人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2011/03

 皆さん、おはようございます。本日はお招きいただきまして、非常に光栄に思っております。今日は、私の体験したことを中心に、裁判所の実情、裁判官とはどういうものかということが、少しでも分かるようなお話ができればと思っております。 
 私は22年間裁判官をしておったのですが、裁判官の気持ちをお話しするには、本当に私は適切かなという気でおるのです。私は、元裁判官ということを、できるだけ表に出さないつもりで仕事をしています。あまり元裁判官であるということを、それほど強調したくもないのです。 
 それと、ほかの裁判官とは、どうも経歴からしても異色のような気がして、それが私自身の強みでもあり、弱みでもあるようなものですから、あまり一般化できるものではないんじゃないかなという気もします。しかし今回はご示唆もありましたので、やむなくそういうところまで踏み込んで、話してみたいと思っております。どうしても人間というのは、その人の生い立ちがものすごく影響するように思うんですよね。 
 
 私の場合は昭和16年に生まれまして、生まれたときがもう虚弱体質で、これは助からんと医者から見放されたが、何とか生き延びました。それから2、3歳のときには全身の出来物で、まただめだということで、これも母親の漢方医療みたいなもので、何とか持ち延びました。 
 それから4歳のときに終戦で、神戸から両親の実家がある四国へ逃げて帰る最中に、汽車の中で連結器の上に立っていまして、あまりにも体が冷えて、体中の血液が全部ドシヤッと下血してしまって、4歳から6歳までは四国の徳島で寝たきりの生活。重湯って皆さん知らないかもしれませんけれど、米の研ぎ汁ですよね、それだけを飲んで2年間生き延びていました。 
 それで2年が経ち、多少元気になってくると、研ぎ汁だけじゃなしに少しは粒のものが欲しくなる。それで米の粒をいくらか入れると、また下痢をしてしまって、元の状態に戻ってしまい、また2年間寝たきりで過ごしました。小学校でも、人よりも発達が遅れていて、体も小さい。遠足なんか行くのは片道がようやくで、帰りは親父がリュックサックの中へ私を放り込んで帰った。 
 生まれてから、3回ほど死にかけて、よく死なずに助かったと。これは自分なりにいいほうに考えようと思って、神様が、何とか生きとって世の中のためになるようなことをせえと言っとるんちゃうかというふうに、善意に解釈して生きてきたわけです。 
 
 それで中学・高校と剣道をして、高校のときは兵庫県で個人でも2位ぐらいの実力になりました。もう剣道にのめり込んで、近藤勇が竹刀を3000回振ったというのを聞いたら、自分も毎日3000回振る。3000回振るのに1日3時間ぐらい振り続けなけりゃならんので、近所では、あそこには気違いがおるとかいう噂がたつぐらい、のめり込んでいました。それはよかったのですが、高校を出ても行く大学がない。 
 それで親は、下に2人も弟がおるのに、お前だけを私立大学にやらすわけにはいかんと言うのですが、私立大学以外に行けるところはないので、家から通えて月謝が当時一番安かった関西大学に行きました。関大に行ったのですが、やっぱりもう一回勉強し直して、別の大学を出直したほうがいいんかなと3年ぐらいまで毎日考えていました。また学費のために毎日バイトで、学校行くよりバイトのほうが多かった。そんな生活をしていました。 
 3年のときに、司法試験があるというのを友だちから聞いて、それならそれを受けていこうということで、4年とそれから卒業して1年は、丸っきり浪人して勉強したのですが、まだまだだめで、卒業して2年目は私立の高校の歴史の先生、これは教員免許を取りつつあるということで、免許なしでもやれたので、それをやった。それから、大学を出て3年目は神戸市役所へ勤めて、4年目の神戸市役所のときに司法試験に通った。 

