人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2013/11


自分は「幸せだ」という前提で生きれば
現実は「幸せに」感じられる

自分は「不幸だ」という前提で生きれば
現実は「不幸に」感じられる

自分は「豊かだ」という前提で生きれば
人生は「豊かに」感じられる

自分は「貧しい」という前提で生きれば
人生は「貧しく」感じられる

自分は「愛されてる」という前提で生きれば
世界は「愛に満ちたもの」に感じられる

自分は「愛されてない」という前提で生きれば
世界は「愛が欠けたもの」に感じられる


仮に 
辛いことがあっても

自分は「幸せだ」という
前提で生きてる限り 

どんな現実も受け入れられる。
だから いつも幸せを感じられる。


仮に
辛いことがなくても

自分は「不幸だ」
という前提で生きてる限り 

努力して お金持ちになっても、
恋人に優しくされても

信じられず、
いつも何かが足りない。


花を見て「美しい」と感じる人がいる。

花を見て 何も感じない人もいる。

美しい風景は、

それを眺める人の心の中にある。


「事実は 一つ、感じ方(認識)は 二つ」 


ただ 本当は すべての人が

「幸せ」なのに

「幸せではない」と思い込んでるだけ。

「愛されている」のに、

「愛されてない」と思い込んでるだけ。


「事実」は 既に 

「幸せ」で「愛されてる」のだから、

あとは 「前提(認識)」を変えていくだけ。


そうすれば

「望む現実が 手に入れば 自分は幸せになれる」 

という生き方ではなく 

「幸せな自分が 望む現実を 創造していく」 

という生き方へシフトしていくはず


幸せはいつも「今」ここにあるさんから転載 
 

二度と無い一度の人生だから
私は、生きる使命を見つけ、その使命を全うします

二度と無い一度の人生だから 
私は、泣いたり笑ったり、本気で生きます

二度と無い一度の人生だから
私は、人を愛し 自分を愛し、あらゆるものを愛します

二度と無い一度の人生だから
私は、私の持てる全ての力を出し切ります

二度と無い一度の人生だから
私は、人を妬んだり恨んだり
憎んだり、時間のロスを無くします

二度と無い一度の人生だから
私は、喜びも悲しみも天が
私に与えてくれた愛として受け止めます

二度と無い一度の人生だから
私は魂を自覚し、愛の固まりで
人と社会の中で生き抜きます

二度と無い一度の人生だから
私は、愚痴や不満のない、
喜びに溢れた人生にします

二度と無い一度の人生だから
私は、人の失敗・迷いを大きな心で包みます

二度と無い一度の人生だから
私は、自分と人の体と心と魂を大切にします

二度と無い一度の人生だから
私は、神が私に与えてくれた天寿を全うします


幸せはいつも「今」ここにあるから転載 
 

私たちの人生には、出発点と折り返し点があります。

ちょうどマラソンコースが、一本道ではなく大体折り返し点が設定されているように。

なぜマラソンのコースに一本道ではなく折り返し点を設けるかというと、追い風と向かい風が同時に有利不利に働くようにできているからです。
行きが追い風なら、帰りは向い風、行きが向い風なら、帰りは追い風、というように往復で風を受けることで、有利不利が相殺されるようになっています。

上り坂があれば、同じだけ下り坂がある。
有利不利を平均化するためには、折り返しを作らなければならないわけです。

そして人間の人生というのも、仮に寿命が80歳だとすると折り返し点が40歳です。
70歳の方なら35歳が折り返し点になります。

往路の場合、求める心が強いほど追い風になります。
後半は、執着(しゅうちゃく)を捨てる心が追い風になります。

人生の前半生は、折り返しまでの半分は求める心が強いほど、それが追い風になります。
ところが、人生前半の追い風が強ければ強いほど、人生の後半は向かい風になります。

もし自分が人生の折り返しを過ぎているな、と感じる人は、この復路に入っています。

人生の後半生は、こだわりや執着を捨てていく作業の過程なのです。
若さや美しさ、体力、気力に対するこだわりの心を捨てていく。

実際に体力や気力も若い頃ほどもたないので、「ああ、そんなに若い頃と同じには頑張れないよね」と執着を捨てざるを得ません。
親や配偶者、長年の友人との決別、子どもの独立など、人生の後半は決別の連続です。

それに対していかに執着しないか、ということを自分の中に作っていくことでしょう。
そして、人生の後半生で執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生が楽しい。

向かい風がなくなるからです。
求める心が強くて、あれが欲しいこれが欲しい、と言っている力が強ければ強いほど、逆風が強くなる。

幸せの構造というのはこのように簡単になっているらしいのです。




若いうちは、生きることに貪欲で、ギラギラと突き進むくらいでちょうどいい。
さも知ったかのように老成してしまっては、人生いつやるのか、ということだ。
 
しかし、今若い人も、いつかは年をとり、人生の後半生はやってくる。
そして、人間誰でも、最後の瞬間は、すべてを捨ててあの世に行かなければならない。

あの世に行くとき、三途(さんず)の川の番人は、こう言うそうだ。

「どんな大事なものでも 荷物は みんな 捨ててください、自分のからだも 捨てるんですよ」
                                          (ほほえみ読本)より

人生の後半生は、捨てたり、手放したりする修行。
 

1分で感動さんより転載
 

世界にはオリンピックが3つあります。

一つは一般的なオリンピック。

そして身体障害者のためのパラリンピック。

そして日本ではほとんど知られていなかった知的障害の方のスペシャルオリンピックス。

2005年2月に、アジアで初めて長野県でこのスペシャルオリンピックス世界大会が開かれました。

このスペシャルオリンピックスの知名度がぜんぜんない時代から、この活動にかかわってこられた、細川元総理の婦人である、細川佳代子さんの講演の一部をここにご紹介します。


私がこの「スペシャルオリンピックス」の活動を始めたきっかけは、今から13年前、地元熊本の新聞を読んでいましたら、大きな記事で「ともこちゃん、スペシャルオリンピックス世界大会で銀メダル獲得!」と記事が出ていました。

私はパラリンピック以外に、もう一つオリンピックがあることをそのとき初めて知りました。

ともこちゃんはわずか10歳、ダウン症で難聴。

ほとんど耳は聞こえない状態でありながら、床運動の体操で銀メダルと獲得したことが分かりました。

私はびっくりしました。

そして、その体操指導したボランティアの先生の談話が載っていました。

「スペシャルオリンピックスという競技会は、ベストを尽くして途中であきらめず、最後まで頑張り抜いた選手はみんな勝利者で、表彰台に上がれるんです」

それに私は心を惹かれました。

そしてその方をお招きして講演会を行いましたが、そのときにある牧師さんのお話が出てきました。


山本さんは鎌倉にある聖ミカエル学院の牧師さんで、アメリカでスペシャルオリンピックスに感動し、80年に日本スペシャルオリンピックス(JSOC)を設立した方です。

その山本牧師の言葉。

どんなに医学が発達しても、人間が生まれ続ける限り、人口の2%前後は知的障害のある子どもが生まれてくる。

それはなぜかというと、その子の周りにいる人たちに優しさとか、思いやりという、人間にとって一番大切な心を教えるために神様が与えてくださるからだ。

彼らは神様からの贈り物なのだ。

知的障害のある子どもたちは、本来は優れた能力や可能性をいっぱい秘めて生まれてきている。

けれども自分一人でそれを人に伝えたり、発表したり、発揮することが不自由なのだ。

だから、もしご両親や家族、地域の人たちが、世間では障害とよばれているその不自由さ、生きにくさ、困難さを理解せずに、能力の劣った、かわいそうな子ども、何もできない子どもと思いこんで、何もさせず、ただ保護したり、養護したり、隠したりして育ててしまったら、彼らは本来の可能性を伸ばすこともなく、大変寂しい、孤独で不幸な人生を送ることになってしまう。

でも、もしご家族や地域の周りの人たちが、その一人ひとりの障害という特性をよく理解し、困難や、不自由をちょっとサポートすれば、本来の能力を発揮して、その人らしく社会で生き生きと暮らしていける。

