人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2014/10

近ごろイライラしている、妙に落ち込んでいる……そんな時は「第二の脳」をメンテする

美味しいものを食べた時や好きな人と手を繋いでいる時って「幸せだなあ」とつい顔がほころんでしまいますよね。
この「幸せ」という感情を大きく司っているのが”脳”でも”胸”でもなく、実は”腸”だという事をご存知でしょうか。

人が「幸せ」を感じる時に欠かせないのがセロトニン。別名「幸せホルモン」とも呼ばれている脳内伝達物質です。
このセロトニンは90%が”腸”にあり、”脳”にはわずか2%しか存在していません。

セロトニンは卵や魚、乳製品に多く含まれる必須アミノ酸トリプトファンを基にビタミン類のサポートで作られますが、腸内環境が悪いとこの作業が上手く行われず、セロトニンが生成されなくなってしまいます。

すると人はキレやすくなったり、うつ状態になる事も。また、ストレスを必要以上に感じると腸がその状況を改善しようと通常より多くのセロトニンを分泌し、腸が不規則に収縮した結果、男性はお腹が緩くなり、女性は便秘気味になると言われています。

お腹の不調を自覚したら、心のケアと共に第二の脳とも言われる腸の状態にも気を配り、ベストな状態でセロトニンを生み出せるようにしてあげましょう。

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お釈迦様は、この世の苦しみ・悲しみの根元は、

「思いどおりにならないこと」と悟りました。


自分の思いどおりにならないことに対して、

それに逆らって、なんとかしようとするからこそ、

人は悩み・苦しむのです。


人の苦しみや悲しみは、

外から与えられるものではありません。


苦しい・悲しいと思う心、

つまり、人の内(心)から苦しみや悲しみが

発生しているのです。


だから、お釈迦様は、こうおっしゃっています。

「すべて、受け入れなさい」と。


それは、頑張る生き方ではなく、楽に生きる生き方です。

人に頼って、

人に甘えて、

あるいは人に頼られて、

時には人から甘えられて。


自分の思いどおりに世の中を変えようとしないで、

それを受け入れて、こころを楽にして生きてゆくこと。


そして、その最高の形は、

「ありがとう」と感謝することだったのです。

141028

水を飲めることに 「ありがとう」

息ができることに 「ありがとう」

食事できることに 「ありがとう」

仕事があることに 「ありがとう」

家族がいることに 「ありがとう」

友達がいることに 「ありがとう」

話ができることに 「ありがとう」

歩けることに   「ありがとう」

病気でないことに 「ありがとう」

生きていることに 「ありがとう」




日本株が面白くないのは、神話が無いから

 アメリカのビジネスや政治の世界では、
恵まれた環境に育ち、天賦の才能を与えられた者たちは、進んで困難を買って出て、人一倍苦しみ、世間から感謝されようが、感謝されまいが、自分の信ずるところを貫きます。

スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクは、別に世間から認められようとかみんなから愛されようとして起業したわけじゃないと思うのです。

自分が納得するまで、或る事をとことん追求することを通じ、生産的なカタチで社会に貢献する……そういう偉業を成すことを、この世で最も尊い行いだと信ずる、勇士、ないしは女傑的なキャラ、、、

これはアイン・ランドが『肩をすくめるアトラス』の中で描いた、ヒーローやヒロイン像です。

そして我々の住む社会が、うまく回って行くには、そういう機関車的な役割を果たすエリートが必要なんじゃないか?

