人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2013/07

☆広瀬隆雄さんからいただいたすてきなメッセージを転載します。 


私たちは、知らず知らずのうちに安定を求める傾向があるように思います。 

もちろん、そうでない人も居るだろうけど、僕の場合、やっぱり自分は安定志向型の人間だと思います。 

「老後に苦労したくないよね」とか「安定して、長く勤められる会社の方がいいよね」とか「やっぱし一応名の通った大学に入っておいた方が、 
就職の時も苦労せずに済むよね」とか…… 

このような心の動きは、いずれも将来の不確実性の芽を摘んでおく発想に他なりません。 

自己弁護になるかも知れないけれど、それ自体は、決して悪い事では無いと信じたいです。 

問題は……世の中には計画通り行かない事が多いという点です。一寸先は闇というか、全く予想しないコトが起きてしまうケースが、多々ある。 

東日本大震災はその典型ですが、その他にもリーマンショックや9・11同時多発テロやベルリンの壁崩壊など、世界を揺るがす出来事が、自分の半生の中だけでも色々起きました。 


国家の盛衰にもめまぐるしいものがあるし、企業がチヤホヤされたかと思うと次の瞬間には誰からも顧みられなくなるのも、アッと言う間です。 

つまり世の中は自分が考えているほど定規で右肩上がりの直線を引いたような展開とは限らないということです。 

天災やテロや政変やテクノロジーの変化などだけではなく、我々の存在そのものがサイクルというものに支配されています。 
人間は、赤ん坊で生まれて、青年になり、壮年を経て、いずれは老人となり、最後には死にます。 
これは定規で描いた右肩上がりではありません。 

一国の経済もこれと同じで循環的な景気変動もあれば、長期で見た成長率の鈍化などもあります。 

“The cities that were formerly great, have most of them become insignificant; and such as are at present powerful, were weak in olden times. 
I shall, therefore, discourse equally of both, convinced that human happiness never continues long in one stay.” 
(Herodotus) 
過去に栄えた都市の多くは今は凋落している。 
いま栄華を極めている都市も、昔はと言えば弱かった。 
だから今、栄えている都市も、そうでない都市も平等に扱われるべきである。 
およそ人間の幸福などというものは、ひとつの場所に長くとどまるということは、ないのである。
(ヘロドトス) 



つまり不安定、不確実な状態というのは我々の人生の中でアブノーマルな状態なのではなく、所与の条件なのかも知れないのです。 

若しそうであるならば、全てがガラガラと変動する中で、その変動の埒外にある孤島のように、自分の人生だけが影響を受けなくて済むという前提は、 
虫が良い発想ではないでしょうか? 

話を株式投資に移すと、別に株式投資をやったからといってお金持ちになれるとは限らないし、骨折り損のくたびれもうけになる場合も多いです。 

ただ株式投資は、自らをマーケットという変動状況に置くことに他ならないので、「世の中は流転しているし、経済は変動している」という、 
当り前のことを、まいにちリマインドされることになります。 
株式投資を通じて景気の変動や社会の変革を日々の暮らしの中にビルトインするわけです。 

「そんなコトして、なんの得になるの?」 

株をやらない人は、多分、そう思われるでしょうね。 
そういう僕自身、株をやりはじめたのは社会人になってだいぶ後からですから、変動するものは大嫌いでした。 

でも好むと好まざるとに関わらず、 
人生というものは変動に巻き込まれてしまうものだと悟って以来、「そういうものだ」とあきらめがつくようになったのです。 

むしろ株式投資で揉まれると、変動というものに対する耐性が強くなるし、いままで見えなかったチャンスというものにも敏感になるし、 
予期せぬ身辺の変化という事に対する胆力も付きます。 

もちろん、それらを「自分が進歩した」と捉えるか、全く評価しないかは、個人の好みだと思いますが。 

向田邦子さんの名エッセイ、「無名仮名人名簿」(文藝春秋)の中に、次のような文章があった。 


「父は私たち子供がチョコレートを選ぶ際絶対に取替えを許さなかった。 

『お前はいま、掴んだじゃないか。文句を言うなら自分の手に言え』」 


長い人生の中で我々は、たくさんの選択をしなければならない。 

進学、就職、転職、結婚、離婚…、そして、レストランのメニュー選びから、サンドイッチやチョコレートの好みまで。 

しかし… 

大事なことは、いい選択も悪い選択も、選んでいるのはすべて自分だ、と思えるかどうか。 

「選んだのは自分ではない」と思った途端、文句と愚痴と、不平不満の毎日になる。 

マンガの天才バカボンのパパは「これでいいのだ!」という。 

たとえどんな選択をしようと、「これでいいのだ」と明るく考える人でありたい。 



◇自分のサンドイッチ 
昼食を知らせる笛が鳴ると、労働者たちはいつも皆で座ってランチを食べていました。 

サムという男は毎日ランチの包み紙をあけては毒づいていました。 

「またピーナツバターとジャムのサンドイッチかよ。 

俺はピーナツバターとジャムが大嫌いなんだよ!」 

サムは毎日毎日、ピーナツバターとジャムのサンドイッチに文句を言っていました。 

何週間かが経ったころ、とうとう耐えきれなくなったひとりの同僚が言いました。 

「いい加減にしてくれよ。 

そんなに嫌いなら、奥さんに別のサンドイッチをつくってもらえばいいだろう」 

「奥さん?」サムは答えました。 

「俺は独身だよ。 

このサンドイッチをつくっているのは俺さ」 

私たちも知らず知らずのうちに、嫌いな材料でサンドイッチをつくるようなことをしてはいないでしょうか。 

人生にはたしかに与えられた材料があり、ときにどうすることもできないような外的な環境があります。 

体質や生まれた家庭、変動する世界市場を思いのままに変えることはできません。 

他人の選択についても、手の出しようがありません。 

しかしそのような制限があったとしても、どの材料を選ぶか、材料をどう使うかを決めるのは私たちです。 

私たちはみな、どんな環境にいても、自分の周りや自分自身の中にある可能性を見つけようとすることができます。 

いつもとは違ったものの見方をすれば、自分のサンドイッチをつくるためのおいしい具材をこんなにも多くの中から選べるのだと気づくことができます。 

材料を選ぶ自由、つまり状況に対するたくさんの対処法を選ぶ自由を活用すれば、私たちは「現実をつくりだす共同制作者」になれるのです。 

あなたはどんな現実をつくりたいですか。 

あなたが口にするサンドイッチは、たいていはあなた自身がつくっています。 

あなたは思っている以上に多くの選択肢があります。 

選ぶのは、あなたなのです。 


人の心に灯をともす より 

昨日、親父の七回忌だった。 

うちは本当に貧乏でさ、商売やってたんだけど、つぶれてシャッターがおりてる店がほとんどの寂れた商店街の隅っこに店があって、それでも「店で待っていてもお客は来ない」って両親は毎日毎日朝から晩まで注文取りに走り回ってた。 

俺は五歳下の妹と二人兄弟で、小学生の頃からいつも二人で夕食を作って遅くまで両親の帰りを待ってた。 

小学生の料理なんてうまいはずはないけれど、親父は「お前たちのカレーはすごくいい味だ」ってほめてくれた。 

明るい家族だったから、貧乏でも楽しかった。 

休みの日には、大きな鍋とインスタントラーメンを持って海に行って、たき火をしてラーメンを煮て食べた。おいしかったなぁ。 

小学校中学校と放課後友達と遊んだ記憶はほとんどない。 

妹の面倒見なくちゃいけなかったし、家の手伝いもあったし。 

高校受験の時にね、「こんな暮らしをしててもお前は貧乏から抜け出せない。家のことはいいからちゃんと大学出て、自分でやりたいことを見つけろ」って親父が言ってくれて、鹿児島の全寮制の高校に行かせてくれたんだ。 

バイトはできなかったけど、運良く奨学金がもらえて仕送りなしで高校に通えた。 

たまに帰省すると、その度にくしゃくしゃの千円札を母親に隠れて何枚か渡してくれて、「少しで悪いな」って。 

そんな金使えないよな。 

今でもしまってある。 

35枚。 

馬鹿なりに一生懸命勉強して東京の国立大に受かった。 

ホントは受かっただけで満足だった。 

でも、親父すごく喜んでさ「商売がんばってるから大学行ったら仕送りしてやれるぞ」って。 

大学に入ってからはバイトバイトの毎日で、何とか授業料と生活費は自分で稼いだ。 

大学でも寮に入れたから家賃は楽だった。 

親からの仕送りは毎月3万円。 

もったいなくて使えずに郵便局の仕送り口座にお金が貯まっていって、「好きに使っていいんだぞ」なんて手紙が来たりして。 

そう言われると、苦労して送ってくれてるお金をそのままにしておくのも悪い気がして、毎月郵便局から引き出して、銀行の口座に移してた。 

卒業間近になって、大学院を勧めてくれる先生がいたけど、早く就職して親に仕送りしてあげたいと思ってたから、断った。 

そのころ、たまたま東京の親戚が亡くなって、東京に両親が来た。 

何を思ったか研究室にまで押しかけて来ちゃってさ、先生に御礼なんか言ったりして。 

そうしたら先生が余計なこと言い出しちゃって、大学院を親に勧めるのよ。 

親父またまた喜んじゃって「なんで断ったりするんだ」なんて叱られちゃったりして。 

結局、大学院にも進ませてくれた。 

同じ大学の大学院に行くときも入学金って必要なんだよね。 

毎月の3万円積み立てから25万円出した。 

初めて仕送りを使った。 

大学院に行ったら、研究で食っていけるかなぁ、なんて思い始めて、学振の特別研究員に受かった(月に20万も給料が出る)こともあって、修士終わってから博士課程に進むことにした。 

博士になったら学生なのに仕送りができる!って内心かなりうれしかった。 

修士論文を提出した日。 

初めて母親から研究室に電話。 

「どうしたの研究室に電話なんかして。修士になったよ。次は博士だぞ。」 

「あのね、お父さん、ここ何日かずっと調子悪いって言ってて、今日胃カメラ飲んだの。写真見せてもらったら、ものすごい状態だった。」って。 

末期の胃ガン。 

背中の方に向かって進行していたから、食欲も衰えずに気づかないことがあるらしい。 

目の前真っ暗。 

頭の中真っ白。 

「そんなわけないだろっ」って大声で叫んでしまって、同じ研究室の学生に「どうしたんですか」って。 

医者に電話したら「一日でも早く手術しないと」って話で、友達にお父さんが医学部の教授ってやつがいて、そいつに頼んで「消化器ガンなら日本一」って先生を紹介してもらった。 

