人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2010/11

     「幸せの新しいものさし」 
          博報堂大学 幸せのものさし編集部・著 を紹介します。 

    101106

金融不安や政治混迷のなか、日本を覆う先行き不透明感や閉塞感。世界はいま、経済的豊かさと精神的な幸福が反比例する出来事に直面している。 

いろいろなところで、手詰まり感という言葉に出会う。 

経営者やマーケッターからは、いろいろやれることは大抵やって、コストも詰められるだけ詰めてきて、それでも売れないし、売れても儲からないと嘆息する声が聞こえてくる。 

この手詰まり感を、ブレークスルーできるのか。 

本書は、新たな幸福のものさしの芽を予感させる、それぞれの世界で活躍する方々へのインタビューをまとめる形で編成されている。 

その代表的な人物として、 
「日本でいちばん大切にしたい会社」著者の坂本光司氏、接客アドバイザーの北山節子氏、社会貢献運動「TABLE FOR TWO」の小暮真久氏、男性の育児を提唱する安藤哲也氏など、11人を取材。 

彼らが提示するあたらしいものさし、価値尺度から、今後のビジネスやマーケティングに活用できるヒントを探る。 


高度成熟社会を迎えた現代社会において、今までの既成概念にとらわれず、新しい幸せのものさしや価値観を考察する上で最適な一冊。 
そして、自らの人生を考える上でも、最適な一冊になるのではないか。 


◆目次◆ 
1.競争のものさし ─ 売上げは、チームで共創できるもの 
  アパレルショップにおいて、個人別の売上目標を定めないことを実行して驚異的なセールス記録を 
  たたき出した北山さんの事例 
2.会社のものさし ─ 社員がいちばん幸せな会社へ 
  『日本でいちばん大切にしたい会社』の著者である法政大学大学院 坂本教授によるビジョナリー 
  カンパニーのススメと、社員の働き方について 
3.消費のものさし ─ 食べる人を、つくる人のパートナーにする 
  食べる人を、つくる人のパートナーにした大地を守る会 会長 藤田さんのチャレンジについて 
4.住まいのものさし─ 二拠点生活というライフスタイル 
  二拠点生活というライフスタイルを提案する東京R不動産 馬場さんによる房総R不動産のチャレンジ 
  について 
5.読書のものさし ─ 人と本が新しく出会う場所 
  人と本が新しく出会う場所を柔軟な発想で実現するブックディレクター 幅さんの取り組みについて 
6.寄付のものさし ─ 自分のための一食が、誰かのための一食に 
  自分のための一食が、誰かのための一食になるTALBLE FOR TWO International代表 小暮さんによる 
  社会起業について 
7.学校のものさし ─ 街がキャンパス、誰もが先生 
  渋谷の街全体がキャンパス、誰もが先生になるシブヤ大学 学長 左京さんによる予約が取れない授業が 
  できるまでのお話 
8.感覚のものさし ─ 暗闇のあたたかさは、人のあたたかさ 
  暗闇のあたたかさは、人のあたたかさ、感覚のものさしを変えたDialog in the Dark Japan代表 
  金井さんの取り組みについて 
9.子育てのものさし─ パパ力で連帯する男たち 
  パパ力で連帯する男たちを支援するファザーリング・ジャパン代表 安藤さんの奮闘について 
10.時間のものさし ─ 失われた自然の時間を取り戻す 
  仕事をしながら2児の子育てをする祐子さんの失われた自然の時間を取り戻す方法: 
  コズミック・ダイアリーについて 
11.大人のものさし ─ “こどもごころ”で日本を変える 
  こどもごころが日本を変えるを旗印に日々奮闘する博報堂 こどもごころ製作所 所長 軽部さんの 
  チャレンジについて 


これからの時代は、複数のものさしが社会に存在し、状況に応じて複数のものさしを使い分ける自由度が、21世紀という複雑な時代において手詰まり感から抜け出し、幸せに生きるための処方箋になるのではないか。 



*「博報堂大学」(正式名称:HAKUHODO UNIV.)は、博報堂の人材育成を担う企業内大学。 
構想力を高めることを目的に、基礎的な能力開発プログラムに加え、構想サロン、構想ラボなどのプログラムを通して、社会に対しこれからの時代の大きな価値軸創造にチャレンジする機会をつくることもその機能の一つ。 
日本人の新しい幸福モデルを提言すべく、大学に関与するメンバーの有志が集まった。それが、幸せのものさし編集部。 
 