という考え方が、オブジェクティビズムなのです。

ところが、自分が納得するまで、とことん或ることを追求しているだけの、そういう人たちに対して、社会はひどい仕打ちをします。

彼らは、後ろ指さされ、糾弾されても挫けません。

アメリカでアップルやテスラの株に投資をするということは、その株を保有するということを通じて、そういうヒーローやヒロインたちが、今まさに生きている神話を、自分も生きるということに他ならないのです。


日本株が面白くない一つの理由は、そういうヒーローが出てくると、集団同調圧力でもって、すぐに潰しにかかるわけです。ホリエモンの事件なんて、その典型だと思います。

そういうケチな根性が、上から下まで国民全体に染み付いているわけです。

日本人は、めちゃくちゃ優秀なのに、なぜ日本がダメダメなのか、誰も本気で考えようとしません。

「出る釘は打たれる」という諺があるけれど、その行為がどれだけわれわれを経済的に、そして精神的に貧しいものにしているかという点に対する自省の念は、これっぽっちもありません。


繰り返し言えば、日本株が面白くないのは、神話が無いからです。

日本に欠けているのは、たまたま恵まれた環境に育ち、天賦の才能を与えられた者たちが、進んで困難を買って出て、人一倍苦しみ、世間から感謝されようが、感謝されまいが、自分の信ずるところを貫くという、真のエリート主義です。

ときどき稀にヒーローが出てくると、集団同調圧力でもって、すぐに潰しにかかる国民性が、日本という国を『肩をすくめるアトラス』に描かれたような、息の詰まるディストピア(愚民国家)へ落としているわけです。

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◇運用資産15兆円のカリスマ投資家レイ・ダリオ氏が語る「30分でわかる経済の仕組み」

経済の「カラクリ」は簡単なものなのですがそれを理解している人は少なく、またそのカラクリが納得できず経済的な苦難に追い込まれている人も多いのです。

ですから今日は経済の「カラクリ」を簡単に具体的にお話したいと思います。


経済を動かす3つの要素

これは型破りな考え方ですが、30年以上にわたって確かな成果が証明されたため、私は世界金融危機を予知して避けることができました。では始めましょう。

経済の仕組みは複雑に見えますが、そのカラクリは簡単なものです。

簡単な構成要素と簡単な取引から構成されています。これが繰り返し何度も何度も起こっているのです。

取引を引き起こしているのは人間の性(さが)です。

ここから経済を動かす3つの主な要素が生まれます。

第1は、生産力の成長
第2は、債務の短期的な周期
第3は、債務の長期的な周期
です。

この3つの要素を個別に考え、またそれを積み重ねたモデルを考えると、経済の動向と現在の状況を理解できるのです。

 

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西洋医学・東洋医学

西洋医学は、数字・精密検査・医療機器などを使い、的確に検査します。
そのため、病気の原因究明がはっきりとできます。

治療は風邪・熱・皮膚の炎症・感染症などの急性的な症状に効果的です。
治療方法は抗生物質中心で、患者の症状1つ1つを治療します。

ですが、これらの治療は、いわば症状(多くは治癒の発現である)を止めるだけの
対症療法であって、一時凌ぎの療法にしか過ぎず、根本療法にはなりえません。

化学薬剤である薬の長期使用は、返って治癒を遅らすどころか、
薬の副作用により更なる病気が造られるという医原病となるのです。
今日の病人の増大は、医原病によるものです。


東洋医学は体を総合的に見て診断します。体の陰と陽のバランスを調整し、
血行と気の流れを改善するのが中心です。薬は自然の薬草を用います。

大自然の力は非常に大きいと考えているので、自然治癒力を大切に考えます。


 ◇東洋医学の特徴

1.総合的に見る

体を総合的に見る理由は、生物が全体性を持っているからです。

全体性のよくある例えが、トカゲのシッポはなぜ切っても生えてくるのか、です。
それは、生命体は、全体を維持しようと働くためでなのです。

人間は、手足が生えてくるということはありませんが、傷を負ってもちゃんと元に戻るし、骨折してもそのうちつながります。また、手術で片方の腎臓や肺を切り取ったとしても、もう片方の腎臓や肺が大きくなって、その不足を補おうとしています。