3日後に入院して七日後に手術。 

胃全摘、脾臓全摘、膵臓半分摘出の大手術。 

手術の前の晩、親父と二人で人気のない病院のロビーで、手術のこと話した。 

地元の病院で撮った胃カメラの写真を見て、自分の病気はよく知っていた。 

どんな状態かも知っていた。 

でも「悪いところ取って、ようやく第二の人生だな」と笑って言っていた。 

明るい親父に家族はどれだけ救われたか。 

手術が終わって、先生に摘出した臓器を見せてもらった。 

金属製のバットに山盛り。 

こんなに取っても人間は生きられるのかって思った。 

先生は「取れるところはすべて取りましたよ。後は抗ガン剤で転移巣をやっつけます。」と言っていた。 

でも、手術後少ししてからずーっと背中に激しい痛み。 

抗ガン剤も効果はいまひとつ。 

俺と妹と母親と、親戚の家から毎日病院に通って交代で夜通し付きっきりの看病。 

妹は50kgから30kgに激ヤセ。 

もう痛みが我慢できないと言うので、真っ赤なモルヒネ錠剤を経口で投与して痛みを抑えてた。 

モルヒネが効いているうちはなんとか普通の感じ。 

車いすに乗っけて、中庭に連れて行ったりもした。 

俺、親父と二人っきりでいたことなんてないからなんとなく気まずくて、車いすを景色のいいところに押していって、少し離れたところでぼーっと座ってた。 

「近くにいてくれないか」と言われて近くに行ったら、子どものころ手をつないでもらった時とは 比べものにならないくらい細くなった腕を膝掛けから出して、しわしわになってしまった手でぎゅっと手を握られた。 

二人で声も出さずに泣いた。 

ある日「5年後の話をしてくれないか」とベッドの父に聞かれて、「俺は29だからたぶん大学で研究してるな。妹は24か。結婚して子どももできてるかもよ。お母さんは、うーん、まだ店がんばってるんじゃない?お父さんは、退院しても胃がないから、毎日グルメ番組見て、あれがうまそうだ、とか、これ買ってこい、とかわがまま言ってるかもよ」なんて答えてた。 

そんなに長く生きられるなんて俺も親父も思っていなかったくせに。 

5年後がどんなに遠い未来なのかも分かっていたくせに。 

結局、親父は死んでしまった。 

手術から33日。 

病院で胃カメラ飲んでから40日。 

62歳の誕生日から10日。 

夕方研究室から病院に行ったら、もう息を引き取ってた。 

「実験してるだろうから、呼ばなくていいぞ」って言ってたらしい。 

最後に何かを言い残したらしい。 

でも、俺は親父がなんて言ったのか知らない。 

悲しすぎて知りたくない。 

あんな大手術をさせて、殺してしまったのは俺だって、ずーっと思ってる。 

俺が手術をすることを決めて、家族もみんな俺の言うことに納得してくれて、でもその結果、親父をあっという間に殺してしまった。 

悔やんでも悔やみきれない。 

ごめんな、お父さん。本当にごめんな。 

葬式。 

親戚が「まだ学校に行かせてるのか」なんて、何にも知らないくせに母親に言ったりしてた。 

「この子はお父さんのできなかったこと頑張ってるんだから、私一人でも最後まで学校に通わせるつもりです。この子はお父さんの夢なんです。」って、言ってくれた。 

ドアの向こうでそれを聞いていた。 

親は有り難いと思った。 

もう泣かないつもりが、止めどなくあふれた。 

お父さん。 

あれから6年だな。 

俺は大学で毎日研究をしてる。 

今年、学会で賞をもらった。 

去年、結婚した。 

大学に入ってから仕送りしてくれたお金で、婚約指輪を買ってやった。 

お父さんからだぞって言って渡した。 

かずはお母さんの仕送りと俺の給料でなんとか大学に行かせてやれた。 

4年で卒業して就職して、おととしお嫁に行った。 

キャリアウーマンとかいって、かっこつけて歩いてるくせに、少し太った。 

幸せそうだけど、たまに夫婦げんかをして泣きながら電話をしてくることがある。 

お母さんは、一人で店を頑張っている。 

一緒に住もうと言ってもまだ頑張るって、言うことをさっぱり聞いてくれない。 

お父さんへの恩返しはもうできないけどさ、お母さんと妹といつか生まれてくる俺の子どもに精一杯のことをしてあげるつもりでいる。 

お父さんの描いた将来に少しは近づいているのかなぁ。 

俺が生まれてからお父さんが酒もたばこもやめたって葬式で聞いた。 

酒は飲めないんだと思ってた。 

そんなことを聞いてから今まで、酒を一滴も飲まなかった。 

昨日、法要が終わってから、高校生の頃お父さんがくれた千円札で瓶ビールとチューハイを買ってきた。 

千円札を出すとき涙がでたよ。 

違うお札にしようかと思ったけど、やっぱり使ってみた。 

うちの奥さんと、お父さんの話をしながら酒を飲もうかと思ったんだ。 

うちの奥さんは結構酒が飲めるらしい。 

二人で初めて飲む酒はきっと楽しい酒だ。 

さっきメールが来て、夕食はカレーだって。 

俺が昔作ったのよりずっとうまいカレーをお父さんと一緒に食べたい。 

カレーを食べながら話したいことがまだまだたくさん、たくさんあるんだ。 


*たまちゃん(小玉 宏さん)からいただいたすてきなお話 

変化を恐れて過去にしがみつくのではなく、変化を前向きに受けとめ、新しい時代の可能性を楽しもうとする姿勢が、 時代の変わり目には重要です。
社会が激変する次の10年を楽しくワクワク生き抜くために! 

              130728

                〈序章〉 ”働き方本”ブームが示すモノ 
                〈第一章〉現状維持の先にある未来 
                〈第二章〉世界を変える3つの革命的変化 
                〈第三章〉新しい働き方を模索する若者たち 
                〈第四章〉「ふたつの人生を生きる」 
                〈第五章〉求められる発想の転換 
                〈終章〉 オリジナル人生を設計するために 


◇「ほんとうの勝ち組」は、いい会社に入った人でも収入の高い人でもなく、自分のやりたいことがわかった人です。「自分はこうしたい」というものがある人は、強いし幸せです。お金が少々足りなくても、優先順位がはっきりしているから、他の人のことが気にならない。 

◇大人が学生にたいして「ほんとうにやりたいことは何なの?」と聞くのはおかしいですよね。そんなのわかるわけない。 
20年も世の中で働いていれば、自分のことも社会のこともよくわかるようになるし、自分がどんな生活をしたいかも具体的に描けるようになります。一方、若い人はあんまり考えずに、とりあえず目の前にあるものをやってみればいいんですよ。 

◇いくらでも途中でやり直せるんだから、学生の時に考えすぎる必要はありません。就活で正しいものを選ばないと人生失敗だと脅かすから、ものすごいプレッシャーがかかり、結果として保守的な大企業に行こうという結論になる。 

◇いろんな経験を積めばいいと思うんです。失敗したからこそわかること、恵まれなかったからこそ身につくこともあります。働きながらいろんな材料をそろえて、人生半ばで自分の求める生き方を実現できれば、そこからまた数十年、楽しく生きていけます。 



        ☆★☆ 人生を無駄にするための10の方法 ☆★☆ 

 1.やればできるとわかっていることばかりする 

 2.会えばどんな話になるか、(会う前から)わかっているような人ばかりと会う 

 3.楽しいとも思えないことを、お金や義務感や惰性のために続ける 

 4.将来のために我慢する 

 5.いかに昔がよかったか、みんなで語り合う 

 6.自分の環境を嘆く 

 7.恵まれている人を攻撃する 

 8.「スゴイですね!」「さすがですね!」と言ってくれる人ばかりの環境で長く働く 

 9.一緒にいてイライラする人から離れない 

10.社会や政治や会社など「自分以外の誰かが問題を解決すべきである」、と一生懸命に主張する 


*ちきりん 
バブル最盛期に証券会社で働いた後、米国での大学院留学を経て外資系企業に勤務。 
2010年に退職してからは文筆活動や対談を中心に、“楽しいことだけして暮らす”人生ふたつめの働き方を実践中 
 


   たのしみは艸のいほりの莚敷ひとりこゝろを静めをるとき 

   たのしみはすびつのもとにうち倒れゆすり起すも知らで寐し時 

   たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時 

   たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時 

   たのしみは百日ひねれど成らぬ謌のふとおもしろく出きぬる時 

   たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時 

   たのしみは物をかゝせて善き値惜みげもなく人のくれし時 

   たのしみは空暖かにうち晴し春秋の日に出でありく時 

   たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花咲ける見る時 

   たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙艸すふとき 

   たのしみは意にかなふ山水のあたりしづかに見てありくとき 

   たのしみは尋常ならぬ書に画にうちひろげつゝ見もてゆく時 

   たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴しとき 

   たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき 

   たのしみは物識人に稀にあひて古しへ今を語りあふとき 

   たのしみは門売りありく魚買て烹る鐺の香を鼻に嗅ぐ時 

   たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時 

   たのしみはそゞろ読ゆく書の中に我とひとしき人をみし時 

   たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食て火にあたる時 

   たのしみは書よみ倦るをりしもあれ声知る人の門たゝく時 

   たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時 

   たのしみは世に解がたくする書の心をひとりさとり得し時 

   たのしみは炭さしすてゝおきし火の紅くなりきて湯の煮る時 

   たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき 

   たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時 

   たのしみは昼寝目さむる枕べにこと/\と湯の煮てある時 

   たのしみは湯わかし/\埋火を中にさし置て人とかたる時 

   たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時 

   たのしみは客人えたる折しもあれ瓢に酒のありあへる時 

   たのしみは家内五人五たりが風だにひかでありあへる時 

   たのしみは機おりたてゝ新しきころもを縫て妻が着する時 

   たのしみは三人の児どもすく/\と大きくなれる姿みる時 

   たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書を見る時 

   たのしみは明日物くるといふ占を咲くともし火の花にみる時 

   たのしみはたのむをよびて門あけて物もて来つる使えし時 

   たのしみは木芽煮して大きなる饅頭を一つほゝばりしとき 

   たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹たてゝ食せけるとき 

   たのしみは小豆の飯の冷たるを茶漬てふ物になしてくふ時 

   たのしみはいやなる人の来たりしが長くもをらでかへりけるとき 

   たのしみは田づらに行しわらは等が耒鍬とりて帰りくる時 

   たのしみは衾かづきて物がたりいひをるうちに寝入たるとき 

   たのしみはわらは墨するかたはらに筆の運び思ひをる時 

   たのしみは好き筆をえて先水にひたしねぶりて試るとき 

   たのしみは庭にうゑたる春秋の花のさかりにあへる時々 

   たのしみはほしかりし物銭ぶくろうちかたむけてかひえたるとき 

   たのしみは神の御国の民として神の教をふかくおもふとき 

   たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るとき 

   たのしみは鈴屋大人の後に生れその御諭をうくる思ふ時 

   たのしみは数ある書を辛くしてうつし竟つゝとぢて見るとき 

   たのしみは野寺山里日をくらしやどれといはれやどりける時 

   たのしみは野山のさとに人遇て我を見しりてあるじするとき 

   たのしみはふと見てほしくおもふ物辛くはかりて手にいれしとき 

おうかがいしたい 

あなたは何ができるか 


何を持っているか 

ずば抜けた才能があるか 


一流の教養が身に付いているか 

学者に負けない知識があるか 


一生遊んでいても困らない財産があるか 


無い、私には何も無い 


しかし、 

これが何も無い人間にのみ闘える最強の条件だ 


 ◇金が無いから … 身体を張って汗を流し 

 ◇人脈が無いから … 大きい声で存在を主張して 

 ◇信用が無いから … 時間と金銭の約束を護り 

 ◇頭が無いから … 本を読み、人の意見を聞き 

 ◇根性が無いから … 逃げ道をふさいで前だけを見て歩き 

 ◇イヤなことを言ってくれる人を … 信頼し、師と仰ぎ 

 ◇私を褒めてくれる人を … 特に警戒し 

 ◇今は何も無いが … 何も無いことを最高の武器として闘う 



*奇跡の言葉「何も無い人生訓」より 

旧態然とした組織が、臨機応変な対応を実現できない理由をまとめてみよう。 

 ◆中央統制システムのため、想定外の事態が発生しても上司の指示なしには動けない 
 ◆縦割り組織のため、情報共有や人材交流が乏しく、緊急時に協業しあう信頼関係もない 
 ◆成果主義のため、部門や個人の評価にならない行動には消極的で、責任を追わない 
 ◆経営陣のメンツや保身が優先されるため、生活者が満足する説明責任を果たせない 

