人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2013/09

【一杯のかけそば】

130930
 
この物語は、今から35年ほど前の12月31日、

札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。



そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。

北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。

いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、

夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。

10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。

頃合いを見計らって、人はいいのだが無愛想な主人に代わって、

常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、

忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、

パートタイムの従業員を帰した。

最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと

話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、

2人の子どもを連れた女性が入ってきた。

6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、

女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。

「いらっしゃいませ!」

と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。

「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」

後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。

「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」

暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、

カウンターの奥に向かって、

「かけ1丁!」

と声をかける。

それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、

「あいよっ! かけ1丁!」

とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。

玉そば1個で1人前の量である。

客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。

テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、

額を寄せあって食べている3人の話し声が

カウンターの中までかすかに届く。

「おいしいね」

 と兄。

「お母さんもお食べよ」

と1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。

やがて食べ終え、150円の代金を支払い、

「ごちそうさまでした」

と頭を下げて出ていく母子3人に、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

と声を合わせる主人と女将。

新しい年を迎えた北海亭は、

相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、

再び12月31日がやってきた。

前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、

10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき、

ガラガラガラと戸が開いて、

2人の男の子を連れた女性が入ってきた。

女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、

1年前の大晦日、最後の客を思いだした。

「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ。こちらへ」

女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、

「かけ1丁!」

 と大きな声をかける。

「あいよっ! かけ1丁」

と主人はこたえながら、

消したばかりのコンロに火を入れる。

「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ

そっと耳打ちする女将に、

「だめだだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」

と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、

「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」

とほほ笑む妻に対し、

相変わらずだまって盛りつけをする主人である。

テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、

カウンターの中と外の2人に聞こえる。

「……おいしいね……」

「今年も北海亭のおそば食べれたね」

「来年も食べれるといいね……」

食べ終えて、150円を支払い、

出ていく3人の後ろ姿に

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

その日、何十回とくり返した言葉で送り出した。


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◇世界最弱から最強へ    ~  安倍首相の顕著なリーダーシップ  ~

 10月1日、安倍首相が3%消費税増税を最終的に決断した。消費税増税による8兆円の国民負担を5兆円規模の経済対策によって極力下支えするという。これらの政策やアベノミクスは、安倍首相の非常に強いリーダーシップにより実現していると言える。6年で6人の首相が交代し(2006年第一次安倍政権以降、2007年 福田、2008年 麻生、2009年 鳩山、2010年 菅、2011年 野田)、「回転ドア」政治と揶揄された世界最弱の政権が続いてきた。

しかし、2012年12月に誕生した第二次安倍政権は、以下の4つの観点からみれば、世界でも最強レベルの指導力を持っていると言える。

① 高い支持率
まずは、60%以上という国民の高い支持率。これは、先日選挙で大勝したドイツのメルケル首相の支持率並みと言え、英国のキャメロン首相やフランスのオランド大統領、米国のオバマ大統領などと比べても、安倍首相に対する国民の支持は強いことがわかる。

② 議会での優位
次に、議会における圧倒的な議決数を確保したことによる政策遂行能力の高さ。政策が何も決まらなかった衆・参両議院において、与党と野党のねじれ現象が解消された。与党が過半数を占め、政権が目指す政策の実現が容易になったのである。米国においては、現在も議会のねじれにより、野党である共和党の抵抗で、大統領の政策が遂行されにくくなっている。メルケル政権継続のドイツでさえも、与党キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)だけでは過半数に達せず、野党社会民主党(SPD)との連立政権模索を余儀なくされているほどだ。

③ 残る任期の長さ
また、安倍政権の残された任期は強みである。あと3年間、選挙なしで現在の優位が維持できるのだ。オバマがリーダーシップを失いつつあるのと比べ、安倍首相・安倍政権の力強い政治のリーダーシップは、今後も発揮されるだろう。

④ 強いリーダーを希求する国民の求心力
そして、最大の要因は、日本国民の意識の大転換である。大震災や尖閣問題などにより国家や経済が危機に陥るような事態が起こらなかったら、安倍氏の首相再登場はなかったのではないか。有権者は命や財産に対する脅威、子供たちの将来がみじめになっていく可能性、などの懸念を持ち始め、これまでの政治や安全保障に対する傍観者な態度を大きく変えた。そうした危機意識が、有権者が強いリーダーを求め始めた底流にある。

求心力の希求は、2020年東京オリンピック招致を成功させた根本的的要因でもある。前回4年前のオリンピック候補地選択の際には、東京はリオデジャネイロに敗れてしまった。東京に多くの優位性があったにもかかわらず、である。最大の弱点は、国民の支持がなかったことにある。非常に多くのメディアがオリンピック招致に批判的だった。政党でも、自民党を除いては招致に極めて消極的もしくは否定的。オリンピックが一つの争点となった2007年の東京都知事選において、自民党の支持候補として石原慎太郎氏が当選したわけだが、その他の候補者はそもそも招致に反対だった。従来日本人のメンタリティは、権威を批判し、経済や政治に対してやや反抗的に向き合うという姿勢が強かった。しかし、そのような態度が大きく変化し日本国民の遠心力が求心力に変わった。それが安倍政権を支える柱となっている。

1980年に米国では、やや極端な反共自由主義者と思われていたレーガン氏が、カーター政権のイラン政策失敗の後大統領に就任、レーガン氏の対ソ連強硬路線が、10年後の冷戦終焉に帰結した。この背景には、当初は反共主義と思われ、国民から警戒されていた指導部が登場しなければならないという歴史的必然性があり、レーガン氏は時代が求めている指導者の台頭そのものであった。安倍首相の登場の場合にも、それが歴史の転換点において時代が求めている指導者であるという可能性が考えられる。

経済や金融、特に株式を考える上で、政治的な安定度、地政学的な基盤の強さは決定的に重要である。冷戦下で日米安保条約の庇護の下、軽武装「町人国家」(天谷直弘氏の表現)としてPolitical apathy(政治的無関心状態)の続いた戦後日本が、大きな転換期に差し掛かっていることは否定できない。そしてPolitical apathyからの脱却という歴史が求めている課題を解決する強いリーダーとして安倍首相が登場した可能性が考えられる。とすれば、安倍首相の政権基盤はかつてなく強固であると言える。

現在、世界で最も重要な地政学上の課題は、共産党独裁政権である中国が世界最強の経済大国になるという、非常に大きな体制上のミスマッチングをどのようにマネージしていくかだが、それに対してはチャーチルやレーガンが示したような一定の原理的姿勢が必要だと考えられる。保守主義者、リアリストでありナショナリストである安倍首相の登場は、地政学的、歴史的必然という要素があることを、念頭に置くべきであろう。

子どもから学ぶ、幸せになるためのヒント18選

1、直感で行動する

子どもは本能のままに動く。
本当にこれで良いのだろうか、自分の決断は正しかったのだろうかなどと、必要以上に思い悩んで時間を無駄にするようなことはしない。

2、今を生きる

子どもは、今、その瞬間を生きている。
変えられない過去に悩むこともなければ、何が起こるかわからない未来を不安に思うこともない。

3、信じる

子どもは、サンタクロースや物語に出てくる妖精の存在を信じている。
だからこそ夢中になれるし、楽しむこともできる。

4、創造する

ペンで描いたり、ハサミで切ったり、のりで貼ったり……、子どもは手にした物でとにかくなんでもやってみる。
そして、そこから何かを生み出す。

5、他人の目なんか気にしない

子どもは、周囲の人がどう思うかなんて気にしない。
やりたいことを思いっきりやるだけ。

6、歌う

子どもは突然歌い出す。
いつだろうが、どこにいようが気にしない。思いのままに歌う。

7、鼻歌を歌う

小さな子どもも鼻歌を歌う。
口笛が吹けず、言葉で上手く歌うこともできないなら、鼻歌を歌えば良いのだ。

8、思っていることを言う

子どもは、常に本心を直球で伝える。
思ってもいないことを言わないし、遠回しな言い方もしない。

9、尋常でないほどテンションが上がる

子どもは、嬉しいことや興奮するような出来事があれば、これでもかというくらいにテンションが上がる。
ドキドキやワクワクなどの感情を素直に爆発させることができる。

10、新しいものに飛びつかない

子どもは、好きな本や映画を繰り返し見たがる。
お気に入りの服は毎日でも着ようとする。彼らにとっては新しいかどうかよりも、それを好きであることが大事。 大人のように、すぐに新商品に飛びついたりはしない。

11、匂いを嗅ぐ

子どもは、なんでも匂いを嗅ごうとする。
だからこそ、歩いているときに立ち止り、道に咲いている花の香りを嗅ぐ余裕さえ持ち合わせている。

12、差別しない

子どもは誰のことも差別しない。
分け隔てなくすべてを受け入れることができる。

13、恐怖心を隠さない

子どもは、怖ければ「怖い」と言う。
ひとりで抱え込まず誰かに伝えることで、恐怖心を軽減させることができている。

14、褒め言葉を受け入れる

褒められると、子どもは素直に受け入れる。
無用な謙遜はしない。

15、昼寝をする

子どもは、昼寝をすれば元気になり、気分もリフレッシュされる。
寝ても疲れが取れないなんてことはない。

16、夜は早く寝る

子どもは、たいてい早く寝る。
必ずしも自分から布団に入るとは限らず親は手を焼くこともあるが、無駄に夜更かしはしない。

17、ひとつのことに集中する

子どもは、そのときしていることに集中する。
名前を呼んでも気付かないくらい物事に没頭することができる。

18、型にはまらない

子どもは、型にはまらず我が道を行く。
それが「普通」かどうかは気にしない。


参考元:ロケットニュース24
 
 

Time誌が「CAN Google SOLVE DEATH?」(Googleは「死」を解決できるのか?)と題した特集を組んでいます。
Googleを先駆けに、これからあらゆる業界が「人間の再定義」、そして「死」へのアプローチを開始する時代へと突入していきます。
 
          130921

130920



人間のあらゆる活動に隠れているものは、「死」という存在です。 芸術にしても科学にしても、裏にはこの存在への挑戦があるわけです。

一方、人間の「死」というものを「表立って」取り扱う業界は、医療業界、葬儀業界、宗教含め一部の業界でした。 宗教・哲学はそれを演繹的・大局的に、そして医療業界、葬儀業界は、それを帰納的・対処的に捉えていきました。