このように生物は全体性を持っています。
東洋医学では、自然治癒を重んじ、患者自身に病気を治させるよう提案します。


2.陰と陽のバランス

『宇宙万物は陰陽の秩序もって織り成す』

陰は遠心・拡散の性質(エネルギー)を持ち、陽は求心・収縮の性質(エネルギー)を持っています。陰と陽は反対の性質を持つのです。
人の体もこの陰陽の秩序が取れていて、はじめて健康体となります。

病気も体が陽性過多に傾き過ぎたか、反対に陰性過多に傾き過ぎたかによって発症します。ですから、この陰陽の傾き過ぎを、真ん中・中庸の方向に持っていくようにすることが病気の治癒への道なのです。

体の陰陽、病気の陰陽
また、『食なくしては生命現象なし』と言われるように、食物の陰陽をも判断することが、最も大事なことなのです。


3.血行と気の流れを改善

病気は、肉体的な障害だけでなく、必ずその裏に精神的な支障が関係しています。
例えば、

・食事(動物性タンパク質・動物性脂肪のとりすぎ。食物繊維・ミネラルの不足)
・ストレス(睡眠不足・過度の疲労・悩み・)
・運動不足(適度に体を動かしているか)

などの問題を考えます。血行と気が滞っていると、病気はよくなりません。
 

141021-1
◇千島学説 「血液は腸で作られる」

自己免疫力が高ければ、身体に入った不都合なものは排泄する。
自己免疫力とは、血液の質です。


・血液は小腸の絨毛で造られる
(現代医学では、血液は骨髄から造られるという考え)

・細胞は、赤血球が変化したもの
(現代医学では、細胞は同じ細胞からできるという考え)

・ガンは摘出するべきではない
(ガン細胞は赤血球からできている。摘出しても根本を解決しないと転移する。)



 140412免疫メカニズム

ある町に、2軒の家が隣り合わせに建っていました。

一軒の家は7人暮らしでしたが、いつもにぎやかで一家団欒の楽しそうな声が絶えませんでした。
もう一軒の家は3人の家族なのに、毎日ケンカが絶えず、面白くない日ばかりを送っていました。

どうして隣はいつも睦まじく暮らしているのだろうと、3人家族の主人が、隣の家にそのわけを聞きに行きました。

「あなたの家はいつも仲良く暮らしているのに、私の家ではケンカばかりです。
どうしてなのでしょう?」

すると、隣の家の主人は言いました。
「それはあなたの家が善人ばかりの家だからでしょう。
それに比べて私のところは、悪人ばかりの家だからなんですよ。」

その意味が理解できないので、3人家族の主人はさらに聞きました。
「どうしてもよく分かりません。
悪人ばかりの家だったら、余計にケンカが絶えないはずですし、逆に善人ばかりだったら仲良くするはずですよ。」

「いえ、そんなことはありません。たとえば夕飯のおかずが少なく、ご馳走じゃないとします。

そんなとき、
妻がこんなものしか作れなくてスミマセンと言い、
私は自分の稼ぎが少なくていつも悪いなと言い、
両親はいやいや、私達がいるから、おかずが少なくなって申し訳ないと言い、
子供は学校の帰りが遅くなり、お母さんの手伝いができなくって、ごめんねというんです。

つまり、みんな自分が悪いと思っているので、ケンカしようがないのです。

それに対して、あなたの家ではおそらく、みんな自分は善人だと思っているから、
それぞれ自分の非を認めたがらないのでしょう。」

それを聞いて、訪ねてきた主人は返す言葉がありませんでした。


涙が止まらないから転載
 

皇后陛下お誕生日に際し

141020-1  ものごころ付いてから、戦況が悪化する10歳頃までは、毎日をただただ日向(ひなた)で遊んでいたような記憶のみ強く、とりわけ兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや、その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦(あ)きることなく眺めていたことなど、よく思い出します。また一人でいた時も、ぼんやりと見ていた庭の棕梠(しゅろ)の木から急にとび立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり、ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど、その頃私に強い印象を残したものは、何かしら自然界の生き物につながるものが多かったように思います。
 その後に来た疎開先での日々は、それまでの閑(のど)かな暮らしからは想像も出来なかったものでしたが、この時期、都会から急に移って来た子どもたちを受け入れ、保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと思います。