中央から社員をコントロールするために構築されたシステムは、部門間の協業や社員の自主性を奪ってしまう。いつのまにか社員の関心は顧客から上司に変わり、社員の仕事の多くは社内稟議や報告書作成になってゆく。そして組織全体が顧客に鈍感になるのだ。 

透明な時代にあるべき組織像は、その対極に位置するものだ。 
顧客は、あらゆる接点において、迅速で誠実な対応ができる企業像を求めている。そのためには、顧客と接点を持つ現場社員が自律的に行動できるシステムを構築することが大切だ。 

今、企業は「統制の力」を卒業し、「透明の力」によって社員をエンパワーメントすることを求められている。 
「ガミガミと言って行動させる」のではなく「自発的に会社のために行動する場を創る」こと。時代が求めているのは、このコペルニクス的な発想の転換だ。単なる性善説だけでは十分ではない。 

「透明化することで自律的な行動を促すこと」がポイントなのだ。実際に「透明の力」を活用する企業は増えてきている。シリコンバレーのベンチャーなどは、ほとんど例外なくそうだろう。 

すでに統制型マネジメントが浸透している大企業にとって、この経営改革は困難を極めるに違いない。その一方で、新しい文化を持つ企業が雨後の筍のように生まれ、大企業の得意分野を日々侵食している。 

「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」(Chris Anderson)が提起したように、大企業もベンチャーも、創造力や共感力という同じ土俵で勝負せざるを得ない時代が到来するだろう。古びた経営スタイルは、もう臨界点に達しているのだ。 

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  *「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」(Chris Anderson) 
  
「デジタルによる革命は、これからが本番だ──」 

『フリー』以上の衝撃──ベストセラー『フリー』『ロングテール』のクリス・アンダーソンが描く次のパラダイムシフトは〈メイカームーブメント〉だ! 
21世紀の製造業は、アイデアとラップトップさえあれば誰もが自宅で始められる。ウェブの世界で起こったツールの民主化が、もの作りの世界でも始まったのだ。メイカーズ(モノ作る人々)の革命が、世界の産業構造を再び変える! ベストセラー『フリー』『ロングテール』の著者が描く、次のパラダイムシフト。
 

インターネットを利用して、決定的にモノの作り方が変わろうとしている。 
モノの作り方が変わるほうが、ITの変化よりはるかに大きく、急速なのだ。 
20世紀型製造業はとても大きいロットでしかモノを作れなかったが、21世紀型製造業はとても小さいロットでもモノを作れる。 
この流れは止められないし、おそらく流通の形態、開発途上国という概念を覆していくだろう。 
なぜならば、在庫の概念、工場の概念が変わるからだ。
 

規模の最大化は必須条件ではなくなる。アイディアを形にするために大きな工場を作ったり多額の資金を集めたり大勢の人を雇う必要もなくなる。一連の活動の中でマーケティングすらできる。しかも、まだまだ成熟する余地があるとはいえ、既にどのプロセスも実際に登場しており、少なくない成功例も出てきている。まさに、新たな産業革命の幕開けである。 

 ★「メイカーズ革命」は全産業を変える 


[賞賛と炎上を分けるもの] 

今どき、ウェブの最前線にいるマーケティング関係者で、生活者をコントロールできると考えている人はいないだろう。特に日頃からソーシャルメディアで生活者の声と日常的に触れている担当者は「クチコミ」の威力を痛感しているはずだ。直近の事例を追って、その威力を体感してみたい。 

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今年の6月11日午後1時頃、チロルチョコの中に芋虫がいたという写真つきの苦情ツイートが投稿された。 
インパクトのある写真が拡散の連鎖を刺激し、瞬く間にリツイートは1万回を超える。ツイッター注目のキーワードにまで「芋虫」が登場する有様だ。 

チロルチョコは製造元の工場を合わせても社員数で約200人。その規模の企業にとって、この醜聞は致命的な危機になりかねない。しかし彼らは冷静だった。約3時間後、同社の公式アカウントは正式な見解をツイートする。 

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その投稿は十分に吟味された内容だった。写真に掲載された商品の最終出荷は約半年前。対して芋虫はその形状から推定すると生後30日~40日。これは芋虫が商品購入後に混入したことを示唆するものだ。 

さらに「虫が混入されたケースの多くは出荷後に家庭内で起きる」とした日本チョコレート・ココア協会のウェブサイトを紹介。最後に「お騒がせして申し訳ない」との心遣いあるコメントで締めたのだ。この的確で抑制の効いたツイートは約1万回もリツイートされ、多くのブログやまとめサイトも登場した。その結果、チロルチョコのブランドは見事に守られた。一方で苦情を投稿したツイッター・アカウントは閉鎖されてしまった。 


◇一連の対応を統括した松尾裕二取締役は、この出来事をこう振り返る。 

「われわれがソーシャルメディアの運用を始めたのは約2年前ですので、Twitterにはすでに1万人ほどのフォロワーがいました。このアカウントがなければ、当社の考えを生活者に迅速にお伝えすることはできなかったと思います。もし一方的に写真が広まり、それをマスメディアが取り上げていたら、当社のブランド毀損(きそん)は計り知れなかった。この時ほどソーシャルメディアを始めて良かったと感じたことはありません。でも実際の現場ではハラハラの連続でした。特に投稿文には細心の注意を払い、何度も文章を見直しました。これを見て、嫌な気分になる人はいないか、揚げ足を取られる表現になっていないか。それに投稿直後も目が離せませんでした。僕たちのツイートに生活者がどう反応するのか、しばらくは画面につきっきりで見守っていたんです」 

ありがたいことに、投稿してから一気に肯定派が増えたという。「チロルチョコを信じていました」そんなツイートがあふれだし、結果的にフォロワーが1000人以上増えた。 

生活者の声は予測できない。生活者は企業にすばやく誠実な対応を求めている。彼らの反感を買えば手痛いしっぺ返しを食うが、時として真摯な態度や人間味あふれる機転が大きな歓声を持って受け入れられることもある。 

一方で、炎上も後を絶たない。もはや炎上が発生しない日はないと言っても過言ではない。直近の例では、プロ野球の統一球の問題が挙げられるだろう。今季から採用した飛ぶボール自体を否定するファンは少なく、むしろ楽しみが増えたという声も多い。問題視されているのは説明責任だ。 

 なぜこの情報を隠ぺいしたのか。コミッショナーはファンや選手への影響をどう考えているのか。社会的影響力のある人や組織は、その活動や決定を説明する責任がある。透明な時代に結果オーライは通用しなくなった。プロセスの透明さが強く求められているのだ。 

また、ブラック企業というレッテルが一部の経営者を悩ませている。社員に劣悪な環境で労働を強いる企業――ネット上を検索すると、ワタミやユニクロなどの企業名が並ぶ。トップ自らブラック企業と呼ばれることに対する見解を述べたインタビュー記事も登場した。両社に共通しているのは、極めて強力なリーダーシップを持つオーナーがいること。いずれも企業成長への強い意思を持ち、それを現実化させた稀代の経営者だ。その手腕を疑う人は誰もいないだろう。しかしながら、彼らの主張は生活者に共感されていない。逆に発言の都度、ソーシャルメディア上を反感が渦巻いていくようだ。 

今や、生活者は歩く広告塔となり、生活者接点は広告が生まれる瞬間となった。顧客だけではない。社員も、退職したアルバイトも、求職した学生も、その企業にとって大切な広告塔だ。特に店舗がある地域の住民は、政治家にとっての選挙民に等しい。 

彼らは企業の好き嫌いを判断し、ソーシャルメディアや購買行動を通じて一票を投じる権利を持っているからだ。生活者の共感を得る企業、反感を買う企業、その差は天と地ほどに大きい。彼らの評価は、商品売上や社員雇用に結びつき、経済的な価値につながっていく。 

では、本質的に企業に対する賞賛と反感を分けるものはなんなのだろうか。生活者は何を見て、企業に対する評価を下しているのだろうか。 


◇統制が通用しない時代 

あなたが貴社のソーシャルメディアアカウントの担当者になったとしよう。そこであなたは生活者の率直な意見を目にすることだろう。ある人は「すばらしい」と褒め、ある人は「あの商品には問題がある」とクレームを入れる。公式アカウントがなくとも実際は同じことだ。企業がアカウントを持とうと持つまいと、生活者は日常的にブランドの評価をしあっているからだ。 

ソーシャルメディア担当者の悩みは深い。生活者からの声と上司の指示が相反するからだ。生活者は誠実でリアルタイムな応対を求めているが、多くの上司の頭の中にあるのは、メンツ、保身、事なかれ主義。結果としての隠ぺいだ。プロ野球の統一球などその典型だろう。そして、それこそが生活者の最も嫌う態度なのだ。上司がコントロールできるのは人事権を持つ部下までで、生活者の考えや言動をコントロールすることなどできるはずがない。そんな簡単なことも分からないほど、現場感覚を失った管理者も少なくない。

企業が一方的に情報を独占し、生活者をコントロールできる時代ははるか昔に終焉(しゅうえん)している。さらにソーシャルメディアの登場で、企業は生活者によって常に監視され、評価されるようになった。企業と生活者のパワーバランスは完全に逆転したのだ。 

 生活者の賞賛と反感を分けるもの、その原点はここにある。すでに力関係が以前と変わっていることに気づかず「生活者をコントロール」しようとする姿勢。それこそ生活者に最も忌み嫌われる病根と言えるだろう。特に経営者や管理部門にその傾向は強い。彼らが持つ内向きのコントロール志向がさまざまな生活者接点から滲み出し、それが反感につながっていくのだ。パワーマネジメントで時代を築いた経営者こそ、このわなに陥りやすい。彼らを成功に導いた豪腕や理屈は、生活者の心には響かない。むしろ疑問と反感が蓄積していく。 

ソーシャルメディアで評価されたチロルチョコは、生活者をコントロールしようとせず、彼らの求めるものをしっかりと理解し、臨機応変な対応を実現できた。生活者をリスペクトし、短時間の間に最善を尽くした。彼らの機を逃さぬ、それでいて謙虚な姿勢が生活者の共感を生んだ。ピンチをチャンスに変え、賞賛の輪が広がっていったのだ。 


◇自分の組織で炎上をシミュレーションしてみよう 

もう一度、チロルチョコの対応を思い出してみよう。彼らの持つ反射神経が貴社にはあるだろうか。あなたの所属する組織は、出会い頭のアクシデントに対して、誠実に、柔軟に、リアルタイムに対応する能力があるだろうか。トラブルや炎上は毎日のように現実社会で起きている。ぜひ、この事例を自分ごととしてとらえてみてほしい。 

