人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

2015/03

老いることをポジティブにとらえよう 

高齢者は孤独なのではなく、毅然としているのだ。無力なのではなく、おだやかなのだ。依存的なのではなく、親しみやすいのだ。外見に魅力がないのではなく、内面が深いのだ。そして、頭の回りが鈍いのではなく、思慮深いのだ。

 「老いの神話」を打ち破る作業は、すでに紀元前1世紀に古代ローマの賢人キケロが『老境について』という本で行っています。キケロは大カトーに託して、老年について次のようにポジティブに語っています。老年になれば確かに「青春と活気」を必要とする若者の仕事からは引退しなければならないが、世の中には老人に適した多くの仕事がある。むしろ偉大な仕事は老人の「知恵や知識」によって成し遂げられるのであるとキケロは宣言しています。

 また、老人になると物忘れがひどくなりぼけてくるという偏見に対しては、熱意と活動とが持続しているかぎり、老人にはその知力がとどまっているのだと反論しています。

 さらに、肉体的能力の衰えについては衰えをまったく否定するわけではなく、むしろ老年にふさわしい肉体的健康をポジティブに受け入れることが大切であるとキケロは強調しています。自分がいま、青年の持つ体力を実際欲しがっていないのは、あたかも青年時代に雄牛や象の持っている体力を欲しがっていなかったのと同じである。自分が持っているものを使うと、またなにごとをなすにしても、自分の力にふさわしいことをなすのが正常なことだ。キケロはそう言うのです。

 老人は、失われた若者の体力を基準にして老年の非力を嘆くのではなく、現在の自分をあるがままに肯定すること、年輪によって育まれた知恵と見識を発揮することに現在を生きることの意義を見いだしうること、これがキケロが力説してやまない点でした。『老境について』は老年論の古典となり、キケロの老人観はヨーロッパの伝統として生き続けてきました。

 他にも、世界中のさまざまな文化が「老い」から「死」へのプロセスをポジティブにとらえています。日本の神道では、「老い」とは人が神に近づく状態です。神への最短距離にいる人間のことを「翁(おきな)」と呼びます。また7歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、そのあいだが人間の時代となります。ですから神道では、神に近づく「老い」は価値を持っており、高齢者はいつでも尊敬される存在であるといえます。


■老いをめでたいととらえるアイヌの人々

 アイヌの人々は、高齢者の言うことがだんだんとわかりにくくなっても、老人ぼけとか痴ほうなどとは言いません。高齢者が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために一般の人間にはわからなくなるのだと考えるそうです。これほど「老いの神話」を無化して、「老い」をめでたい祝いととらえるポジティブな考え方があるでしょうか。「老い」とは人生のグランドステージを一段ずつ上がっていって翁として神に近づいていく「神化」にほかならないのです。そして、その神化に至るまでの道のりは、人間という生物としての競争を勝ち抜いてきた結果でもあります。

 かつて古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「哲学とは、死の学びである」と言いました。わたしは「死の学び」である哲学の実践として2つの方法があると思います。一つは、他人のお葬式に参列すること。もう一つは、自分の長寿祝いを行うこと。

 神に近づくことは死に近づくことであり、長寿祝いを重ねていくことによって、人は死を思い、死ぬ覚悟を固めていくことができます。もちろん、それは自殺などの問題とはまったく無縁な、ポジティブな「死」の覚悟です。

 人は長寿祝いで「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として必ず死ぬという運命を受け入れる覚悟を持つ。また、翁となった自分は、死後、神となって愛する子孫たちを守っていくという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあるのです。その意味で、長寿祝いとは「生前葬」でもあります。

 わたしは、本当の「老いの神話」とは、高齢者のみじめで差別に満ちた物語などではないと思っています。年齢を重ねるごとに知恵と見識を発揮し、尊敬される人間になり、神に近づいていく。この愉快な物語こそ、本当の「老いの神話」ではないでしょうか。


☆★ いかによく活きるか、いかによく老いるか、いかによく死ぬか
 

  

もし今日が人生最後の日なら、今日やることは本当にやりたいことだろうか

1.自分の物語を俯瞰的に考えることができる

どんな物事にも、必ず終わりがあるものです。その「終わり」を意識することで、「今」を最大限楽しむことができます。私たちを邪魔する些細なことから手を離し、短い人生の中の「終わり」を意識してみましょう。そういう視点を持てると、長い行列や電車の遅れ、悪天候だって楽しむことができます。


2.八方美人なんて必要ない、本当に大切な人と付き合える

自分の時間を台無しにするような人とは、付き合わないようにしましょう。常に死を意識している人は、自分の生活に新たな価値観や深みを与えてくれる人とだけ付き合っています。彼らは自分が有害だと判断した人付き合いは早々に打ち切り、良いと思った人とはすぐに仲良くなります。なぜなら彼らは、自分たちの時間が有限であることを知っているからです。


3.お金を無駄に溜めないで自分の投資のために使える

貯金は大切なことかもしれません。でも、「後々の生活に必要だ」と思って貯めているお金は、いったいいつ使うのでしょうか?人生は一度きりだし、同じ日は二度と訪れません。いつかは使ってしまうお金ですから、二度とない一つ一つの経験や瞬間を味わい、楽しみましょう。その時の体験に集中しましょう。常に死を意識している人は、お金の使い時を知っています。


