人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2011/09

政府や官僚の決定に依存するのではなく、自らが自己判断し自分たちで計画を練り、自分たちで行動して新しいシステムを作って行かなければならない。 

自己判断が要求される差し迫った状況にあるとき、周囲から受け入れられるように「らしく」振る舞い、相手の感情を害さないように空気を読んでいる場合ではない。全員で空気を読み合っているうちに、差し迫った状況に対処できず、我々は最悪の状況に突き進んで行く可能性がある。 

また、政治家や官僚に文句を言い、政府や官僚が動くことをだだひたすらに待っていることはもはやできない。官僚組織は自分たちの責任が問われる都合の悪い情報はひた隠しにし、政府の対応は信じられないくらいに遅い。やっと対応したときには、問題は手がつけられないほど悪化してしまっている。 

これから先、我々が滅びたくなければ、多くの人達とネットワークを組織し、自分たちで判断し、自分たちで行動し、必要となるシステムを自分たちの手で下から作って行くほかはない。 



◇ディスカッションによる問題の共有からすべてが始まる 

市民自らの手による自己判断や自己決定が可能になる条件こそ、ディスカッションなのだ。自己判断と自己決定を行うためには、まずはあらゆる立場の人々とネットワークを組むことから始めなければならない。ひとりひとりが孤立している状況では、対処できない問題がほとんどだからだ。ネットワークを組織することを可能にするものこそ、ディスカッションである。 

ネットワークが組織できれば、次に重要となるのは問題の共有である。問題の認識を共有していなければ、判断も行動もできないからだ。 

そして次の段階は行動計画の立案だ。これを実施するためにも、ディスカッションは絶対になくてはならない。 

ディスカッション的なコミュニケーションとは、気持ちや感情の表現とはあまり関係がない。なぜなら、自己判断と自己決定をするためには、感情の共有ではなく、問題の理解の共有こそが重要となるからだ。 

そのためには、自分がどのように問題を理解しているのか相手に伝える説明力がもっとも重要になる。自分がどのように問題を理解し、だからどのようにすべきだと思っているのか、多くの人々に伝えて行かなければならないのだ。 


そのためには、感情や気持ちだけの表現から、多くの人と問題の認識を共有できる説明的なコミュニケーションへと移行しなければならない。 

つまり、「冷たい」「暖かい」「柔らかい」「悲しい」「うれしい」などの情意とイメージの表現から、具体的で明確で、そして論理的な説明力への移行である。 


「多くの子供が放射能でこれから苦しむなんてなんと悲しいことなのだろう。これは絶対に許しておいてはだめだ。あまりに悲しすぎる。事故を起こした東電はきちんと責任を取り、みんなを元の生活に戻してほしい。」 


この表現になにか問題があるわけではない。それほどの悲惨な事態に直面したのである。これは誰しも感じる感情だろう。 

ただこうした感情表現では、問題を解決するための具体的な行動や計画にはなかなか結び付かないのである。せいぜい、「元の生活を返せ!」と叫ぶような政府や東電に叫ぶようなことにしかならない。 

たしかに、それも重要だろう。だが、そのように要求することだけでは、逆に政府や官僚に対する我々の依存を深め、官僚や政治家にいいように利用されてしまうのも事実だ。彼らは、保証と称して利益をばらまきながら、結局は原発でもなんでも自分たちの計画を容認させてしまうことだろう。我々が依存している限り、これは避けられない結果だ。 


それに対して、次のような説明的な表現はまったく別の結果になる。 

「政府は、経済産業省、電力会社、そして御用学者が形成するいわゆる原子力村の結束を突破できず、正確な情報が彼らに握られてしまったため、迅速な対応がまったくできなかった。この結果、放射能汚染は拡大し、特に多くの子供たちが影響を受けるはずだ。まずは東電に圧力をかけて、現状がどうなっているのか情報の公開を迫るべきだ。」 


こうした判断を多くの人が共有すると、たとえば東電に情報公開を要求するというような、目標の明確な行動となって現れる。これは、「私達の生活を元に戻せ!」と叫ぶのとは根本的に異なっている。 