かなり異質な経歴で裁判官になった 
 
 裁判官はみんな勉強がよくできる、学校秀才といいますか、勉強ができるというのが、唯一の本人のよりどころのような人ばかりの集まりなんですよね。そういう中で、私はかなり異質な経歴で入ってきまして、これでいいのかなというのと、一方では、人よりもバイタリティのある生き方をしてきたということが励みにもなっていました。 
 なぜ裁判官を選んだかといいますと、司法試験通って、われわれのときは10クラスぐらいに分かれているんですね、1クラス50人ぐらいです。それで始まって5日ぐらいまでのあいだに、コンパがあるんですよ。 
 そのときに、あとで最高裁判事にもなられた谷口正孝という裁判官の教官がおって、その人のところに酒をつぎにいくと、生田君、君はもうこの席で裁判官になるという約束せえ、そうしたら任地も全部保証してやるわと言うんです。そこまで言われたら、私も司法試験の成績もそこそこだったのかなということも思ったのですが、そんなあまり人のおだてに乗るような生活をしてきていないものですから、必ずしもその場では、うんと言わなかったんです。 
 
 それから検察官の教官のところに行きますと、生田君、君は顔つき、体つき、検事に生まれついたみたいなものだから、絶対出世するから、もうここで検事になるという約束をせえと言うわけです。顔つき、体つきだけで大丈夫なんだろうか、成績とか能力とか、そんなことは関係ないのかなと思い、「顔つき、体つきだけで大丈夫ですか」と言ったら、「うん、大丈夫」だと。それから、「私は青法協に入っていますけれど、大丈夫ですか」と言ったら、「人の思想はいつでも変わるけれども、性格は変わらん。君の性格は検事に向いているから、出世する」というわけです。 
 その検事からは、裁判官になるということを決めたあとでも、まだ撤回して検事にならんかという説得を受けました。そういうことで、公務員になるということには大して抵抗はなく、裁判官になっていったと、そういう経歴があります。 

 裁判官の日常生活 

 それで裁判官になって、22年間で7箇所転勤しているわけです。3年に1回の転勤ということです。裁判官の生活はどんなものかといいますと、最後は高松家裁の上席裁判官ということで終わったのですが、高松家裁へ行ったのが47歳のときです。このとき、所長と上席には黒塗りの車が配車されるんです。だから、裁判所と官舎の往復は車に乗ってくださいと言われるんです。車に乗って5分か6分ぐらいの距離なのですが、車に乗ってくれと。 
 それで私としては、毎日車に乗っとったのでは、もう社会のことも分かりにくくもなるし、帰りには酒ぐらい飲みに行きたいという気も起こるのに、それもできないようでは困ると思って、車には乗らないと言ったら、総務課長が飛んできて、運転手1人を首にする気かと怒られた。それで、仕方ないから、朝だけは乗りますと。帰りは荷物だけ乗せますから、それを官舎まで運んでくださいというので、帰りは乗らないということをやったわけです。 
 それで、そういう裁判所と官舎とのまったくの往復だけの生活というのが、日常生活になります。 
 それから、高松家裁の一つ前の高裁の段階での話をしますと、それぞれ部というのがあります。私の場合だと刑事部というのに所属していて、ちょっと詳しくは忘れましたが、刑事部が6部か7部かあった。それから民事部が10部ぐらいある。一つの部に裁判官が3人から4人ということで、3人ならコの字型、4人ならロの字型に机を配置して座っているわけなんですが、そこでの日常の話というのは政治の話なんかは一切しません。3年間おりましたが、政治の話し合いをした覚えは一切ありません。 
 それで裁判長が60歳前後の、当時の私から見れば年寄りで、きのうの体調はどうであったかとか、夕べは寝られなくてねとか、そんな健康の話ばかり。そのほかの話というのは、彼はどこどこ地裁からどこどこの所長になってねとか、人の出世の話。もうその二通り以外の話はほとんどないということです。 
 それから、よその部の裁判官の顔を見るというのは、たまたまトイレで顔を合わせるぐらいで、普段の行き来はありません。月1回ぐらいに判例研究会という、裁判官全員が集まる会があり、顔を合わせるのはそのときぐらいです。それ以外は、よその部に遊びに行ったりもしません。自分の部、裁判官4人構成の部の隣に書記官、事務官という、10人前後の人数がおる部屋があって、それが一体となっているということです。 


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