4.失敗や挑戦に怖がらなくなる

もし間違えてしまったら・・・。そんなこと、死を前にしたら、ちっぽけなものです。死とは、あなたが知っていて愛している全てのものからの別れです。それと比べたら、あらゆる脅威は大したことではないのです。死を意識することで、生きているときに訪れる恐怖を、和らげることができるのです。


5.死ぬ気で常にベストを尽くす

いつかは自分も死ぬということを意識する。そのときは明日かもしれませんし、一ヶ月後かもしれません。すると、死ぬ前に自分の足跡を世界に残さなければと思い、常に高いモチベーションをキープすることができます。黒澤明監督の「生きる」という映画では、死を前にした主人公が、死ぬ気で働いて一つのことを成し遂げます。そして彼が死んだ後に、葬式に参加した一人が、死ぬ気でやれば、誰だって、成功できる!といったのに対して、あなただって明日死ぬかもしれないんだぜ?という言葉を投げかけて映画が終わっていきます。

死と向き合うと、いつまでも人の記憶に残るような、素晴らしい功績を残そうと思えるのです。


6.他人に期待するのではなく、自分をもっと信じるようになる

全ての人やものがいつかは消えてしまうということを理解できれば、それらに過剰な期待をしすぎることはありません。もちろん、人に失望することはあるかもしれないですが、「失望した」と思えること、そういう感情は、自分が生きているからこそ抱くことのできるものです。

その重要さを噛みしめれば、冷静に現実的に、物事に接することができます。


7.小さなことに集中しすぎて無駄に汗を流さず済む

死を意識することは、物事を正しい方向へ導くことでもあります。だから困難にぶつかったとき、目の前の小さなことに、本当に向き合うべきかどうかを考えてみましょう。あなたはそこから離れることも、他にもっと楽しいことを見つけることもできます。常に死を意識している人は、そのことをわかっています。


8.幸せになることに集中できる

私たちはいつか必ず死んでしまいます。だとしたら、好きなときに好きなことをしましょう。あなたが誰かを愛しているなら、その人と一緒に過ごしましょう。スイーツが好きなら食べて、海が好きなら海の近くに移住したっていいんです。人生は限りある短い時間ですから、あなたが幸せになるために、全ての時間を使うべきです。


9.やるべきことでなく、やりたいことに集中できる

常に死を意識している人は、社会規範やルールに縛られません。彼らは望むときに、やりたいことをします。彼らはそれこそが人生の重要なポイントだと信じています。常に直感に従い、自分の心の思うままに動いていきます。

自分にとって本当に価値を感じるものを明確にして

それに向かって人生を走らせることです。


もし、あなたが、愛や成功や幸福を最も大切にしたいと感じているなら

それがあなたの価値観です。


価値観とはあなたが感じる感情なのです

そして、その価値観にはあなたにとってポジティブな価値観と

ネガティブな価値観が存在します。


愛や感謝、喜びや情熱などの価値観はあなたの人生を
前進させてくれるものです

逆に不安や寂しさ、怒りや恐怖などの価値観はあなたの決断を
鈍らせ後退させてしまうものです。


また、過去において、その価値観があなたを幸せや成功へと
導いたものであっても

時代の変化やあなたの成長においてすでに遠ざけるべき価値観と
なっているものがあるかもしれません。


充実した人生を送るためにはあなたにとって本当に大切な価値を
まずはハッキリとさせることです。



成長は、一時的に安定を失うことだ

それは、慣れ親しんでいるが型にはまったやり方や

安定しているが退屈な仕事時代遅れの価値観

意味のないつき合いを排除することでもある
         
ビル・ゲイツ


1分で感動から転載

小さな決断の積み重ねが、あなたをつくる

賢さは才能だが、やさしさは選択である

まず、この卒業式で皆さんに伝えたいのは、「生まれつきの才能と、生きている中で考えた選択の違い」です。

賢さは生まれ持った才能ですが、やさしさは生まれてから自分で選ぶべき、選択です。生まれ持った才能は、努力を必要としない反面、生きていく中で選択をするということには、努力が必要です。才能に埋もれてしまうと、努力をおこたりその時にすべき選択ができなくなります。

あなたたちは、プリンストン大学に入れるだけの賢さを備えています。賢さは武器です。日々人類は、進歩しています。私たちがいま想像できる予想を、はるかに超えたことを達成します。

毎日の小さな進歩が積み重なり、大きな進歩へとつながります。過去に生きていた人たちが今の社会をみたら、驚くと思います。社会は常に前進していて、今を生きる私たちはいつの時代に比べても最も恵まれています。それは、ここにいるみなさんにも同じです。

自分の生まれ持った才能をどう使いますか?それにかまけて努力をせず、新しいことの挑戦をしないですか?どういう選択をとって生きていきますか?