 そもそもソーシャルメディアに流れる自社の風評をこれだけ早く察知できる企業は少ないだろう。その上で過敏反応せず、製品の製造時期を調べ、幼虫の大きさから生後どれくらいかを推定する。また第三者の情報として業界団体のFAQ引用を決めた。そこまでで約1時間半。 

さらに投稿者への個人攻撃にならないよう配慮し、企業にとって難題である「お詫び」の添え方を十分に吟味した上でツイートしたのだ。トラブル発生から3時間。貴社にこの対応ができるだろうか。 

ここでは大企業が陥りやすい統制志向のわなを、チロルチョコが受けた災難をベースに予想してみたい。実際に企業内部で起こりがちな対話をシミュレーションしてみよう。 


ツイッターの炎上を発見して 

ソーシャル「部長、悪い報告なんですが、当社製品がツイッターで炎上してます」 

マーケ部長「なんだと。すぐに関係する責任者を集めて緊急会議だ」 

ソーシャル「広報部長と営業部長が外出していて、最短で夕方になります」 

マーケ部長「じゃあ、それまでに報告書をまとめて会議の準備をしておいてくれ」 

ソーシャル「ツイッターの対応はどうしますか?かなり炎上してますよ」 

マーケ部長「まずいのはわかるが、部門横断マターだから一人じゃ動けないんだ」 

ソーシャル「では、この製品の製造責任者などの方々も呼びましょうか?」 

マーケ部長「製造部長とCS部長にも連絡して内容を報告しておいてくれ」 

ソーシャル「わかりました」 

そして夕方の会議にて 

マーケ部長「今、彼から報告があった通り、ツイッターで大変なことになっています」 

製造部長「なんだよ。これは単に家の中で虫が入ったんだよ。よくあるんですよ」 

コンプラ「それを証明できますか?」 

製造部長「ウチの工場を見てもらえば、こんな虫なんか入らないのがわかりますって」 

CS部長「顧客サポートにクレーム電話がかかりっぱなしで。こんな事は初めてです」 

広報部長「極めて深刻な事態だ。大至急、社長に報告する必要がありますね」 

営業部長「これで売り上げが落ちたら、特殊要因ということで責任とってもらいますよ」 

コンプラ「責任の所在はどの部署にありますか?」 

製造部長「ウチは会社で定められた衛生基準にのっとって製造しているだけですよ」 

マーケ部長「今、ネットでこの写真が広まって大変なことになってます。急がないと」 

広報部長「社の一大事です。社長や弁護士と相談して最善の対応策を練りましょう」 


2日後 

かくして社内各部門は、自らの責任を回避するための暗闘を続け、生活者への応対は後回しになった。結局、社長決済を経て、2日後にプレスリリースが発信される。それは、企業にとって都合の良いことだけを表明する内容となっていた。 

「チョコレートやココアは、近代的な設備と衛生管理の行き届いた工場で生産されており、虫の卵や幼虫が入ることはありません。ほとんどの場合、工場を出てからご家庭で消費される間に侵入するケースが多いようです。なおチョコレートにつく虫にはノシメマダラメイガ・スジマダラメイガ・コクヌストモドキなどがありますが、いずれも病原菌や毒素といったものはないので、万一虫が混入しているのに気付かず誤って食べても、人体に直接害はありません」。 

 このリリースは、内容もあいまいで生活者の求めていた情報開示とは異なった。なにより誠意が感じられない表現となっており、対応の遅さと相まって絵に書いたような二次炎上を引き起こす。結果的に、同社の製品品質に対する疑念に加え、説明責任に対する意識欠如を指摘され、同社の好感度は大きく毀損することとなった。 

このシミュレーションはチロルチョコの実例をベースにしたもので、現実に起きたことではない。しかし、特に各部門がサイロのように硬直した大企業において、いかにも起こりやすい一幕ではないだろうか。ソーシャルメディアによって誘起される問題がひとつの部門で完結することは少ない。組織が大きくなるほど、本質的な問題点が浮き彫りにされてゆく。 


◇組織の透明力とは 

旧態然とした組織が、臨機応変な対応を実現できない理由をまとめてみよう。 

 ・中央統制システムのため、想定外の事態が発生しても上司の指示なしには動けない 
 ・縦割り組織のため、情報共有や人材交流が乏しく、緊急時に協業しあう信頼関係もない 
 ・成果主義のため、部門や個人の評価にならない行動には消極的で、責任を追わない 
 ・経営陣のメンツや保身が優先されるため、生活者が満足する説明責任を果たせない 

中央から社員をコントロールするために構築されたシステムは、部門間の協業や社員の自主性を奪ってしまう。いつのまにか社員の関心は顧客から上司に変わり、社員の仕事の多くは社内稟議や報告書作成になってゆく。そして組織全体が顧客に鈍感になるのだ。 

透明な時代にあるべき組織像は、その対極に位置するものだ。顧客は、あらゆる接点において、迅速で誠実な対応ができる企業像を求めている。そのためには、顧客と接点を持つ現場社員が自律的に行動できるシステムを構築することが大切だ。 

言うならば、社内のカルチャー改革だ。それを実現するには「価値観の共有」「オープンでフラットな組織」「社内交流を促進するコラボレーション・プラットフォーム」、この三つの改革が必要となる。そして、その根底に流れているのは「透明の力」による内発的な動機づけだ。 

「透明の力」とは何か。それは上司からの統制ではなく、社員の自律的な行動を促す力を表現したものだ。人間は、誰かに指示されるまでもなく、共感や評価を得たいと強く願う生き物だ。社内を透明にし、情報を可視化させ、コミュニケーションの活性化を図る。すると社員は仲間との一体感を感じ、その共感や評価を得るために、自発的に企業やチームがプラスになるよう動き出す。 

例えば、企業は経費を抑えるために、何重にも管理者を配置し、稟議システムによって「統制」してきた。しかし、経費をすべて「透明」にしたらどうなるだろう。社員であれば、誰が何にいくら使用したかを閲覧できるようにする。統制も特別なシステムも不要だ。それだけで無駄な経費は激減するだろう。説明責任が生じ、共感や評価を得られない経費が姿を消すからだ。なぜ、それができないのか。経営層、管理層の既得権益があるからだ。ここにメスを入れられるのは、最も痛みを伴う経営者だけだ。それを理解した上で、経営者が信念を持って「透明の力」を導入するとき、組織は劇的に変わってゆくのだ。 

今、企業は「統制の力」を卒業し、「透明の力」によって社員をエンパワーメントすることを求められている。「ガミガミと言って行動させる」のではなく「自発的に会社のために行動する場を創る」こと。時代が求めているのは、このコペルニクス的な発想の転換だ。単なる性善説だけでは十分ではない。「透明化することで自律的な行動を促すこと」がポイントなのだ。実際に「透明の力」を活用する企業は増えてきている。シリコンバレーのベンチャーなどは、ほとんど例外なくそうだろう。 

すでに統制型マネジメントが浸透している大企業にとって、この経営改革は困難を極めるに違いない。その一方で、新しい文化を持つ企業が雨後の筍のように生まれ、大企業の得意分野を日々侵食している。「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」(Chris Anderson)が提起したように、大企業もベンチャーも、創造力や共感力という同じ土俵で勝負せざるを得ない時代が到来するだろう。古びた経営スタイルは、もう臨界点に達しているのだ。 



斉藤 徹 
ループス・コミュニケーションズ 
1985年3月慶應義塾大学理工学部卒業後、同年4月日本IBM株式会社入社、1991年2月株式会社フレックスファームを創業。2004年同社全株式を株式会社KSKに売却。2005年7月株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルメディアの第一人者として、ソーシャルメディアのビジネス活用、透明な時代のビジネス改革を企業に提言している。講演回数は年間100回を超える。「BEソーシャル ~ 社員と顧客に愛される5つのシフト」「ソーシャルシフト ~これからの企業にとって一番大切なこと」「新ソーシャルメディア完全読本」「ソーシャルメディアダイナミクス」など著作は多数。

「いいかい、この世にも地獄があるんだよ」 

「え、この世にもですか。 
アリ地獄とかそういうんじゃなくて?」 

「それをね『すごい地獄』っていうんだよ」 

「すごい地獄?なんですか、それ」 

地獄絵図よりすごい地獄ってどんなもんだろう。 
いろいろ考えてみたがよく分らない。 

「人からもっと『すごい』と言われたいために物や地位に固執する地獄。 
すごい、すごいって、すごいを目指して転落する地獄なんだ。 
この地獄はいたるところにあるんだよ」 

「あ、そういう意味なんですね。分かりました」 

「たとえば、クルーザーを持っていたらすごい、もっとすごいクルマが欲しい、もっと有名になってすごいって言われたい。ってやつ。 
思い当たることないかい?」 

たくさんある。 
それでいけば僕は「すごい地獄」の住人だ。 
ちょうど事業も軌道に乗った頃で、そろそろベンツでもと思っていたころだった。 
ベンツが特にほしかったわけでもないが、それに乗って「すごい」と言われている自分を想像していたので、とってもグサッときた。 

「今日もここへ来る途中、きれいな海を眺めて、みんな歓声をあげてたけど、ロールスロイスの窓から見ても、軽自動車の窓から見ても、見える海の色は同じなんだよな。 

本当に好きならそれに乗ればそれも幸せなんだろうけど、もし『すごい地獄』にいたままロールスロイスに乗ったって経費がかかるばっかりでいつか嫌になって、結局もっと満足させてもらえるものを追いかけるんだよ」 

見える海の色は同じ… 
僕はその言葉で冷めてしまい頭の中からベンツが一気に消えて行った。 

「いいかい、世の中ですごいと言われるものにあまり価値を置いちゃいけないよ。 

それがすごい地獄の入り口なんだ。 

テレビの中である有名な経営者が 
『会社をつくってから、1日も楽しい日がなかった』 
って言ったのを見たことがあるんだけど、あれなんか、苦しさを追っかけちゃった典型なんだよ。 

目標ばっかり追っかけて、次の目標に行くことが自分の生きている証みたくなっちゃった。 

すると、今度は自分と一緒に走る人を巻き込んでいくんだよね。 

ネズミの暴走と同じ。 

やがて海に出てみんな溺れ死ぬんだけど。 

つまり楽しんでないんだよ。 

目標を達成することだけを楽しむようになる。 

目標がないと生きられなくなっちゃうんだね。 

数字だけを見て、数字だけを上げてくんだ。 

次はいくら、次はいくらって。 

だから、その社長はキリキリしどおしだったって」 

「なんか切ないですね」 

その話を聞きながらいろんな人が頭に思い浮かんだ。 

もちろんその中で走りまくってきた自分自身の姿も。 

「そうだな。 

でも大なり小なりこれって意外と多いんだよ。 

人生1回だからな。 

いつも言うけど、人生の最期って、明日来るかもわからない。 

10年先かもわからない。 

だけどそのときに『いい人生だったよ」って笑っていけるようにしないとな。 

もう一度言うけど、『すごい』って言われることだけを追っかけるのは苦しみが多いんだって覚えておけよ。 

それより、どうせ追いかけるんだったら人の笑顔だよな。 

人の喜びを追っかけていたら人生って本当に幸せなんだよ」 

130717

     図解 斎藤一人の道は開ける 永松 茂久(著) 現代書林
 

  130713

グリーンスパン前米連邦準備理事会(FRB)議長は、米国の金融政策に関して「明快なメッセージを送りましたね」とほめられた場合はいつでも、「あなたがそう考えるなら、それはわたしの発言を誤解している」という趣旨の答えを返すことを好んだものだった。だがバーナンキFRB議長は正反対のやり方が好きなようだ。 