子どもたちが幸せになるか、不幸な人生を送るかは、周りの人たちの理解とサポート次第である。このことばを聞いて、殴られたようなショックを受けたという。

知的障害者を見る目が間違っていた。

それまでは、かわいそうな気の毒な人たち、なんて運が悪いのだろうと思い、生まれてきた意味がわからなかった。

この人達と深く関わると、何か重い物を引きずってしまいそうで怖い。

ほどほどに距離を置いておこう。

うちの子どもはみんな健常児でよかったと胸をなでおろしていた自分に気づいた。

傲慢で自己中心的な自分に気づき、自分の勝手な価値観で、「かわいそうな人たち」と決めつけ、「同情心」しかもっていなかった。

理解とサポートがない環境に生まれてきたことが不幸なのだ。

そして「すべての人間には生まれてきた意味があるのだ」と気づき、活動に関わりを持つようになった。

実は、ともこちゃんは予選で一番成績が悪かったんです。

なぜならば、耳が聞こえないために、音楽が鳴っても踊りだせずに、高い天井を見つめてボーっと立っていたんです。

その彼女を見て、観衆がみんな立ち上がって、声援を送り、ようやくともこちゃんは気付いて踊り始めたんです。

それで、予選で落ちたと思っていたら、決勝に出られることが分かりました。

コーチが、どうして一番だめだったともこが出られるんだろう、と訊いてみたら、「スペシャルオリンピックスでは、予選で落ちる選手は一人もいないんですよ。予選はクラス分けといって、同じレベルの子で競技をする、そのための予選なんですよ」

といわれ、よーし、と頑張って銀メダルを取ることができたのです。

つまり、スペシャルオリンピックスが一番大切にするのは、ナンバー1(世界記録を出す)というものではなく、一人一人が自分の能力、可能性に向かって、勇気をもって挑戦し、自分のベストを尽くした人、それこそ勝利者であり、価値観だということを知って、私はまた感動してしまったのです。

私たちのスペシャルオリンピックスだけ最後に複数の「S」が付いています。

オリンピックやパラリンピックは「ク」で終わっています。

これは、世界大会をする団体だけじゃないからです。

年間通して継続的に、日常生活の中で毎週、地域のボランティアの方々を通じて、今日の土曜日も今この時間に行われて、いつもいつも行われている、だから「S」が付くんです。

この活動でどんどん成長していくんですが、実は、周りの人も変わってくるんです。

私もその一人です。

最初は知的障害者のことを、かわいそうと思い、一方的に「なにかしてやろう」という、たいへん傲慢な気持ちを持っていました。

ところが彼らと楽しく一緒に触れ合っていくうちに、「知的障害者はこっちのほうだ」ということが分かってきました。

彼らはほんとうに純粋な魂を持ち続けて、だれよりもやさしい。

そして、いたわりの心が人一倍強い。

そうしますと、知的障害者という言葉を作ったこと自体が、まちがいであることに気付きました。

それは私たちの物差しで勝手に、知的障害者という言葉を作ったんです。

でも、別の物差し、例えば、やさしさ、思いやり、どっちが人間らしいか、という物差しではかった場合、彼らのほうが、ずっと上等な人間なんです。

あるがままを受け入れる、やさしさ、誠実さ、私たちはとてもかなわない。

彼らと触れ合うことで、人間としてとっても大事なことを学んで、私たちのほうが成長する、魂を彼らに磨いてもらっていると思っています。

こんな素晴らしい活動だから日本中に広めて、かかわった人がみんな、やさしく和やかになって、だれも認め合って支えあう、そんな社会になったらどんな素敵だろう、そう思ってこの活動を続けています。


涙が止まらないより転載
 

劣等感があると、恥をさらせない、
だから強がってチャレンジできない。

理論武装ばかりで自分を守る。

理論武装しているから、失敗できないから
チャレンジしない。

チャレンジしないから
いつまでも劣等感を抱えたまま。

...

劣等感を抱えたまま隠したままだから
チャレンジ・失敗できない。

チャレンジ・失敗しないから成長できない。
周りはどんどん成長していく。

それをみながらますます劣等感が強くなって
隠すのに一生懸命でチャレンジできない、成長できない。

強がって、正当化するしかない。。
「どうせ」って、拗ね切ってしまう。。。

---

さて、このループを抜け出すには

恥をかく勇気
情けない姿をさらす勇気
笑われたり怒られる覚悟
人前で泣く勇気
同業者や教え子、後輩にも頭をさげる覚悟
つまり負ける勇気

そして
その失敗する、カッコわるくて
情けない自分を
自分が受け止める勇気

それは

拗ねない勇気
プライドを捨てる勇気

結局ひとが変われるのは、
知識やノウハウで進むのではなく
イメージやワークでブロックを外すのではなく

そのうえで
最終的に

恥をかく勇気
弱さを認める覚悟

そんな「損する」覚悟

だけしかないのではないか、と
思うのです。

そして、その
「損する覚悟」をした人にしか分からない、

この世に充満する「愛」という
「この世の優しさ」を「体感」できるのです。

自信がついたら、やろう。
失敗しないことが分かっているものだけ、やろう。

出来るようになったら、やろう・・・

泳げるようになってから、プールに行こう
やせてから、ジムに行こう
英語が話せるようになってから、留学しよう

稼げるようになってから、起業しよう
悩みがなくなってから、カウンセリングやセミナーに行こう

体力ついたら,出かけよう・・・

逆、やでー  ヘ( ̄∇ ̄ ヘ)


( 心屋 仁之助 )
 
幸せはいつも自分の心が決めるから転載 

         

ビットコインが500ドルに乗せたので、これを機会に整理してみる

ビットコインは数学に基づいたデジタルの資産です。ビットコインはオープン・ソースの、暗号化されたセキュリティ・システムに守られたネット上の仮想通貨で、送り手から受け手に、直接(peer-to-peer)渡されます。その場合、全ての過去の取引の記録(=Blockchain)が帳簿(transaction ledger)まるごと受け手に譲渡されます。

ビットコインはある時点でUSドルなどの通貨に換金することが出来ますし、逆にUSドルなどの通貨を持っている人がビットコインに換金することも出来ます。

ビットコインを処分したいと思ったら、ビットコイン・エクスチェンジ(Bitcoin Exchange)と呼ばれる、自然発生的に出来た数々の私設取引所のうちのひとつで、取引の相手を見つけることも出来るし、コインベース(Coinbase)に代表される、ビットコイン・ウォレット・サービス(Bitcoin wallet services)という周辺サービスの提供企業にて換金することも出来ます。

過去の全ての取引の記録(Blockchain)を残した帳簿(transaction ledger)を、まるごと受け手に譲渡するということは、金融機関の中央コンピュータで集中的に過去の取引記録が保管されるのではなく、個々のユーザーのビットコインそのものに、過去の取引記録が「記憶されている」ことを意味します。その「記憶」を今、持っているのは、そのビットコインを保有している人、つまりベアラー(bearer)に他ならないのですが、誰から誰にお金が渡ったかの個人情報を知ることは出来ない仕組みになっています。これはちょうど100円玉が、過去に誰の手から誰の手を渡って自分のところに回ってきたかを知ることは困難であるのと同じです。
     131122
ビットコインはどこの政府や金融機関にも依存していない、オープン・ソースの仮想通貨なので、金融機関が電信振込などの方法で所有権の記録の「付け替え」をすることはありません。キプロスで起きたような預金封鎖の対象にも成り得ないし、差し押さえることも出来ません。

新しいビットコインは採掘(mining)と呼ばれる作業によって、発見されることが可能です。これはちょうどゴールドが鉱夫によって採掘されるイメージと同じです。採掘に際してはパワフルなコンピュータが必要ですし、ハッカーのように極めて才能ある人でないとビットコインの発見は困難です。現在のビットコインの流通量は1200万ビットコインですが、最高でも2100万ビットコインしか流通しないことになっています。金の採掘と同様、採掘が進めば進むほど、新しい金を掘るためには地中深くまで探索しなければならず、発見のための労力は漸増します。これがビットコインの流通を抑える働きをするわけです。

