりも、誰とするかが大切なこと。 

失敗したとしても、それは決してムダではない。 
失敗だって、時間が経てば良い思い出や良い経験になるし、良い経験こそ良い人生、“Good Experience, Good Life”という気持ちでやっていけば、怖いものなし。 


そして、人生の先輩が輝けば、これからを担う若者の目が、気持ちが、輝き始める。 

 

マーケティング活動とは、お客さまの期待に応え続けるために、市場、お客様を知り、お客さまの期待に応える商品、サービス、環境を価値として提供する継続した取り組みである。 

マーケティング活動は、一部門の活動ではなく、研究開発から企画、調達、生産、物流、広告宣伝、販売など、すべての部門で取り組む活動であり、部分最適に陥りがちな組織を全体最適に変え、組織力を高めることができる。 

言うなれば、タテ糸とヨコ糸を上手に編み合わせて、組織という丈夫な布を織り上げることである。 

だからこそ、皆が共感する夢や目標をトップが掲げ、全員によるマーケティング活動を通して、集団の力を高め、その集団で働く人たちの幸せを高めることが極めて重要なのである。 

大きなイノベーションを起こすのは集団の力であり、この力を取り戻すことができれば、再び日本が世界で大きな存在感を持つ日が必ずやってくる。 


★島田伸介の司会で、市立柏高校 吹奏楽部が紹介された『世界1のショータイム』より、ポイントを抽出 

黒い縦襟のマオ・カラー服を着た顧問教師は、 
希望を失った人に感動を与え、再び、生きようと思わせるような演奏をやろうと部員に呼びかける。 
聴衆に希望を与えることが、吹奏楽部の実現すべきビジョンだと示した。 

リーダーが部員に到達不能に思えるビジョンを示す。ごく普通の高校生たちは、ビジョンに共感した。 

あとは、猛練習。部員が達成できると信じられる到達目標を示し、達成に向けて指導することが重要。 

これを、顧問教師が示す。 こうやって、この方法で、この域まで、行こう。 

これがリーダーの機能。 教育の本義は、 
(1)到達目標を示し、 
(2)目標に接近する、成功のための方法を指導し、 
(3)目標に達する個々人の努力を、喚起すること。 

モティベーションは、目標から得られる。そのため、ドラッカーは、チームの目標設定をマネジャーの 
義務とした。 

企業で、マネジャーが行うべき人材育成もこれ。 
知識作業では、人が人財になる。知識と技能は、組織ではなく個人がもつ。 

目標を決め、目標を達成する方法を教育・訓練し、個々人が努力することから人財が生まれる。 


柏高校では、優れたリーダーを得て、示された到達目標に応えるべく、自分たちの工夫で、思い思いの 
振る舞い(動作)を、演奏に加える。座って演奏をするのではない。リズムとメロディに調和させて踊る。 

リズム、メロディ、所作の調和とは、個々の価値を際立たせる総合にある。 

普通のブラスバンド演奏では不可能に思える高いビジョンに向かい、放課後に猛練習をし、部員同士で 
厳しく相互チェックをする。 
こうやったほうがもっといいという工夫を、細部まで凝らす。これが自己管理。 

聴衆に希望を与えるという組織目標を分有し、そこから自己目標を導いて、その個人目標によって自己 
管理をする。 

自己管理は、動機付けを強くする。 
統制的な上からの管理は、誰でもやる気が減じる。上司に、じゃ自分でやってみろと言いたくなる。 


【個人の資質や能力ではない】 
柏高校の吹奏楽部の高校生が、企業に就職したとき、こうした力を発揮するかどうか、これは疑問。 

入社した組織が、吹奏楽部のような形態をとっているかどうか、ここに問題がある。 
組織の形態で、同じ個人が活きるかどうか、高いやる気をもって仕事をするかどうか決まる。 

経営学は、やる気の研究でもある。 


【責任から】 
目標の分有意識は、自分の役割が果たすべきことに責任をもつことから生まれる。そのため、役割と 
役割を果たす責任を与える。 

ゴルフは普通、個人戦。しかし、国別対抗のチーム戦のほうが、アマはもちろん、プロ選手でも 
役割を果たす責任から、はるかに盛り上がる。 

人間は、自分のアイデンティティを共有する集団への帰属の意識が強い。 


権限ではなく、チームへの責任。成果責任を問わない権限は、長を堕落させる。 
官僚的な組織が、堕落に向かう本性をもつのは、成果責任をあいまいにし、階級に権限を与えるから、 
権限は下の統制に向かう。 

成功する組織では、マネジャーがチームの成果責任を負い、チーム成果を達成する目的で部下の仕事を 
評価するという権限を使わなければならない。 
コミットした成果目標の達成意識が強いマネジャーに、人はついて行く。 