バーナンキ議長は5月22日、資産買い入れ(量的緩和)縮小の可能性に言及しながら、いつ縮小を始めるか腹案がないと認めたことで、金融市場に2008年以降では最大級のパニックを引き起こした。その後6週間かけて議長は、緩和縮小の正確なタイミングと縮小できるかどうかの諸条件について念入りに詳しく説明して、自らが招いた混乱を収拾しようと努めた。 

ところがこの過程で議長はさらなる混乱と金融市場のボラティリティ拡大を生み出してしまった。今にして思えば、議長が余計なことは言わず、グリーンスパン氏流のあいまい戦術を真似していれば、世界経済に対してもっとずっと大きなプラスをもたらしてくれたであろう。 

10日に公表された6月の米連邦公開市場委員会(FOMC)議事録では、緩和縮小の条件やタイミング、あまつさえ金融政策におけるいかなる変更をめぐる方向性に関して、非常に多くの意見の食い違いがあることが判明したので、緩和縮小をめぐる最近の当局者による講演や会見が、ホワイトノイズ(極めて不規則な雑音)と受け取られたのも、むべなるかなの感がある。 

これはなぜ投資家が一連のすべての混乱に強く反応したのかという問題を提起している。そして最近の世界中で見られた市場の動きからすると、一通りの説明がつく。つまり、FRBの緩和縮小自体は非常に重要な要素ではないが、バーナンキ議長の発言は金融市場に対する警報の役割を果たし、世界経済において忘れ去られたり無視されていたさまざまなリスクに注意を向けさせたということだ。われわれが火災警報を耳にすれば、おのずと次の点を自問する。それは間違いの警報ではないか、または避難訓練なのか、はたまた本物の火事か、もし火事ならどこで起きているのか。 

同様の疑問は、米国の量的緩和縮小についての懸念を分析する何らかのヒントになるかもしれない。米株式市場にとっては、バーナンキ議長の5月の発言が間違いの警報であったのは明らかだった。6月のFOMC議事録で確認されたように、FRBは金融引き締めを決める段階には全然近づいていなかったからだ。それゆえ米株価が議長発言前の最高値圏まで反発したのも不思議ではない。とはいえ、米株式市場の外に踏み出してみれば、緩和縮小観測は間違いの警報というよりも、避難訓練の様相が濃くなるように思われる。 

世界は中央銀行が永遠に国債を買い続けることはないのだと思い出したため、長期金利は急上昇している。この考えに基づき、10年もしくはそれ以上の期間の国債に資金を振り向けている投資家は今、フェデラルファンド金利より2.5─3%ポイント高いプレミアムを要求しつつある。 

経済環境が米国でその様相を呈しているように正常化するのに伴って、こうした期間プレミアムが急上昇するのはまったく自然で、かつ健全な動きといえる。しかし米長期金利の自然な上昇がもし突発的に起きたり、上昇が行き過ぎれば問題だ。だからこそバーナンキ議長は、住宅市場や米金融機関の長期金利上昇に対する脆弱性を試すことで米国のために尽力したのかもしれない。 

一方で欧州、日本、英国といったより経済基盤が軟弱な地域では、各中央銀行は長期金利上昇に抵抗する必要があることをFRBによって知らされた。彼らの経済はまだ米国ほど金利上昇への備えが整っていない。欧州中央銀行(ECB)とイングランド銀行(英中央銀行、BOE)が、バーナンキ議長の避難訓練に対応して起こした行動がまさにそういったことだ。 

もっとも欧米から新興国市場に目を転じると、避難訓練のたとえはあまりに自己満足に過ぎるように見える。新興国市場ではバーナンキ議長が最初に緩和縮小に触れて以来、通貨や株式、債券の相場が総崩れで、消費者と企業の信頼感も連動して落ち込んでいる。恐らくは、過去2カ月にわたる金融市場の警報は本当に危険を告げているのだろう。危険が存在するのは米国もしくは欧州ではなく新興国、とりわけ中国だ。 

突如として投資家やグローバル企業の頭から離れなくなっている最大の心配は、シャドーバンキング(影の銀行)システムを規制しようとしている中国当局による締め付けが行き過ぎてしまう可能性といえる。そうなればリーマン・ショックのような金融面の大崩壊か、中国が次の成長局面で頼りにしなければならない民間の消費関連企業における惨憺たるクレジットクランチ(信用逼迫)のどちらかが起きる恐れがある。これらのリスクは、一連の文字通りの「中国のパラドックス」を浮かび上がらせる。 

中国の民間企業は、輸出や重工業の落ち込みで生じた経済の穴を埋める役割が期待されている。だがこうした企業は、大手国営銀行からの融資を拒絶される傾向があるため、影の銀行システムに大きく依存している。だから中国当局が影の銀行システムを制御しようとする努力は、金融安定化には不可欠であるものの、これからの経済成長に向けて頼りになる民間企業を窒息させてしまいかねない。 

中国政府としては、国営銀行に融資先をインフラ、不動産、輸出業者から消費関連の民間セクターに強制的に転換させることで、こうした問題を克服しようとするかもしれない。ただ、金融システムの統制主義を強化して民間市場経済の成長を促すという点には明らかに矛盾がある。そんな矛盾からうかがえるのは、中国の共産党支配に基づく資本主義が限界に達しつつあるのではないかという憂慮すべき可能性だ。 

中国はこの30年の諸改革においてこうした数々の矛盾の解決に成功しており、今度もうまくいく公算は大きい。それでも、国営企業と銀行が支配する投資主導の経済から、民間企業主体の消費主導経済への移行を進めようとする中で、中国の経済モデルに根本的な不具合が起きることは、世界経済が現在直面している最大のリスクだろう。 

ユーロ解体と同じく、これは蓋然性は低いが発生した場合の影響は甚大だ。それに比べればFRBが自らの金融政策に関して決断を下すか下さないかなどは脇道の問題にすぎない。最近の市場の動きから判断すると、投資家はこうした結論にたどりつきつつある。 



*アナトール・カレツキー 
受賞歴のあるジャーナリスト兼金融エコノミスト。 
1976年から英エコノミスト誌、英フィナンシャル・タイムズ紙、英タイムズ紙などで執筆した後、ロイターに所属した。 
2008年の世界金融危機を経たグローバルな資本主義の変革に関する近著「資本主義4.0」は、BBCの「サミュエル・ジョンソン賞」候補となり、中国語、韓国語、ドイツ語、ポルトガル語に翻訳された。 
世界の投資機関800社に投資分析を提供する香港のグループ、GaveKal Dragonomicsのチーフエコノミストも務める。 




◇中国地方政府の破綻という悪夢、代表格は江蘇省か 

中国経済を急成長から脱皮させようと試みる政府指導部にとって悪夢のシナリオは、地方政府が自らの債務の重みで崩壊することだ。最も多額の債務を抱える江蘇省がその代表格といえる。 

公式統計によると、江蘇省の省、市、郡政府は銀行や投資信託、起債を通じて借り入れを膨らませており、債務は他の地方投資をはるかに上回っている。 

造船や太陽光パネル製造など、同省の主要産業の多くは過剰な生産能力を抱え、利益は低迷して税収は伸び悩んでいる。中央政府が経済の投資依存を減らし、サービス業・消費主導型経済への移行を図っていることにより、江蘇省は打撃を被りやすい状態にある。 

政府は改革の一環として、多くの地方政府にとって主な資金源である借り入れと土地売却の取り締まりを命じる一方で、産業の縮小に伴うコストを地方政府自らが吸収することを期待している。江蘇省のような省にとっては八方ふさがりの状況だ。 

スタンダード・チャータード、フィッチ、クレディ・スイスの推計によると、中国の地方政府の債務は国内総生産(GDP)の15─36%相当、額にして最大3兆ドルに上る。 

ドイツ銀行のグレーターチャイナ担当チーフエコノミスト、ジュン・マー氏は「中国地方政府の債務は、うまく管理しないとシステミックかつマクロ経済的リスクを同国にもたらし得る。これにはブラジルの先例があり、1989年、93年、99年の危機は州政府の過剰債務が根本原因だった」と話す。 

中国地方政府の債務総額について公的な情報は乏しいが、格付け会社やシンクタンクの情報を総合すると、江蘇省の債務リスクは全31省の中でも突出している可能性がある。 

江蘇省が中国経済に大きなリスクをもたらしかねないことは明らかだ。同省の域内総生産(GDP)は20カ国・地域(G20)メンバーであるトルコを超えて世界の上位20カ国に食い込む規模で、人口は7900万人と大半の欧州諸国を上回る。 

<ストレスの兆候> 

江蘇省政府の財政に重圧が加わっているさなかで、省内主要企業の中には経営が行き詰まり、当局に救済を求めるところが出てきている。中国最大の民間造船会社、中国熔盛重工集団(1101.HK: 株価, 企業情報, レポート)は今月、地方政府に財政支援を要請した。 

中国最大の太陽光パネル・メーカーの子会社である無錫サンテックパワーはことし、破産申請を行った。複数の関係筋によると、同社は江蘇省無錫市の政府に財政支援を求める意向もある。 

ストレスが高まっている兆候は他にもある。中国メディアによると、経営難に陥った一部の地方企業は個々の職員に最大60万元(9万7800ドル)の資金調達ノルマを貸し、達成できない場合には勤務を許さないため、多くの職員が親戚や友人に金の工面を頼んでいるという。 

地方政府にとっての主な資金調達手段は、借り入れか不動産デベロッパーへの土地売却しかない。地方政府は地元の経済開発を担っているが、税収の4分の3は中央政府に吸い上げられる。 

しかし無錫市のある村の住人によると、市政府はデベロッパーに売るためとして住宅を破壊して更地にしているが、家主に収用代金を支払うための資金が不足している。「私の父は600平方メートルの土地を持っていたが170平方メートルを失った。市政府は父に『あなたは住宅を多く所有し過ぎている』と言って支払いを拒んだ」という。 

中央政府は地方政府に対する銀行融資を絞めつけているため、江蘇省はシャドー・バンキング(影の銀行)からの借り入れを急増させている。 

データ提供会社ユーズ・トラストによると、2012年に中国で販売された投資信託のうち、江蘇省内の自治体が発行したものは30%を占めた。 同業のウィンド・インフォメーションによると、12年の同省の債券発行額は3430億元で、中国で最も財政が豊かな広東省の3倍に上る。 

無錫市だけでも投資信託の発行により92億元を調達し、銀行融資金利の6%を大幅に上回る10%近くのリターンを投資家に与えた。この資金の一部は不動産デベロッパーに土地を売ったり工業団地を建設するために村を更地にする資金に回された。 

増大する中国の不良債権において、江蘇省が大きな割合を占めているのも不思議ではないだろう。中国メディアが先月引用した中国人民銀行(中央銀行)幹部の発言によると、2013年1─5月の不良債権増加分の40%を江蘇省が占めた。 

中銀や監督当局に政策助言を行っているトリプルTコンサルテイングのマネジングディレクター、ショーン・キーン氏は「モラルハザードの有無を点検するため、ある程度管理されたデフォルト(債務不履行)を起こせば市場は歓迎するだろうが、中国政府にその態勢が整っているかどうかはおぼつかない」と話した。 




◇中国シャドー・バンキングと理財商品 

(1) 中国崩壊などと騒がれているけど、何がどうなっているの? 