ビットコインを使用するに当たっては、ユーザーは自分のPCやスマホにウォレット(wallet)と呼ばれるソフトウエアをインストールする必要があります。ビットコイン自体は企業でもないし、単なる数列に過ぎないので、各国の政府などが取り締まることは難しいですが、ウォレットのサービスを提供する企業は、ちゃんとその本籍のある国の法律に準拠し、マネーロンダリング法などの諸規定を順守して営業しており、将来、新規株式公開を目指しています。

つまりちゃんとしたウォレット・サービスの会社を利用するか、胡散臭い経路でビットコインを利用するかは、ユーザー、つまりあなた次第なのです。なお、地下経済っぽい経路でのビットコイン取引は、今、次々に摘発されており、アングラ的な使い方はだんだん困難になっていることを指摘しておきます。逆に言えば、一連の摘発はビットコインの正統性のUPに大きく貢献したのです。

ビットコインはトランザクション・コストがほぼゼロに近いため、マイクロ・ペイメントなどの場面で、極めて便利です。コーヒー一杯を買う時、スタバでクレジットカードを提示すると、お店の人は嫌がります。これはトランザクション・フィーがお店の負担だからです。このような小さな支払いの場面で、ビットコインは最も威力を発揮すると思われます。

つまりポケットの中のジャラジャラした小銭代わりなのです。ビットコインが、あくまでも「コイン」であり「ビル(紙幣)」でない点に注目すべきです。

このほか、ビットコインはウェブサイトの「投げ銭ボタン」などに今後どんどん採用されてゆくと予想されます。(ウェブメディアを運営している僕としては、そうなると嬉しいです!)

ただ、そのためにはビットコインの価値が余り乱高下しない方が使い手にとっては助かります。(コーヒーの値段が、毎日変わると鬱陶しいですよね?)

残念ながら、ビットコイン価格は、いま猛烈な勢いで上昇してしまっています。これは投機の対象になってしまっているということが先ず指摘できます。しかし駅の改札のsuicaみたいな、利便性の追求こそがビットコインの本来の使われ方になると思います。いま、ビットコインが利用できるポイント・オブ・サービス(利用可能場所)はどんどん増えており、それがビットコインの需要を押し上げているのです。

ビットコインが普及すると、困る人が出てきます。ざっと思い浮かぶ名前で言えば、ビザカード、アメリカン・エキスプレス、ウエスタン・ユニオン、JPモルガン、アクセンチュア、IBM、アマゾン、アップル、AT&Tなどです。

(文責:広瀬隆雄、Editor in Chief、Market Hack)


仮想通貨人気でビットコイン類似通貨が次々登場

電気エンジニアのゲーリー・トマス氏は仮想通貨でもうけようと計画している。しかし、それはビットコインではない。彼はアルファコインやファストコインといった新しい仮想通貨に大きく賭けているのだ。

 トマス氏は今年に入ってボストン郊外の自宅で仮想通貨の取引を始めた。かつてドット・コム・バブル時のインターネット銘柄への投資は大失敗に終わったが、今の仮想通貨取引が金持ちになる切符だと確信している。

 50代の彼は「これは決して繰り返されない歴史の決定的瞬間だと思う」とし、「誰も想像もしないことになるだろう」と話した。

 「クリプト通貨(仮想通貨)」は熱狂的な人気で、ピアコイン、ネームコインからワールドコイン、ホーボーニッケルまで80種以上の通貨が生まれた。10、11月だけでグリッドコイン、ファイアフライコイン、ゼウスコインが誕生した。bbqコインは2012年のスタート後に失敗したが、今は復活している。11年に始まったライトコインは、ビットコインの最強の代替通貨となった。

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 仮想通貨の専門家たちは、ビットコインの爆発的な人気が相次ぐ新通貨の発行に寄与していると見ており、ますます増える仮想通貨ファンはその取引でひともうけできると期待している。各取引所を通じたビットコインの平均価値を算出しているコインデスク・ドット・コムによれば、09年に始まったビットコインはニューヨークの20日午後遅い時点で1ビットコイン=548ドル(5万4800円)をつけ、既存ビットコインの価値は約66億ドルとなった。この価値上昇を受けて米議会では今週、公聴会が開かれ、当局はビットコインが合法的な通貨だとしながらも、違法行為のために使われる恐れがあるとの見解を示した。

 これは仮想通貨にとっては黄金の時だった。ビットコインは下落する前の18日には781.82ドルまで急騰。他の一部の仮想通貨も同様に急伸した。

 ビットコインは、ナカモト・サトシという正体不明の個人あるいはグループによってつくられた。複雑な数学の問題を解くためコンピュータを使って、限られた数のビットコインが「マイニング(採掘)」、つまり創出される。ビットコインはその後、デジタル的に取引される。投資家はネット上の取引所を通じてこれを売買する。いくつかの小売業者は商品・サービスの対価として仮想通貨を受け入れている。

 新通貨は一般にビットコインと同じ基本概念に基づいているが、そのアルゴリズムは少しばかり異なり、取引をスピーディーに行えるようになっている。

 これらの新通貨はビットコインほどには広範に受け入れられたり使われたりしていないため、投資家はこれらの通貨にはビットコインの何分の一かの価値しか置いていない。

 新通貨の多くは、フロリダ州デルレイビーチのクリプトシー(プロジェクト・インベスターズの子会社)やBTC-eドット・コムなどの取引所で取引されている。クリプトシーの創業者ポール・バーノン氏は、この取引所ではトマス氏のような熱狂的な投資家が1日に最高3万3000件の取引をしていると話した。デイトレーダーも出現し、異なった取引所間のレートのサヤを稼ごうとしている。

 20日のクリプトシーでは1bbqコインは0.00000474ビットコインで取引された。1ライトコインは0.01331025ビットコイン、クルーガーコインは0.00000024ビットコインだった。

 仮想通貨の動きを追っているニューヨークのジェネシス・ブロックの調査部長グレッグ・シュベイ氏は、非常に多くの通貨が発行されているため、「集中的な調査が難しい」と話した。同氏は、その多くは成功できず、最終的に価値のないものになるだろうとの見通しを示した。

 パリでコンピューターサイエンスを学ぶ17歳のAndy Pilate氏(通称キューボックス)が仮想通貨ネットフォーラムのbitcointalk.orgに投稿したところでは、同氏は12年7月、「冗談半分に」bbqコインをつくった。このフォーラムのユーザーの多くは、bbqコインは他の通貨の物まねで、仮想通貨を軽視していると冷笑していた。bbqコインはすぐに姿を消した。

 しかし、当初の支援者たちの一部が今年になってbbqコインを生き返らせた。今ではいくつかの小売業者が支払い通貨として受け入れるまでになった。

 オハイオ州シーダービルのコーヒーショップ、ストーニー・クリーク・ロースターズのオーナー、テーラー・マイナー氏は同通貨をマイニングし、店で受け入れている。彼は10月、ある友人に初めてbbqコイン建てで販売し、友人はアイスクリーム「クッキー・アンド・クリーム」2人前を7000bbqコインで買った。彼は「食品とクリプト通貨という二つの世界が一つになったような感じだった」と話した。

 Pilate氏は、bbqコインを放棄してからはこれにほとんど関心を払わなかったとし、「人々が最終的にこれを使うようになって嬉しい」と話した。

 仮想通貨の時価総額を調べているフィルコインマーケットキャップ・ドット・コムによると、ビットコインの最強の代替通貨であるライトコインの時価総額は、20日午後遅い時点で約1億7680万ドルとなった。同通貨は今、一部で受け入れられている。例えばユタ州ノースローガンの蜂蜜・キャラメル販売会社ビーズ・ブラザーズはビットコインとライトコインを受け入れている。

 一部のビットコイン支持者は、ライトコインの脅威は感じないと述べている。ビットコインの利用促進活動をしているビットコイン財団(ワシントン)の広報担当者ジンヤング・リー・イングランド氏は、投資家が価値の貯蔵手段としてさまざまなコモディティーを使うのと同じように、仮想通貨は共存できるとし、「ビットコインが金なら、ライトコインは銀だ」と語った。