しかし、これからはあらゆる業界が、それぞれの手法で「死」に対して表立ったアプローチを開始していきます。

私たちはテクノロジーを突き詰めていった結果「人間とは何か?」という問いに、生活レベルでぶち当たり始めました。
例えばスマホが、高度に普及した世の中で「記憶すること」をどう取り扱うか?というものを含めてです。



そして、21世紀に適した新たなヒューマニズムを確立したい文明は、その延長にある「死」という存在をあらゆる角度から意味付け、サポートします。  
    
ビジネスの世界からも数限りないアプローチが開始されるはずです。

*死と向かい合い始める文明

  
◇指輪型ウェアラブルデバイス「Ring」


 

◇軍産複合体の正体

最近やたらに汚染水の濃度急増のニュースが出てくるのも気になります。
オリンピック誘致も決まったので「東京電力では埒が明かないので外資の専門会社に任そう」との世論を盛り上げるためのような気がします。

汚染水は震災時から出ているのです。
いうまでもないのですが、米国政府に強い影響力を持つベクテル社(など)の前には、日本政府はいいなりになるしかないのです。

同時多発テロに続くイラク戦争にも、古くはケネディ暗殺にも、現在ではシリアへの軍事介入にも、米国の「軍産複合体」が関わっていると囁かれます。
しかしその実態はほとんどわかりません。

そこで本日は、世界最大の軍産複合体「ベクテル社」の活動の「ほんの一端」をご紹介します。
「ベクテル社」といっても、ほとんどご存知ないと思いますが、サンフランシスコに本社を置く世界最大級の総合建設会社です。

特にインフラ関連施設(石油コンビナート、原子力を含む発電所、ダム、空港、港湾)の建設を世界規模で受注している多国籍企業です。
今もベクテル一族が大半の株式を保有する非公開会社で、その実態は全くわかりません。

ベクテル社の創業は1898年と比較的新しく、1920年代にロックフェラー家のスタンダード・オイルのパイプライン建設を受注し、1930年代にはルーズベルト政権が主導したフーバーダム建設を取りまとめ、米国政府とユダヤ資本との結びつきを強めます。

ただベクテル家はユダヤ人ではなく、むしろユダヤ嫌いともいわれているのですが、「重要な顧客ならユダヤ人でも構わない」との考えのようです。
1940年代にスタンダード・オイルからサウジアラビアでの石油精製プラント建設を受注し、その結果ファイサル国王の信頼を得て、中東におけるエネルギー事業に確固たる地位を築きます。

またアイゼンハワー政権時の1958年に、米国原子力委員会(AEC)長官に幹部社員だったジョン・マコーンを送り込み、原子力事業に本格的に進出します。
その後AECの機能は分割され、原子力規制は米国原子力規制委員会(NRC)に、原子力推進はエネルギー省に引き継がれるのですが、当然のように規制・推進双方に強固な影響力を保持することになります(究極のマッチポンプです)。

そして1981年に発足したレーガン政権では、当時社長のジョージ・シュルツを国務長官に、副社長のキャスパー・ワインバーガーを国防長官に送り込みます。
いよいよ政権の中枢を占めるようになったのです。 そしてジョージ・ブッシュ大統領(父)時代の湾岸戦争、ジョージ・ブッシュ大統領(息子)時代のイラク戦争では、イラクの復興事業として電気・ガス・水道などの整備事業を独占的に受注し、巨額の利益を上げます。

こうしてベクテル社は、米国政府とユダヤ資本との結びつきを最大限に利用し、米国だけではなく世界的に大規模なインフラ整備を独占的に受注します。
ベクテル社は軍需産業ではありませんが、戦争によって荒廃した地域のインフラ整備を独占的に受注するビジネスモデルであるため、典型的な「戦争を利用する軍産複合体」といえます。
常に戦争を引き起こす「動機」があるのです。

ところがベクテル社のビジネスチャンスは戦争だけではありません。
何でしょう? そう「災害」です。 阪神・淡路大震災の復興プロジェクトにベクテル社が深くかかわっていました。
もともと明石海峡大橋のボーリング工事を行ったのはベクテル社だったのですが、なぜ「全く地理的に不必要な」神戸空港が建設されたのかが、わかるような気がします。
空港建設はベクテル社の主要ビジネスなのです。

そして、東日本大震災の復興事業にも間違いなく水面下でかかわっています。
もともと六ヶ所村の再処理施設はベクテル社が建設指導していますが、なぜ「あんな金ばかりかかる意味のない」再処理施設を作ったのかも、わかるような気がします。

さすがに震災までがベクテル社の仕業ではないのですが(そういう陰謀論者もいますが)、現時点でのベクテル社の最大の獲物は、東京電力の原子力発電事業だと思います。
東京電力が解体されて(賠償責任はすべて国に押し付けられて)、儲かる電力事業だけが外資に「タダ同然」で引き渡されるのではないかという懸念は、決して根拠なしに書いたわけではありません。


◇2020年夏季オリンピック開催決定で思うこと


東京電力は賠償問題をすべて国が引き受け、銀行借入を大幅にカットし、発行されている普通株を無償償却してしまえば、「完全地域独占」の非常に魅力ある企業となります。
つまり「いつまでたっても埒の明かない東京電力など外資系ファンドに売り渡し、大胆に放射能問題を解決してもらおう」などの暴論がでてくることを懸念していたのです。

オリンピック開催は無事に決定されたのですが、今度は首相が対外的に「問題ない」と保証してしまったので、依然として東京電力が何も解決できないのであれば(間違いなく解決できません)、やはり同様の暴論となる恐れがあります。
もちろん賠償費用や仮に廃炉にする時はその費用も全て日本政府に(つまり国民に)ツケ回され、潤沢な現金収入のある電力事業と設備だけを「格安」で売り渡し、あとは好きなだけ値上げされるようになることを心配しているのです。

昨年7月に原子力損害賠償支援機構が優先株で1兆円の出資をしているのですが、これも大半を償却することになります。
オリンピックのために東京電力の経営体質を早急に改善しなければならないので、やむを得ないとの暴論にもなります。

「いくらなんでも考え過ぎだ」と考えられると思いますが、2000年3月に8兆円近い公的資金(国民の税金です)が投入された日本長期信用銀行を、僅か10億円でリップルウッドなる何の実績もない無名ファンドに売り渡してしまい、猛烈な貸しはがしで「そごう」などを潰され、新たに発生した1兆2000億円もの不良債権を買い取らされ、挙句の果てに再上場益から1円の税金も取れなかった「悪夢」があるのです。

最近のTPP交渉や、日本郵政のアフラックとの提携(別に米国でがん保険の専門会社でも何でもないアフラックに、一方的に便宜を提供するだけです)をみていると、またしても「悪夢」が再来しそうな気がしているのです。

それがオリンピック招致の熱狂のなかで「知らないうちに真面目な議論になっている」ことを心配しているのです。
本誌の「取り越し苦労」で終わればよいのですが、不思議にこのような悪い予想は当たるものです。

直接には関係のない話ですが、過去最高額のLBOは2007年にKKRが主導したTXU(テキサスの電力会社)の480億ドル(5兆円)です。
ところがこのTXUが破綻する可能性があり、合計で83億ドルのエクイティを出資したKKR、TPG、ゴールドマンサックスが巨額の損失を被る恐れがでてきています。
2007年とは、リーマンショック前年の投資バブルの時期だったからですが、東京電力は「その損失」を十分にカバーできる優良案件となります。
政府やマスコミがしっかりしていないと、心配の種が尽きないのです。


◇汚染水を血税で尻拭い 死に体 東電株価続伸の怪


証券界で長らく“疫病神”と囁かれてきた東京電力の株価が、このところ50円前後の小幅ながら続伸している。

政府が福島第一原発の汚染水問題で国費470億円の投入を決定し、安部普三首相が「汚染水問題は東電任せではなく、政府が前面に立って解決に当たる」と力説したのを受けてのことだ。

高濃度汚染水が海に流出していることが明らかになったのは7月初めである。
ところが関係者の対応は遅く、政府試算で1日あたり約300トンもの汚染水が流出していることが明らかになったのは、判明から実に1カ月遅れの8月7日のことだった。

福島県漁業協同組合連合会は「東電は信用できない。
これではいつまでたっても消費者の理解が得られない」と述べ、9月以降の試験操業中断という苦渋の決断を下した。

そんな矢先、政府がやっと重い腰を上げたことを好感した投資家が東電株に群がった図式だが、証券アナリストは辛らつだ。

「政府が前面に出たのは東京五輪招致を目前に控えた安倍政権のスタンドプレー。
一方、地域独占企業の座にアグラをかいてきた東電には『どんなことがあっても政府はつぶさないし、つぶせない』の甘えがある。

住民=ユーザーを人質に取っている以上、この開き直ったスタンスは電力各社に共通します」 果たせるかな北海道、東北、四国の3電力会社は、火力発電用燃料の高騰と円安を理由に9月1日から電気料金を値上げした。
今年5月には同じ理由で関西電力、九州電力が値上げしている。

昨年9月に先陣を切って値上げした東電は「今年4月から柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼動」を前提に事業計画を立てており、もしこれらに道筋がつかなければ「来年早々にも再値上げを申請するのではないか」との観測さえ飛び交っている。

平たく言えば東電はユーザーの喉元に匕首を突きつけ、原発再稼動か料金値上げかの選択を政府に迫っているのだ。
東電がそこまでシャカリキになる理由は明白である。

東電は国と銀行から支援を受けるに当たって「2014年3月期の黒字化」を“公約”に掲げていた。
しかし、巨額の赤字を垂れ流している上、柏崎刈羽原発の再稼動は全く見通しが立たない。

だからこそ今年の4月1日、事業運営方針発表の席で廣瀬直己社長は「今年度に黒字化できなかったら当社は投資適格でなくなり、会社のテイを成さなくなる。
私の責任ウンヌン以前の問題で、修繕費の繰り延べも含め、ありとあらゆる手段を尽くす」と危機感をあらわにしたのだ。

その脈絡で捉えると、東電が前述した汚染水問題で漁業関係者から轟々たる非難を浴びた裏事情が透けてくる。
原発事故で被曝した福島県民で構成する『福島原発告訴団』は9月3日、東電の廣瀬社長など現・旧幹部約30人を、管理のずさんさが汚染水漏れにつながったとして、公害犯罪処罰法違反で福島県警に告訴した。