組織は、達成責任の体系としてつくるべきであり、職務分掌と階級に基づく権限の体系ではない。 
多くの組織が、間違えている。 
社員のやる気をうんぬんする前に、組織が成果の達成責任の体系になっているかどうかを、点検する 
必要がある。 

決して、優秀な人を集めれば、優秀な組織ができるのではない。人を活かし、成長させる体制が 
なければならない。 
優秀な人を採用すれば、企業の業績が上がるのなら、こんなに簡単なことはない。 

成長しなくなった企業は、上からの縦の権限でしか動かない組織にいつの間にかなっている。 
そのほうが、マネジャーも部下も楽だから。 

多くの人が若い世代は指示待ち世代というが、本当は組織の責任体制が部下を指示待ちにしている。 
企業の売上が20年も低成長だと、社員の年齢は1年ごとに増えるから自然にヘッドヘビーになる。 
そのため、内部向けの調整会議が増える。 


市立柏高校吹奏楽部が上からの権限で命令する組織だったら、あの演奏の域には達しなかった。 
どんなに優れた人を集めても、あの域には達しない。 

逆に、ビジョンと役割責任で引っ張れば、普通の人が集まる組織がとんでもないところまで行く。 
どの組織も、普通の人。5%が優秀、15%が良、60%が普通、20%が不可にしかならない。 

多くの会社は責任の体系ではなく、本部長以下、マネジャーに成果責任を問わない権限の体系に 
なっている。  「**と指示しました。厳しく言いましたが・・・」と答える組織。 


社員と顧客に、共感を与える事業の定義を、リーダーは行った。 
吹奏楽部のビジョン: 
 顧客に、吹奏楽への期待を超える感動と、生きる希望を与える商品(演奏)を届ける 
顧問教師が決めたこのビジョン(到達目標)で、高校生の蒼い活動のエネルギーが、熱く集結された。 

組織マネジメントは、共感されるビジョンが活動の方向になる。 
活動の方向が、磁石で砂鉄が並ぶように、同じ向きに揃ったとき、仕事で必要な集中が生まれる。 
それを与えるのが事業目的であり、事業目標である。 

他方、カオス(混沌)の組織では、空気のように個々のエネルギーはあるが、方向が揃わず散乱し、 
+と-の方向の違うエネルギーが打消しあってしまう。 


顧問教師は、吹奏楽部員に対し厳しかった。しかしこの厳しさは個々人の成長のためであって、教師の 
手柄のために権限を振り回したのではないことを、高校生は心の底から知っていた。 

これが、ドラッカーが言った、マネジャーの目標達成への厳格と真摯である。 


【価値】 
自分達にできる最良のものを提供しようとする意志である演奏、所作、表情に、それを感じる。 
感じれば、心が動く。 

★『もし高校野球部の女子マネジャーが ドラッカーのマネジメントを読んだら』より、ポイントを抽出 

【到達目標から】 
ドラッカーが説く「事業の定義、顧客はだれか、そして顧客に提供すべきものは何か」、 
これを高校野球で発見することが、物語の最初のモチーフになっている。 

最初のマネジャーの問いかけは、高校野球の顧客とはだれか、 
顧客に提供すべき、(他と差異化された)価値は何か、まさに事業の創造と同じ。 

ドラッカーは、事業の定義は「顧客が受け取る商品価値の側から行うべきだ」と言っている。 
仕事は、事に仕える。事は上司ではない、顧客である。 


【価値の発見】 
それが甲子園に行くという事業目標になる。 
野球部が、部員と顧客に与えるべきものは感動であると、ドラッカーを手掛かりに読み解く。 

この感動は、高校の野球部なら共通にもつ、甲子園を目指すという目標への情熱から生まれる 
だろうとドラッカーを読んだ女子マネジャーは考える。 

チームメンバーの入れ替えや優秀な選手のスカウトはしない。元は、最弱のチーム。 
もちろんフィクション。しかし、高校野球という訓練期間が短いものなので、フィクション 
には思えない。 

目標達成への練習を支えるのも感動。 
高校生の女子マネジャーが、ドラッカーの『マネジメント』を読んで考え、友人に話して、 
高校野球を動かすものは、感動だと発見する。 


【責任の分有】 
次に、部員を動かすコミュニケーション。 
コミュニケーションによるマネジメント、つまり目標達成の成果を生む仕事をするよう引っ張る 
こと、そしてチームへの責任、組織員への適切な役割が描かれる。 

チーム内で、責任(組織での役割)を与えることで、部員が、自分の達成目標を作って練習する 
姿も描く。 


【構造】 
 (1)ビジョン(到達目標=勝って甲子園に行く) :感動を与える 
 (2)組織で分有する役割(走る、打つ、守る、投げるなどの部分責任) 
 (3)自分の達成目標 : 長所を更に伸ばすための個々人の練習・訓練のメニュー作り 