48時間の決断でわかったこと

私は、Amazonを創業する前はニューヨークの金融機関で働いていました。給料も良いし、職場の人にも恵まれていました。

当時、インターネット利用率が毎年「2300%!!」も増加しているということを知りました。そんな急成長しているマーケットに乗りたいと思い、「インターネット上で本を売る会社をつくりたい」とボスに言いました。

すると、彼はこう言いました。

「それは、いいアイディアだ!いつかやってもいいかもしれない。しかし、いまの仕事をすべて投げうってまでやるべきことなのか?働いている環境も素晴らしいし給与も良い。そこまでリスクを犯す必要があるのか?」

彼は最後に、「48時間」だけもう一度考えてみるべきだと言い、私は彼のアドバイスに従いました。安全な道か、リスクをとって挑戦をするか・・・。最終的に私は、「挑戦すること」に決めました。



自分の人生の選択は、自分で切り拓く

明日になれば皆さんは社会へ飛び出していきます。みなさんは、卒業した後、どんな選択をしていきますか?

何もせずに、他の人と同じことをしますか?それとも、やりたいことを挑戦しますか?

安定の道を選ぶか、それともリスクをとりますか?

間違いを犯したら隠しますか、それともそのことについてすぐに謝りますか?

周りに同調しますか?それとも、クレイジーと言われても続けますか?

できないことの言い訳や批判ばかりをしますか、それとも実際に行動に移しますか?

なりふり構わずに成功だけを追い求めますか、それとも優しくなりますか?



自分で下す決断の積み重ねが、あなたをつくる

80歳になったあなたが、自分の心に最後まで残っていることは、あなたが決断してきたことたちです。

あなたがその時に何を選ぶか?あなたの毎日の決断こそが「あなた」をつくっていきます。自分を信じて、自分の道を切り拓いてください。




 1.自分にふさわしくない人たちと
   過ごすのをやめなさい
 
 2.自分の問題から
   逃げるのをやめなさい
 
 3.自分に嘘をつくのをやめなさい
 
 4.自分にとって大事な事を
   後回しにするのをやめなさい
 
 5.自分以外の誰かになろうと
   するのをやめなさい
 
 6.過去にしがみつくのをやめなさい
 
 7.ミスをするのを
   恐れることをやめなさい
 
 8.過去の間違いについて
   自分を非難するのをやめなさい
 
 9.幸福をお金で手に入れようと
   するのをやめなさい
 
10.自分が幸せになるためだけに
   誰かを求めるのをやめなさい
 
11.意味もなく怠けるのをやめなさい
 
12.まだ準備ができていないと
   考えるのをやめなさい
 
13.不適切な動機で人と
   関わるのをやめなさい
 
14.過去にうまくいかなかったからという理由で
   新しい人間関係を拒絶するのをやめなさい
 
15.他人と競争するのをやめなさい
 
16.誰かに嫉妬するのをやめなさい
 
17.泣き言を言ったり
   いじけるのをやめなさい
 
18.根に持つのをやめなさい
 
19.自分より低い誰かのレベルに
   合わせるのをやめなさい
 
20.誰かに自分のことを説明して
   時間を浪費するのをやめなさい
 
21.休憩なしで同じ事を
   何度もするのをやめなさい
 
22.なにげないひとときの美しさを
   見落とすのをやめなさい
 
23.完璧にやろうと
   するのをやめなさい
 
24.安易な道を選ぶのをやめなさい
 
25.物事がうまくいっていないときに
   問題ないふりをするのをやめなさい
 
26.自分の苦しみを誰かのせいに
   するのをやめなさい
 
27.八方美人になるのをやめなさい
 
28.心配しすぎるのをやめなさい
 
29.起きて欲しくないことに
   焦点を合わせるのをやめなさい
 
30.感謝の念を抱かない生き方をやめなさい



お金の使い方

01.本や資格よりも「考える力」や「生み出す力」に投資する

「本」はただ何も考えず読むだけだと、思ったよりも費用対効果が低い投資です。目的やアウトプットすること、しっかりと考えることをしないで読んでいるだけの場合は要注意です。


02.「食べること」にお金をかける

自分のカラダをつくっている「食」にはお金を使いましょう。外食も、できるだけ美味しいお店に行くようにしましょう。値段がはったとしても、手のかかった料理には味覚・嗅覚・視覚だけでなく知識や好奇心を刺激してくれる魅力があります。

マナーがわからない時は上司に連れて行ってもらうこともいいでしょう。そして次に行く時は自分の足で通ってみる。そうすることで学べることは想像以上に大きいものです。


03.お金のやり取りはモタモタせずに、終わらせる

お金のやり取りに関してもスピード感はかなり大切です。時間をかけずにさっさと済ませましょう。お金の支払いなどは後まわしにすると、忘れてしまいがち。そんなことで信用は失わないように・・・。


04.ちまちま貯金せずに、使うべきところは使う!

お金は使うことで価値が発生するもの。やりたいことにお金を張りましょう。細かいやりくりをするのではなく、かけるべきところにかける。そのバランス感を養って行くことが大切です。


05.タクシーはケチらない

終電ギリギリの満員電車に詰め込まれながら帰宅して”疲弊”するより、さっさとタクシーで移動してしまった方がストレスも少なく、翌日に残る疲労も最小限で済むでしょう。時間を買うという選択は、高い買い物ではありません。


06.「毎日長時間使うもの」は、質重視

毎日眠るベッドや、通勤用のが車や自転車。日々チェックを欠かさないスマホや、仕事で使っているPC。長く触れる物であればある程、質のいい物を選びましょう。毎日の積み重ねが生んで行く差は、思っているより大きい物です。人によっては台所用品だったり、洋服や、靴だったりするかもしれません。