原発地下に四方を囲む遮水壁を造るのが最善の方法と知りながら、1000億円規模の工事費が掛かることから海側にだけ遮水壁を造り、政府に理解を求めた、というのだ。

東電は今年の2月、国会の事故調査委員会に対し「中は真っ暗」とウソをつき、福島第一原発4号機の現地調査を妨害した“前科”がある。
それだけに遮水壁のケチケチ作戦が招いた汚染水問題は、今後“人災”論議に発展し、世間の東電バッシングに拍車がかかるのは間違いない。

しかし、いくら妙手を尽くしたところで、来年3月期の黒字化はもはや絶望的。政府の後ろ盾があるとはいえ、銀行団に東電と“抱き合い心中”する勇気があるかとなると甚だ怪しくなってくる。

ところが東電は10月に8000億円の融資借り換えを控え、年末には3000億円を調達する必要に迫られている。
締めて1兆1000億円。

自らのコスト削減努力にも限度があるだけに、深まる秋とともに東電は修羅場を迎えることになる。
それどころか、原発事故の賠償費用や除染、廃炉費用などをトータルすると20兆円規模に膨らむとの試算さえある。

これを東電単独で賄うのは不可能だ。
「知恵者揃いの東電は『いざとなったら政府に働きかけて原発を再稼動させる』という奥の手を考えている。
それが嫌なら電気料金をバンバン引き上げる。二つの切り札を握っている以上、彼らはこれらを有効に活用すべく、悪知恵の限りを尽くすに決まっています」(東電ウオッチャー) 折しも中部電力は、社員の給与カットを組合に打診した。

社員が血を流すことで、電気料金の値上げを申請する前工作との見方がもっぱらだ。
中電に輪をかけて崖っぷちの東電のこと、どんな“秘密兵器”を繰り出すことやら…。


◇何が起こった? 東京電力


株価にしても為替にしても「常に相場は正しい」との考えなので、「買われすぎている」とか「過熱している」とか「バブルだ」などと決して言わないようにしています。
ただ時々「どういうメカニズムで上がっているのか?」と考えて込んでしまう銘柄があります。
考え込んでも何の利益にもならないので、そのメカニズムを理解して今後に役立てようと思うのです。

2000年頃のソフトバンクや光通信がそうだったのですが、最近久々にガンホーが「その域」に達していました。
ここ数日は東京電力です。
別にガンホーのように1年で100倍になったわけではないのですが、東京電力の「株価上昇メカニズム」も考え込んでしまいました。

「原発再稼働」とか「個人資金の目先の値鞘稼ぎ」などは、単純すぎます。
東京電力の株価は、2012年7月に最安値の120円を付け、本年の安値は2月13日の182円で、年度末の3月29日でも255円でした。

それが5月14日~5月21日の6営業日で446円から841円まで上昇し、21日の終値も815円となりました。
その間の出来高合計は31.6億株で、普通株の発行総数16.07億株の約2倍にもなっています。

このような時に決算内容を見ても意味は無いのですが、4月30日に発表された平成25年3月期の連結決算は、営業利益が2219億円の赤字、経常利益が3269億円の赤字、最終利益が6852億円の赤字となっています。
電気料金は「しっかり」値上げしているので電気料金収入は13.1%増の5兆3754億円と「好調」で、それ以外に原子力賠償損害支援機構から6968億円の「支援」を受けています(支払った賠償金は1兆1619億円)。

確かに完全なる地域独占企業なので「電気料金はいくらでも値上げ出来る」「賠償損害支援金はいくらでももらえる」ことになり、緊張感を持った経営など望むべくもない企業の代表です。
だから安心感から個人投資家の買いが集中しているともいえるのですが、1つだけ重要なことが忘れられています。

東京電力は昨年7月に、その原子力賠償損害支援機構から1兆円の資本注入を受けました。
具体的には16億株のA種優先株式(議決権有り・払い込み200円)と3.4億株のB種優先株式(議決権無し・払い込み2000円)を発行しています。
普通株の発行総数は16.07億株なので、原子力賠償損害支援機構は既に49.8%の議決権を有しているのですが、B種優先株式もA種優先株式・10株に転換できるため、これを転換すると74.5%の議決権を有することになります。

さてここからが重要です。
A種優先株は時価の90%で普通株に転換できるのですが、その転換価格の上限は300円です(下限価格は30円)。
転換のためにはいくつかの条件が付いているのですが、仮に本日B種優先株式をA種優先株式に転換して、全株を普通株式に転換すれば33.33億株の普通株式が300円で発行されます。
そうなると普通株の発行増数が49.4億株と3.25倍になります。

まあ原子力損害支援機構が仮に巨額の売却益を得たとしても、それが福島の被害者の方々をはじめとする国民に還元されることはないと思うので、せめて高値を掴まないように自衛しなければなりません。

冒頭の東京電力の「株価が急上昇するメカニズム」は、このような重要事実を株式市場が忘れていることを「官僚が笑いをかみ殺して見ている」だけだからかもしれません。



 ◇安倍晋三とヘンリー・クラビス   
訪米中の安倍首相のスケジュールで、最も気になったのがハドソン研究所に招かれた昼食会でした。ハドソン研究所は大変に米国政府に近い(というよりもそのものの)シンクタンクだからです。

そこで話し込んだのがKKRの共同創業者で最高経営責任者のヘンリー・クラビス氏だったようです。KKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)とは、カーライル、ブラックストーンと並ぶ世界最大のプライベート・エクイティ・ファンドです。

KKRといえば、1989年に世界の金融市場を巻き込んで争奪戦となったRJRナビスコを252億ドルで競り落として一躍有名となり、ヘンリー・クラビス氏は当時から指揮を執り続けている米国金融界の「超大物」です。

9月24日付け「軍産複合体の正体 その2」で取り上げたカーライルや、創業者が元商務長官だったピーターソン氏のブラックストーンに比べると、KKRは比較的「民間色」の強いファンドといえます。

またKKRは昨年8月に経営危機に陥っていたルネサスエレクトロニクスへの出資に前向きだったのですが、結局は官民ファンドの産業革新機構が出資してしまいました。クラビス氏は安倍首相に「もっと(我々)ファンドの資金を活用するよう」求めたようです。

安倍首相がどのように感じたのかは不明ですが、これは「大いに利用すべき話」です。

その前に「本誌は外資が嫌いなのではなかったか?」ですが、正確にいうと「日本経済に何の付加価値もない外資が日本市場を食いものにすること」さらに「日本の当局の恐るべき無知と意味不明な遠慮で、呆れるような暴挙を認めてしまっていること」に強い怒りを覚えているだけです。

古くは8兆円も公的資金を投入した日本長期信用銀行を僅か10億円で無名のリップルウッドに売却してしまったことや、中国のインチキ企業をいくつも東証などが上場させて巨額の資金調達のあと文字通り「消えてしまった」ことや、最近では日本郵政の巨額資金と店舗網を「がん保険の専門企業でも何でもないアフラック」に提供してしまったことなど、いくらでも出てきます。

 つまりリップルウッドは何の経営能力もないので買収した新生銀行(旧・日本長期信用銀行)は今も迷走を続け、文字通り消えてしまったインチキ中国企業は問題外であり、がん保険はアフラックでなければ提供できないものではなく日本の保険会社の収益機会を奪っているだけなのです。

しかしKKRは間違いなく世界で超一流のファンドなので、その事業再生ノウハウは大いに日本経済再生の参考となり、その他の「超一流」ファンドや日本企業や日本の再生ファンドなどを巻き込んで公平な競争となれば、日本経済のエネルギーとなるはずです。

そもそも日本の金融市場に「超一流」ファンドや「超大物」が積極的に接近してくることは非常に珍しいのです。もちろんその背景には、リーマンショック以降続く世界の金融緩和による投資資金の余剰と運用競争の激化と、行き過ぎた新興国市場への投資の見直しなどがあるはずですが、日本経済にとって間違いなく「大いに利用すべき話」なのです。

安倍首相の唱える「第3の矢」には、各方面の思惑ばかりが先行している官民ファンドが「山ほど」出てくるのですが、これでは本当の企業価値の向上や日本経済の活性化に結びつきません。

KKRはインテリジェンスを325億円で買収したのが日本における唯一の投資実績で(テンプホールディングスに510億円で売却済み)、今回パナソニックからヘルスケア事業を1650億円で買収する予定です。つまり今まで日本市場ではほとんど活動しておらず、まさにこれから積極的に投資しようとしているのです。

それでは日本で事業再生や企業価値の向上に成功しても、KKRが儲かるだけではないのか?ですが、パナソニックが売却するヘルスケア事業には、パナソニックが2割出資します。つまりパナソニックは今後も投資収益の2割を「黙って見ているだけ」で受け取れるのです。

つまり日本の売り手や官民ファンドが、2~3割の株式を保有することを条件にすればよいのです。状況から考えると「多少の条件」なら呑むはずで、他の「超一流」ファンドも出てきて「もっとよい条件」になるかもしれません。

高度の駆け引きが必要ですが、KKRが参入するだけで「投資対象としての日本市場」への世界的な関心を一段と高めるはずです。それだけでも「超大物」ヘンリー・クラビスの申し入れを「大いに利用すべき」価値があるのです。

やや誉めすぎたのですが、KKRにとって本命は「東京電力」のような気がします。KKRが2007年に480億ドルと史上最高額で買収(LBO)したTXU(テキサスの電力会社)が破綻しそうになっており、このままだと巨額損失が出てしまうためクラビスはウルトラCを考え出す必要もあるからです。



◇「組織風土」改革こそが東電には必要なことであり、もはや「破綻処理」以外にあり得ない

◆JR北海道、カネボウ、東電…腐敗した組織風土はいかにして正すべきか 9月27日 大関暁夫

カネボウの白斑問題、JR北海道の路線異常放置問題のあおりで、「組織風土」腐敗の問題が俄かにクローズアップされています。All Aboutさんではその辺の理論的な考察は書いたのですが、カネボウやJR北海道が第三者機関やメディアから「組織風土を根本的に叩き直すべき」と言われたところで果たしてできるのか、今の両社の対応を見る限りにおいては、難しいと言わざるを得ないと思っています。

◆「カネボウ、JR北海道に見る「組織風土」腐敗の7S解析」
http://allabout.co.jp/gm/gc/429654/

上記出典にも書いたように、マッキンゼーが提唱したフレームワーク「組織の7S」を使って解析すると、「組織風土」の正常化に向けては、まず組織の核となる「価値観」が明確に確立され、さらにその「価値観」を組織の構成員が共有し、同時に「価値観」に裏打ちされた「制度」がしっかりと構築されることが必要十分条件になると考えられます。