「理財商品」と呼ばれる高利回りの投資商品が中国に跋扈している。その理財商品が破綻して、金融パニックが起こり、中国は日本の失われた20年以上の大変な事態に突入し、経済が崩壊するというレポートを目にすることがある。 

銀行は陰でコソコソとゾンビ企業に融資している。すべては非公開のオフ・バランスで行われるシャドー・バンキングだとも言う人もいる。 

情報公開が無きに等しいので、勝手な推測が行われているし、言葉の使い方も不正確なものが多い。現状で集められる情報を総合すれば、以下のような事が実態に近いと思われる。 

(2) まずは、2008年以降の経緯から振り返ってみよう 

2008年9月のリーマン・ショックが引き起こした世界的な不況懸念に対応するために、中国は4兆元(64兆円)の経済対策という大盤振る舞いを実施した。 

ただし、必要な資金手当てに関しては、中央政府の負担は半分以下(私の記憶では、30%程度)であり、多くは地方政府が自前で資金を調達する必要に迫られた。 

その資金調達のために活用されたのが、「地方政府融資平台、LGFV:Local Government Financing Vehicleと呼ばれる」という地方政府が支配する投資会社である。北京政府に説得された銀行、地方政府に近しい銀行が、地方政府融資平台に大規模な融資を実施した。(私に記憶では、後年問題が起こったとしても、国が面倒を見ると言って、銀行に融資の実行を迫っていた) 

期限が来ると銀行の融資は返済しなければならない。当初はスンナリと借り換えに応じていた銀行も、地方政府融資平台の乱脈経営が問題視(返済できるキャッシュフローが無いという指摘レポートの登場)されるようになった2011年以降は、銀行は簡単には借り換えに応じなくなってきた。また北京政府も、野放図な地方政府融資平台の借り入れ増大を停止する政策を採用し始めた。 
( 2011年後半から雲行きのおかしくなった国内景気を考慮して、銀行の貸し出しは選別色を増している。同時に、リスクを投資家に移転する理財商品の活用は重要性を増している。) 


地方政府融資平台が投資している事業は短期間で資金を回収できるようなキャッシュフローを生む投資案件では無い。道路、建物、その他インフラ、しかもこれらは採算性が低い。今後も長期間にわたる借り換えの継続は必要である。 

銀行の貸付態度の硬化に直面した地方政府融資平台だが、借り換えが出来なければ破綻する。どこからか金を引っ張ってこなければならない。そこに登場したのが、「理財商品」と呼ばれる高利回りの投資商品である。 



(3) これまでに読んだり聞いたりしたニュースとデータを総合すれば 

銀行の融資では無いが、資金を必要とする企業などに資金を融通しているものを総合して「シャドー・バンキング(銀行のBSに乗らない融資という意味)」と呼んでいる。シャドー・バンキングの定義は国や地域によって異なっているが、G20ベースのFSB(金融安定理事会)では、「通常の銀行システム外で、信用仲介をする」ものと定義されている。 

中国におけるシャドー・バンキングには以下のようなものがある。なお、規模は商品の性格上、日々変動し、しかもデータは非公開である。入手できたデータは全て推計値であり、時点もバラバラである。それらを総合的に勘案して2012年末の規模を私なりに推定している。 



1: 委託貸付(6兆元、96兆円) 

資金を欲しているA企業に、資金の余裕があるB企業を、銀行が紹介する。貸し手、借り手、仲介銀行、すべては見えているし、3者ともに相手を知っている。それゆえ返済不能リスクなどで問題化するリスクは低いと言われている。銀行は紹介手数料を得る。企業間の直接融資は禁止されているようだ、裏は録っていない。 



2: 理財商品(7兆元(112兆円)、最低5万元(80万円)、期間1か月~1年) 

銀行が販売する小口高利回りの資産運用商品、主流は3か月。銀行は、ここで得た資金をより高い利回りが得られる対象(株、債券、信託商品)で運用する。地方政府と関係の深い地方銀行は、地方政府融資平台や支配下の企業が発行する株や債券に資金の一部を投じていると言われる。 

7月時点では、銀行の1年定期預金金利:3.25%に対し、理財商品の予想利回り:4%~6.25%となっている。理財商品は銀行が運用リスクを負わないので、バランス・シートに掲載されない。資金の出し手の過半数は個人と言われている。 



3: 信託商品(5兆元(80兆円)、最低100万元(1600万円)、期間1年~) 

信託会社が、個人や銀行から集めた資金をプールして、コール、国債、金融債、株式に投資する。銀行の理財商品で集めた資金の受け皿(銀信合作スキーム)となっている事が多い。地方政府と関係の深い信託会社は、地方政府融資平台や支配下の企業が発行する株や債券に、その資金の一部を投資していると言われる。 

7月時点の予想収益率は、9%前後が多い。最低投資単位が大きいので、個人の割合は理財商品より小さくと推定される。 



4: 民間同士の貸し借り(3兆元、48兆円) 

資金を欲している人に、資金の余裕がある人が、相対で金を貸す。貸し手、借り手、すべては見えているし、相手を知っている。それゆえ問題化するリスクは低いと言われている。また、一件あたりの金額も小さい。 

中国では銀行融資を得られない中小企業の個人事業主が圧倒的多数であり、この民間同士の貸し借りは昔から普通に行われてきた通常の経済行為である。 



5: 金融保証会社による融資保証(2兆元、32兆円) 

これは上記の貸付契約に関するリスク移転機能であり、貸付残高を重複計上するべきものではないと思われる。 

上記1,2,3,4,5の中で、理財商品と信託商品が、地方政府との癒着度合いを含め、リスクが高いと推定できる。なお、両商品ともに銀行業監督管理委員会の許可を得なければ販売できない。 



(4) 何故今になって、騒がれているのか? 

リスクを含んでいるのは理財商品と信託商品だが、これらが騒がれている背景は以下のようなものである。 


1: プールされた資金による期間のミスマッチ・リスク 

理財商品と信託商品は、短期で集めた資金をプールして、それを長期の資産に投資している。資金の出し手が満期後に再投資をしない状況が一斉に発生した時、銀行システム外の商品であるために、中央銀行が直接的に流動性危機を救済する事が出来ないので、金融パニックが発生するリスクがある。 

2: 銀行システムへの悪影響 

実績配当商品ではあるものの、多くの金融機関が国営の中国では、自己責任の意識は低く、満額償還が行われない場合は、取り付け騒ぎ、暴動などが良質な金融機関へ波及する恐れがある。 

3: 地方政府融資平台とその支配下企業の破綻 

理財商品と信託商品を提供する金融機関の多くは、地方政府と近しい関係にあり、両商品から地方政府融資平台とその支配下企業へと資金の一部が流れている。2012年以降の低迷する景気状況から、地方政府融資平台の出資先や支配下企業の業績は芳しくない。両商品からの資金パイプが切れた場合は、地方政府融資平台が破たんし、それは地方財政の破綻につながるリスクを内包している。 



(5) 今後起こりそうなイベント、シナリオ 

2010年12月に中国人民銀行は「社会全体の資金調達総額」という概念を導入し、2011年からシャドー・バンキングのコントロールを始めた。 

1) 理財商品と信託商品の中には、政府の経済政策に反して、投機的不動産業、汚染公害バラマキ企業へ投融資したり、損失隠しに加担するケースも見られる。一罰百戒として「1995年の広東国際信託投資公司(GTIC)の倒産」のようなイベントが起こる可能性は高い。ある程度の自己責任原則の社会への警鐘は必要である。 

なお、個人資産に占める理財商品の割合は約3%だと言われている。64%を占める銀行預金に比べて非常に小さな割合である。仮に一部の理財商品が償還不能になったとしても、実害は限定的であると思われる。 

2) 理財商品の償還不能が社会的な不安を呼び、銀行の取り付け騒ぎに発展するリスクが生じた場合、多くの銀行が国営である中国では、「国営銀行の破綻=一党独裁の共産党への不支持」という流れに変質するリスクがあるが、それは政治的には許容されない。 

したがって、良質な銀行に悪影響が及ぶリスクが高まった場合には、両商品に対する強制的な満期延長、中央銀行の超法規的な特別融資による銀行システムの保護と民心の安定措置が実施されるだろう。同時に悪質金融機関のおとりつぶしは継続されるだろう。 

3) 理財商品と信託商品で集められた資金はプールされているので、地方政府融資平台とその支配下企業へと資金が流れている資金パイプは、両商品への資金流入の停止と同時に切断されるわけでは無い。両商品の償還資金の手当てが不能になるだけだ。しかし、地方政府融資平台とその支配下企業へのローンは有期契約であり、ローンのロール・オーバーは不能になる。 

地方政府の破綻という概念は中国には無く、また地方政府の破綻=一党独裁の共産党への不支持、という流れに変質する事は政治的には許容されない。 

地方政府融資平台の放漫経営と地方銀行との不正な癒着が大きいほど、北京政府からの独立性が高いと言われている。地方政府融資平台と地方政府の破綻を救済することを通じて、中央のコントロールを強化するプロセスが進行するだろう。名目経済が10%以上で成長している中国では、救済のための財政資金の余裕を中央政府は十分に持っている。 



(6) 金融自由化の途上にある中国 

金融の自由化が始まったとは言え、いまだ初期に過ぎない中国では、預金金利は規制されている。 

多くの国営系企業は非効率で競争力が無い。民間企業との競争で淘汰されると多くの雇用が失われる。それは官僚(特に地方政府の官僚)の大失点とされる。そのために、地方政府は近しい地方銀行に対して、国営企業に安い金利で大量にローンを出すように圧力をかけている。 

ローンの総額も北京政府によって規制されている。その結果、安い金利で大量に国営企業にローを出しと、民間企業にはローンが供給されない。その結果、民間企業は銀行以外から資金を調達せざるを得ない。不景気とは言え、名目で+10%以上も成長している中国経済、資金需要は旺盛である。 

経済成長にインフレに比べて、不自然に低く抑えられた預金金利だが、競争力の無い国営企業へのローンを維持するための必要悪と認識されている。 

一方、徐々に豊かになってきた中国では、少しでも有利な投資商品を求める声が高まっている。株式が好調な時は株式に、不動産が有望なら不動産へ、「お金は高い所へ流れる」のは自然の摂理である。 

理財商品や信託商品は金融自由化、市場経済化の流れの中で拡大してきた新商品であり、北京政府としても健全な育成を望んでいる。そのための法整備、ルール作成が2011年以来急速に進んでいる。 

なお、理財商品と信託商品の破綻で大量の資金が中国から流出し、人民元が暴落するような事を言うレポートもあるが、資本規制が維持されている中国と人民元の場合は、それは起こらない。つまり、大規模な資金流出も起こせないのだ。 






◇世界的同時大インフレの到来懸念  

■ 経済の歴史は、「借金棒引き」の歴史 ■ 

世界の経済の歴史は「借金チャラ」の歴史だと思うのです。これは「徳政令」という形を取る場合と、「インフレ」という形を取る場合があります。 

徳政令は日本においても鎌倉時代から何度も実行されています。松平定信の寛政の改革の時に出てくるのが棄捐令も武士の借金棒引きでした。 

一方、インフレによる借金棒引きの例としては、第一次世界大戦後のドイツが良い例かも知れません。戦後の巨額な賠償をする為に、通貨を大量増刷した結果、ドイツ国内ではハイパーインフレが発生します。 