 戦後の日本は、小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました。終戦後もしばらく田舎にとどまり、6年生の3学期に東京に戻りましたが、疎開中と戦後の3年近くの間に5度の転校を経験し、その都度進度の違う教科についていくことがなかなか難しく、そうしたことから、私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような不安をその後も長く持ち続けて来ました。ずっと後になり、もう結婚後のことでしたが、やはり戦時下に育たれたのでしょうか、一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見、ああ私だけではなかったのだと少しほっとし、作者を親しい人に感じました。

 皇室に上がってからは、昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中、今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりました。長い昭和の時代を、多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは、おそばに出ます度に多くの御教えを頂きました。那須の夕方提灯(ちょうちん)に灯を入れ、子どもたちと共に、当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴(とも)して附属邸前の坂を降り、山百合(やまゆり)の一杯咲く御用邸に伺った時のことを、この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き、懐かしみました。

 いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも、一人ひとり配偶者を得、独立していきました。それぞれ個性の違う子どもたちで、どの子どもも本当に愛(いと)しく、大切に育てましたが、私の力の足りなかったところも多く、それでもそれぞれが、自分たちの努力でそれを補い、成長してくれたことは有難いことでした。子育てを含め、家庭を守る立場と、自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために、これまで多くの職員の協力を得て来ています。社会の人々にも見守られ、支えられてまいりました。御手術後の陛下と、朝、葉山の町を歩いておりました時、うしろから来て気付かれたのでしょう、お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って来られ、「陛下よろしかったですね」と明るく云(い)い、また車に走っていかれました。しみじみとした幸せを味わいました。

 多くの人々の祈りの中で、昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり、うれしゅうございました。50年以上にわたる御一緒の生活の中で、陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり、また子どもたちや私を、時に厳しく、しかしどのような時にも寛容に導いて下さり、私が今日まで来られたのは、このお蔭であったと思います。

 80年前、私に生を与えてくれた両親は既に世を去り、私は母の生きた齢(とし)を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に、同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は、私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います。


 今年8月に欧州では第1次大戦開戦から100年の式典が行われました。第1次、第2次と2度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い、共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。

 私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈(はず)はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います。

 戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか以前にもお話ししておりますが、私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、と思いを巡らすことがよくありました。

 まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で、中でも、帰国への期待をつのらせる中、今年も早蕨(さわらび)が羊歯(しだ)になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。

 最近新聞で、自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が、十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前、死亡場所等、出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み、心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれの上に、長い戦後の日々があったことを改めて思います。

 第2次大戦では、島々を含む日本本土でも100万に近い人が亡くなりました。又(また)、信じられない数の民間の船が徴用され、6万に及ぶ民間人の船員が、軍人や軍属、物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを、昭和46年に観音崎で行われた慰霊祭で知り、その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後70年の来年は、大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。

 世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。


 芸術―質問にある音楽や絵画、詩等―が自分にとりどのような意味を持つか、これまであまり考えたことがありませんでした。「それに接したことにより、喜びや、驚きを与えられ、その後の自分の物の感じ方や考え方に、何らかの影響を与えられてきたもの」と申せるでしょうか。子どもの頃、両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ、それを楽しんでいる姿を見、私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。戦後、どちらかの親につれられ、限られた回数でも行くことの出来た日比谷公会堂での音楽会、丸善の売り場で、手にとっては見入っていた美しい画集類、父の日当たりのよい書斎にあった本などが、私の芸術に対する関心のささやかな出発点になっていたかと思います。