前者は「この悲しい気持ちと状況をなんとかしろ!生活を元に戻せ!」と受動的な要求に終始するのに対し、後者では、「情報公開のために東電に圧力をかける」という具体的な目標を持つ行動となって現れる。自己判断し、自己決定するこうした具体的な行動こそ、状況を変化させることができるはずだ。 

そのためには、まずはあらゆる人々とのディスカッションを通して、問題意識を共有することこそが重要なのである。 

いまの日本の危機を一言で要約すると、これまでの日本の発展を支えて来た官僚主導の中央集権的システムが機能不全を起こし、新興国の台頭やIT産業の興隆など、新しい環境に適応できなくなったことにある。 



国際社会の中で国が生き残って行くためは、充足しなければならない基本原則が存在する。これらの基本原則の領域を公共圏と呼ぶ。 

1)経済システムの整備 
2)社会の安全の確保 
3)エネルギーの安定的な確保 
4)社会的安定性の保証 
5)教育の整備 

これらの条件の充足に失敗すると、戦争や侵略、または内乱や革命などの危機が発生しやすくなり、国の存続が脅かされる。国家と社会が存続するためには、これらの基本原則はなんとしてでも充足しなければならない。 

歴史的に見ると、この条件を充足させるには以下のような方法があった。 

A)官僚主導の中央集権的システム 
B)需要と供給の市場原理にゆだねるシステム 
C)地方自治と地域共同体にゆだねるシステム 

これらのどの方法を採用するかによって、国のかたちが決まってくる。戦後の日本は、政府の全責任で先の5つの原則を充足するという中央集権的システムであった。 


◇日本型の安定したシステム 

80年代の終わりに全盛期を迎えた日本型資本主義のシステムは、以下の特徴によって支えられていた。 

1)終身雇用と年功序列を機軸とする日本型雇用システム 

2)メインバンクとの金融的な結びつきを背景にした長期的な信用関係 

3)ケインズ的経済政策を主体とした官僚主導の旺盛な公共投資 

4)地域と政治家とのインフォーマルな関係によって決定される公共投資を通した富の再配分システム 

1)によって労働者に雇用の安定を約束した企業は、2)のメインバンクとの長期的な信用関係の構築によって息の長い設備投資が可能となり、さらに3)の政府・官僚主導の公共投資によって国内の有効需要が保証されたため、巨額な設備投資の危険度が低く押さえられ、一定の利潤が保証された。

このようなシステムは、労働力の外部市場から必要な労働力を雇い入れ、必要がなくなればこれを解雇するという、絶えず変化する市場への対応が迫られる競争型のアングロサクソン型の資本主義にくらべ、はるかに長期的な経営、投資戦略を可能としたため、企業の安定成長を保証した。 

さらに、公共投資が経済の牽引力になることは、国内景気を刺激するだけではなく、投資が行われる地域を選別することで、政府自らが地場産業を強化する地域を選択することができるようになった。これは、所得の低い地域に投資を配分し所得を引き上げるという効果をもたらしたため、日本型の所得再配分システムを作り上げた。 

しかしながら、公共投資の地域別の配分は、明白なルールに基づいた機構を介して行われるのではなく、政治家や官僚のインフォーマルな人間関係を通して決定されたため、投資の決定に関与する人間たちがそこから利益をかすめ取るという、腐敗した関係を恒常化することにもなった。 

しかし、政治的には腐敗の構造を抱えながらも、総じて日本社会はこうしたシステムがうまく機能している限り、完全雇用とまでは行かなくてもかなりの高水準の雇用が保証され、また、市場や世界経済の変化にかかわらず、どのような状況においても一定程度の成長率を確保することに成功した。それは安定した社会であった。 


2001年に登場した小泉政権は、A)の中央集権的システムをB)の市場原理にゆだねるシステムに変更しようとしたが、基本的に失敗した。小泉政権は、国民の鬱積したストレスと不満を利用して改革への熱狂を作り出し、市場原理を広範に導入しようとした。しかし、社会的なセイフティネットのほころび、派遣労働の解禁、そしてこれらの結果として格差がこれまでになく拡大し、一億総中流と呼ばれた安定した日本社会は解体した。 