しかしながら、過去の「組織風土」腐敗によって不祥事を引き起こしたりあるいは業績不振で絶望的な状況に追い込まれた企業は、一部の例外を除いてほとんどがこの必要十分条件を満たすことなく、反省の終息を迎えているように思われます。すなわち、彼らは「再発防止」というお題目の下、「制度」の再構築に終始しその形式整備完了とともに、外野の批判的目もやわらぐことで、「組織風土」改革にまで至らずに終わってしまうのです。

「組織風土」腐敗による不祥事企業にまず必要なことは、その「組織風土」を根底から正すための軸となる「価値観」の再構築でこそあり、この「価値観」は組織のトップが導きだすべきものであればこそ、トップの交代は不可欠なものと思うのです。トップの引責辞任については「辞めればそれで済むのか」という批判がつきまとうのも現実ですが、私はこうした組織の新たな軸となるべき「価値観」再構築の観点からは絶対に必要なことであると考えます。

「価値観」の再構築作業は既存の組織内における常識にとらわれては全く意味をなしませんから、基本は核となる人物の外部登用や幹部構成員の刷新などが大前提となるでしょう。多くの不祥事発生企業で「組織風土」改革が進まない原因は、トップが引責辞任しても心太式に次席が持ち上がり運営大勢にほとんど変化なしというケースが大半だからなのだと思っています。

日航の再建がなぜ短期間にあれだけうまく行ったのか、それは破綻処理による経営陣の刷新と稲盛和夫氏と言うカリスマの外部からの登用により、新たな「価値観」を生みだすことができたからに他なりません。日航の再建を「銀行の債権放棄があったから」とする向きもあり、たしかに財務という物理面では否定しませんが、生き物である組織の風土が腐ったままであったなら決して今のような再生には至らなかったであろうと思うのです。

稲盛氏は、新たな「価値観」お題目に終わらせないために、その浸透を根気強く管理者に対して直接説き続けることで実現したのでした。「価値観」が生きた社員精神に反映され、新たな制度にも活かされたがために、日航は以前とは全く別の「組織風土」をもった組織として蘇ったのです。

東京電力を見てください。福島第一の事故以前と事故以降で、何が変わりましたか。私は利用者に迷惑をかけ続け、隠ぺい体質の下自己の論理でしかものを考えられない「組織風土」は何ひとつ改まっていないと思っています。原因は、トップは交代したもののその「価値観」には何の変化も見て取ることが出来ない、いや広瀬社長は個人的には新たな「価値観」を提示しているのかもしれませんが、社員の間には恐らく何も浸透していないし浸透努力もなされていないと思えます。

やっていることは、経費削減等をお題目に掲げ魂の抜けた「制度」の改革のみ。そこに「価値観」の底支えは微塵も感じられず、「人材」への影響も皆無。結局、東電の問題がこのような状況下の国有化東電として進められても、根本的な問題の解決にはならないでしょう。私がしつこく「東電は破綻処理すべき」との主張を続けているのも、「組織風土」改革こそが東電には必要なことであり、それを実現させ本当の再生をするにはもはや破綻処理以外にあり得ないと思うからなのです。

カネボウもJR北海道も、現時点ではトップは辞任せず、聞こえてくるのは再発防止に向けた「制度」の再構築のみ。このままでは、組織何には恐らく何の変革も起きず腐敗した「組織風土」のまま再スタートを切って、いつかまた同じような問題を引き起こし東電のように今度こそ立ち直り不能な状況に陥るように思えてなりません。

「組織風土」腐敗を指摘されている企業は、「制度」の再建だけでは根本的な解決には全く至らない。「価値観」の再構築と「人材」への浸透があり、その下での「制度」の再建がなされてはじめて、「組織風土」の腐敗を止め改めることができるのです。落ち着いて考えてみると、この問題はカネボウ、JR北海道、東電だけの課題ではなく、前後日本の発展と共に成長を続けてきた高齢日本企業共通の“老害症状”であり、多くの大手企業が自分の問題として向き合う必要があるのかもしれませんが…。 


(私のコメント)

いったん腐敗した組織は頭だけ変えても組織腐敗は治らない。戦線の陸軍海軍も515事件や226事件で腐敗した組織を露呈しましたが、政権は何ら抜本的な軍改革をせずに逆に統帥権を盾に政権に対して干渉を行うようになってしまった。大本営の言う事を関東軍などの前線部隊は言う事を聞かずに戦線を拡大してしまった。

東京電力もカネボウもJR北海道も組織の腐敗が進んでおり、社長や会長だけを変えても同じ事故を繰り返す事でしょう。これはこれらの会社ばかりでなくあらゆる日本の組織の腐敗に共通する事であり、民間会社なら倒産して淘汰されていくことでしょうが、電力会社や鉄道会社は公共事業だから倒産させて廃止するわけにはいかない。

JR北海道も独立採算では無理なことは最初から分かっていたことであり、国の補助などもありましたが、安全対策を後回しにして経営の合理化だけを推し進めてきた。東京電力も同じであり、採算性を最優先して安全対策を後回しにしたから福島原発の災害が起きてしまった。民間会社である以上はそうなってしまうのだ。

東京電力にしても原発関連の不祥事が起きて、担当役員の更迭などありましたが、その為にかえって原子力に詳しい役員がいなくなってしまった。経済産業省の原子力安全保安院も原書力安全委員会も機能せず、東電は監督官庁からの改善命令を無視した。勝俣会長は聞いていないと恍けているが、だれも責任を取らないで逃げてしまった。

JR北海道にしても事故が頻発しても、社長が自殺しても何ら組織は変わることがなく、レールの保線作業の手抜きが組織的に行われてきた。採算性を重視すれば保線作業などのコストのかかる仕事は手抜きされる。高速道路でコンクリートの天井が落ちる事故も結局は安全点検が手抜きされてボルトの破断が分からなかった。死亡事故が起きて初めて総点検が行われて数百か所の異常が認められた。

民間でやれば重大事故が起きなければ安全対策は後回しにされるのはわかりきった事であり、監督官庁があっても形式的な査察が入るだけだ。安全対策に力を入れれば利益が減って赤字が増えて社長は株主などからは経営責任が追及される。戦前の軍隊でも大戦の大敗北でようやく軍は解体されましたが、このような壊滅的事態にならなければ組織の改革は無理なのだろうか。

日本のあらゆる組織が制度疲労を引き起こしており、公務員は財政赤字にもかかわらず民間の賃金の倍近くを年収で得ている。それに対して政治家は公務員の給与引き下げには手が付けられない。つまり財政が破たんして国家財政がストップするような事態にならなければ改善はできないのだろう。財務省は増税によって財政再建だと言っていますが、昔軍隊今官僚で誰も公務員の横暴を止められない。

もちろんこのような組織の腐敗などに警鐘を鳴らす人はいますが、東電の勝俣会長のように平時は聞く耳を待たない。むしろ金をばら撒くことや天下りを引き受けることで絶大な権限を持っているが、いざ大災害が起きれば知らなかったで済んでしまう。たとえ一生懸命改革に手を付けようとする社長もいるのでしょうが、人気さえ全う出来ればいいといった社長がほとんどだ。

JR北海道にしろ東電にしろ構造的問題なのですが、破綻処理を主張していますが株や社債が紙切れになることだから既得権者の反対でできない。これだけ多くの災害を起こしても会社を潰せないのだから腐敗した組織を立て直すことは無理なのだろうか? 原発災害は原爆が落ちたのに等しい災害であり、民間会社では利益優先で任せられない事は明らかだ。

 

この映画のインタビューは、1995年の夏に制作されたPC誕生に関してのドキュメンタリー番組 『The Triumph of the Nerds : The Rise of Accidental Empires』で行われたもの。  

    

インターネットがようやく本格的に利用できるようになった年、Windows 95が発売された年なわけです。
まさに現代の幕開け。

そんな1995年にジョブズはアップルではなくNeXT社のCEOとしてこのインタビューを受けています。
翌年の1996年に彼はアップルに復帰。 そしてiMac、iPod、iPhone、iPadを世の中に繰り出していきます。

これだけ鮮明に未来のビジョンを見ていたからこそ、これらの素晴らしい作品が生まれた。

http://www.gizmodo.jp/2013/09/_1995.html

 

『都市と消費とディズニーの夢 ショッピングモーライゼーションの時代』 速水健朗 著  角川書店  

                

なぜ、街にコインパーキングが増え、公共施設にスターバックスができ、病院にカフェが増えたのだろう。

六本木ヒルズや東京スカイツリーをショッピングモールと認識したことはあるだろうか。

「都市とは、人口や産業や商業が集中し、人々の生活が営まれる場所」。
ショッピングモールも、ヒト・モノ・カネが集積していて、あらゆるサービスや消費の手段を内包している。 著者の速水健朗は、都市の姿形を捉えるツールとして、ショッピングモールを研究、分析している。

「都市はショッピングモール化している」、速水はそれにショッピングモーライゼーションと名付けた。

ショッピングモールの研究抜きに、現代の都市は語れないのだ。
晩年のウォルト・ディズニー(1901~1966)は、熱心にショッピングモールの視察旅行に出かけていました。

都市開発の歴史とは別に、ディズニーのテーマパーク性や、「ゾンビ」「シザーハンズ」など、映画に登場するショッピングモールも登場する。
都市や郊外だけでなく、ショッピングモールのない田舎に住んでいる人にもわかりやすい。

この本は、都市の歴史、自治体で起きている開発にまつわる現象、サブカル、エンターテインメントなど、様々な視点から都市について考えている。

 
◇地方の商店街はシャッター街化して、社会問題となった。その弊害とは。

◆日本でショッピングモール増加理由の一つはアメリカからの圧力 10月8日 NEWSポストセブン

 現在、全国にあるショッピングモールの数は実に3096にのぼる(2012年12月末)。ショッピングモールが存在しない県はゼロ。

 かくして気がつけば日本中に広がるショッピングモール。いったい、いつ頃からこんなふうに増えたのだろう。

『都市と消費とディズニーの夢』(角川oneテーマ21)で、ショッピングモールについて考察した速水健朗さんが解説する。

「モールはもともと、アメリカで発祥したものです。自動車が普及し、フリーウエーが全米に敷かれた1940年代以降、フリーウエーを下りた一般道沿いに続々と作られていきました」