07.小物はオシャレで、徹底的に良いモノを

カバンやペン、ケース、メガネなどは良い物を選んでおくと、長く使えるだけでなく、オシャレで選ぶ力のある人間であると言う証明にもなります。


08.誰かの為に使う(食事やお祝い事など)

同じ金額を使ったとしても、誰かの為に使った方が幸福度が高いという調査結果があります。もちろん自分の為だけにお金を使っていれば、貯金はいくらかは残るかもしれません。しかし、機会や人脈への影響は、想像以上に大きいものです。


09.楽しいことに使うのが一番!(知的財産)

やる気もないのに勉強にお金をかけても意味はないでしょう。それよりも、好きなことにお金をつかって楽しんだ方が、良い経験にもなるので、ずっと価値があります。人生は一度きりです。


10.値段で迷ったら、高い方を選ぶ

高くても迷うのは、それだけの魅力があるから。安いのに購入を迷うのは魅力がないからです。高いものが自分の予算とかけ離れていたらそもそも迷えません。値段で迷ったら妥協せずに高い方を買う決断をしましょう。


11.料理教室に通うのは、大アリ

美味しい料理を創る技術と言うのは、先々役に立ちます。誰かをを喜ばせる為にも、自分の為にも料理の趣味や知識は年齢を問わずに価値があります。そこで新しい出会いもあるでしょう。


12.実家ぐらしより一人暮らし

経済感覚が身につく為、早いうちから経験しておくと良いでしょう。例えば誰かとの共同生活に時間とお金を使うのも、自分の常識が非常識であるという感覚を買うことに役立ちます。
 

本当に世界を良くしたいと心から考えていますか

持続的に可能な発展と世界の貧困をなくすことについて話し合われてきました。しかし、今私たちが目指すべきことは、現在の裕福な国々の発展の消費モデルを真似することなのでしょうか?

みなさんに質問です。
例えば、ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持つことになれば、どうなるでしょう。地球で呼吸するための酸素はどれだけ残るでしょうか。

さらに言い方を変えましょう。西洋の富裕層が当たり前とする傲慢な消費を世界の70億~80億人の人がしたら、どうなるでしょう。そんな原料がこの地球上にあるでしょうか?

こんなこと可能なわけがありません。

この無限の消費と発展を求める市場経済や資本主義でできた社会を作ってきたのは、間違いなく私たちです。
そしてグローバリゼーションの発展により、世界のあちこちまで原料を探し求めるようになりました。まさに競争だけで成り立っている社会になりました。

このような状況の中で「みんなの世界を良くしていこう。貧困をなくしていこう」というような共存共栄な議論は成立するでしょうか?一体どこまでが仲間で、どこからがライバルなのかさえ分からないのに。

このようなことを言うのは、この会議の重要性を批判したいからではありません。その逆です。

私たちの前に立つ“本当の問題”について話し合いたいのです。


大量生産・大量消費、使い捨ての社会を抜け出そう

私たちは発展するために、この地球に生まれてきたわけではありません。幸せになるために生まれてきたのです。人生は短く、あっという間に過ぎていきます。私たちは、命より尊いモノは存在しないということを忘れてはいけません。

でも私たちは今、自分たちが作り出したはずの消費社会にコントロールされています。今の世界では、モノをより早くより多く消費し続けなければなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、不況がみなさんの前に現れることになるからです。

そのためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。10万時間持つ電球が作れたとしても、1000時間しか持たない電球を作るのです。人がもっと働き、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けようとしているのです。この悪循環の中にいることを気づいて下さい。

石器時代のような生活に戻れと言っているのではありません。今の消費社会を、コントロールしなければならないと言っているのです。
古代ギリシアの哲学者エピクロスはこう述べています。「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではない。無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と。

私は、これこそがこの会議にとって重要なポイントだと考えます。問題源は、水源危機とか環境危機といったことではありません。もっと根本的な問題は、私たちが作り上げた社会モデルであり、政治の在り方だということを分かって頂きたいのです。見直さなければならないのは、消費社会そのモノなのです。


発展することで幸福を奪うな、幸せは、シンプルなところにある

私は環境資源に恵まれた小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいませんが、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が育ち、1000万頭近いヤギもいます。領土の90%が豊富な資源となっているのです。

でも、労働者たちのほとんどは長時間労働を行っています。車やバイクなどのローンを支払わないといけないからです。毎月たくさん働き、ローンを払うという生活を続ければ、幸せな人生は一瞬で過ぎていき、気が付けば私のような老人になっていることでしょう。果たしてこれが人類の運命なのでしょうか?