【業界常識を超えるイノベーションを目標化】 
マーケティング(顧客に提供すべき価値づくり)と、技術イノベーション(業界の常識を超えて、 
顧客への価値を先鋭化するための改革)が、企業の重要な取り組み事項 

イノベーション目標を、高校野球の通説を壊す以下の5項目と決める。 

(1)絶対に、高校野球の常識になっているバントをしない。 
(2)ピッチャーは、ボール球を投げるひっかけをしない。全部ストライクを投げ、 
   投球数を減らして、連投の疲労を軽減する。 
(3)打者は、ボール球に対し、バットを振らない練習に集中する。 
   そして、連投する相手投手に、多く投げさせて疲労させる。ひっかけのボール球を 
   投げる癖があるので、投球数が増える。 
(4)エラーをして、おどおどしないように、エラーが出ても自分の責任になりにくい 
   前進守備の体制を命じる。 
  
高校野球はエラーでチームが崩れる。エラーで崩れるのは、自分の責任と思い、普段の力が 
出せないように委縮するからである。 
高校野球の勝負は一回限りでしかない。エラーを恐れ、プレーが委縮すれば、練習の成果が 
出ず、負ける。 

こうして、「マーケティング(価値づくり)」と「技術イノベーション」を行った。 


組織は、共感できる到達目標(ビジョン)を作れたとき、集中が図られて動く。 
古代から、変わらなかったのではないか。最初は、実現が不可能にも思える高い目標、それが 
情熱を喚起する。 

この情熱が、事業と仕事に必要な集中を生む。人は情緒、感情で動く。 


【仕事とは、他人に与える価値作り】 
ドラッカーは、仕事と遊びの違いを次の様に表現している。 
仕事の成果は、仕事をした人の心のうちではなく、外にある。 
遊びの目的(成果)は遊ぶ当人の心のうちにあるが、仕事の目的(成果)は出来上がった商品、 
サービスの利用者が決める。 
成果を味わう人が、行為者本人ではなく他の人であるとき、それは遊びではなく仕事になる。 

仕事は他人に満足を与えることを目的としているのに対して、遊びは自分が満足することを 
目的にしている。 

仕事を管理するマネジャーは、 
商品が顧客の期待を満たすものになるように、そして、それを作る人間が仕事の達成感を得る 
ように、マネジメントしなければならない。 

いま、超長期の卸売物価指数サイクルはボトムに近く、今後は約四半世紀かけてインフレの上昇サイクルが到来する。 

金融政策というのは積み重ねであり、ボディブローのように累積的にだんだん効いてくる。 


リーマン・ショックの時、アメリカはすぐに金融を緩和した。 

その結果、アメリカ経済は決して良いとは言えないけれど、1930年代の大恐慌に比べればずっと軽微なダメージで済んでいる。 

既にアメリカの政策金利は過去半世紀で最も安い水準にあり、ゼロにへばりついている。 


この累積的(cumulative)な影響により、これからはデフレからインフレへの転換、加速が懸念される。 


アメリカ、日本、欧州などの先進国がデフレの脅威と背中合わせで暮らしている一方で、世界の人口の半分はインフレの脅威と戦っている。 

BRICsなどの新興国が好調な経済を背景にインフレリスクを抱えているときに、アメリカや欧州の景気がピックアップしたら、あっという間に素材や穀物の価格が急騰する局面も無いとは言えない。 

つまるところインフレというのは、ものの値段が騰がるのではなく、貨幣の価値の毀損に他ならないのだから。 


日本は素材や穀物の少なからぬ量を輸入に頼っているので、世界がインフレになると、国内が不景気であってもインフレ圧力は輸入品を通じて伝染する。 

その時、最初にソブリンデフォルトに遭遇するのは、資源の開発努力をしていない日本である可能性が高い。 

夫婦と子2人からなる世帯を、標準世帯と呼んできた。 

そして、国も企業も標準世帯を基本的なターゲットととらえ、政策を立案し、マーケティングを推進してきた。 

1980年の夫婦と子世帯の構成比は、全世帯の42%を占めており、単身世帯(構成比20%)や夫婦のみ世帯(構成比12%)を大きく上回っていた。 

ところが、現在の夫婦と子世帯の構成比は、全世帯の28%にすぎず、単身世帯の31%を下回っている。 

単身世帯の構成比は今後も増え続け、2030年には37%に達する見通しだ。 


現在、ファミリーレストランは苦戦を続けており、市場を牽引しているのは牛丼やラーメンなどのファストフードレストランである。 

市場の主流は、家族でテーブルを囲むスタイルのレストランから、1人でカウンターに座るタイプのレストランに移り変わった。 

ファミリー市場の黄昏は、まぎれもない事実なのだ。 


ファミリーが市場のマジョリティであった時代、大都市郊外にはベッドタウンが開発され、膨大なファミリー層がここに移り住んだ。 

だが、シングルは郊外の戸建て住宅を好まない。シングルにとって快適な住まいは、都心のコンパクトマンションやアパートである。 


これにともない、郊外のショッピングセンター、戸建て住宅の建売ビジネスをはじめ、スーパーやロードサイドショップから外食チェーンに至るまで、郊外マーケットに依存する多くのビジネスが衰退に向かう可能性がある。 