 それが日本にやってきたのは1960年代。日本初の米国的な郊外型ショッピングモールといわれているのが、1969年に東京・世田谷にオープンした『玉川高島屋ショッピングセンター』、通称タマタカだ。

 その後、景気の好転とともに、都市部を中心にショッピングモールが増えていく。

 千葉県船橋市に、売場面積日本一(当時)の『ららぽーと船橋ショッピングセンター』(現在の『ららぽーとTOKYO-BAY』)がオープンしたのは1981年。休日ともなると、自家用車でやってきては、買い物を楽しむ家族連れの姿が見られるようになった。

 1990年代に入ると、モールは地方でも乱立の兆しを見せるようになる。きっかけは、1991年の大規模小売店舗法、いわゆる大店法の改正だ。それまでは大規模店の出店は、地元に根づいた小売店を守るために規制されていた。しかし、アメリカ系の大型玩具販売店が、地元商店街の猛反対で出店不可能に陥ったことで、アメリカが日本政府に圧力をかけ、市場の開放を迫ったのだ。

 その結果、近所に大型のショッピングモールができた小売店の多くが店を閉めることになり、商店街はシャッター街化して、社会問題となった。それでもショッピングモールの勢いが止まらなかったのは、商店街の店主などのSOSの声や学識者の警鐘よりも、ショッピングモールが提示した新しい価値を、私たちが選んだからに他ならない。



◆無個性化がもたらすもの 寺南 智弘

さて、ここからファスト風土化、つまり都市化・郊外化のことをもう少し、詳しくみていきましょう。高度成長期、開発や消費の舞台は都市でした。地方においては地域住民がそれまで培ってきた文化や生活の知恵といったものが、きちんと継承されていた。しかし、高度成長期が終了して以来、開発や消費の波が地方へも押し寄せることになります。それにより、核家族化や職住の分離、モータリゼーションなど「都市化・郊外化」を象徴する現象が起こり、地方のライフスタイルは徐々に変化していきました。また「交通網の整備」により、“都市と地方”あるいは“地方と地方”が結びつくようになりました。実は本書の中で著者は、この「交通網の整備」について注目しており、そこから「郊外化」が引き起こされるのではないかと指摘しています。

 では、なぜ著者は「郊外化」を問題視しているのでしょうか?そのことについて、みていきましょう。「郊外化」や「都市化」といった問題は、先に述べたように職住分離やモータリゼーションなどの問題と関連性があり、ライフスタイルの変化に大きく関係していると考えられます。特に「郊外化がコミュニティを衰退させる」という点については、私も深刻であると考えています。著者が指摘するように、郊外化によって地域住民の流動性・匿名性が高まれば犯罪発生率が上昇する可能性もあり、そんなときこそコミュニティの“犯罪を抑制する力”が重要になってくるからです。近年、ニュースで取り上げられる犯罪には、私たちが理解に苦しむようなものが増えています。特に少年犯罪や小さい子供が被害に遭うといった事件が増えているように、みなさんも感じているのではないでしょうか?何度も言いますが、郊外化はコミュニティを崩壊させます。ニュータウンやベッドタウンでは、ご近所付き合いがなくなり、大型ショッピングセンターは商店街から活気を奪います。コミュニティの崩壊とは、人と人とのつながりを断ち切ってしまうことを意味しているのではないでしょうか。だからこそ、「郊外化」を安易に進めていくことは危険だと著者は訴えているのです。

 では、いったいどうすればコミュニティは復活するのでしょか?失われたコミュニティを取り戻す方法を考えていきたいと思います。著者が本書で述べている「見習うべきコミュニティ」をみていきましょう。その条件として、「異質な物・店・人が存在していること」、「自分の個性や価値観を持っている人が存在していること」、「異なる世代、異なる文化が存在していること」、「移動手段が徒歩であること」などが、あげられます。著者は、これらが揃って始めてコミュニティが成立するのだと考えています。これらを踏まえた上で、私たちはなにをするべきなのでしょうか?著者は“街に「働く」という行為を取り戻す”ことを訴えています。街で働くということは、街で暮らすということに繋がっていきます。仕事を通して地域の人々とふれあっていく、簡単なコミュニケーションから、やがてはコミュニティの形成へと繋げていくことができるのです。もう少し具体的にみるなら、「中心市街地に住むこと」、「地元の商店街を活用すること」、「自らも、地元で働いてみること」などが考えられます。暮らしのことをもっとよく考えたとき、真の豊かさとは金銭的・物質的な豊かさに限りません。心の豊かさも大切なのではないだろうかと、私は考えます。

 最後に、「ファスト風土化する日本」を読んで、「郊外化」は本当に様々な問題と関連していることがわかりました。「コミュニティの喪失」から「大量生産・大量消費のライフスタイル」、さらには「モータリゼーションに伴う、大気汚染やCO2排出量の増加」などのように。著者は「犯罪率の増加問題」、私は「環境問題」と関連付けながら「郊外化」を考えました。みなさんの身の回りにある問題も、もしかすると「郊外化」と関係しているかもしれませんよ。



(私のコメント)

現代の日本では、高速道路と新幹線は無くてはならないものとなっており、行楽シーズンになればニュースの時間には高速道路の渋滞や新幹線の乗車率などが報道されます。この事により大都市と地方都市との消費生活に差がなくなった。大型ショッピングモールは日本全国に3000以上も出来て、車で買いに行くスタイルが定着した。

まさにアメリカンスタイルの生活が定着しましたが、地方では車なしでの生活は成り立たなくなった。家によっては一人一台の車の普及率になり、通勤や買い物などは車を利用することが当たり前になっている。この事により地方都市でも大家族から核家族への変化が見られるようになり、若夫婦でも一戸建ての家に住むようになり、買い物も実家への行き来も楽にできるようになった。

私は、千葉にアパートを経営していますが、一戸につき一台の駐車場は必要になっている。国道沿いにあるから、並びにはコンビニやショッピングモールがあり生活には不便しない。一時はこんなにコンビニができて大丈夫かと思うくらい立ち並んでいましたが、今では大手のコンビニが巨大な駐車場を構えて経営している。おそらく100台くらいは駐車できるだろう。

このような郊外型の生活の問題点は、車と駐車場にあり、車を運転できない年少者や老人は生活が不自由になってしまった。近所の商店はつぶれて車で行かなければならないからだ。テレビでも買い物難民の問題がよく報道されますが、一日に一回一時間もかけてショッピングセンターに行く老人が紹介されている。一時はコンビニが何軒も出来ていましたが全部撤退してしまった。

日本全国にある3000軒ものショッピングモールも整理淘汰されれば、車で買い物でも往復に時間がかかるようになるのではないだろうか。つまり車社会になって地方の過疎化に拍車がかかり、老人や子供が住めない社会は過疎化して行くしかない。この事は地方の小規模農家が世代交代によって後継ぎがいなくなり、小規模農家による耕作放棄地が多くなり大規模化する農業耕作会社に集約されていくのだろう。

このように日本全国にイオンのようなショッピングモールが建設されるようになったのは、記事にもあるように91年の大店法の改正によるものであり、アメリカの圧力で改正させられた。今でもTPPで圧力をかけられていますが、大店法の改正の失敗を繰り返すのではないだろうか? 日本の政治家は地方の商店街の声を無視した。TPPでも同じ間違いを繰り返すだろう。

確かに車社会は非常に便利な社会であり、壮年世代からは支持されて快適なアメリカンスタイルの生活を謳歌することができる。しかし年少者や老人は車が運転できないから大都市に集まる傾向があります。年少者の通学が車で送り迎えでは家族もたまりません。老人の病院通いも車で乗せて行かなければなりません。だから自然と人は大都市に集まるようになり、高速道路ができると逆に地方都市が寂れる。

JR北海道が多くの問題を抱えていますが、大都市が札幌しかなく小都市が分散して鉄道が生かせない。コンパクトシティー作りには鉄道の駅が欠かせませんが、地方においては市役所も病院も商業施設も巨大な駐車場が必要になりだから分散してしまう。それに対して東京圏では歩いて生活ができるから無駄が少なくコストが安く生活ができる。

地方では商店街がシャッター通りと化し、人が集まる場所はショッピングモールなどに限られるようになり、ショッピングモールは年中テナントが入れ替わり従業員も入れ替わる。これでは社会が成り立たなくなり、孤立した老人たちは誰も面倒を見なくなる。老人たちには出かける場所も無くなり、家に孤立する。以前のように商店街で買い物して顔を合わすことも無くなった。

日本をこのようにしてしまったのも、日本の政治家がアメリカの圧力に屈してきたからであり、憲法からTPPに至るまでアメリカの圧力のままに受け入れてきた。これでは日本には政治家は要らなという事になりますが、TPPによって23分野の産業は徹底的にアメリカの思うままに「規制緩和」されるのだろう。しかし規制緩和で儲かるのはイオンのような大企業だけなのだ。

 

年を重ねるにつれて、  
「はじめて」という体験は  
どんどん減ってくる。  

いつものやり方で処理し、  
いつもの考え方で問題を解決し  
いつもの朝が始まり、  
いつもの夜が来る。  

それは、面倒くさくない  
ある意味快適な日々。  

のはずが、  
なぜか人間、その繰り返しに飽きてくる。    

まれに遭遇する「はじめて」の体験は  
予定外のこと、想定外の出来事。  

それは、慣れきった新鮮味のない日常に  
感動を呼ぶこともあれば、  
悲しい現実を連れてくる場合もある。  

いずれにしても、  
感情を揺り動かすのは、  
「はじめて」体験。    

幼い子供の頃は、  
おそらく毎日が  
「はじめて」のオンパレード。  

大人になるに従い、  
失ってしまった「はじめて」。      

「はじめて」が連れてくる失敗の怖さや悲しさ を
味わいたくないための本能的な回避行動なのか?  