 戦後長いこと、私の家では家族旅行の機会がなく、大学在学中か卒業後かに初めて、両親と妹、弟と共に京都に旅をする機会に恵まれました。しかし残念なことに、私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。結婚後、長いことあこがれていた飛鳥、奈良の文化の跡を訪ねることが出来、古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い、歌に「山」と詠まれている、むしろ丘のような三山に驚いたり、背後のお山そのものが御神体である大神(おおみわ)神社の深い静けさや、御神社に所縁(ゆかり)のある花鎮(はなしず)めの祭りに心引かれたりいたしました。学生時代に、思いがけず奈良国立文化財研究所長の小林剛氏から、創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き、「弥勒菩薩」や「阿修羅」、「日光菩薩」等の像や、東大寺燈篭(とうろう)の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも、私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。

 建造物や絵画、彫刻のように目に見える文化がある一方、ふとした折にこれは文化だ、と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。昭和42年の初めての訪伯の折、それより約60年前、ブラジルのサントス港に着いた日本移民の秩序ある行動と、その後に見えて来た勤勉、正直といった資質が、かの地の人々に、日本人の持つ文化の表れとし、驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。当時、遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに、異国からの移住者を受け入れ、直ちにその資質に着目し、これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても、深い敬愛の念を抱いたことでした。


 それぞれの国が持つ文化の特徴は、自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。これまで訪れた国々で、いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが、私は特に、ニエレレ大統領時代のタンザニアで、大統領は元より、ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から「私たちはまだ貧しいが、国民の間に格差が生じるより、皆して少しずつ豊かになっていきたい」という言葉を聞いた時の、胸が熱くなるような感動を忘れません。少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも、文化の一つの形ではないかと感じます。

 東日本大震災の発生する何年も前から、釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており、3年前、現実に津波がこの市を襲った時、校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り、全校の生徒がこれに従い、自らの生命を守りました。将来1人でも多くの人を災害から守るために、胸の痛むことですが、日本はこれまでの災害の経験一つ一つに学び、しっかりとした防災の文化を築いていかなくてはならないと思います。

 歓(よろこ)び事も多くありましたが、今年も又、集中豪雨や火山の噴火等、多くの痛ましい出来事がありました。犠牲者の冥福を祈り、遺族の方々の深い悲しみと、未だ、行方の分からぬ犠牲者の身内の方々の心労をお察しいたします。又この同じ山で、限りない困難に立ち向かい、救援や捜索に当たられた各県の関係者始め自衛隊、消防、警察、医療関係者、捜索の結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に、感謝をこめ敬意を表します。

老後を支え死を看取る、地域包括ケアの互酬精神

保健・医療・福祉・介護サービスが大きく変化している。それは老後の生き方や死に方にも影響を与える。

2014年という年は、ある意味で象徴的な年といえよう。「団塊の世代」に属するすべての人々が65歳以上になる年なのだ。

 団塊の世代が通過してきた時代は、変化と葛藤の連続だった。集団就職、受験戦争、学生運動、カウンターカルチャー、バブル景気、失われた20年・・・。時に憧れ、時に危機感をあらわに感じさせる時代の羅針盤のような世代。それが、団塊の世代だ。

 今後10年間、団塊の世代は日本の社会にどのような変化をもたらすのだろうか。そして10年後の2024年には、600万人もの「団塊の世代」が75歳を超える。その時社会はどうなっているのだろうか。いずれにせよ、次の10年間に日本はどんどんケアシフトしていくだろう。

 積極果敢に自宅以外の場所で活動するアクティブな人も、アクティブではない人も、結局は、自分の居場所=住まいを中心とした「地域」が人生のベースキャンプ、つまり人生の基地ということとなる。人生の基地としての自分の居場所、住まい、住まい方をいかに形づくってゆくのかは、万人にとっての一大事なのだ。それが老後の人生に深く関わるとなれば、なおさらだろう。

日本人の平均余命は着実に伸びてきたが、健康寿命の伸び率は平均寿命の伸び率を下回っているのだ。つまり、「不健康な期間」は今後長くなる傾向にある。しかも、従来のアクティブシニア(健康で活動的なシニアたち)が多く出現してきた65~74歳の人口よりも、今後は75歳以上の人口が急増する。