また、シングル化が進めば、少子化も進む。その結果として家族消費の重要なセグメントである子供関連市場の衰退は、避けられない。 


企業は、シングル=幸福のイメージを紡ぎ、シングルライフを豊かにする生活提案を強化していかなければならない。 

1980年代までの秋葉原(アキバ)は、家庭電化製品の街だった。 
それが1990年代にはパソコンの街になり、2000年代にはオタクの街になった。 
つまりアキバはファミリー需要に依存する街から、シングル需要に依存する街に転換したのだ。 


企業も同様に、製品やサービスのコンセプトを転換し、ビジネスのあり方を見直す必要がある。 

いままでの経済原理は、 

いかに効率的に利益をあげられるか、であった。 


これからの経済原理は、 

いかに無駄をなくしていくか、に移行していく。 


では、無駄とは何か。 

それは、人の幸せに関連しないもののことである。 

  101003

One night I dreamed a dream. I was walking along the beach with my Lord. Across the dark sky flashed scenes from my life. For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand, one belonging to me and one to my Lord. 

ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。 



When the last scene of my life shot before me I looked back at the footprints in the sand. There was only one set of footprints. I realized that this was at the lowest and saddest times in my life. 

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。 



This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma. "Lord, you told me when I decided to follow You, You would walk and talk with me all the way. But I'm aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints. I just don't understand why, when I needed You most, You leave me." 

このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」 



He whispered, "My precious child, I love you and will never leave you never, ever, during your trials and testings. When you saw only one set of footprints it was then that I carried you." 

主は、ささやかれた。「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」 



(マーガレット・F・パワーズ)

スマートグリッド(次世代電力網)への注目が世界的に高まっている。 

中央管理、閉鎖型の電話網が自律分散、開放型のインターネットに非連続的に変化したように、既存の電力網もスマートグリッドに進化すると考えられる。 

スマートグリッドのことを、Internet of Things : 物のインターネットと呼ぶように、ITにより様々な家電や電気自動車(EV)が電力網を通じてつながり、自律分散型の需給調整を行う時代がやってくる。 

インターネットは、1990年代から2000年代にかけて通信分野で起きたイノベーションであり、旧来の電話網が全く新しいネットワークに進化しただけでなく、そのうえで新たなビジネスが興り、産業の水平分業化や消費者の選択肢の拡大といった、様々な社会的、経済的変革をもたらした。 

同様の変革が、電力分野においても生じると考えられる。 


現在の電力網は、供給者、すなわち電力会社がそのシステム全体の維持に全責任を負っている。 
ところが需要者は、何の制約もなく好きな時に好きなだけ電力を消費するため、時間帯、季節によって消費量は変化する。 
電力会社は、このピーク需要に対応できるだけの供給能力を備えることが求められ、発電設備がフル稼働するのは、1年間の中でごく限られた時期のわずかな時間帯のみとなっている。 

そこで、家庭などの電力需要と電力会社などによる供給の情報をリアルタイムに収集し、瞬時にそれらを自律的に均衡させる需給の最適化を図る取り組みを加速させることが求められている。 

◆家庭にスマートメーター(通信機能付きの電力量計)の設置による自律的な需給調整 
スマートメーターが家庭に設置されれば、電力の利用状況がリアルタイムに計測され、その情報が通信網を通して瞬時に家庭に送られ、それに電気料金の節約方法のアドバイスが添付されることで、需要者の能動的なピークシフトを促す。 

◆分散型発電という新たな電力供給 
太陽光や風力といった再生可能エネルギーによる分散型発電という奔放な供給者をITで結び、さらにIT化された家庭やEVといった需要者とともにシステム全体として不安定な供給を吸収調和させる。 

◆EV及びプラグインハイブリッド車の普及による需給の平準化 
EVのドライバーは、ガソリンスタンドを選ぶように少しでも電気料金の安い所で、安い時に充電したい、一方、電力会社は、夜間の需要が少ない時にEVを充電して需要の平準化をはかりたいために、電力料金の設計を工夫する。 
また、EVを電力網の随所に蓄電池として配置することにより、スマートグリッド上の巨大な蓄電池として電力需給の最適化に寄与することが期待できる。

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