大衆消費社会では時折、“ブーム”と呼ばれる圧倒的多数の消費者を巻き込む流行現象が起こる。 
かつて1990年代には携帯電話が爆発的に売れ、女子高生ブームに浮かれ、「Windows95」や「たまごっち」のために人々は行列をつくった。 

ところが最近は、次のブームがなかなかやってこない。 
最近のトレンドとして、エコカーやファストファッションもブームと呼べないことはないが、小粒感は否めない。例えて言うならば1980年代の消費の鍋は、何かあればすぐ沸騰するほど熱かった。これに対して近年の消費の鍋は冷え切ってしまい、めったなことでは湯気さえも立たない。 

今若者たちは消費市場の華やかなステージから、別に後ろ髪を引かれる風でもなく、静かにフェードアウトしようとしている。そして今まで常に消費市場の中心にあった若者市場も、風にあおられた砂上の楼閣のように雲散霧消しようとしているのだ。 

若者市場はただ単に冷えているのではなく、消滅しつつある。その主たる理由は次の3点、若者人口の激減、若者の購買力減退、若者の老成化である。 


少子高齢化のトレンドを受け、若者人口は減少している。 
しかもそのスピードは、「壊滅的」という言葉を用いたくなるほどに急激だ。わが国における20歳代の人口は、1995年には1900万人に迫っていた。それが2015年にはおよそ3分の2の1300万人程度となり、2030年には1100万人程度にまで減少する見通しである。つまりわが国の若者人口は、わずか1世代を経る間に、半数近くにまで激減すると見込まれている。 

これだけ人口が減れば、当然市場も縮小する。また人口構成の点でも、かつて多数派を形成していた若年世代は、もはや完全な少数派に転落してしまった。かつて繁華街や観光地やスポーツ施設などでは、若者たちがあふれていた。だが現在は、どこに行っても目立つのは中高年世代であり、若者の存在感は概して希薄になった。 

若者市場が失ったのは、数のパワーだけではない。 
若者一人ひとりの購買力も、急速に衰えている。国税庁の「民間給与実態統計調査」のデータによると、25~29歳の勤労者の平均年収は、1997年から2009年の12年間の間に、373万円から328万円へと45万円も減少した。前後の世代を含め、若年世代の所得は1997年以降一貫して右肩下がりだ。 

賃金や年金においてさまざまな既得権を持つ中高年世代と異なり、若年世代の雇用・賃金は市場の荒波に直接さられている。1990年代の“就職氷河期”以降、若年層の雇用は常に不安定であり、失業率や非正規社員の比率も大きく上昇した。このため若年層の賃金は一貫して減少しているし、今後も減少し続ける可能性が高い。 

そして若者の購買力を奪っているのは、収入の減少だけではない。むしろ若年世代により重くのしかかっているのが将来に対する不安だ。厳しい経済環境のもとで育ってきた彼らは、将来を悲観する傾向が強い。現代の若者の多くは、将来の収入増を期待できず、失業や非正規社員への転落におびえ、老後の年金を信頼できずにいる。 

また将来の社会保障負担増の懸念も少なくない。 
すでに1000兆円規模に達している政府債務や、今後の超高齢化社会で増大すると見込まれる社会保障コストが、彼らの肩にのしかかっている。だから彼らが過酷な将来に備え、少しでも節約しようと考えるのは当然であろう。 


1990年代までの若年層には、自動車・海外旅行・ブランド品・高級レストランでの食事などにお金をかける消費者が少なくなかった。だが、現代の若者はこのような派手な消費を好まない。 

なかでも若者の自動車離れは著しく、かつ象徴的である。現代の若者の多くは、自動車を「お金の無駄」だと考えている。それどころか車にお金をかけて見栄を張るような人あるいは車の性能を誇示して粋がるような人は、一般の若者から見て、いわゆる“痛い人”なのである。大半の若者が車で見栄を張っていたバブル期と比較すれば、若者の車に対する価値観は180度変わってしまった。 

いつの時代でも「未来を信じること、将来への楽観」は、若者の特徴であり、また特権であった。 
だが現代の若者は、将来を楽観することができない。1980年代以降に生まれた20代の若者たちは、人生の大半を右肩下がりの経済のもとですごしてきた。彼らは高度成長期もバブルも知らず、就職氷河期・リストラ・年金不安などの世相を見つめながら育ってきた。 