141018

アクティブな状態を維持して、ある日突然死を迎えるという「ピンピンコロリ」という死に方を望む人は多い。だが、それを実現できる人はまれだ。多くの場合、障害や慢性疾患を抱えながら生きていかざるをえず、やがて死を迎えるということになる。

 そんな中で、近年は死に場所に対する関心も高まっている。多くの日本人は「できれば住み慣れた自宅の畳の上がいい」と思っているが、厚生労働省の人口動態統計を見ると、10年くらい前までは自宅で死亡する人が一貫して減り続け、逆に医療機関で死亡する人が増えていた。

ただし、ここ10年間は医療機関で死亡する人が頭打ちとなり、病院でもなく自宅でもない「その他の場所」で逝く人が増える傾向にある。

 実は、「その他の場所」で死亡する人が、今後、急速に増えるとみられている。厚生労働省の推計によると、老後の資産や支払い能力のある人々の看取りの受け皿として、有料老人ホーム(有老ホーム)やサービス付き高齢者専用住宅(サ高住)の利用が増えているためだ。2030年には、人が死ぬ場所として全体の3割近くを占めるようになると推計されている。これは、保健・医療・福祉・介護サービスが大きく変化していることの一端である。


社会の問題は、政府が「公助」を通して、市場が「自助」を通して、社会保険制度などが「共助」を通して問題解決していくとともに、多様な個人や組織が「互助」を通して問題を解決していくのが、地域包括ケアシステムであるとされる。

地域包括ケアシステムを通してケアされるのも、ケアしていくのも、ともに地域の人々である。ケアという営為には、奥深いところで相互作用と共創性の機微が働く。人は他者をケアすることによって自らをもケアしていくし、ケアする側、される側の間の境界線が曖昧となっていく。ケアという相互作用をやり取りしながら、ケアというサービスや互酬の精神が共創されていくのである。簡単にいえば、「お互い様」「持ちつ持たれつ」の関係だ。

 地域包括ケアシステムづくりには、ケアという人間ならではの行為が本質的に持つ価値共創性を、地域へ丹念に埋め込んでいくという側面がある。

 地域包括ケアシステムの構築は、ある意味、「静かな創造的破壊」のようなものである。なぜならば、従来は個別の言語や文化を持ち、分断されがちだった介護・リハビリテーション、医療・看護、保健・予防、福祉・生活支援、住まいと住まい方という5つの縦割り領域の境界を越境して、それぞれの関係者の共感を得て、結びつけ、プロセスをデザインして、ソリューションに仕立て上げ、進化させ、異分野融合的なサービスシステム・マネジメントを実現してゆくものだからだ。

地域包括ケアシステムの創発に必要な人材は、自助、互助、共助、公助が交わる小さな「助けの場」で、ケアの価値共創的な機微を地味ながらも小まめに奏でることができる「ご近所の助っ人さん」である。

彼ら彼女らは目立たない。派手さもない。腕まくりして人押しまくるというわけでもない。お願いされてやる。しかし、一度始めれば、だんだんと前向きに取り組むようにもなる。そして次第に活動そのものが楽しくなってくる。「地域の人々をケアすることによって自分たちもケアされる」という実感を静かに抱くようになり、いろいろな仲間と共感の輪が広がる。

 1人の力は弱くても、多数がつながれば強くなる。そして世代をまたがり、活動を継承することによって、健康や予防への意識がさらに浸透してゆく。そして緩やかで、静かで、目立たない取り組みが、めぐりめぐって地域の疾病予防や健康増進に役立っていくのだ。

 
 

最近注目される高濃度ビタミンC治療  ・・・  低線量率被曝と同じ原理


■ 「抗がん剤」で癌になる ■

抗がん剤には様々な種類のものが存在しますが、基本的には副作用が大きく、仮に癌が小さくなったりしたとしても、その後の生活のクオリティーが大きく低下します。
特に免疫力が低下する為に、仮に癌の進行を遅らせたとしても、肺炎で亡くなる様なケースが多くあるのです。