日本も戦中に発行した軍事債権の償還によって、円が大量に発行され、大規模なインフレが発生しています。このインフレと資産税によって、国民の資産は政府に吸収されています。 

■ インフレの前段階としての政府の借金の拡大 ■ 

信用創造という通貨システムは、謝金によって拡大して行きます。民間が借金する場合と、政府が借金をして経済を拡大するケースとがありますが、何れにしても経済はより多くの借金によって拡大します。 

ここ20年程で世界が行なって来たのは、先進国で金融市場を拡大して、借金を急拡大させ、そこから魔法の様に生み出した資金を新興国に投資して、新興国の成長を加速度的に高めるという政策では無いでしょうか。 

普通に経済を回していたのでは、新興国は100年経っても現在の経済水準には達し得なかったのでは無いかと思うのです。 

一方で、金融市場の急拡大には、巨大な資金流入が必要です。これは中央銀行が低金利を維持したり、あるいはバブル以降の日銀の緩和マネーが貢献しています。 

この様に現在の世界経済は一国の中では収まらずに、先進国でストック市場を拡大して、そこから溢れ出した資金で新興国のフローを成長させて来たとも言えます。 

但し、先進国のストック市場は必ずバブル崩壊を起しますから、何処かの時点で借金の棒引きが行なわれるはずです。現在世界は民間の借金を国債購入という形で中央銀行や政府に付け替えています。この先に予想されるのは、世界的な通貨の信用危機、即ちインフレの発生です。 

■ FRBの出口戦略は成功せず、逆に量的緩和は意図的に拡大するのでは? ■ 

FRBの出口戦略が話題になっていますが、多分、出口戦略は失敗に終わるのでしょう。現在の市場はFRBの緩和マネーに支えられていますから、出口を匂わせただけで、容易に市場は暴落します。結果的には、市場を安定させる為に、FRBは緩和規模を拡大させると思われます。 

FRBにしても、日銀にしても、「量的緩和」という呼び名は本質を見え難くしています。実際に行なわれていうのは、民間の不良債権と国債を市場から中央銀行が買い上げるという行為です。その結果、中央銀行のバランスシートはドンドンと不良債権が積み上がって行きます。 

これを主要通貨が同時に行なっているので、為替的にはバランスしていて、通貨価値の極端な変動は観測されません。しかし、通貨制度自体に巨大な歪みが生じている事を誰もが薄々気付いています。 

■ 何かのショックで一気に危機は噴出する ■ 

こうやってジワジワと溜まるストレスや歪みは、経済指標には反映され難いものがあります。 

誰もが昨日と変わらぬ明日が訪れる事を疑わず、市場も若干ピリピリしながらも、明日の儲けを皮算用して今日を終えます。 

しかし、リーマンショックの様に、歪みはいつかは何処かで問題を顕在化させます。 
その時になって、市場は一気に我に返り、大暴落を演じます。 
政府と中央銀行が大量に資金を注入して市場を支えようとしますが、その結果、政府と中央銀行のバランスシートは絶望的なまでに悪化します。 

事、ここに至って、人々は「通貨の信用」と「国債の信用」に疑問を抱きます。 
「信用」が疑われた瞬間に、人々は国債や通貨から、現物で価値の保全を図ろうと必死になります。 

その結果、国債が暴落し、通貨価値が喪失して大規模なインフレが発生します。 
原油や穀物価格が高騰し、金が高騰し、そして土地や不動産が高騰します。 

この様なパニック的なインフレに対して、中央銀行の金利引き上げは無力です。 
人々は日々値上がりする物価を前に、現金を引き出して現物に変える事を選択します。 
金利が物価上昇に追いつかないからです。 

■ インフレによって借金は棒引きされる ■ 

結局、信用創造という現在の通貨システムは、返済不可能な借金を生み出します。 
そして、それが拡大すると、流動性の罠によって経済は停滞します。 

現在の世界は正にこの状態に陥っており、金融市場の拡大でこれを乗り切ろうとすると、結果的にバブルの崩壊を引き起こし、事態は加速度的に悪化します。 

こんな事は、中央銀行の関係者で無くても皆が理解しています。 

だから私は現在の世界で起きている事は、偶然では無く、必然だと判断しています。 
中央銀行は意図的に量的緩和を拡大し、政府は意図的に国債発行を拡大している・・・と。 

そして、その先に待ち受けるのは、インフレによる借金棒引きです。 

但し、その為には期待インフレ率を遥かに上回るペースでインフレが進行する必要があります。 
現在の世界はその為のエネルギーを蓄えている状態では無いかと思います。 

多分、今年後半にFRBは出口戦略に躓いて、緩和規模を拡大するのではないでしょうか?そろそろエネルギーチャージも佳境を向かえるのでは? 


*人力さんのブログから転載 



★マーク・ファーバーは「Dr. Gloom(陰鬱博士)」というニックネームを持つ投資家です。 
そのマーク・ファーバーが「今のマーケットは1987年の大暴落の前と酷似している」とコメントし、ウォール街で話題になっています。 


1.株価指数は上昇しているが企業収益は伸びていない 
2.87年は株価指数が上昇するにつれて新高値銘柄数が減った 
3.現在、株価指数は新高値圏にあるが新安値銘柄数は意外に多い 
4.ここから20%程度の調整があるだろう 

◇第一の教え <運は親切をした相手の背中から来る> 

出会いは決して偶然ではなく、頑張っている人間を必ず誰かが見ているのだ。 
他人に親切にしても、その人から何か返ってくることはまずない。 
しかし、その人の友人やそれを見ている人間が必ずいて、その人間から運を与えられる。 
つまり、自分の運をコントロールすることは可能なのである。 

◇第二の教え <許すことを知れば運命は変えられる> 

あなたの周りで起こることは、本来自分が操ることができることばかりだ。 
すべては自分の責任である。 
他人を責めても何も生まれない。 
逆に、相手を許すことによってその心を開き、自分の思い通りに操ることができる。許すことを知れば、自分の運命を変えることができるのだ。 

◇第三の教え <退却は重要な才能なり> 

100%確実などということはありえない。 
本当のリスクは見えないので、退却も重要な才能。 
しかし、リスクだと思っていることの大半はリスクではない。 
そして、金儲けとはリスクをコントロールすること。 
他人と自分に見えるリスクは違うので、そこにチャンスが生まれる。 

◇第四の教え <何を始めるかに最も時間を費やすべし> 

大局・中局・小局。 
一度始めてしまうと、できることはどんどん限られてくる。 
何を始めるかを考えるために、最も多くの時間を費やさなければならない。 
大局さえ正しければ、中局や小局でまちがいを犯しても、必ず成功するのだ。 

◇第五の教え <ビジネスには大義名分が必要なり> 

大義名分を大切にせよ。 
世の中に他人の金儲けを手伝いたい人間などいない。 
また、金儲けをしたいだけの人がどれだけ集まっても、ビジネスは発展しない。 
だからこそ、「錦の御旗」を探すのだ。 

◇第六の教え <準備していなかったチャンスはリスク> 

時間を追いかけろ。 
時間に支配されるな。 
そして、時間には正確に。 
なぜなら、幸運は突然やってくる。 
そのための備えを怠るな。 
準備が整っていないときにやってくる「チャンス」は「リスク」に変化するのだ。 

◇第七の教え <小さい約束こそが重要なり> 

細かい約束をきちんと守ること。 
大きい約束を守るのは当たり前。 
小さい約束を相手の立場に立って誠実に守るかどうかで、その人の信頼性が決まる。 
一度信頼関係を築けば友情は永遠に続く。 
そして、その揺ぎない信頼関係が成功の礎(いしずえ)となるのだ。 

◇第八の教え <家族を蔑ろにする者は成功せず> 

家族を大事にする。 
あなたをこの世に誕生させたのは、あなたの両親だ。 
どのような人々とも交わるのは簡単だが、相手を選ぶのは難しい。 
それでも、しっかりした人物と一度信頼関係を築けば、友情は永遠に続く。 
この友情は、客家とそれ以外の人々との壁すら取り払うのである。 

◇第九の教え <お金に使われず、お金を働かせるべし> 

お金に使われず、お金を働かせるべし。 
成功するには、周りの人々に気持ちよく働いてもらうことが重要。 
人に振り回されているようでは、成功はおぼつかない。 
お金も同じで、お金に使われているようではだめ。 
お金に気持ちよく働いてもらうことこそが重要なのだ。 

◇第十の教え <五十人の仲間が成功の核心となる> 

50人の仲間が、自分の手足となってくれることが、成功の鍵となる。 
運は実力である。 
運は、人間が運んでくるのだから、他人とどのように接するかによってその人の運が決まる。 
「運を呼び寄せる人には共通の特徴がある」=複利計算的思考。 
50人の仲間を複利計算的思考で最大限に活用するのだ。 

◇第十一の教え <金鉱ではスコップを売るべし> 

金鉱ではスコップを売るべし。 
アメリカのゴールド・ラッシュで、大きな金脈を掘り当てて成功した人は、実際にはごくわずかである。 
しかし、ゴールド・ラッシュに浮かれている金鉱で逸早く彼らにスコップを販売した業者は、全米有数の企業に成長した。 

◇第十二の教え <安売りには必ず終わりがやってくる> 

安売りには必ず終わりがある。 
価値を創造せよ。 
安売りで規模を拡大するのではなく、たとえ規模が小さくとも、 
高い利益率こそ確保すべきなのである。 

◇第十三の教え <嫉妬は成功の敵、愛嬌は成功の素> 

商いに成功する者には必ず愛嬌がある。 
嫉妬は成功の敵。 
勝ち馬に乗れ。 
運もお金もさびしがり屋なのである。 
ひとりぼっちは嫌いだから、みんなのいるところに集まるのだ。 

◇第十四の教え <物事は因数分解して考えよ> 

すべての物事は、因数分解して具体的に考えよ。 
すべてのことを一度に解決しようとしてはいけない。 
難題が次から次へとやって来るときにこそ、立ち止まって、じっくり問題を整理するのだ。 
一度に二つのことはできなくても、一つずつなら必ず解決できることを忘れてはいけない。 

◇第十五の教え <汗ではなく考えることこそが富を生む> 

考える時間はあるか? 
考えることこそが富を生むのだ。 
だから、ただ仕事をこなしているだけでは金持ちにはなれない。 
世の中を動かすようなアイデアを生み出すことこそが重要なのである。 

◇第十六の教え <笑顔はコストゼロの最良戦略> 

いつも自分はハッピーだと考えよう。 
笑う門には福来る、だから、いつもニコニコしている人が金持ちになる。 
逆に、自分の感情をコントロールできない人間は金持ちにはなれない。 
一日の怒りを忍んで、百日の憂いを免れるのだ。 

◇第十七の教え <「ありがとう」は必ず声に出すべし> 

「ありがとう」は必ず声に出していう。 
そして、普通、人が「ありがとう」といわないときにも「ありがとう」といえるようになるのだ。 
こうなれば、自分の応援団が増え、他人をどんどん巻き込むことができるようになる。 