私が言いたいことは、とてもシンプルです。
「発展は幸福を阻害するモノであってはいけない」ということ。発展は人類に幸福をもたらすモノでなくてはなりません。愛を持つこと、家族をつくり子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のモノを持つこと。こういったことを、もたらすべきなのです。


それは人類にとって「幸福」が何よりも大切だからです。
だから環境のために戦うのであれば、「幸福」こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。



1 経済のために使い捨てばかりのモノをつくり、大量生産・大量消費の社会から抜けだそう。

2 貧乏な人とは、モノを持っていない人ではなく、無限の欲がある人たちのことだ。モノを持つことは大切ではない。

3 経済が豊かになり、お金やモノをもつことが幸せではない。幸せとは、家族を持ち、愛にあふれていること。


 

選択肢は広がったのに
心は不自由になり、
   
便利になったのに 
忙しくて時間がない
        
いい学校を出ても 
自分の頭で考えることは少なく
     
情報は増えても 
自分で経験することは少ない
        
楽になればなるほど 
楽しみは少なくなり
    
物や商品は増えたのに 
幸せは減ってきている
    
増えるファーストフード
増える肥満
    
添加物だらけの食品と
鈍くなる感性
    
専門家が増えても
問題も増え、
    
薬は増えるが
病気も年々増え続ける。
    
世界中の人と繋がれるのに
隣人との繋がりは減り 孤独が増えた
    
人間の気性が激しくなり
自然の気象も激しい

    
我々は 便利さを求める一方で
大事な何かを見失いつつあるのかもしれない

     
でも
あなたが亡くなった後にも、
残せる 大事な思い出は、
    
どれだけ 楽ができたかよりも、
どれだけ 楽しむことができたか。
    
どれだけ 築いたか よりも、
どれだけ 気づいたか 。
    
どれだけ お金を稼いだかよりも、
どれだけ お金を通して 感動できたか。
    
どれだけ 思い通りになったかよりも、
どれだけ 思い通りにならない事から学んだか。
    
どれだけ 長く一緒にいたかよりも、
どれだけ 気持ちを込めたか。
    
どれだけ 理解されたかよりも、
どれだけ 理解できたか だ。

     
一人一人が
自然への畏れと感謝を思い出し、
過去は水に流し、
    
自分の足元の目に見えない
小さな愛と感謝に気がつけば、

すてきな笑顔に包まれた
すてきな日々がはじまる。
   


ついのすみか、東京がいい 人の縁「混住」で結び直す 

2025年、東京に住む75歳以上の後期高齢者のうち、3割の57万人が独り暮らしになる。

だが地価や人件費の高い東京で介護施設の建設は容易に進まず、劣悪なサービスがはびこる。住み慣れた東京の街は、ついのすみかになり得ないのか。
 
杉並区で息子夫婦と暮らす山本喜美子(仮名、86)は最近、認知症を自覚するようになった。
ただ息子夫婦には苦労をかけたくない。区は静岡県南伊豆町に特別養護老人ホームを建て、高齢者に移住を促す構想を進めているが、近所には孫も住んでいる。「ここを離れろと言われても」
 
 山本が頼ったのは介護大手のメッセージグループが2月に始めた「在宅老人ホーム」だ。
家が密集する都会は介護者が高齢者宅を効率良く回れるため、自宅で介護しやすい。
介護施設が要らないため、費用も月10万円以下で収まる。
 
 メッセージ会長の橋本俊明(66)は「縁もない場所に喜んで移住する人はいない」と語る。ただ新たな試みの成否は未知数だ。「最初は失敗続きだろうが、まずは採算を考えないで始めてみるしかない」と、手探りのスタートを覚悟する。
 
 地縁・血縁の薄い東京の高齢化は、独り暮らしが多いという難問を抱える。高齢者の孤立を防ぐ対策が必要になる。
 「家族だけでの介護は大変」。杉並区の瑠璃川正子(65)は隣の家に住んでいた両親をみとった際、こう痛感した。そこで「他人同士でも家族のように暮らせる家をつくろう」と思い立った。
 
 「荻窪家族プロジェクト」は、高齢者や若者が1つの家に「混住」する計画だ。子どもの面倒をみたり、高齢者に声をかけたりする「自然な見守りの輪をつくる」という理想を掲げ、一部を地域の人に開放する。
 
 東京都町田市で建設計画が進む「町田ヒルズハウス」は、様々な世代が「家」ではなく「街」に集う仕掛けを施す。敷地内には高齢者マンションや介護施設に加え、大学の学生寮や家族用住宅も備える。

元気な高齢者は街づくりの担い手。近くに住む石井則子(61)は「私も職場を退職したばかり。何か貢献できるかも」と意欲を示す。

■思わぬ付加価値
 多世代の交流は思わぬ付加価値も生む。横浜市のものづくりカフェ「いのちの木」では編集者の楠佳英(39)が高齢世代の編み物の高い技術に注目。

手作りバッグを雑誌で紹介すると注文が殺到し、若い女性が編み物を習おうと集まってきた。
 
 独り暮らしの高齢者の急増に介護施設の整備が追いつかないのは東京に限らず、他の大都市も同じ。三菱総合研究所主席研究員の松田智生(48)は「混住の試みですべて解決するわけではない。

だが選択肢を示さなければ何も変わらない」と指摘する。試行錯誤の先に初めて突破口は見えてくる。



☆★認知症カフェ 「認知症予防サロン百合ヶ丘 旬(ときめき)亭」



誰でも「家族」になれる共同住宅 縁結びの新たな形

いざというときに頼れる家族は近くにいないし、あまり近所付き合いもない。でも住み慣れた街で暮らし続けたい――。
大都市に住む高齢者にとっては自然な感情だ。それならば新しく「家族」をつくってしまおう。

こんな発想から生まれたのが「荻窪家族プロジェクト」。
様々な世代の人間が「他人だけど適度な距離感」で暮らすシェアハウス計画だ。
両親の介護経験から「これからの時代、家族だけでは支えきれない」と実感した瑠璃川正子さんが旗振り役になり、共感した現役世代が建物の設計から生活の規則づくりまで一緒に考え、様々な仕掛けを盛り込んだ。