これは抗がん剤が概して「全ての細胞に対して毒」として作用する事に起因します。
正常な細胞はDNAの修復能力が高いので抗がん剤によるダメージをある程度キャンセル出来ますが、癌細胞はDNAの修復能力が低下しているので、最終的にDNAがムチャクチャになって細胞死に至ります。

これは癌の放射線治療と同じ原理で、健常細胞が放射線によるDNAのダメージを修復するのに対して、癌細胞はそれが出来ず(劣っている)、細胞死(アポトーシス)します。

癌の種類によって抗がん剤の効き目に違いがあるのは、本来「毒」である抗がん剤を、癌細胞に選択的に吸収させる方が、他の細胞へのダメージが少ないからで、ある種の癌細胞が選択的に吸収する「毒」が選ばれる為です。

ただ、抗がん剤の影響は正常細胞のDNAを痛めつける事に変わり無いので、爪や毛髪細胞など分裂が活発な細胞に異常が生じます。
さらには、健康な細胞のDNAのダメージは100%キャンセルされる訳では無いので、抗がん剤治療は新たな癌細胞を生み出し、将来的な癌の発生を促しているとも言えます。
これは乳癌などの放射線治療でも同じ事が言えます。

これらの「発癌性のある治療」が容認される理由は、この治療による延命のメリットが将来の癌発生のデメリットを上回るからです。
今、癌で亡くなってしまっては、「将来」はやって来ない・・・そういう考え方です。
 

■ 抗がん剤耐性を有する癌細胞 ■

様々な副作用によって患者に負担を掛ける抗がん剤治療ですが、効果が有ったり、無かったりします。
又、最初は良く効いた抗がん剤が次第に効果を失うケースもあります。

これは癌細胞が最初から抗がん剤に対する耐性を有していたり、あるいは抗がん剤治療の過程で耐性を獲得する事によって起こる現象です。

これは本来細胞が持っている能力なので、当然と言えば当然の結果です。


■ 高濃度のビタミンCが癌を小さくする ■

副作用の少ない癌の治療法として近年「高濃度ビタミンC治療」が注目されています。

この治療方法が発見されたのは1976年です。
米国の化学者ライナス・ポーリング氏は、アメリカの科学アカデミー紀要「PNAS」に、「末期進行がんの患者にビタミンCを点滴とサプリメントで投与すると、生存期間が4~6倍延長した」と発表しています。

ところがこの研究は、1978年にアメリカのメイヨー医科大学がビタミンCにがん患者の延命効果はないという論文を有名医学雑誌に掲載したため、否定されてしまいました。

ところが、2005年にアメリカ国立健康研究所、国立ガン研究所、国立食品医薬品局の科学者達は共同で「高濃度のビタミンCはガン細胞を殺す」という論文をアメリカ科学アカデミー紀要National Academy of Sciencesに発表した事で再度注目を集めます。その後に様々な研究発表が続きます。


■ 高濃度のビタミンCは過酸化水素H2O2を体内で発生させる ■

一般的には「抗酸化物質」として知られるビタミンCですが、体内で高濃度を保つ量を投与すると過酸化水素H2O2を発生させます。

過酸化水素は強い酸化作用を持っていますが、生体温度ではその作用が活発ではありません。
ただ、金属イオンや光によって分解してヒドロキシルラジカルを生成します。ヒドロキシルラジカルは「フリーラジカル」と呼ばれ強い酸化作用があります。これがDNAに損傷を与えます。

健康な細胞内にはカタラーゼという酵素が存在し、活性酸素を速やかに酸素と水に分解します。一方癌細胞はカタラーゼがほとんど生成できないので、過酸化水素を分解する事が出来ません。