実際大人の大半は、  
「はじめて」を避けようとするかのように  
習慣の中に埋没する。  

でも、  
なぜか人間、その繰り返しに飽きてくる。  

そして、  
「はじめて」にチャレンジしている  
大人を見つけると、感動し、  
共感と尊敬の拍手を送る。

 

もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 

今度はもっと間違いをおかそう。 

もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。 

絶対にこんなに完璧な人間ではなく、 
もっと、もっと、愚かな人間になろう。 

この世には、実際、それほど真剣に思い 
煩うことなど殆ど無いのだ。 

もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、 
もっと不衛生に生きよう。 

もっとたくさんのチャンスをつかみ、 
行ったことのない場所にももっともっと 
たくさん行こう。 

もっとたくさんアイスクリームを食べ、 
お酒を飲み、豆はそんなに食べないでお 
こう。 

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、 
頭の中だけで想像する厄介ごとは 
出来る限り減らそう。 

もう一度最初から人生をやり直せるなら、 
春はもっと早くから裸足になり、 
秋はもっと遅くまで裸足でいよう。 

もっとたくさん冒険をし、もっとたくさ 
んのメリーゴーランドに乗り、もっとた 
くさんの夕日を見て、もっとたくさんの 
子供たちと真剣に遊ぼう。 

もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 

だが、見ての通り、私はもうやり直しが 
きかない。 

私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎ 
ていないか? 

自分に規制をひき、他人の目を気にして、 
起こりもしない未来を思い煩っては 
クヨクヨ悩んだり、構えたり、 
落ち込んだり ・・・・ 

もっとリラックスしよう、 
もっとシンプルに生きよう、 
たまには馬鹿になったり、 
無鉄砲な事をして、 
人生に潤いや活気、 
情熱や楽しさを取り戻そう。 

人生は完璧にはいかない、 
だからこそ、生きがいがある。 

- P.F.ドラッカー 享年95歳 - 

そもそもアメリカという国は、イギリスから離反し、新天地を求めた清教徒たちが入植した土地であり、その生い立ちからして、旧世界に背を向けるというか、「オレ達は、外国と関わりたくない」というキモチが強くありました。 

その思いはボストン茶会事件とか、独立戦争(イギリス軍にニューヨークを盗られたりして、大変でした)とかで一層、強くなりました。 
だからアメリカの外交の出発点は不干渉主義、ないしは孤立主義だったのです。 

そんなアメリカの消極主義を変えるイベントは2回あり、いずれも世界大戦に絡んでいます。 
1回目は第一次世界大戦で、このときアメリカはずっと「関わりたくない」として欧州のいざこざに対して距離を置く態度を持っていました。 
しかしルシタニア号の沈没など、アメリカの民間人がターゲットにされることが頻発したため、戦争反対を公約に当選したウッドロウ・ウイルソン大統領は、選挙時の公約を自らやぶり、参戦する決断を下します。 
そのとき、ウイルソン大統領は議会で「民主主義を擁護するために、紛争を止めさせなければいけない」という有名な演説をします。 
この演説こそが「スーパーヒーロー症候群」のひな型となる演説です。 

第一次大戦の終結に際しては、ウイルソンは14カ条の平和原則を示し、平和を維持するために守らなければいけない要求を明らかにしました。 
その最後の要求、つまり第14条が国際連盟の設立です。 
実はその第12条にオスマン帝国のなきあと、中東をどう収拾するかに関して述べられており、シリアという国が定義されたのも、この規定によります。 

ウイルソンはもともと憲法学者で独裁的な政体が基本的人権を脅かす元凶だと考えており、実際、第一次大戦の泥沼化は基本的な人権を脅かす出来事でした。 
つまりアメリカの不干渉主義、孤立主義を改め、他人のいざこざに首を突っ込ませるためには「人権」とか「民主主義」とかの曖昧だけど普遍的な概念を噛ませてやる必要があったのです。 

しかしウイルソンの提唱した14カ条の平和原則は結局、米国の議会では採択されず、国際連盟への参加に関しても米国議会は消極的でした。 
国際連盟が、国家間の紛争調停ならびに話し合いの場としてウイルソンが期待したような効力を持てなかった一因は、アメリカ議会におけるパルチザン(政党主義)的な傾向が邪魔して、ウイルソンのビジョンを大詰めで具現化することが出来なかったからです。 

その後、アメリカは再び「内向き」になります。 
1929年の株式市場の大暴落に端を発した大恐慌で、アメリカはなるべく外国の事には関わりたくないという、それまでの米国のデフォルトのスタンスを再び踏襲するのです。 
今回はドイツでナチズムが吹き荒れ、第二次世界大戦になってしまいました。アメリカ議会は戦争に消極的でしたし、フランクリン・ルーズベルト大統領も戦争には関わりたくないという態度でした。 

1939年にドイツがポーランドに攻め込んだとき、ドイツは全部で2000台の戦車を保有していましたが、アメリカには325台の戦車しかありませんでした。 
戦車部隊の総指揮官に任ぜられたジョージ・パットンは部品が無くて動けない戦車が多いので、「早く部品を送れ!」と催促します。 
でも議会から徹底的に軍備の予算を切り詰められていたので、いつまでたってもボルトやナットが届きません。 
それでジョージ・パットンは思いあまって自腹を切ってシアーズ・ローバックのカタログから部品を購入したのです。 

アメリカ陸軍が、そんなヌルいことをやっている間に、ユダヤ人の虐殺、つまりホロコーストが発生したわけです。 
「人権」と「民主主義」を結び付ける、例の発想を再びアメリカが担ぎ出して来なければいけなくなったのは、そういう事情からです。 

シリアでの化学兵器の使用は、少なくともアメリカにとっては「人権」の問題です。(なぜならアメリカ人が脅威にさらされているわけではありませんから) 

それなのに「人権」くらいの問題で、なぜアメリカがしゃしゃり出るのだ? と言えば、このような経緯があったからです。 

今回、オバマ大統領がシリアの問題で大統領のWar Power(=戦争を始める権限)に関して論争に巻き込まれたのは歴史の美味しいアイロニーだと言えます。 
なぜなら第一次大戦の戦後処理の過程で、異教徒同士を無理矢理ひっつけて、シリアという国の線引きをしたことに、アメリカも一枚噛んでいたからです。 
オバマ大統領がウイルソン大統領と同じ、憲法学者出身だという点も偶然にしては出来過ぎです。 

オバマ大統領はシリア制裁に際して「議会の同意を仰ぐ」という判断を下した際、当然、ウイルソンの犯した過ち(議会を無視したために14カ条の要求が採択されなかった)を深く研究したと思います。 


MarketHackから転載 

日本メーカーはすり合わせが好きなので、何でもすり合わせをしようとする。意思決定もその1つだ。 

すり合わせ文化は、メカトロニクス製品や、異質な技術を接続しなければならないような製品など、熱や質量がかかわってくる部分の設計・製造には非常に有効だ。 
しかし、それを過剰適用して、意思決定を含むあらゆるものに適用しようとして、多くの日本企業はつまずいている。 
一生懸命ホウ・レン・ソウして、一生懸命に根回しをするわけだが、そうやっているうちに市場のゲームが終わってしまい、負けてしまうのだ。 

これらが多くの日本メーカーが陥っている罠である。 

                    経営共創基盤 代表取締役CEO 冨山和彦氏 



◇日本メーカーの異常に低い利益率が衰退の原因 
本格的に復活しているかどうかは、産業領域が近い他国の企業と比較する必要がある。 
新興国の企業は発展段階が違うので単純に比較できないが、欧米企業の売上高利益率(ROS)あるいは株主利益率(ROE)で互角以上のレベルにならないとダメだ。 
しかし、日本の製造業のROSやROEは欧米企業と比べてかなり低い。 

この状況に対して、日本の製造業では「長期的な成長性を重視しているからROSやROEが低い」と説明してきた。 
だが実は、成長率でも日本メーカーは欧米企業に負けている。 
つまり、このトレードオフの議論は嘘だったことになる。 
少なくともこの10年間については、「利益率が低いことの言い訳」に使われてきたというのが実態だ。 

基本的に、利益率が高くないと成長率も高くならない。 
利益率が高くないと、将来に向けた投資が十分にできなくなるからだ。 

高度成長期の日本の製造業ではROEが平均で12~13%くらいあったと思うが、今は上場企業の平均で5%くらいしかない。 
欧州企業の10%台、米国企業の20%台と比べると、異常なほど低い。 

製造業は新興国メーカーの台頭により非常に競争的な環境にあるので、先進国のメーカーは先へ先へ進んでいかなければならない。 
一方、事業の資本集約度は高くなっていて、設備投資の金額が増えているし、将来に向けた研究開発投資も大きくなっている。 
だから、高収益でないと投資の負担に耐えられない。 
ROEが数%のレベルでは、高水準の投資を持続できるはずがない。 

ただし、日本でも利益率が40%とか30%とか高い会社はあって、そういう会社は誰が見てみても世界的に良い会社である。 
あるいは総合電機メーカーでも、事業部ごとに見れば利益率が高いところはある。 

問題なのは、ROSやROEが低い事業をどうするかだ。 
未来に向けた投資的なフェーズにあるからROS/ROEが低い事業があるというのは理解できる。 
しかし、ROSやROEが低い事業の実態は違う。 
もう寿命が来た事業なのに、はっきり言って「いつまで続けているんだよ!」というものばかりだ。 
そういう事業を早くやめて利益率を高めるべき、というのが私からのメッセージの1つである。 

自分たちの強みや得意技を生かせる領域で、かつ、これから盛り返せる事業かどうかが指針になる。 
具体的には、日本メーカーの得意技であり、競争力でもある「すり合わせ」が有効な事業かどうかだ。 

よく言われるように、最近の製造業ではモジュール化が進んでいる。 
もし自社の製品が本当にモジュール化していて、モジュールを組み合わせるだけで作れてしまうようなら、率直に言って日本をはじめ先進国のグローバルメーカーが手がけるビジネスではない。 
モジュール化が進んだ製品では、部品間や工程間など、あらゆるところで調整を重ねて高品質なものづくりをする「すり合わせ」の技を生かせないからである。 
典型例は、テレビ、パソコン、スマートフォンのような、消費者向けのボリュームゾーンにあるAV(オーディオ・ビジュアル)製品やICT(情報通信技術)製品だ。 

そうすると、すり合わせ要素がない事業に対する選択肢は2つに絞られる。 
1つは、事業をやめること。 
もう1つは、自分たちの強みを生かせない部分、自分たちでは儲けを出せない部分をアウトソーシングするか、水平分業でほかの会社にやらせること。 
後者の典型例は米アップルである。 
デザインとマーケティングだけしかやらず、製造は台湾メーカーにまかせている。 
そういう自社の強みを出せるところに特化する戦い方がある。 