 

「いままでの勉強」では生き残れない時代の到来

暗記中心の「勉強」は、もはや役に立たない。では、かわりに何を学べばいいのか? 世の中のさまざまな問題を学習する「よのなか科」の生みの親である藤原和博氏が、中高生とその親のために書き下ろした新刊、『たった一度の人生を変える勉強をしよう』
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きみたちが生きる「成熟社会」とは

ここで一度、話を整理しておこう。日本が「成長社会」だったころ、よのなかには誰もが認める“正解”がありました。たとえば、進学、就職、結婚、出産、マイカー・マイホーム購入といったライフイベント。いい高校に入って、いい大学に進めば、大きな会社に就職できたり、公務員になれる。あとは年功序列でお給料も上がるし、黙っていても出世できる。

そしていい人と結婚して、子どもをもうけて、郊外のマイホームを手に入れる。これはみんなが認める幸せのかたちでした。働き方も同じだ。成長社会の産業界には「もっとたくさん」「もっと安く」「もっと均質に」という“正解”があって、決められた目標に向かって進んでいれば、明るい将来が約束されていた。「あそこをめざせ!」というゴールがあったわけ。

このとき、いちばん大切になるのは1秒でも早く“正解”にたどりつく「情報処理力」です。そして情報処理力を鍛えるのにもっとも有効な手段が「勉めて強いる」の勉強だったんだ。

勉強さえやっておけば、どうにかなる。親や先生、国や社会の言うとおりにしておけば、どうにかなる。ある意味それは、幸せな時代だった。でもね、成長社会はある段階でストップする。しかも、心の部分でストップする。その理由について、ちょっと考えてみよう。

日本が戦後の焼け野原から立ち上がろうとしていたとき、みんなの心を占めていたのは「たらふくメシが食いたい」「暖かい服がほしい」「まともな家に住みたい」という、衣食住についての欲求だった。そして衣食住が満たされると、今度は「テレビがほしい」「冷蔵庫がほしい」「エアコンがほしい」みたいに、生活や文化に関する欲求が芽生えてくる。毎日の暮らしを、もっと便利に、もっと豊かにしてくれるモノを求めるわけだ。

だって、たとえば冷蔵庫があれば、肉や魚が腐りにくくなるよね。そうすると家庭での食中毒が激減する。しかも保存がきくから買いだめすることができる。毎日お買いものに行く必要がなくなって、主婦たちの自由時間がグッと増える。炊飯器や掃除機も、まったく一緒。あたらしい家電を手に入れることで、家事がどんどんラクになる。つまり、モノが豊かになることは、みんなの「幸せ」と直結していたんだよ。

じゃあ、ここで問題。

モノの豊かさがある程度満たされていったとき、今度はなにがほしくなる? 衣食住が整って、テレビや冷蔵庫、エアコン、自家用車なんかがぜんぶ揃ったら、社会の欲求はどこに向かっていくと思う?

モノ(物質)の豊かさは、もういらない。だって、いまさらテレビがあと1センチ薄くなっても、それは「幸せ」とは結びつかないよね。モノでは満たされなくなった幸せを、今度は「心の豊かさ」に求めるようになるんだ。

このあたらしい時代のことを、ぼくは「成熟社会」と呼んでいます。モノの豊かさを求めるのが成長社会。それに対して心の豊かさを求めるのが成熟社会。これ、とっても大事なポイントなので、ぜひ覚えておいてください。

正解はきみの「心」のなかにある

それではここで、次の問題。いま、なんとなく「心の豊かさ」って言葉を使ったけど、これって具体的になんのことだと思う? なにがあれば「心の豊かさ」が満たされるんだろう?

……わからないよね。

そう、これは「心」がどう満足するかという問題だから、個人によってバラバラなんだ。たとえば、いまはプロ野球選手がメジャーリーグに挑戦することは、当たり前になっている。でも、昔はそうじゃなかった。生涯日本でプレーすること、そしてあわよくば、ジャイアンツやタイガースのような人気球団で活躍すること。

それが日本人プロ野球選手の“正解”だったんだ。

ところが1995年、当時日本でいちばんのピッチャーだった野茂英雄さんが、周囲の反対を押し切って渡米して、大活躍する。もちろん、メジャーリーグに行って活躍できる保証なんて、どこにもなかったんだよ。それどころか、軍暮らしや軍落ちだってありえる無謀な挑戦だ。だって、日本にいれば球界のエースという立場が約束されていたわけだからね。

でも、野茂さんの「心」は、それじゃ満足しなかった。安定や安心よりも、世界最高峰のリーグに挑戦したい、という思いのほうが強かった。

結局、野茂さんの成功をきっかけに、たくさんの日本人選手がメジャーリーグに挑戦するようになっています。もちろん、家族やファンの気持ちを優先して、あるいはメジャーリーグにそんな興味を感じることなく、生涯日本でプレーする選手も大勢います。これは「心」の問題なので、どちらが“正解”というわけではありません。

答えは、その人の心の中にだけあるものだから。こんな感じで「成熟社会」になると、みんなの価値観、生き方、働き方、趣味嗜好がバラバラに枝分かれして、とてもひとつの“正解”ではくくりきれなくなりました。これは、よのなかのルールが変わった、といってもいいくらいの大変化。