◇2009年に成立した民主党鳩山政権 

2009年夏、市場原理にゆだねるシステムが引き起こした社会矛盾の拡大に嫌気を感じた国民は、自民党の長期政権を選挙で葬り去り、戦後始まって以来の本格的な政権交替となる民主党鳩山政権を誕生させた。 

鳩山政権は、A)の中央集権的システムやB)の市場原理にゆだねるシステムのどちらでもないC)の地域共同体にゆだねるシステムへの移行を目標とした。 

ぞれぞれの地域の住民が、地産地消の地域密着型の産業やサービスで生活ができるような「定住自立経済圏」の形成を目指した。中央の官僚や市場の原理に代わり、地域ごとに自立した「定住自立経済圏」が基本原則の多くの部分を担うことになる構想である。 

このため鳩山政権は、B)の市場原理にゆだねるシステムに強い影響力を持っている経団連などの経済団体の介入を排除すると同時に、A)の中央集権的システムを牛耳っている中央官僚を排除するために、政策の立案と実施の権限を大幅に政府に移す「政治主導」を実行した。 

しかしながら、鳩山政権は普天間の移設問題などで国民の支持を失い、2010年9月には菅政権に移行した。 

菅政権は国民が求める即効性のある成長戦略の実行に翻弄されてしまい、結果的には官僚への依存を強化する方向に向かってしまった。 

この結果、民主党がもともと目指したC)の地域共同体にゆだねるシステムの実現はどっちつかずの状態になってしまった。 


◇そのような状況下で起こったのが3.11である。 

3.11がさまざまな契機となって、A)の官僚主導の中央集権的システムの実態とその裏側を、これまで以上にはっきりと暴き出した。 

原子力に限っても、官僚と電力会社、政治家が作った原子力安全神話の大ウソ、天下りポストを提供する電力会社と経済産業省の癒着、原発の監督機関であるはずの原子力安全・保安院における経済産業省の官僚支配、報道機関に役員を送り込む電力会社の支配などがその典型だ。これらは、これまで明確にはなっていなかった裏の構造であり、3.11を契機としてその本来の実態が一斉に暴き出された結果となった。 

この構造は原発に止まらず、実は多くの公的機関や公共のプロジェクトが既得権益を貪る集団の草狩場と化すという、この国の政治と行政のあらゆる側面を侵食している普遍的な裏の構造を、もっとも象徴的に暴き出したのだ。あらゆる方面に張り巡らされた規制の網の目、行政指導の名目で既得権益を維持する官僚組織、行政官僚の天下り、公共投資の地域配分と産業の癒着などはそうした構造の典型だったのだ。 

こうした構造では、官僚組織をはじめ、既得権益をむさぼる多くの集団が存在する。すべての意思決定はそうした集団の利害調整で行われていた。放射能の管理や住民の避難など、国民の健康にかかわるもっとも緊急な問題でさえも、官僚と原子力産業の既得権益の維持が最優先された。 

官僚主導の中央集権的システムは、公共圏を維持し、国のサバイバルの条件を確保する機構としてはもはや機能しないことが明らかとなった。 

◇無財の七施 (雑宝蔵経) 
 仏説きたもうに七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん。 

 1)眼施 
   やさしいまなざし 

 2)和顔悦色施 
   慈愛に溢れた笑顔で人に接する 

 3)言辞施 
   あたたかい言葉 

 4)身施 
   自分の身体を使って人のために奉仕する 

 5)心施 
   思いやりのこころを持つ 

 6)床坐施 
   自分の席を譲る 

 7)房舎施 
   宿を貸す 


喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて、喜びに来る。 
悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて、悲しみに来る。 



雨の日には 雨の日の 

悲しみの日には 悲しみをとおさないと見えてこない 

喜びにであわせてもらおう 

そして 

喜びの種をまこう 

喜びの花を咲かせよう 

ご縁のあるところ いっぱいに ・・・ 


(月刊「致知」 特集「喜びの種をまく」より) 

*2011年9月5日日経新聞朝刊広告より転載 

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