ただし、選択肢としては2つあるが、多くの日本企業にとってアップルのようなビジネスは苦手なのではないか。 
残念ながらBtoC市場のボリュームゾーンでは、日本企業の得意技を生かせる分野が以前よりだいぶ小さくなっている。 


◇儲からないのに、事業をやめられない 
どちらを選ぶにしても、「何かを捨てる」必要がある。事業そのものを捨てるのか、あるいは自社で抱えているバリューチェーンでいくつかのバリューレイヤーをぽんと捨てなければならない。 

日本の製造業は、この「捨てる」ということがあまりにも下手だった。 
ここに、利益率の低さに次ぐ、2番目の課題がある。 

日本は過当競争の状態だ。 
しばしば議論されるように、プレーヤーの数が多すぎる。 
海外では同じような製品を出すメーカーは1、2社に絞られているのだが、国内では5社も6社もあって、国内で消耗戦を繰り返している。 
本来なら事業のコンソリデーション(買収・合併などによる整理・統合)が進んでもおかしくない状況なのだが、そうなっていない。 


なぜコンソリデーションが進まないのか。 
「事業のコンソリデーションをしましょう」という議論は様々な産業でいつもしているが、暗黙の前提として「自社が事業を買う側の立場」で議論している。 
裏を返せば、「決して事業を売る側にはなりたくない」ということだ。 
「事業を売る」となれば、社内からものすごい反発が出る。 
事業のコンソリデーションは、誰かが自社の事業を売る気にならないと始まらないが、誰も事業を売る側にはなりたくない。 
こんな売り手のいない状況では、永久にコンソリデーションは進まない。 

状況が変わるのは、誰の目にも市場の負け組が明らかになったときである。 
そこに至ってはじめて負け組の企業は不採算事業に手を付けるのだが、そこでも中途半端な施策をとる。 
事業を「売却」するのではなく、「切り出し」という形で存続させようとする。 
たとえば負け組みを含む複数社が同種の事業を切り出して合併させ、共同で経営する形態である。 
「誰が勝って、誰が負けた」という構造が分からないようにするためだ。 

しかし、こういう合併の仕方では、複数の企業が対等の立場で経営する建前になっている。 
合併後の事業の整理・統合は一向に進まず、複数企業の並立状態がずっと続くので、事態はもっと悪くなる。 
なにしろ複数の企業間でコンセンサスを作ってからでないと決められないので、意思決定がますます遅くなってしまう。 

意思決定の遅さは多くの日本メーカーの欠点だが、切り出し型の合併はあいまいな意思決定を増やし、決定のタイミングをどんどん遅らせていく。 
意思決定でも「すり合わせ」をしようとするからだ。 

日本メーカーはすり合わせが好きなので、何でもすり合わせをしようとする。意思決定もその1つだ。 

すり合わせ文化は、メカトロニクス製品や、異質な技術を接続しなければならないような製品など、熱や質量がかかわってくる部分の設計・製造には非常に有効だ。 
しかし、それを過剰適用して、意思決定を含むあらゆるものに適用しようとして、多くの日本企業はつまずいている。 
一生懸命ホウ・レン・ソウして、一生懸命に根回しをするわけだが、そうやっているうちに市場のゲームが終わってしまい、負けてしまうのだ。 

これらが多くの日本メーカーが陥っている罠である。 


◇活路は「スモール・バット・グローバルナンバーワン」 
現状をもう1度整理しておこう。現実の製造業の世界では、分野によって程度の差はあるが、最終組み立て製品であれ、それに使われているデバイスであれ、猛烈な勢いでモジュール化やオープンイノベーションが進んでいる。 
オープンイノベーションとは、自社で新技術を地道に開発するのではなくて、外から新技術や良いもの、安いものを調達していく手法で、この流れが急速に進んでいる。 
典型例は、前述したように消費者向けのボリュームゾーンにあるAV製品やICT製品だ。 

組み立て産業だけの話ではない。 
半導体や液晶の分野でもほとんど標準的な製造装置を使うようになっていて、製品そのものは組み立て型でなくても、製造プロセス自体がモジュール化してしまっている。 
なので、そうした製造装置を購入してそろえれば、誰でもそこそこの半導体製品が作れてしまう。 
本質的には、デバイスの分野でもモジュール化の波にさらされている。 
そういう世界では、意思決定の速さや意思決定のメリハリで戦わなければならなくなる。 

その一方で、航空機エンジンや医療機器、プロ用の放送機器をはじめ、メカトロニクス製品にはまだすり合わせ要素がたくさんある。 

そして、モジュール化が進んでも、そのモジュールの中にはすり合わせ要素がたくさんある。 
すり合わせの要素をモジュールの中に閉じ込めているからこそ、モジュールとモジュールを簡単に組み合わせられるわけだ。 

さて、ここからが本題だ。実は日本の高成長・高収益企業の中には、ファナックを筆頭にモジュールを作っている会社が多い。 
すり合わせ要素を閉じ込めたモジュールというのは、高収益な製品となり得るのである。 

私は「スモール・バット・グローバルナンバーワン(Small but Global No.1)」というコンセプトを提唱している。 
モジュールのような小さな市場でも世界で1番を目指そうという考え方だ。 
1ドル80円の超円高な時期においても、ファナックは40%の営業利益率を達成しているし、そのほかにも、手術用縫合針などで業界シェア90%を握るマニーは35%、小型ロボットの精密減速機で世界シェア50%のハーモニック・ドライブ・システムは21%を達成した。 
ほかにも、特定分野で世界シェアトップを握って、10~30%台という非常に高い営業利益率を達成した企業はたくさんある。 

高収益を上げられる理由はこうだ。 
まず、すり合わせ要素の大きい、得意な領域にフォーカスして大きなシェアを取ったこと。 
そして、その市場セグメントで大きなシェアをとったからこそ、過当競争を避け、強気の商売をして収益力を高められたことである。 
日本メーカーが生き残っていくには、この戦い方が必要である。 


◇小さいけれど高収益な事業はいくらでもある 
大きな市場ばかりを考えるべきではない。 
例えばスマートフォン。 
すり合わせ要素の多いモジュールを手がけるのは分かるが、組み立てて完成品を作る事業に手を出すのはどうか。 
「次はこの市場が伸びそうだ」という情報が流れると、そこにわっと群がって過当競争になり、利益が出なくなってしまう。 
「急成長」「大市場」という情報に負けて、ふらっと手を出し、不得意な領域で厳しい戦いをしているのが実情だ。 
だから利益率が低い。 

大きな市場で一発逆転ホームランを狙おうとすると、「どの市場で戦うべきか」と悩むかもしれない。 
しかし、もし「スモール・バット・グローバルナンバーワン事業でいいんだ」「売り上げが1桁、2桁小さくてもいいんだ」と発想転換すれば、候補はいくらでも出てくる。 
実際、大手メーカーは、そういう「小さいけれど高収益な事業」を知っていながら、一つひとつ丁寧に拾い上げていくことを怠ってきたにすぎない。 

売上高5兆円もあるようなグローバル企業にとってみれば、グローバルで100億円程度しかない市場に対して「ウチがやるビジネスではない」と考えるのも当然かもしれない。 
しかし、その結果が利益率の低下に表れている。 

だから、売上高1兆円の会社があるとして、この会社が1つの事業領域で1兆円を売り上げるより、100億円の「スモール・バット・グローバルナンバーワン」事業を100個積み上げたほうが絶対に強い。 

私が社外取締役を務めているオムロンでは、そういう小さなビジネスを丁寧に拾い集めて7000億円の売上高になっている。 
京都にあるメーカーは、そういうビジネスをしているところが多い。 
オムロンをはじめ、京セラや村田製作所、島津製作所などがそうだ。 
独立系のメーカーが多く、最初から世界を見ていて、オンリーワン志向が強いからではないか。 


◇「市場の成長率」は無視、得意な分野に注力すべき 

自分たちが注力すべき事業を選ぶ際、はっきり言って市場の成長性を考える必要はない。 
なぜなら、予測できないからだ。 
それより、収益性や得意分野かどうかを考えなければならない。 

今はイノベーションが市場をドライブする時代である。 
過去の統計を基に、イノベーションが起こらない前提で将来を予測しても意味がない。 
イノベーションが起これば市場が一変してしまう。米無線通信技術大手のクアルコムが良い例だ。 
最初はニッチだった同社の携帯電話関連技術がこれほど大きな市場になるとは、誰も思っていなかっただろう。 

だったら、自分たちがどんな会社で、何が得意かは確実に分かっているのだから、自分たちが得意なことだけをやればいい。 
自社の強みを発揮できる事業領域でがんばっていると、何かのイノベーションが起こって大化けすることがある。仮に全くイノベーションが起こらなかったとしても、もともと十分な収益が上がっている事業なのだから、そのまま続ければいい。 
製造業は間口も広いし奥も深い産業なので、「スモール・バット・グローバルナンバーワン」の事業を丁寧に拾っていくだけで十分大きな会社になれる。 

米GE(ゼネラル・エレクトリック)だって、かつて同じようなことを実行した。 
ある時期、コンピューターと半導体の事業を捨て、AV機器事業も捨てた。 
そこでGEが選んだ事業は、航空機エンジンや、発電用のタービン、医療用機器などだった。どちらかというと地味だけど、技術の蓄積や顧客との関係の蓄積がものをいう事業だけに集中したのだ。 

こういう領域のビジネスは、今年トップシェアを取っていれば、来年もトップシェアを取れる可能性が高い。 
参入障壁が高いからだ。 

それに比べて液晶の分野は、4年に1度くらいのサイクルで生産設備とビジネスをゼロから構築し直さなければならない。 
もっとひどいのはITのアプリケーションサービスだ。 
誰かが良いアイデアを思いついて商品化すれば、それが一気にシェアを取ってしまう。 
今年の売り上げが1位だったとしても、来年も1位になる保証は全く無い。 
そういう事業領域に、古くて大きくなった日本の大手メーカーが手を出すべきではない。 


◇不得意な事業をやめても縮小均衡にはならない 
今、日本のメーカーが非常に厳しく問われているのは、バリューチェーンのどこで勝負するのか、どの事業領域を選ぶのかということ。 
そこを本当に研ぎ澄まして、絞り込まなければいけない。 

不得意な事業を捨てていくと縮小均衡に陥ると主張する人もたくさんいるが、それは嘘だ。 
得意分野に集中しないから逆に成長できなくなっている。捨てないで、うじうじ続けているから成長できなくなってしまう。 
儲かる事業の利益で、儲からない事業の社内補填を続けているだけだ。 