さて、ここで問題になるのは、ルールが変わればプレーヤーも変わる、ということ。同じ陸上競技でも100メートル走とマラソンとでは、求められる能力がぜんぜん違うよね? マラソンの時代になったのに、100メートル走のスタートダッシュばかり練習しても意味がない。長距離には長距離用の、練習メニューがあるはずです。

みんなの勉強についても、同じことがいえます。

基礎体力としての勉強が大切なのは、いまも昔も変わらない。ここは勘違いしないでほしいんだけど、ぼくは「勉強しなくていいよ」といってるわけじゃなくって、「いままでの勉強だけじゃ足りないよ」といいたいんだ。

従来型の勉強は、あくまで正解ありきでつくられた、「成長社会」に必要な力を身につけるプログラム。これからの成熟社会では、正解ありきの勉強に加えて、「正解がない時代」を生き抜くための、あたらしい力を身につけなくてはいけません。勉強という言葉が、再定義されるべきときに来ているのです。

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 1.何とかなる。
  それは、やることをちゃんとやってる人のセリフ。

 2.時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。
  それね、本当のこと言われてるからよ。

 3.忙しい忙しいって言う人いるじゃない。きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。
  だからこう言ってあげたほうがいいわ。時間の使い方が下手ねって。

 4.あなたね、決断力がないんじゃなくて、決断する方法をしらないだけ
  あのね、いい方を選ぶんじゃなくてあなたが思う方を選ぶのよ。最初はいろいろ失敗するわよ、あなたバカなんだから。
  でもそのうち自然といい方を選ぶようになっていくわ
  最初からうまくやろうなんて自惚れてるんじゃないわよ。

 5.逆よ、全く逆よ。自分と向き合うにはひとりになるんじゃないわ。
  いろんな人と関わりあうのよ。お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。
  自分の知らない、自分を知らない人たちと関わりあうのよ。見えてくるわよ、本当の自分が。

 6.あなたの夢を、そんなこと無理だっていう人いるでしょ。
  こう言い返してやりなさい。あなたには無理ね、でもわたしはできるの、あなたとわたしはちがうから、って。
  でも言ったからには夢をかなえなきゃいけないことも覚えておきなさいよ。でかい口たたくんだから。

 7.ひま、やることがない。なんて間抜けなセリフだこと。
  春は花を見て、夏は太陽を浴びて、秋は落ち葉を踏んで、冬は静かに春を待つの。
  やることがないんじゃないわ。やることをわかってないのよ。

 8.縛らないことよ、自分で自分を。
  わたしはかわいい、わたしはブス。わたしは賢い、わたしはダメ。わたしはモテる、わたしはモテない。
  あなた、自分をすぐ何かに決めつけようとするでしょ。
  本当の自分を見つけるのはもっとずっとずっと先の話。今することは、一生懸命迷うことよ。

 9.新しい生活、その不安ね。大丈夫よ、全然、大丈夫よ。
  いま考えてもしかたないじゃない。何かあったらその時に考えればいいのよ。
  本当にそんなものよ。それで意外とうまくいくのよ。

10.恋ね。冷めると冷える。
  冷めるって、心地いい温度よね。冷えるって、おしまいよね。

11.女ってね、時々、好きな人といたくて。時々、好きな人の前から消えたくなるの。
  それをわがままっていう男とは、一緒にいれないわ。それをかわいいって思う男とは、長くいれそうね。

12.そうね、明るくしているほうが楽しいわね、明るい人にとっては。
  けど、暗い人には疲れちゃうわよね。だからね、楽しくするってより、楽にする。なのよ。

13.みてるわよ、あなたがしていること。
  あのね、神様じゃないわよ。もうひとりのあなたがよ。もうひとりのあなたがあなたをみているのよ。
  見放されないようにね。嫌われないようにね。

14.信頼でしょ。
  これが揺らいだらおしまい。さようなら。

15.一生懸命努力してるのに報われないじゃない。
  努力の量が足りないんじゃなくて、仕方が間違ってるんじゃない。

16.迷わないことが強さじゃなくて、怖がらないことが強さじゃなくて、泣かないことが強さじゃなくて、本当の強さって、どんなことがあっても、前をむけることでしょ。
  前をね。

17.はじまるわね。新しい場所、新しい事、新しい人。
  大変よね、不安よね。あのね、少しだけ思い返してみて、離ればなれになった友達を。道は違うけど、同じ不安よね。
  だからこう思って。みんな頑張って、わたしも頑張るよって。きっとね、みんなもあなたを応援してるわ。さあ、頑張りなさい。