 自分のコンピューターで仮想通貨をマイニングしたトマス氏は、もっと多くの通貨が価値を高めるだろうと述べた。現在約8ビットコイン、つまり約4384ドルの価値がある自分の資産が来年11月には1000万ドル以上の価値になると確信している。彼は「いい位置にいたのに大きなリスクを取ろうとしなかったばかりに、振り返って『あの時やっていれば』と悔やんだことが何度もあった」と話している。 


 By JOE LIGHT

ビットコインについて素人が思う疑問
 
 

友達ゼロ」は人としてダメか

 東日本大震災後、改めて「人と人との絆」の重要性を痛感した日本人。
様々な場所で「誰かと繋がること」の大切さが叫ばれ、SNSをはじめ“絆を確認するツール”も世代を超えて大流行している。
 
だが、多くの人が友達作り・友達付き合いに励む一方で、ほとんど友人がいない“孤独者”が社会全体で増えつつあることはあまり知られていない。
友人の数に関する統計には様々なものがあるが、社会人の平均は10人前後。しかし、いずれの調査を見ても「友達はいない」という層が5~6%は存在する。
社会人30~40代、それなりに充実した人生を送り、信頼できる同僚も守るべき人もいるが、「本当の友達」と呼べる相手は極めて少ないか、ゼロ――。
そんな人も決して少なくないはずだ。「絆全盛」の今、友達が少ない人は人間としての価値も低いのか。
当代きっての人気心理カウンセラーに話を聞いた。(聞き手は鈴木信行)
 
 
友達が少ない、もしくはいない人は、ずばり人間として、何らかの“欠陥”があるのでしょうか。
 
「友達がいない」と言っても様々なケースがあります。
自分の人生を充実させるため人間関係に過剰に時間を奪われるのが嫌で人脈を整理していたら、いつの間にか1人で過ごす時間が多くなった、という場合もあるでしょうし、友達が欲しくてしょうがない、飲み会に誘ってもらいたくてしょうがない、なのに周囲から嫌われて泣く泣く孤立しているという場合もある。今日のテーマはどちらでしょう。
 
前者です。
今、話題のSNEP(孤立無業者)などではなく、会社に入って10年、20年、紆余曲折を得ながらそれなりに充実した日々を過ごしてきた。
信頼できる同僚も、守るべき人もいる。ただし、若い頃ならまだしも、仕事に子育てと時間に追われる生活をしているうちに同窓会などからは足が遠のき、会社の人間とも休日まで交友する気にはなれず、ふと気が付けば「友達」と呼べる相手は極めて少ないか、ゼロ。
例えば、そんなケースです。
 
ああ、でしたら問題ありません。
 
ですが、世間的には、「友達が少ないのは良くないこと」「友達がいない人間は変なやつ」という雰囲気が蔓延している気がしますが。
 
いやいや、僕に言わせれば、「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」こそ、よほど問題だと思いますよ。
「1人の時間を過ごせる力」、言い換えれば「孤独力」は、現代をタフに、しなやかに、クリエイティブに生きるための必須能力で、今からの時代、ますます大切になっていきます。
その意味では、ビジネスパーソンに限らず、孤独を愛する人は、人生を充実させるうえで強烈なアドバンテージを持っていると言っていい。
 
でも現実に世間では、「交友関係が狭いのは悪しきこと」という空気が漂っていませんか。
何かというと群れたがり、“孤独者”を許そうとはしない人も多い。
職場でも、会社によっては「友達がいない人間は価値が低い」「同僚と昼食を取らない人はどこか問題がある」「単独行動が多いのはわがまま」と認定する価値観が色濃く残っています。
 
確かに。その結果として「ランチメイト症候群」みたいな現象も出てくる。
 
昼食を一緒に食べる相手のいない会社員、特に女性社員が、鬱やノイローゼにまでなってしまう現象のことですね。
あれなど、本人や周囲が「友達がいないのは人間として問題である」と思い込んでいるからこそ起きるものでしょう。
逆に、「友達は多ければ多いほどいい」とばかりに、部員全員で毎日ランチに行くことを事実上強制され、時間やおカネの浪費に頭を悩ませている会社員も存在します。
 
いけませんね。
お昼休みぐらい「1人の時間」を作らないと、いいアイデアなんて浮かびません。
本当に優れた発想というのは、1人で自分の内面と深く会話している時にこそ生まれるものなんですから。
 
日本人は「孤独は寂しい、良くない」と考え、群れたがる傾向が強い--。
そんな見解を持つ人も少なくないようです。仮にそうだとすれば、その理由はどこにあるのでしょう。
 
背景には、日本という国全体を覆う「何事も目立たず、周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力があるのだと思います。
この国では、多くの人が「友達集団や職場集団の構成員と同じ価値観の下、同じ行動をしなければ安定した生活を送れない」と思い込んでいる。
そう考える人にとっては「周りと群れて、つるみ、同じことをすること」が最も安全な選択なんです。
 
なぜ日本社会には、そこまで強い同調圧力が存在するのですか。
 
最大の理由の1つは、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると私は考えています。
あの時代、クラスの中はいくつかの“排他的集団”に分かれ、子供たちはいずれかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。
そして、安定して集団に属するためには、とにかく「周りと同じであること」が要求される。「周りと違うと、どんな酷い目に遭うか」、この時期に多くの人は、無意識のうちに体に叩き込まれ青年期を迎えるんです。
 
それでしたら身に覚えがある人もいると思います。
「同調圧力」は教師や親からも日常的に掛けられ、口では「個性を磨け」とか「オンリーワンを目指せ」と言いながら、本当に目立ってしまえば、確実に良からぬことが起きる。
そんな経験を持つ人も多いのではないでしょうか。スポーツエリートなど、集団から完全に突き抜けてしまう子は、別なんでしょうけど。
 
中には、年を取るにつれて、そうした同調圧力の強迫観念から開放される人もいます。
しかし、染み付いた価値観を抱え、精神的に幼いまま大人になる人も多い。
 
なるほど。そうした人にとっては、“自分や周囲に同調しない者”は「おかしな人」であり「変な人」であり「異端」のままなんですね。
彼ら彼女らにとっては、「友達が少ない人」はもちろん、「ランチを一緒に取らない人」も、「社員旅行や飲み会に消極的な人」も、みんな“集団に馴染めないかわいそうな人”になる。
だからこそ、「友達の少ない人」を哀れむし、一方で、自分自身が孤独になることを恐れ、時にはノイローゼになりながらも「友達」の数を増やそうとする、と。
 
他人と群れれば、心を麻痺させ、楽になれる
 
加えて、今の社会では、たとえ表面的であっても幅広い人間関係を維持し日々に忙殺された方が、かえって楽に生きられる、という側面もあります。
生きていれば、誰だって人生の節目ごとに様々な悩みが生じてくる。でも、飲み会やSNSなどで絶えず誰かとくっつき、スケジュールを埋め続けていれば、「自分の心を常に麻痺させること」が可能です。
 
そうすれば、本来なら孤独に自分の心を深く見つめねば解決し得ない問題も先送りできる。
「群れる」「つるむ」というのは、日々の不安を打ち消すうえでとても便利な道具なんです。
「群れる相手」「つるむ相手」の数が増えるほど、「自分にそれだけ価値がある」と根拠なき自信を持てるようにもなる。
 
でも先生、そんなことをしていては、人間としてなかなか成長できないのではないかと思うのですが。
 
もちろんできません。
それどころか、周囲と過剰に同調しようとすることで精神的に追い詰められてしまう人もいます。
 
先生の著書『孤独であるためのレッスン』に、まさにそんな状況に陥った女子中学生が出てきます。
「周囲の友達に合わせるのがたいへんで、それでもグッと我慢して、自分を抑え、楽しくもない会話に楽しい振りをして、へらへら笑ってつきあってきた…これ以上我慢していると、自分でも自分のことがワケわかんなくなって、友だちのこと、刺してしまいそう」――。
こんな深刻なケースが本当に増えているんですか。
 