現代の若者の消費行動を見ると、彼らは無計画な消費に走りがちな青年時代を経ずして老成してしまったように感じられる。 
いつの時代でも若者の消費行動には、無分別・自己顕示的・近視眼的な側面があった。今までの若者は、どうしても欲しいからと言ってエレキギターを買い、みんなが持っているからと言ってルイ・ヴィトンのバッグを買い、女の子にもてたいからと言ってスポーツカーをローンで買っていた。しかし現在、そのような刹那的な消費に走る若者は少数派だ。 


このように現代の若者は、数が少なく、購買力が乏しく、若者らしさも失っている。その結果若者市場は単に収縮しているだけでなく、若者市場としての特徴を失い、大人市場に統合されつつある。これが、若者市場が消滅に向かっていることの理由である。 

しかし若者の価値観が変わるにつれ、現代の若者は自動車に特別の思い入れを持っていない。彼らは軽自動車でも自転車でも、それがデートにふさわしくないとは思わないのである。 

自動車の販売実績を見ると、「若者向けの車」というカテゴリー自体が著しく縮小している。もはや若者をメインターゲットとする車が、生き残る余地は少ないと認識せざるを得ないのである。 


日本では長年にわたって、若者が消費市場の主役を務めてきた。 
若い世代は新しいものへの受容性が高く、流行にも飛びつきやすい。このため多くの企業が、若年層をファーストターゲットとし、彼らを市場開拓の尖兵として活用してきたのである。今までのマーケティングの“成功の方程式”は次の通りだ。市場開拓の初期段階で、若年層にブームを起こす。次の段階でブームを大人世代に波及させる。その後は継続的なプロモーションと地道な販売活動により、製品・サービスを市場に定着させる。 

このように若い世代の消費行動と、企業のマーケティング活動は相乗的な効果を形成していた。だが現在、若年層の“ノリのよさ”に依存するマーケティング手法の限界は明らかだ。このような若者先導型マーケティングモデルは、すでに有効性を失っていると言わざるを得ない。 


若者市場崩壊の津波に巻き込まれないためには、企業が自らのビジネスのコンセプトを見直していくことも必要だ。 

ユニクロが創業した当時は、カジュアルウエアは10代から20代の若者向けファッションであった。だがユニクロは、自らを若者向けビジネスと定義しなかった。そしてユニクロはカジュアルウエアのコンセプトを、「若々しい感性を持つすべての年代の人が着るファッション」へと拡大することに成功した。このように「若さ」を再定義できたことが、ユニクロの爆発的成長につながったのである。 

現在の若者たちは、消費市場の主役の座をすでに降りた。 
今後企業が若者を追いかけても、その効果は少ないと考えられる。そのいっぽうで消費者にとって、「若さ」は永遠のあこがれであり、追いかけるに値するものであり続けている。 
だから企業それぞれが、「若さ」に対する新たなコンセプトを打ち立て、その価値を市場に示していくことが重要になっているのである。 



(小屋知幸のビジネストレンド研究所より) 

お酒を飲んでいる人は、俺は全然酔ってない!大丈夫だと視点が定まらないまま言い放ちます。 
あまり酔っていない人ほど、今日はずいぶん飲んでますから、酔っていますと自覚性がある。 

精神障害の人ほど、自分はおかしくなんかないと言いながら、話していることのつじつまが合わない。 
普通の人ほど、最近の自分は、おかしいかもしれないと悩んだりする。 

自分が正しいと思い込んだ時、人は恐ろしい間違いを犯します。戦争は自分の正しさに始まり、愚かさに気づいて終るものです。 

冷静に自分を見つめるというのは、幼児から大人になるための条件です。 

子供のうちは身体も小さく、力もない。高い戸棚を指差して、あれ取ってと親を指図して、自分が疲れると、おんぶしてよと地団太を踏む。お菓子の袋を開けてと差し出せば、親がすべてをかなえてくれるのです。 
親を操作する方法は色々あります。泣いたり、金切り声をあげたり、怒ったりすることで、何でも望みがかなってゆくのです。 

ですから、子供は、自分はスゴイ存在だと錯覚するのです。 
これを幼児的な全能感とフロイトは呼びました。この全能の感情は、自分自身の現実の能力を見ようとしません。 
なぜなら、現実は一人では何もできないのです。すべては親という存在がすごいのであって、子ども自身がすごいのではありません。 