涙が止まらないから転載

人は好きなことをする時、
心の豊かさを取り戻す
   
人は自然と触れ合う時、
心の豊かさを取り戻す 
    
人は美しい音楽、芸術に触れる時、
心の豊かさを取り戻す。

    
人は人を愛する時、
本当の自分を取り戻す
    
人は目の前のことに最善をつくす時、
本当の自分を取り戻す
    
人は「今、この瞬間」を生きる時、
本当の自分を取り戻す
    
     
本当の自分とは、愛と豊かさ。
      
愛とは、「今、この瞬間」ありのままを堪能すること
        
豊かさとは、「今、この瞬間」に感謝すること

        
今、自分がどれだけ恵まれているかということに 感謝してみる。 

       
「豊かさ」を手に入れるよりも、
「今を豊かに感じることのできる感性」を取り戻すことが秘訣です。
   


アジアインフラ銀行は中国「融資平台」の国際版

日本などの世界経済にとって中国経済をめぐる最大の恐怖は、成長率が7%程度まで鈍化することでも理財商品がデフォルトすることでもありません。

 中国とは共産党1党独裁の計画経済であるため、発表されるGDPなどの各種経済統計はすべて積み上げられた「目標数字」に過ぎず、誰も中国経済の本当の規模も成長率もわからないことです。

 最大の問題点は、その誰にもわからない中国の経済規模とくに需要を前提に世界中が設備投資や資源開発を行い、気が付けば世界中が過剰生産・過剰資源開発に陥ってしまっていることです。

 その中でも最も需要を読み間違えたのが当の中国企業であり、中国国内では報道されているよりもはるかに深刻な過剰設備・過剰生産・過剰在庫(そして過剰借入れ)に陥っているはずです。

 つまり中国経済とは、何をさておいても大至急でこれら「過剰」の受け皿を「世界のどこか」に作り出す必要があり、その「どこか」とはアジア諸国のことであるはずです。

 そういうところにアジアインフラ銀行の設立準備が進んでいます。

 アジアには同じような機能を持つアジア開発銀行(ADB)がありますが、その運営は日本と米国が主導権を握っているため(総裁も旧大蔵官僚の最上格の天下り先として確保されています)、中国としては自らが主導権を握るためにアジアインフラ銀行を新たに設立しようとしているのです。

 アジアインフラ銀行の構造は不明ですが、資本金1000億ドル(ADBは1650億ドル)の約半分を中国が出資し、たぶん高い格付けが取れるため債券発行や世界各国からの借入れでレバレッジをかけ、主にアジア各国のインフラ整備に資金を提供するはずです。

 その実態は、もちろんアジア諸国を中国経済にある数ある「過剰」の受け皿にするためであり、その資金を世界中から集めるためのプラットフォームです。まあ例えれば中国の不動産バブルや過剰設備を助長させた「融資平台」の国際版です。

 ただアジアにはADBがあるため、中国政府は盛んに「ADBには融資審査など運営面に懸念がある」などのネガティブキャンペーンを行っていますが、中国はその「懸念があるADB」から最大の(全体の25%以上の)融資・投資を受けいれています。

 中国人の自分勝手で厚かましいところは今に始まったわけではありませんが、そのアジアインフラ銀行に英国・ドイツ・フランス・イタリア・ルクセンブルク・スイスなどの欧州各国が参加を表明しています。

 またあろうことかオバマ大統領まで世銀やADBとの共同出資事業を提案し始めたようです。

 欧州各国の思惑は、中国とは距離も遠く政治的な軋轢は少ないため、アジアインフラ銀行に参加することにより中国マネーや中国市場とのつながりを強化するという純粋の経済的動機であり、オバマ大統領は米国内ではもう誰も相手にしないため思い付きで勝手なことをいっているだけで、さすがに米国の総意ではありません。

 さて我が国はどう対応すべきなのでしょう?

 「欧州各国が参加を決めているので日本も取り残されないように早く参加を表明すべきだ」とか「欧州と日本が参加すれば中国の思い通りに運営させない」など、恐るべきトンチンカンな評論が目立ちます。

 完全に無視すべきです。

 参加(出資)はもちろん、アジアインフラ銀行への資金提供(債権引き受けや融資)は一切行わないと表明すべきです。

 「我が国(日本)はADBの最大出資国として、アジア諸国の経済発展のために与えられた使命を今後とも懸命に果たしていくため」とでもしておけば、十分に納得できる説明となります。

 安倍内閣の、経済センスと国際的バランス感覚が問われます。

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認知症 = 不幸なのか

認知症が進むにつれ、がんの痛みを感じなくなる。150320
 
死に対する恐怖とも無縁になる。
 
末期がんにも苦しまず、安らかに永眠する。
 

これは、認知症の研究や治療、介護、看護にあたってきた専門家たちがよく口にする現実である。

一般には、ほとんど知られていない事柄かもしれない。


つげ義春の名作「ねじ式」も顔負けのシュールな幻想を語ってやまないハナさん。
 
すきあらば病棟からの脱出を狙いつづける源五郎さん。
 
車椅子を両手でこぎまわりながら、悪罵と怨嗟のかぎりを叫びつづける徳子さん。
 
一日中、病棟の中をほぼ決まったコースで歩きまわる勘平さん・・・。

なんと個性的な人々であろうか。
 

山形県南陽市にある重度認知症治療病棟での取材を始めてすぐ、そこにつどう人々の圧倒的な存在感に目を見張らされる思いがした。

認知症の進行とともに、罹患者の内面から、常識や世間体や煩雑な人間関係といった余分なものが削ぎ落とされ、いわば”地肌”があらわになる。

それは、ときに目をそむけたくなったり見るに忍びなかったりするものであろうが、その人が秘めていた個性の核心であるに違いない。


 
認知症カフェ 「認知症予防サロン百合ヶ丘 旬(ときめき)亭」
 


  

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