増えています。
特に、今の子供たちは、スマートフォンやSNSなどのネットの発達で一段と同調圧力に追い込まれている。
有名になった「メールを3分以内に返信しなければアウト」をはじめ、所属する集団の“掟”にわずかでも背けば、たちまち仲間外れにされてしまう。いわゆる「友だち地獄」です。
 
社会人は、そこまでは酷い状況にはなってないですよね。
 
いやいや、根本的な状況はさほど変わらないのではないでしょうか。
中学生に比べれば成熟していますから、殺意に向かう人はいないでしょうが、大人は、逆に自分を押し殺そうとする。
会社員の間で“心の病”が流行しているのは、労働強化だけではないと思います。
 
「自分の気持ちが特に欲してもないのに無理やりに友達を作ろうとするのは、体に悪い」というわけですか。
 
それだけではありません。
「群れること」の弊害はまだまだあります。自分が何をどう感じていて、何を欲しているのか分からなくなることです。
こういう人は人生の節目節目、特にレールから外れた時になかなか立ち直ることができません。
そんな「自分を持たない人間」が、とりわけ定年を迎えると大変なことになります。
 
このまま高齢化社会が深刻化すれば、自分を見失った高齢者が溢れかねない、と。
 
一方で、1人の時間をしっかり持っている人は、自分と向き合い、深い部分で自分が本当はどう生きたいのかよく考えていることが多いから、どんな時も、心のバランスを維持することが可能です。
その意味では、冒頭で出てきた「いつの間にか孤独を選んでいた人たち」は、実は自分の心がそうなることを欲して、無意識のうちに人間関係を整理してきたとも考えられます。
人生の重大な局面を向かえ、もっと自分を知りたい、この後どう生きていくべきか考えたい。
そんな深層意識があって、1人の時間を確保することを自分で選んできたとも言えると思います。
 
表面的な友達は、自分を助けてくれない
 
なるほど。今の時代、孤独が苦にならない人はちょっとしたニュータイプとも言えちゃうわけですね。
ただ、先生、孤独に生きようと思いながら躊躇している人の中には、「あまり他人と距離を置きすぎると、いざという時、誰も助けてくれなくなるのでは」と考える人もいます。
 
ああ、それなら心配は要りません。
広く浅くの表面的な関係で結ばれた友達が、いざという時に、本当に本気であなたを助けてくれると思いますか。
相手が苦しい時に自分の身を投げ出しても何とかしようとする。そうした深い人間関係は、「孤独を知ったもの同士」の間にこそ生まれる。
人間は本来孤独であり、それぞれ自分の道を生きていくしかない。
そうやって孤独を引き受けた者同士だから分かり合えるための努力をする。孤独を知った者同士だからこそ響き遭える、深い出会いがあるんです。
 
同調圧力を背景に半ば脅迫的につながっただけの関係の相手に、いざという時、親身の支援を期待するのは無理がある、というわけですか。
お話を聞いているうちに、「友だちが少ない、いないこと」は人としてダメどころか、様々なメリットすらある気がしてきました。
少なくとも「誰かと絶えずくっつくことで安心感を獲得し、そうでない人間を排除しようとする人たち」より、ずっと健全に思えます。
「分かり合えない人」と形ばかりの関係を維持しようと神経をすり減らすより、健康にはいいし、自分を見失わなくても済む。
孤独を知ることで、“真の友”との本当に深い出会いが待ち受けているかもしれない。
 
そうです。そうした深い出会いからは「この人だけは自分を見捨てない。どこかで自分を見守ってくれる」と思える人も、数は少ないかもしれませんがきっと見つかるはずです。

目的は何ですか

便利になって
時間がない

増える学位
鈍くなる感性

増す組織 
衰える判断力

増える専門家
増える問題

増える薬
損なわれる健康

はるか月まで行って帰ってくる時代
隣人に合うために道ひとつ越えられない

情報を蓄え複製するために
コンピューターを作り
真のコミュニケーションは減る

私たちは量を重んじ
質を軽んじるようになった

ファーストフードと
消化不良の時代

大きな体と
狭い心

伸びる利益
そして薄まる絆

ショーウインドウに
多くのものが陳列されていて倉庫には何もない
 
これが我々の時代だ

(ダライ・ラマ)

PS4™でのゲームライフは、リビングを飛び出してネットワークや普段の生活に融合し、広がっていきます。
人とゲーム、人と人が"つながる"ことで生まれる感動や驚き。

        

『プレイルーム』

PlayStation®4にプリインストールされている『プレイルーム』は、PlayStation®Cameraが生み出すPS4™の遊び空間。 
インタラクティブな空飛ぶロボット「ASOBI」やかわいらしい「ARボット」があなたのリビングルームを賑やかにしたり、「ARホッケー」で友人と新感覚のゲームを体験することもできます。


                     


 

■ 金融緩和を継続するであろうFRB ■

FRBの次期議長のイエレン氏が上院委員会の公聴会で証言しましたが、基本的には金融緩和を継続する様です。

1) 株式市場はバブルという程の状況では無い
2) 金利引き上げまでには数年掛かるかもしれない
3) 潜在的失業者をカウントしたら失業率は10%に近い

ここら辺が目に留まりました。

イエレン氏は失業問題の専門家ですから、失業率の回復をかなり重視すると思われます。これは緩和継続が長引く要因にもなります。

一方で、緩和縮小の原因になるのが金融市場や株式市場のバブル発生ですが、イエレン氏は、現状のアメリカ株式は株価収益率から見てももバブルの域には達していないと判断しています。

■ バブル崩壊はいつも金利の引き上げで発生してきた ■

「バブルの崩壊」には必ず原因があります。

大抵の場合、中央銀行の金利の引き上げがバブル崩壊の引き金を引きます。
バブルの生成要因が、過剰な資金供給にあるのですから、これが絶たれれば当然バブルは弾けます。

サブプライムローン危機の直前、FRBのグリーンスパン議長は、「住宅市場はバブルとは言えない」と発言し、金利の引き上げを行いませんでした。

今となっては殆どの専門家が、当時「住宅バブル」が発生していたと認識しています。多分、FRBもバブルであると認識はしていたのでしょう。ところが、FRBは金利を引き上げればアメリカの住宅バブルが弾ける事も理解していたはずです。ですからFRBは金利を引き上げるにも引き上げられない状況だったと考えられます。

では、誰がサブプライムローン破綻の引き金を引いたかと言えば、それは日銀でした。当時、日銀は世界で唯一「量的緩和」政策を実行していましたが、ゼロ金利下の日本では資金需要が弱く、円キャリートレードによって日銀マネーはアメリカに吸い寄せられていました。この日銀マネーの金利が上昇した為に、サブプライム層のローンの金利が上昇し、ローンを払えない人達が続出したのです。

現在、アメリカの住宅市場は低空飛行中ですので、バブルは発生していません。その代わりとして、緩和マネーは株式市場と新興国市場、そして商品市場などに流れ込んでいました。

■ 金利の引き上げや、量的緩和の縮小で崩壊する相場を「バブル」と呼ぶのでは無いか? ■

5月にFRBン緩和縮小が予測されるや否や、先ず新興国から資金が引き揚げられました。これで新興国市場の株価が急落します。日本の株価も5月で頭打ちになりました。さらに、新興国の景気悪化は消費の減衰を招き、商品市場からの資金逃避も引き起こしました。

それらの逃避資金の行き先が、米株式市場となったので、ダウ平均は史上最高値を更新しています。16000ドルを一つの目標として、米株式市場は強気な相場が続いています。

「現在の米株式市場の相場は、FRBの緩和縮小までは崩れない」というコンセンサスが形成されているので、債券市場の資金も株式市場に集まってきている様です。国債金利が世界的に上昇しています。(日本だけは下落していますが)