もちろん、補填する先が未来のある若者なら、いずれ高い利益率になるのだろうから構わない。 
私が産業再生機構で手がけたカネボウについて言えば、主力の繊維事業が好調なとき、将来の多角化事業として化粧品事業に利益を回すのはよい。 
いずれ成長するのだから。 

その後、化粧品事業が育って大人になり、稼ぎ頭になる一方で、繊維事業が儲からなくなった。 
本来なら、化粧品事業の利益を次の成長株に回すべきなのだが、年老いた繊維事業の利益補填をしてしまった。 
社会で子が親の面倒を見るのは美しいが、競争を前提としている企業体がそれをやってしまったら負けてしまう。 


◇事業売却とリストラ、どちらがベターかは明らか 
かつては主力事業か成長事業の1つだったわけだから、そこで働いている従業員がたくさんいる。その雇用をどうするかは考えないといけない。 

もし儲からなくなった事業が完全に「負け犬」の状態になっているとしたら、リストラ(人員削減)は避けられない。 

しかし、「負け犬」になる少し前のタイミングなら、より大きなシェアを持つ企業、勝ち組の企業に事業を売却することも可能だ。 
現場からは「われわれを売り飛ばすのか」という非難の声がたくさん出てくるだろうが、事業売却なら雇用を守れるし、意思決定が遅れて大規模なリストラを実施するより、はるかにいい。 

ただし、「負け犬」になる前のタイミングだと、経営者は「まだ盛り返せる」と考え、現場も「もう1度チャンスが欲しい」と訴える会社が多いだろう。 
そして負け犬になることが確定するまでがんばってしまうが、残念ながらその時点で事業価値はマイナスであり、買い手が付かなくなっている。 

鮮やかだったのは、米IBMが2005年にパソコン事業を中国のレノボ・グループに売却した件だ。あれは負け犬になる直前に売却していた。 
日本のメーカーは、何年も遅れてパソコン事業の縮小や撤退を始めたが、それでは遅すぎる。 

とはいえ、米国式の経営ならトップダウンで事業の売却を進められるが、日本企業では社内でいろいろと調整が必要だろう。 
もし社内調整せずに強引に重要案件を進めようとするなら、川崎重工業のように社長が解任されるような事態になってしまうかもしれない。 

そうなるだろうことは分かっているので、日本企業では下からの積み上げで重要案件を決めていこうとする。 
しかし、事業部自らが「自分たちの事業を○社に売却してもいい」とは絶対に言わない。 
そうなると、前述したように負け犬になるまで事業をずるずると続けてしまい、買い手は付かなくなる。 
カネボウの例はまさにそうだ。 
10年早く繊維事業を売りに出していれば買い手が付いていたはずだ。 

ちなみに、事業売却するとき、経営者は社員から恨まれるものだが、3~4年すると元社員の気持ちが変わってくる。 
意思決定が遅れたライバル企業で大規模なリストラが始まったのを見て、勝ち組企業に売却され、ボーナスも増えたりして良かったと思うようになるからだ。 
実際、私が産業再生機構で事業売却を手掛けた際、当初は「産業解体機構だ」とか「アメリカの新自由主義の手先だ」などと非難されたが、何年かして手紙をもらい、社員らの気持ちが良い方向に変わっていることを知った。 

経営トップが創業者なら、強力な権限を持っているから素早い意思決定ができる。 
しかし、日本の大企業において創業者は既にいなくなっているし、今は普通の会社員が出世して経営トップになっている。 
何十年もの間にできたしがらみの中で社長や役員の椅子に座っているので、会社という共同体の空気や共同体の暗黙の了解事項を出発点にしてしか、ものを考えられない。 
「こういうことを言ったら地雷を踏んでしまうな」ということをよく知っている。 
良くも悪くもすり合わせ型の集団なので、共同体の中に大きな亀裂ができることを一番嫌う。 

事業の売却や撤退の話は最も深く共同体に傷を負わせるので、皆が「ここまで来たら仕方がない」と思えるまで持ち出せない。 

結局それは経営のガバナンスの問題である。 
「経営の最終的な意思決定をする取締役会は、一体何をするところなのか」という根本から見直していかなければならない。 
少なくとも日本の現状では意思決定がボトムアップ的であり、その最終段階で取締役会が正式決定するような形になっている。 
これを変えなければならない。社内でコンセンサスが取れている案件を承認するだけなら、取締役会など無くていいはずだ。 

取締役会は、「下から上がってこない問題」や「コンセンサスが取れるまで待っていたら時機を逸してしまう案件」について議論して決める場である。 
経験的に、昔は取締役会の案件が100あったとして、そのうち1つくらいしか共同体に不協和音をもたらす案件は無かった。 
しかし、最近は経営環境が厳しくなって、10に1つがそういう案件になっている。 
そこで意思決定を先送りにしてしまったら、傷を深くしてしまう。 


◇取締役会に「それはおかしい」と言える人がどれだけいるか 
取締役会の誰かが「それはおかしいだろう」と声を上げて、先送りせずに議論を始め、戦略を決定しなければならない。 
戦略的な意思決定というのは必ず「あれか、これか」を選ぶことだが、多くの日本企業では「あれも、これも」という決定をしてしまう。事業の撤退も、「撤退するか、しないか」しか選択肢は無いのに、「撤退するようなしないような」みたいな玉虫色の話で終わってしまう。 

そういう会社では、社外取締役を増やすなどしたほうがいい。 
もし社外取締役が機能していないなら、うまく機能するように変えていかなければならない。 
社外取締役にとって、10の案件のうち、9つは流していい。ただ、10のうち1つは、「これはいけない」と思う意思決定がある。 
そこでしがらみのない意見を出せれば意思決定の品質が高まる。 

内部の人間は、とかく狭い視野で最適解を求めようとする。 
とりあえず事を荒立てないようにしようとか、誰かの顔を立てるためにこうしようとか、そういうことを考えてしまう。 
だから日本の経営者は意外と「短期志向」である。 
当面の調和を保とうとばかり考える。 

例えばカネボウでは、「客観的かつ中長期的に考えて、繊維事業が競合他社に勝てるわけがないでしょう」と取締役会で問えば、皆がそうだろうと頷いた。 
続けて「これからカネボウの屋台骨を背負える事業にはなり得ないでしょう」と問えば、皆がその通りだと同意した。 
そこまで分かっているのに、「ならば撤退する議論をしなければならないでしょう」と問題提起しなかったら、当面の収益改善策ばかりを議論しようとするだろう。 
何しろカネボウでは、社員の半数が繊維事業で働いている最大派閥だったのだから。 
大手電機メーカーのテレビ事業部も似たような状況なのではないか。 


◇復活モデルは分かっている、あとは実行するのみ 
私からの基本的なメッセージはこの通りであるが、6月末に刊行した『稼ぐ力を取り戻せ!』にも書いたように、このやり方を実行して成果を上げている日本メーカーが続々と現れている点に注目してほしい。 
コマツ、ブリヂストン、ダイキン工業をはじめ、「スモール・バット・グローバルナンバーワン」を実践し、1ドル80円の時代にも高収益を上げ続けてきた企業がたくさんある。 

つまり、もう答えは分かっているのだ。 

かつてGEがそうしたし、近年、オランダ・フィリップスも同じ方法で復活した。 
フィリップスについては日経電子版に詳しい記事が出ているから読むといい。 
とにかく日米欧を問わず、製造業の復活モデルは分かっているのだから、あとは「いつやるか、今でしょ」ということだ。 

日本のメーカーは必ずグローバル市場で復活する。 
多くの日本メーカーが世界のトップレベルに躍り出る日は、そう遠くないはずである。 



*製造業「復活の答え」はもう出ている、実行は今 


     20071104135455

  

◇日本企業が陥りがちな罠① すり合わせの呪縛(前編)


◇日本企業が陥りがちな罠① すり合わせの呪縛(後編)


◇日本企業が陥りがちな罠② ボトムアップ型の決められない経営


◇日本企業が陥りがちな罠③ 現状延長のモノづくり


◇日本企業が陥りがちな罠④ 本国中心の大本営型オペレーション(前編)


◇日本企業が陥りがちな罠④ 本国中心の大本営型オペレーション(後編)

  
◇日本企業が陥りがちな罠⑤ 部門内タコツボ化



 

 1)元手がいらない、    しかも利益は莫大。  2)与えても減らず、    与えられた者は豊かになる。  3)一瞬見せれば、    その記憶は永久に続くことがある。  4)どんな金持ちでも、    これなしでは暮らせない。  5)どんな貧乏人も、    これによって豊かになる。  6)家庭に幸福を、    商売に善意をもたらす友情の愛の言葉。  7)疲れた者にとっては休養、    失意の人にとっては光明。  8)悲しむ者にとっては太陽、    悩める者にとっては自然の解毒剤となる。  9)買うことも、強要することも、    盗むこともできない。 10)無償で与えて、    はじめて値打ちが出る。 *by ディール・カーネギー

小さな地方都市で行われた絵画展での事である。

130901-1

            木村信之「天使の羽根をもらったピエロ」 


二十歳そこそこの娘とその母親が仲よく会場に入ってきた。 
そして職員の説明を聞きながら一点一点熱心に見て回っていた。 

一回りして見終わろうとするころ、娘が一枚の絵の前で何かに打たれたように立ち止まり動こうとしない。 
無言のまま絵を見つめるその顔はどことなく硬直している。 
さらに、赤らんだ目からはついに涙があふれ出した。娘の目の前には一枚のピエロの絵があった。 

驚いた母親が尋ねた。 
「どうして泣いてるの?」・・・娘は押し黙ったまま応えない。母親は困惑しさらに尋ねる。 
しばらくして、娘はためらい抗うように口を開いた。 

「私がまだ小学生の頃、お母さんは『仕事が忙しい』といって晩くまで家に帰らなかったでしょう。 
友達の家へ行くと暖かい夕飯を食べさせてもらった。 

でもおうちではいつも冷たいご飯を温めて食べていた。 
本当は淋しかった。 

もしお母さんに『淋しい』と言えば心配するのがわかるから・・・」 

その言葉に今度は母親が泣き出した。 

娘は嗚咽をこらえて話を続けた。 

「このピエロの絵を見ていると・・・そんな淋しかった私の気持ちをわかってくれるような気がするの・・・」 



*わくわくアート情報より 抽出転載 

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