過酸化水素自体も強い酸化作用が有りますが、金属イオンが存在するとヒドロキシルラジカル(フリーラジカル)を生成するので、DNAが破壊されます。

この様な効果を得る為には一回に25g~100gのビタミンCを投与する必要が有り、これは当然口からの投与が難しいので、点滴によって血中に直接投与されます。週2~3回、この治療を繰り返す事で、癌細胞を選択的に攻撃します。


■ 高濃度ビタミンC治療は副作用がほとんど無い ■

高濃ビタミンC治療の良い点は、副作用がほとんど無い事です。
健康な細胞はカタラーゼによって過酸化水素の効果を低減できるので、副作用が無いのです。

さらに、癌細胞はビタミンCを選択的に取り込む特長を持っています。
これは活発な増殖をする癌細胞が普通の細胞の6倍のブドウ糖を吸収する事に起因します。実はビタミンCとブドウ糖の構造が似ているので、癌細胞はビタミンCを選択的に取り込む性質を持っています。

この事も副作用の少なさに貢献します。
カタラーゼで分解されるとは言え、過酸化水素は活性酸素ですから健康な細胞にも影響が無い訳ではありません。ですから過剰な濃度になれば、副作用や将来的な発癌のリスクが高まります。

癌細胞が選択的にビタミンCを取込むことで、副作用のリスクが低減されています。


■ 癌細胞に選択的に取り込まれる抗がん剤と併用で効果が高まる ■

過酸化水素がフリーラジカルに分解される為には金属イオンが必要になります。
癌細胞に選択的に取り込まれる金属イオンが有れば、ビタミンCの効果はさらに高まります。

元々、癌細胞が分泌する酵素の活性中心には金属イオンが存在しています。
これも過酸化水素をフリーラジカルに分解する効果が有るはずです。しかし、もっと癌細胞に選択的に姻族イオンを取込ませる事が可能であれば、ビタミンCの抗癌効果は高まります。

最近の抗がん剤は、特定の癌に発現する酵素などに結合する「分子標的薬」という種類の物が存在します。
抗がん剤は正常細胞にも悪影響を与えるので、癌細胞に標的を合わせて選択的に取り込ませる事が出来れば、副作用を軽減できるからです。

この様な癌に選択的に取り込まれる性質の有る抗癌剤に金属イオンが存在する(あるいは結合させる)ならば、ビタミンC由来の過酸化水素がフリーラジカルに分解され易くなります。

ビタミンCの治療と、従来の抗ガン剤の治療を併用すると効果がある原因は、抗がん剤に含まれる金属イオンに原因が有るのかも知れません。

将来的には癌細胞に「分子標的」する無害な物質に、金属イオンを運搬させる事で、副作用をほとんど発生させること無く、ビタミンCの抗癌効果を高める事が可能になるかも知れません。


■ 高濃度ビタミンC投与による将来的な癌の発生の可能性 ■

ただ、高濃度ビタミンCが体内で生成する過酸化水素は、健康な細胞の金属イオンとも反応してフリーラジカルを生成し、それは健康な細胞のDNAを破壊します。
さらには、過酸化水素自体が活性酸素ですから、細胞に何等かの害を与えます。

活性酸素が増えた状態は、ジョギング時に活性酸素が増える事に似た状態であり、細胞はカタラーゼや他の活性酸素除去酵素の分泌を増やす事でこれに対応します。
さらには、免疫細胞の働きを活性化させ、癌細胞が発生したとしても、それを速やかに排除します。

この効果は、「低線量率被曝の免疫向上効果」に良く似ていると思われます。
低線量被曝も体内で活性酸素を増やす事で、免疫機能を活性化させます。

まだまだ、研究が始まったばかりの高容量ビタミンCによる癌治療ですが、人間の活性酸素に対する対処能力を上手く使っているという点において、従来の抗がん剤治療に無い可能性を感じています。


この治療の効果が立証されたなら、抗がん剤の研究は、癌細胞を殺す事から、癌細胞に選択的に金属イオンを取り込ませる研究に変わる可能性があります。
もしかすると、将来的には副作用のほとんど無い、癌治療が確立するかもしれません。


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