FRBは「株式市場はバブルでは無い」と発言していますが、史上は金融緩和が縮小されたら「株式市場は暴落する」と誰もが思っています。既に、この時点で米株史上はバブルであると言えます。何故ならば、資金供給が縮小して崩壊する相場こそがバブルだからです。

■ 出口の外には崖しか無い ■

出口戦略を成功させるには、量的緩和意外に株式や商品に投資する理由が必要です。要は、「景気が力強く回復して、相場が上昇する」と人々が信じる事が必要なのです。

「アベノミクス」は「期待による景気回復」にチャレンジする政策でした。しかし、1年が経過した現在は、「根拠の乏しい期待」で市場が踊るには限界がある事が明確になっています。

日本株はリーマンショックや311の影響で不当に安くなっていましたので、その値が適正水準に戻った所で、日経平均の上昇は止まったとも言えます。含み損が解消した時点で、株を買い上げる動機が薄れてしまいました。

では、アメリカ経済はどうでしょうか?アメリカで景気回復が本格化するには二つの条件があります。

1) 資産市場が値上がりする事
2) 住宅市場が回復する事

アメリカは日本に比べ個人の資産運用が活発なので、資産価格の上昇はアメリカ人の消費を活性化させます。又、住宅市場の波及効果の米経済に占める割合は大きいので、住宅市場の回復は景気回復に不可欠です。

さらには、アメリカでは住宅の値上がり分に新たな担保価値が生まれますから、住宅な値上がるとそれを担保として車など大型の消費が活性化します。

FRBはQE3でMBSと長期国債を買い上げていますが、これは長期金利を引き下げる事で、住宅ローンを組み易くする狙いがあります。

しかし、その長期金利がズルズルと上昇しています。10年債が4%、30年債が3%の金利に向けて上昇中です。FRBと米国政府はどうにか金利上昇を抑制したいのですが、多分、市場参加者達は、テーパリングが始まる前に、株式市場で利益を出そうとしている様です。

この様に非常に不自然な形で米株式市場の値上がりが継続しているので、QE3のテーパリングが始まると市場が判断した時点で、米株市場は下落に転じます。これが暴落となるのか、大幅な下落に留まるのかは運としか言い様がありません。サーキットブレーカーが発動しますから、とりあえずは止まるのですが、売り一色になった場合は、FRBがさらなる緩和拡大を発表して市場を支えるしか手はありません。

結局、実体経済の回復無くしては、QE3は縮小できないのです。

■ QE3が永続化した場合、バブルは弾けるのか? ■

ではFRBがQE3の出口戦略を当分諦めた場合、バブルは崩壊するのでしょうか?
多分、市場は延命を期待して、なかなかバブルは崩壊しないはずです。

「なーんだ、大丈夫じゃないか・・・」

リフレ論者達はこう考えるでしょう。

しかし、その場合、米国の長期金利に上昇圧力が強まると思われます。
現在は金融市場が吸収しているのでアメリカのインフレ李は低いのですが、やはり量的緩和に出口が無いと分かった時点で、将来的なインフレを市場は予測します。それも、悪性のインフレを予測し始めるでしょう。

既に現状の米長期国債金利の上昇が、リスクプレミアムを見込んでいるとも言えます。10年債の金利が4%を超え、5%、6%と上昇していったならば、(米国債の値段の下落)、リーマンショック後の低金利の米国債は含み損が拡大して行きます。米国債の保有者達は、日本国債を保有する日本の銀行の様には律儀では無いので、米国債の危機が意識されれば米国債が売却され、金利は急激に上昇するはずです。

・・・これでジ・エンド。

■ 量的緩和の永続化は、必ず国債の金利上昇で終焉するだろう ■

日本もアメリカも量的緩和を行き着く先は、長期国債の金利上昇では無いでしょうか?

それを見越して、日本では2015年から国債の時価評価が停止され、アメリカではボルガールールによて、銀行の米国債保有が強力に後押しされます。

2014年の前半位までは、FRBのテーパリングばかりが市場の心配事ですが、テーパリングが不可能と思われた時点で、問題の本質が国債金利に移るのでは無いでしょうか?



お金は薄く広く集めるべし・・・NISA(ニーサ)は成功するのか
■ 日本株バブルはこれからが本番? ■

イエレン氏の議会証言でダウや日経が一ステップ上げています。
FRBが緩和を継続する限り、相場は強気ですが、一方で新興国市場からは資金流出が続いています。インドネシアは金利を上げて資金流出を防ごうと必死です。多分、ブラジルやインドなどがこれに追随して行くでしょう。

日経平均も15000円をスルっと超えてしまいました。あっけないものです。
来年1月からNISA(少額投資非課税制度)が開始されます。今まで10%だったキャピタルゲインは20%に引き上げられますが、その一方で年額100万円までの小口の投資の利益は非課税になります。

これにより、小口の顧客の資金が株式市場に集まれば、日本株のバブルが始まるかも知れません。

■ 資金は浅く広く集めて、そして放さないのが鉄則 ■

現在、個人で株に手を出しているのは資金の余裕のある老人か、ネット売買を活発に行っている若い方でしょう。

これらの方の多くは決して素人では無いので、逃げる準備をして日々の値動きにも敏感です。彼らは現在の日本株の相場が、外国人に支えられている事を知っていますから、外国人が売りに転じる気配に敏感です。

結果的に日本株の上値は重く、なかなか5月の最高値を更新する事が出来ません。

しかし、NISAが導入され、個人の小口の資金が集まり出せば、日経平均は18000円位になるかも知れません。相場は水物ですから、儲かった人が周りに居れば、老人達も100万円位なら試してみようと思うでしょう。

こうして「ボーナスステージ」が始まります。

先の大バブルの時もそうでしたが、株などに手を出した事の無い庶民までも、NTT株で一儲けしようと思わせたのが、株価高騰の原因でした。資金が広く浅く市場に集まって来る時、市場はバブル相場を形成します。

彼らの購入理由は一つだけ。「相場が値上がりしている」事に尽きます。

■ 売らせないNISA ■

一方、NISA制度は株の非課税取引枠を年額100万円に制限しています。これでは、デイトレードの様な活発な売買で利益を確保する事は出来ません。結果的に長期保有となります。

100万円ずつ5年までは非課税枠が加算されるので、5年経った株から利確して買い直すというケースが多くなるかと思います。

要は、5年間はなるべく売らせない法律なのです。企業にとっては、株価安定という大きなメリットがあります。

■ 空売り規制の緩和とセットで考えると ■

昨年の11月以来、日本株高を演出してきた外国人は、ジム・ロジャースの様に5月のピーク前に売り抜けた連中以外は、未だ日本株を売り抜けられずにいるはずです。

空売り規制が緩和され、NISAで株価が上昇すれば、ヘッジファンドなどには格好の売り場が出現します。彼らがどこら辺で引き金を引くのか・・・少なくともNISA施行までは日本株を買い上げて「餌」を撒くでしょう。

賢い個人投資家達は、これを利用して税金の安い内に売り抜けるのでは無いでしょうか?