大人になるプロセスとは、自分自身の能力の限界を認め、足らないところを少しずつ成長しながら補い、いつも助けてくれる家族やまわりの人に感謝する心を学ぶことです。 

子供のうちは突然、ママ、ミルク!と、親の忙しさを考えないで叫びます。子供にとっては自分の欲求を通すことが大切なのです。世界は自分を中心に回っています。この感情は自己中心的です。だから、幼い子供はナルシスティックな存在です。 

大人になるとは、現実の中で時には我慢し、自分の限界を認め、肥大した全能感に別れを告げること。現実の問題に対して、みずからの能力を磨いて努力することです。 


しかし、この心理的な成長のプロセスを幸か不幸か学ばないまま、人の上に立つようになると、わがままな暴君になります。部下が自分の思うように動いて当たりまえ、思うようにならなければ許さない。 

もちろん、感謝やねぎらいの言葉などはありません。 
なぜなら、大人であっても心理的には子供のままですから、感謝するという言葉は知っていても、部下をねぎらうという言葉は、暴君上司の辞書の中にはありません。 

このような性格の持ち主は心理的に自立できていません。 
自分では何も努力しないで、部下をコントロールすることだけに力が注がれます。このような人が家庭を持てば、配偶者に対して横暴になり、やはりねぎらいの言葉はほとんどかけません。 
また、親になった場合は、子供を自分の思い通りの進路に進ませ、子供の人生そのものも支配しようとします。 
子供の能力の限界や子供の夢は、自分のあくなき成功欲求のために無視するのです。 

そういう意味では上司は部下に、夫は妻に、親は子供に、自分の欲求をかなえてもらうために甘えているのです。 

ですから、甘えてきた相手に見限られて去られると、裏切られた!と一番落ち込むのも事実です。他人は自分の子供時代の親のようには、すべてを許してはくれないのです。 

けれども、人は一人では生きられない社会動物です。一人の能力には限界があります。そのため人は誰しも他人に依存してしまうのです。 
だからこそ、まわりのすべてに感謝して生きることが、大人の必要条件になります。 

家庭も相手なしでは営めません。部下があってこその上司です。その現実を認め感謝することが、人の道なのです。 

だから、すべての人に感謝し、部下にねぎらいの心を持ちながら生きることが、健康な大人の心理になるということです。そんな人の道を知った上司だからこそ、部下は模範とし、心から尊敬をもするのです。 

人も自然もこの世の中は、すべて思うようになりません。便利な科学技術の中で暮らしていると、現代人はある種の錯覚を持ちます。寒ければ暖房器具がコントロールしてくれる、どこかへ行きたければ飛行機に乗ってどこにでも行ける、夜中でもコンビニは営業しています。いつでも誰かと話したければ、携帯電話で世界中の人と話もできます。 

このように自分勝手に操作できる社会の中で暮らしていると、唯一の自然である人や人間関係まで、ボタン一つで自分の思うようになると思い込んでしまいます。 

目に見えない運命まで、誰かに教えてもらいたいのです。占いブームもその一つです。 
失敗のない人生があると思っていて、それを誰かにポンと教えてもらいたいのです。人生は自分の思いどおりになると思っている。 

その考えがあるために、誰もが味わう挫折体験も、人生に起こりうる失敗にも耐えられないのです。 

このような人は、自分の思うようにならなければ人を平気で傷つけ、いよいよ人生が自分の思うようにならなければ自殺する人もいます。 
人生は“思うようにならない”という明らかな現実に対して、我慢する能力が鍛えられていない。最近、頻発している自己中心的な甘えた犯罪も、この忍耐力の欠如から生まれています。 


社会で成功者と呼ばれている方々は、二つのタイプに分けられる。 
それは『功を成すということに熱中している人の成功者』と、『幸せに成ることを大切にしている人の成幸者』の二つのタイプです。 
前者の方々は功を成すことに熱心になりすぎて、大切なことを見落としているように思えます。 

世界中が勝ち負けの戦いに明け暮れています。世界が変わりにくいように、私たち個人個人も変わるのは大変困難なことです。 

でも、世界に逆行しても負ける戦い、権力から退く戦いを始めてみませんか。職場や社会、世界は権力だけが支配するものではないはずです。 

アブラハム・マズローは、真の人間関係とは、弱さをさらけ出しても恐怖を感じない関係であると言っています。 
自分の人間らしさや優しさをさらけ出すと部下や子供になめられると思っている人は、一生安心できない戦いと不信感で人生を終らせる人なのです。 

個人の集合体が社会です。個人の意識が変われば、世界は変わる。 

(衛藤 信之さん) 

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