仏教から学ぶ愛

仏教の教えの中には、私たちが思いやりのある人間になるために心に留めておきたいエッセンスが満載です。

「思いやり」言い換えれば慈悲をもって相手に接することには、以下の側面があると考えられます。
「ぬくもり」「開放感」「知識」。
これらは感情と実際の行動との、ふたつを隔てる意識でもあります。
慈悲を持ち合わせるためには自身のエネルギーと、直感と、モチベーションの質を上げ、あなたの明るさや、安らぎ、優しさを集約して思いやりへとつなげる必要があります。



01.私欲を捨てる寛大さ

寛大さとは、無私無欲の上にあるものです。それを「誰が与えてくれる」のか、「何を与えてくれる」のか、「誰が受け取る」のかといった考えは捨てること。
これをしてあげたら、何が自分に返ってくるのか…、そうした私欲に走らずに行動することが、寛大さの本質です。
自分のエゴや正しいと信じているものを、いったん忘れてみるのも寛大さのひとつです。
主張を押し通して相手を言い負かすのは、確かに優越感に浸れます。でも、人間関係に優越感なんて必要ないのでは。
間違いを正すことも必要ですが、エゴからくる自己主張は止めましょう。



02.自分の感情に語りかける規律

自分の言葉や行動、考えに気づき、それを自覚してコントロールすること、それが規律です。
規律はあなたの心がけに対する意識にも深く関係をしているもの。
相手の会話に批判的ばかりだったり怒りをぶつけたりする前に、ひと呼吸おいて少し考えてみることです。
まずはひと息ついて、冷静になってみる、自分と向き合う時間を作るのです。



03.感情をコントロールする忍耐力

誤解をされて怒りを買い、心を閉ざしたとしても、それに衝動的に反応しないことです。

それこそが忍耐。悲しみや怒りの感情を爆発させては、火に油を注ぐだけ。
パートナーにアドバイスをしたのに、相手がそれを受け入れないときにも忍耐が必要です。
人はああしろ、こうしろと言われるのが嫌いなもの。上から目線にではなく、相手の話を聞いてみましょう。
 
忍耐は裏切られ傷ついた際にも必要となってきます。
怒りや悲しみをいつまでも感じていないで、傷ついた理由を見直してみることです。
必ずや相手のことを大切に思っているがゆえ、という原点に戻るはず。
そのことに気づけたなら、心の中にある怒りを振り払い、受け入れるスペースを空けてみましょう。



04.日常のトラブルと向き合う勤勉さ

たしかに一生懸命な努力は、勤勉さにつながります。でも、自分を犠牲にしてまで、したくないことをする。それでは身も心も持ちません。
日常的に起こるいざこざや面倒なことは、言ってみればすべて修行のようなもの。毎日少しでも和らげたり、乗り越えていくことに喜びを感じてみてください。「いつか」ではなく「いま」の積み重ねに幸せがあるんですから。

勤勉さはまた、自分の感情を無視せずに向き合うということでもあります。



05.感情の礎となる瞑想

1日10分でも、落ち着いて自分の心と向き合ってみることは、思いやりある行動を取る上で、大変役立ちます。帰宅後すぐに、少し気持ちを落ち着けるだけでも良いでしょう。
仕事での嫌なことなどを家庭に持ち込まないためにも、瞑想は効果的です。
瞑想は私たちの思いやりの行動、すべての礎となるもの。なぜなら、あなた自身であなたの心の中を整理するための時間でもあるから。



06.真の意味での優しさ

他人を愛し受け入れるということは、自分自身を受け入れることに他なりません。
これはただ優しくするということではありません。過ちを見て見ぬふりをするとか、感情を押し殺してまでも、相手の言いなりになるのでは、愛する意味がありません。
本当の思いやりとはあなたの心に誠実・忠実であること。それが親切心の表れにもつながっていくのですから。