■ 老人ははたしてNISAに釣られるか? ■

問題は株に手を出していない様な人達が、はたしてNISAに釣られるかどうかです。日本人は大バブルの崩壊で株価が1/4になった経験をしていますから、「株は怖い」と思っている人も少なからず居ます。

ただ、100万位なら、ちょっと試してみようと思うかも知れません。
マスコミが煽れば、結構簡単に釣られてしまうかも知れません。

■ FRBの緩和縮小も来年の1月までは有り得ない ■

アメリカは来年1月に再び財政問題に直面します。(茶番劇ですが)
これがあるので、来年1月まではFRBも緩和縮小に踏み切らないでしょう。

市場はこれがあるので、安心して相場を吊り上げています。

バーナンキがイタチの最後っ屁みたいな事をしてくれるかも知れませんが、それこそ株式バブル崩壊の引き金を引いてしまう事になるので、さすがにバーナンキもそれは出来ないでしょう。イエレン氏に円滑に議長職を譲るはずです。

こうして考えると、日本株は細かな上下を繰り返しながらも、来年1月までは徐々に値を上げて行くでしょう。

これが個人投資家のファイナルステージとなるのか・・・・。


28年間で言われた言葉の記憶として、一番残っているのが「君、どない思う?」なんです。

私だけでなく、周辺にいた皆が「君はどう思うんや」「君はどう思うんや」と聞かれて大変だったというんですが、私もそうでした。

幸之助さんにとっては素直な質問であっても、「君、どう思う?」と聞かれて返事ができなければ、あぁ、勉強しておかなければと反省して、後で調べたり考えたりする。

だから「君、どう思う」と言われ続けたことが、己の考え方や信念を養う上で非常によかったと思うんです。

その根底には素直な心で相手に接するという姿勢があったのだと思いますが、実は幸之助さんが80歳を超えられた頃、「岩井君、素直な心の教科書を 持ってきてくれんか」とおっしゃったんです。

「参考書ならたくさんありますが、 教科書はありません」と答えると、少し表情を曇らせて、

「わしなぁ、いろんな一流の人物とお会いする。
 一流といわれる人に会うたらな、共通点があるんや。
 それは何か。素直な心を大事にするという、その一点なんや。
 幸いわしも素直な心を大事にしようと思い、皆にも言い続けてきた。ところが……」と、きたんですね。

「わし自身が最近、素直になれんのや。
 平常心を持てと言いながら心が落ち着かん。
 人の長所を見よと言いながら、社員の短所ばかり見てしまう。
 君、助けてほしいんや。
 すまんがな、素直な心になるための百カ条、つくってんか」


そこでまずPHPの所員、さらに松下電器グループの社員にも協力を呼び掛け、「どうすれば素直な心になれるか」という提言募集を行ったんです。
すると約2万件の提言が集まりました。

その中から百カ条を抜き出して、研究員で解説をつけていくように言われましたが、「君らの文章は理屈っぽい」と、なかなか気に入ってくださらない(笑)。

いったん保留にしようかとなった時、1人の研究員が、「所長(幸之助氏)、私たちは、とらわれているんじゃないでしょうか。
所長は百カ条をつくれと言われ、我われが無理に解説をつけようとしている。
いままでは所長の発言からまとめてきたのに、借り物の言葉から先にまとめようとしていることが、間違いなんじゃないですか」と言ったんです。

幸之助さんは少し考えておられましたが、
「君、そう思うか。 よし、もう一遍、一からやろう」と言われてつくったのが、『素直な心になるために』という本なんです。

私はこの本が、「自分が素直になれんのや」という幸之助さんの葛藤がきっかけで、生まれたことが大事だと思うんです。

自分が素直でないと感じる人こそ、素直な人ではないかと。

己の不足を認め、それを埋めていこうという気持ちを終生持ち続けられたことが、素晴らしいとつくづく感じます。

*岩井虔(PHP研究所客員・元専務)

         131116

人が本来持っている「素直な心」を養い、高めるには? 
著者の長年の体験と鋭い洞察から生まれた、素直な心になるための貴重な指針の書。
 
互いに責めあい、非難しあって暗い心で生活していくより、あたたかな心を通わせ、ゆるしあい励ましあって生きていこう。本書は、そんな願いをこめて書かれました。

「お互い人間が最も好ましい生き方を実現させるためには、それを実現するのにふさわしい考え方や行動をすることが大切で、その根底になくてはならないものが『素直な心』である」と、著者は述べています。
 
一代で世界の松下電器を築き上げた松下幸之助。その人間観・経営観の根底には、つねに「素直な心」がありました。
この素直な心こそが、何ものにもとらわれない心で、強く正しく聡明な人生の歩みを可能にするものなのです。
 
本書は、著者の長年の体験と鋭い洞察から生み出された、素直な心になるための貴重な指針の書です。
 

日本人としての価値観や国家観、アイデンティティーを取り戻す時

文明の発祥の地は、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河の世界四大文明であると、今だに信じている人は多い。

世界最古の土器は青森県の大平山元遺跡で見つかった1万6500年前のもので、メソポタミア最古の土器は紀元前5000年頃と言われ、1万年も日本のが古いのだ。

昨今、考古学の定説がことごとく覆されてきた。

昭和24年に群馬県の赤城山麓で、「槍先型尖頭器(やりさきがたせんとうき)」と呼ばれる磨製(ませい)石器が発見されました。

薄緑色に透き通った黒曜石(こくようせき)でできていて、中心には白雲のような筋状の模様が入り神秘的な美しさを放っています。

長さ約7センチ、幅約3センチの、この小さな石器は、3万年前につくられたことが調査の結果わかりました。

こうした磨製石器は、槍先型尖頭器の発掘以降、日本では関東・中部地方を中心に多数発見されましたが、海外ではオーストリアのヴォレンドルフ遺跡から出土した、2万5千年前の磨製石器があるのみです。

つまり、日本より5千年も新しい時代のものというわけです。

日本の加工技術は、なんと3万年の歴史があるのです。

ちなみに磨製石器のように石を加工しない、単なる「石器」であれば、日本では島根県出雲市の砂原遺跡から、12万年前のものが発掘されています。

自然人類学によると、いまから200万年前の人類は猿人から分化し、15万年前に現世人類が誕生したとされています。

ミトコンドリア・イブの解析では、15万年前の人類の始祖はアフリカ中央部にいたそうです。

その人類が、いまから5万年前に世界に散らばったとされていますが、日本では12万年前の石器が出土しているのです。

また、長い間、漆は中国からの渡来品だと言われてきました。

中国の浙江省(せっこうしょう)の遺跡では、いまから約7千年前の漆椀が発見されたと、中国の考古学会は発表しています。

一方、日本では、北海道函館市の垣ノ島B遺跡で、いまから9千年前の漆塗りの副葬品が発見されています。

つまり、漆の技術は日本で生まれ、中国に伝播した可能性のほうが高いと考えるのが自然ではないでしょうか。

縄文時代といえば、いまから約1万7千年前頃から3千年前頃までの時代をいいます。

この縄文時代の遺跡は、全国で数千ヶ所も発見されています。

数千といえば、すごい数です。

しかし、「世界中でどこの古代遺跡からも必ず出土しているのに、日本の縄文時代の遺跡からはまったく出土していないもの」がひとつあります。

それは何でしょうか?

答えは「対人用の武器」です。

人が人を殺すための「武器」が、日本の縄文時代の遺跡からは、まったく出土していません。

もちろん、矢尻(やじり)や石斧(いしおの)、石包丁のようなものは数多く発見されています。

日本で発掘される矢尻はとても小さく、ウサギやタヌキを狩るための道具としては使えても、とても対人間用に使えるようなものではないのです。

石斧も同じです。

柄(え)が細く長くて、斧の先端の石が小さい。

こんなもので人をひっぱたいたら柄のほうが折れれてしまって、戦闘ではまったく役に立ちません。

もうひとつ申し上げると、いまから1万6千5百年前の土器が、青森県の大平山元1(おおだいらやまもといち)遺跡で見つかっています。

これは、まぎれもなく「世界最古」の土器です。

1万年前といえば、ヨーロッパではまだ旧石器時代です。

それよりも6千5百年も前に、日本では非常に高度に発達した文化が熟成されていたわけです。

そして日本は、その時代にすでに土器を作り、集落を営み、武器を持たずに人が人を助け合う文化を熟成させていたのです。

これはすごいことです。

漆の木片が出土した鳥浜貝塚からは、布製の衣類も出土しています。

なんと、その装飾(模様)や仕立ては、当時の着物をきて原宿の街を歩いても、なんら違和感のないほど、精巧で、美しく仕上げられているのです。

それなのに、誤った教科書などの影響で多くの日本人が、縄文時代の人々は鹿の毛皮をまとった半裸の姿で、石斧を持ってウッホウッホとやっていたかのように印象づけられています。