◇第十八の教え <欲望に忠実になるためにこそ禁欲的に> 

欲望に忠実だからこそストイックに生きる。 
欲望は他人を遠ざける。 
自分の欲望を満たすためには、まず周りの人間の望みを満たして、幸せにしてあげなければならない。 
そうすれば、今度は周りの人間が、あなたの望みを満たしてくれるのである。 


*「魂が震える話」より

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スマートビエラはパナソニックが四月に発売した、「スマートテレビ」であり、音声によるコンテンツ検索や、視聴者を認識してコンテンツをレコメンドする機能、さらにレコメンドするコンテンツはテレビ放送だけではなくyoutubeなどのネット動画も対象になるなど、「テレビの未来」を彷彿とさせる製品となっている。 



伊藤元重教授が、日本の経済を成長させるには3つの要因があるとされています。ひとつは、「資本や労働などの生産要素を拡大すること」、ふたつめが「生産性の低い産業から生産性の高い産業へ資本や労働の移動を促すこと」、そしてもうひとつが「イノベーション」です。まったくその通りだと思います。 

日本はイノベーションの重要性が叫ばれているわりには、大きなイノベーションが起こすパワーが落ちてきています。 

従来の製品やサービスの常識や概念を変えてしまうようなイノベーション、そこに新しい市場が生まれ、ダイナミックに市場そのものが新旧交代していくパワーを持っているイノベーションが少ないのです。 
そのひとつの原因は、既存技術の延長線上で性能や品質、またコストを下げるイノベーションには積極的だけれど、従来の製品や技術とは根本的に異なるモノやサービスを生み出す、革新的なイノベーションを生み出す風土や仕組みが弱いのでしょう。 

そういった革新的なイノベーションは、大企業は不得意だとされています。自らがビジネスを行なっている製品やサービス、また市場を破壊しかねない、しかも成功するかどうかもわからないイノベーションにはチャレンジしにくいからです。 

だから、そういったイノベーションは、全く異なる業界から、またベンチャー企業から起こってくることが多いのですが、日本ではベンチャーを起こそうにも、失敗すると再チャレンジが難しいことが起業のハードルを高くしていて、ネットでは「起業」という言葉が飛び交っている割には起業数が伸びて来ません。 

かつては日本の経済の成長エンジンの一翼を担っていたテレビ産業は、いまや日本の荷物とすらいえるような惨憺たる状況です。 
テレビや放送をめぐる産業が再び成長力を取り戻すためには、たんに改良的なイノベーションを行なってもとうてい無理です。テレビ産業はなんらかの革新的なイノベーションが求められています。 
しかし液晶メーカー、また放送局を含め、テレビ業界はいまだに「イノベーションのジレンマ」という重い病気を背負ってしまい、小出しにチャレンジはしているものの、改良の域を超えた展開を避けているのです。 

第一は、今放送業界やテレビ業界が狙っている4Kや8Kが典型でしょうが、現在の液晶テレビや電波放送のしくみを改良するだけのイノベーションでは、すぐさま海外メーカーにキャッチアップされます。 
それはそれで技術として進めればいいことでしょうが、しかし、放送局用の機材では優位に立てたとしても、家庭用のテレビで世界市場で優位に立つ見通しがあるとはとうてい思えません。 あくまで今の電波放送のカタチにこだわっているからで、いくら4Kや8Kになっても、あっと驚く製品やサービスが生まれてくるわけでもありません。 

さて、そのテレビをめぐっては、民放各社がパナソニックのスマートテレビの「スマートビエラ」のCMが流されないことを取り上げています。 
「このテレビ、つけると画面にネット上の情報が出てきてすぐにアクセスできます。テレビ局側は、すぐにネット情報へアクセスできるのは反則、一手間かけろ、と主張しているらしい」のです。 

産業電波会の規約によって、「現在のスマートビエラの表示方式では、テレビ放送とyoutube等のテレビ外コンテンツがユーザ操作に関係なく同時表示されてしまうので、視聴者に誤解を与えてしまう恐れがあるというのが、CM放送出来ない理由」だそうで、拒否されたというよりは、自粛されているということですが、病気がそこにも潜んでいることを感じます。 

視聴者を保護するということで規制をかけるのです。 
その一般社団法人電波産業会(AIRB)は総務省の天下り先のひとつで、かつてソフトバンクの孫社長が天下り役員の法外な退職金にクレームをつけたこともありました。 

守っているのが、ほんとうに視聴者なのかは疑問です。「視聴者のレベルが低いから、保護するために、まずはスイッチを入れ、テレビ番組を流し、インターネットはそれとわかるようにする」という発想には呆れ果てますが、それでは鶏が先か玉子が先かで、永遠にテレビは変わらないのです。 

超細密の画質を見てはっと息を飲むような違いがわかるコンテンツはそうそう一般的ではありません。商業用の大型スクリーン、たとえばテーマパークとかであれば、その解像度を前提としたコンテンツをつくることができるでしょうが、見るのは「たかがテレビ番組」です。 

デジタルハイビジョンになっても、あいかわらず番組が面白く無くなったという不満は消えていません。 

4Kや8Kという時代も早晩くるでしょう。4kや8Kの液晶テレビが今の液晶テレビと価格差がほとんどなくなった時です。わざわざ解像度の低いテレビを選ぶ人はいないですから。 なぜ、そういう風になるのかを考えてみました。やはり地上波放送とかBSとか、電波による「テレビ放送」にこだわりたい、この旨味のあるビジネスを死守するというので頭の中がいっぱいで、ところがそれが斜陽化してきた、考えられる手は打ったけれど、そこに解像度を上げていく技術の自然な流れのなかで、4Kがある、いやその先は8Kもあるとなってきたのでしょう。 
救世主に見えるというか、救世主だと信じたいのです。技術信仰もそこまでいけば立派なものです。気の毒にと感じてしまいます。 

さて、テレビ放送もジリ貧の産業です。液晶テレビが売れなくなったというだけでなく、そもそも真綿で首を締められるように、テレビのスイッチを入れて放送番組を見る世帯がじわじわと減ってきています。録画した番組を見ている場合はカウントされません。 

急激な変化には驚いて対応します。しかしこのHUT(総世帯視聴率)の長期的な低下傾向のような変化には、それぞれが「改善」によって対応しようとします。 
それが「ゆでガエル現象」となるのです。熱い湯に放り込まれたカエルはびっくりして逃げますが、じわじわと湯音が上がっていくと、変化に慣れ、やがて茹で上がってしまうという例えそのものです。 

液晶テレビは思い切ったイノベーションが必要と考え、パナソニックもタブーにチャレンジしたのでしょうが、放送局、テレビ業界の護送船団はそれを許さないということでしょう。 
テレビをどう再生させ、日本の成長エンジンのひとつに育てるかを考えてみれば、日本の成長を阻んでいるものがなにかも見えてくるような気がします。 


*大西 宏のマーケティング・エッセンス より抽出 

成功をつかみとる企業の数々を丹念に見ていくと、「マーケティング理論」を基礎力としてしっかり備えた上で、さらに経営者とマーケティングの担当者たちが、独自に考え出した発想と思考を基に、「先駆的なマーケティング戦略」を立案し、実行に移して結果を出している、ということがわかる。 

そうした優れた企業の取り組みを、「6つのマーケティング戦略」のスキーム(枠組み)に分けて、「43社の成功事例」とともに解説していく。 

 1)環境分析によって市場への導入時期を踏まえたマーケティング戦略 
 2)セグメンテーションに重点を置いたマーケティング戦略 
 3)ブランドによるマーケティング戦略 
 4)サービスによる差別化のマーケティング戦略 
 5)イノベーションに主眼を置いたマーケティング戦略 
 6)マーティング3.0時代の新戦略 

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       成功事例に学ぶマーケティング戦略の教科書  酒井 光雄(編著) (著), 武田 雅之 (著) 


マーケティングは「モノ(製品や商品)中心」のマーケティング1.0からスタートし、「生活者(顧客)中心」を経て、「ブランド中心」となるマーケティング2.0へと進化を続けてきた。 

現在は、インターネットを駆使してあらゆる情報が入手できる。 

そして、ブログやSNSに代表されるソーシャルメディアの登場により、個人であっても、中小・零細企業であっても、情報の受発信と双方向コミュニケーションが可能な時代となった。 

インターネットとコンピュータ(タブレット型端末やスマートフォンも含む)によるネットワーク・コンピューティングによって国の垣根がなくなり、人と人とのネットワークと交流が拡大。

個人発の情報でも、価値あるものはまたたく間に拡散するようになり、口コミ(個人の評価・評判)が重視されるようになった。 

一方で企業は、単に拡大し収益を上げるだけでは、評価を受けられなくなった。 

数ある企業の商品やサービスの中から生活者に選ばれるのは、社会に貢献し、存在意義がある企業のものになってきた。 

こうした社会の構造変化と科学技術の進展、さらには生活者の意識と価値観の変化に対応して、マーケティングもさらに高度化する必要に迫られた。 

それを踏まえて生まれた考え方が、生活者にとっての価値を前提とした「マーケティング3.0」だ。 

ネットの登場によって生活者の知識や知恵が増大し、生活者は企業にコントロールされるような存在ではなくなった。 

その結果、あらゆるマーケティング活動は、企業が一方的につくり上げるものではなくなり、生活者と企業が協働する時代に入った。 

生活者の中からは、世界をより良い場所にしようと自ら主体性を発揮し、自分たちが直面している問題を解決しようと行動を起こす者も現れている。 

企業とマーケティングに求められているものは、生活者と協働し、消費を含めたあらゆる人間活動をより高次元の存在に高め、世界をより良い場所にしていくという姿勢、心意気だといえる。 

コトラーは『コトラーのマーケティング3.0』の中で、マーケティングと「価値」を統合する際に踏まえるべき10の原則を挙げている。 

①顧客には愛情を持って相対し、競争相手に敬意を持って接する 

②時代が変化する時は、自分たちも時代とともに変化する 

③価値を明確にして、決して放棄しない 

④すべての顧客を相手にしようとせず、自社が最もメリットを提供できるセグメントを狙う 

⑤品質に相応しい公正な価格を設定する 

⑥自社の商品をいつでも顧客が見つけられ、入手できるようにする 

⑦顧客とは生涯に渡ってお付き合いする存在だと認識する 

⑧サービス業に限らず、メーカーなどあらゆる企業がサービス業だと認識する 

⑨自社のビジネス・プロセスを、品質・コスト・納期の観点から日々改善に取り組む 

⑩経営者は財務的な観点だけでなく、あらゆる観点から情報を集め、知恵と経験に基づき、決断を下す 

 

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この世には、 

失敗したくてもできない人がいます。 


それはまわりから助けてもらえる人。 


あなたのことを応援したいと思う人がたくさんいれば、 

残念ながら、 

たとえ失敗したくてもできません。 


では、どうすれば、 

あなたのことを応援したい人が現れるのでしょうか。 


それは、グチをいうことなく、 

できることをコツコツと精一杯やること、 

これだけです。 

いま自分ができることをひたすら続ける。 


成功の秘訣は、コツコツ。 


一歩を踏み出す前から 

あなたを応援しようとする人は現れません。 


応援してくれる人はあなたの足音を聞いたあとに現れます。 

あなたのコツコツという足音を聞いたあとに。 


コツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツコツ・・・ 

コツコツという『足』音で 

いっぱいに『満』たされたとき、 

それは『満足』になります。 



*毎 日 気 分 爽 快 さんから転載 
 

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