人は、おおむね25年で一世代が交代するといわれます。

これは今も昔もほとんど変わりません。

縄文時代は1万5千年前ですから、なんと600世代が交替したわけです。

だいたい16代400年たつと、外観や気質など国民の特徴が固定するのだそうです。

その40倍もの期間、私たちの祖先は、武器を持つよりも働くこと、和を尊ぶ文化をずっと守り通してきたわけです。

日本文化は、世界の良心の「最後の砦(とりで)」だと言った人がいました。

私もそう思います。

日本が特定の国々に翻弄され続けているのは、戦後の日本人が日本人としての価値観や国家観、誇りを失っているからだと思います。

いま私たち日本人は、世界最古の和の文化を築いてきた誇りある民族であることを自覚し、日本民族としてのアイデンティティーを取り戻す時期にきているのではないでしょうか。 


 アインシュタインのあまりにも有名な言葉がある。

「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。

この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。

果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。

この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。

私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。

なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。

その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。

この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。

世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。

それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。

吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを」 (Wikipedia)


成功者は功を成すということに熱中している人
成幸者は幸せになることを大切にしている人

成功者はブランド物が好きで
成幸者は自分がブランドである

成功者は結果だけが大切で
成幸者はプロセスも大切にする

成功者は得ることに興味があり
成幸者は与えることに興味がある

成功者は無理をして成長しようとし
成幸者は無理のない範囲で成長する

成功者は自分のお陰と思い
成幸者はみんなのお陰と思う

成功者は亡くなったときに輝きが終り
成幸者は亡くなったあとから輝きを増す


昔とある町に 、1人の男の子と1人の女の子が住んでいた 

男の子は、自分のペースで物事を取り組み 
“面倒くせぇ”と言っては途中で飽きて、すぐに諦めてしまうような子だった 

女の子は何でも一生懸命に取り組み、 
“頑張れば何でもできる” と言っては、頑張りすぎて疲れ果ててしまうような子だった。 

そんなある日、2人が町で偶然 出会った。

良い所も悪い所もお互いにないものを持っている2人、 
そんな2人が、互いに惹かれあうのに時間はかからなかった。

男の子も女の子も、毎日が発見で 毎日が真新しく、 
そして毎日を笑い合いながら楽しく日々を過ごしていた 。

2人で過ごす時間の中で、男の子は最後まで、一生懸命頑張る大切さを知った。

女の子は自分のペースで、無理せず頑張る大切さをを知った。

そうして幾日過ぎただろうか。

2人の会える時間も少なくなり、だんだんと、男の子の心は離れていった。

女の子は悲しかった。

男の子の心が、遠くへ行ってしまいそうで、 
自分1人だけ置いていかれそうで、 
そして、この先1人ぼっちに、なってしまうような気持ちで怖かった。

そんなある日、男の子は、女の子に別れを告げた。

女の子には、理解できなかった。

あんなに毎日が楽しかったのに、なぜ、男の子が女の子の隣からいなくなったのか 

女の子には、全くわからなかった。

それからの女の子は、誰かと出会う事が怖くなった。

誰かと出会い、また別れるのなら、誰にも会わなければいい。

家の中に1人でいれば、そうすればこんなに悲しい別れを、
もぅ二度としなくてすむ。

こんな思いをしなくてすむ。 

そぅ言って 、家の中に閉じこもり、毎日を過ごしていた。

それをずっと見ていた恋の神様は、見るに見兼ねて、女の子にこんな事を聞いた。

「なぜ閉じこもっているのだ?」 

この問いに 女の子は、 

「閉じこもっていれば、 誰にも出会う事はありません」 と答えた。 

すると 恋の神様は、 「そうか… お前はそれで幸せか?」 と 尋ねた。 

女の子は、
「幸せです、別れる悲しみがありませんから、あの苦しみがありませんから」と 答えた 。

「そうか、私には幸せに見えなかった、 
 お前の心が、泣いてるように見えたが、お前が幸せならそれでいい」 

そう言って、消えようとした時、 

「どうして別れがあるのですか? どうしてこんなに辛い思いを、しなくてはならないのですか? 
 この出会いに何の意味があったのですか? 
 こんな思いをするくらいなら、出会わなければよかった」 

女の子は、今までの思いを全て恋の神様にぶつけた。 

すると 恋の神様は、「本当にそう思うのか? なら お前に、いいものを見せてやろう」 

そう言って、女の子の手をとり、2人が出会わなかった世界へと連れていった。

そこには、男の子と女の子の姿があった 

男の子は、最後まで頑張る事をせず、全ての事を中途半端にし、 
そしていつしか、誰からも相手にされなくなり 、1人で心閉ざしていた。 

女の子は 、頑張りすぎてしまい 、誰にも寄り掛かれず、
疲れ果て心が折れてしまい、1人で心閉ざしていた。

その姿を見た女の子は、言葉を失った。 

その様子を見ていた恋の神様は、「今のお前が在るのは、なぜだと思う?」 
呆然と立ちすくむ女の子に尋ねた。 

「男の子と出会ったからです」 女の子が小さな声で答えた 。

「これでも、出会わなければよかった と、そう 思うかね?」 
恋の神様は静かに尋ねた。 

「出会えてよかったです」 と、女の子は声を震わせながら、ポツリと呟いた。

「あの時のお前達には、互いが必要だった、しかし互いの役割が終わった今、 
 今在るお前達を必要としている人達の元へ行かねばならない、
 ずっと 閉じこもっていたら、その人が、お前を探せないだろう?」 

恋の神様は、優しい声で女の子に言った 

それを聞いた女の子の目に、涙が溢れだした。 

そして、「互いの人生に必要な時、必要な時間だけ、その人生は交わる、
そして それぞれの役割が終わった時、またそれぞれの道を歩む、 
互いの持つメッセージを、相手に伝える為にな」 

恋の神様はそう言って、ニコリと微笑んだ。

「だから たくさんの出会いと、別れをしてきなさい、
 そして たくさんの自分に出会いなさい、 
 お前を必要としている人の為に、大きく大きく成長しなさい、
 お前を成長させてくれるのは、人でしかないんだよ」 

そう 言い残して消えていった。 

女の子は、今の自分が在るのは男の子と出会えたからだ、
という事に気がついた 。

女の子は、男の子との過ごした時間の中に隠されたメッセージが、 
何であったのかがわかった。

そして、なぜ男の子が隣にいないのかという事も。

それからの女の子は閉じこもる事なく、
ひとつひとつの出会いと別れを大切にしていった。 

例え、悲しい別れであっても、例え、苦しい別れであっても、 
その人が教えてくれたメッセージを胸に、新しい自分との出会いに感謝し、 
自分を必要としてくれる人の為に、自分を成長させていった。 

そんなある日、あの男の子が再び女の子の前に現れた。
 
互いに成長した2人。

互いの人生に、互いが必要だと知ったのだろう。

男の子は、女の子の全てを包み込み、守れる程に 強く大きく成長し、 
女の子は、男の子の全てを支え、何事にも負けない程に強く大きく成長していた。 

そうして、2人は永遠の愛を誓いながら、幸せに暮らしていった。

 


他の誰かのように美人にならなくていい

他の誰かのように遊び上手にならなくていい 

他の誰かのように立派にならなくていい 

他の誰かのように幸せでなくていい


違う誰かになろうとするから 

他人がどう思うかを気にしすぎて
苦しくなってしまう

他人と比較して
落ち込んでしまう。

相手を 支配しようとして
自分がその支配欲に 心を支配されてしまう。


大事なのは

人がどう思うか、世間がどう思うか、ではなく
「自分がどうしたいのか」ということ。

無理やり 相手を変えようとするよりも
自分が 自分の個性を磨き、
自分らしさを 表現していくこと


自分らしく美しく 

自分らしく楽しんで

自分らしく表現し

自分らしく幸せであればいい


勇気を持って

悪い習慣と やり方を手放し


あなたの意識の焦点を

あなたが 情熱を感じる方向に

あなたが ワクワクする方向に

向けて いこう。


人の思惑から自由になり、

自分軸をもって 生きるようになると、
他人の気持ちには「気づく」けれども、

周りの人 や 環境の変化に振り回されずに
より的確に対応できるようになっていく


これからは 

【勝ち組】ではなく

【価値組】が 幸せになる時代

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