死ぬ時くらい好きにさせてよ

 160106

宝島社の企業広告はこれまで目にしたことがあり、かなり記憶に残っています。
それはすごいことだと思い、お受けしようと思いました。
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました。
*樹木希林さんコメント

 

日本の平均寿命は年々更新され、今や世界一。
 
いかに長く生きるかばかりに注目し、
いかに死ぬかという視点が抜け落ちているように思います。
 
いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、
それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、
という視点から、問いかけています。
 
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」
ご出演いただきました樹木希林さんの言葉です。
 
「死というのは悪いことではない。それは当たり前にやってくるもので、
自分が生きたいように死んでいきたい。最後は、もろとも宇宙の塵になりて。
そんな気持ちでいるんです。」
 
死について考えることで、どう生きるかを考える。
若い世代も含めた多くの人々の、きっかけになればと思っています。
 


 すてきに活ききる ”よく活き、よく老い、よく死ぬために 
 



 
平均寿命が世界一となり、「いかに長く生きるか」ばかりが注目される日本において、「いかに死ぬか」という死生観の尊重。
「死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。
そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました」という理由で出演を決められたそうです。
広告のコピーには樹木希林さんの言葉が語られています。
「人は必ず死ぬというのに、長生きを叶える技術ばかりが進化してなんとまあ死ににくい時代となったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く星になりたい。それが、私の最後の欲なのです。」

一般的には恐怖の象徴である死について、樹木さんは当たり前のこととして前向きに捉えており、そのことを社会に伝える役割を感じているのだそう。
「死ぬということは悪いことではない。当たり前のこと。
『生きているのも日常、死んでいくのも日常』私はちゃんと見せていきたい。
そういう事を伝えるのも、死んでいく者のひとつの役目(仕事)かなぁ」
さらに、樹木さんは死と見つめ合うきっかけが少ない現代を、「不幸な時代」と語っています。
 
「一般の世の中の人は、死というものを特別なものとして、そういうものを見ないように避けて通るんだなぁと思います。
親しい人の死が身近に見られない今の世の中は、ちょっと不幸な時代になったのかなと。
損しているなと思いますね」
「(死への覚悟は)常に思ってる。皆さんは果てしなく生きると思っているでしょ。
いまはいつ何があってもおかしくない。畳の上で死ねたら上出来」
 
樹木さんが広告に出演するにあたって、「この人の他に誰もいない」と思わせる、死と隣り合わせであった人生を歩んでいました。
 
樹木さんは、自身を全身ガンと呼ぶほど、転移と再発を繰り返し、その度に死の淵に立たされています。
2005年に乳がん、そして皮膚に転移し治療。
しかし2年後には、また5~6ヶ所の転移がみつかり、さらに副腎にも大きなガンが発見され、ここ10年は常にガンと闘っている生活を送っているのです。
「(医師に)何がんかを聞いたら、全身がんと言われた」
 
その後、2014年の1月に記者会見で、ガン治療が無事終了したことを報告。
遺作になるかと騒がれていた世間を、生命力の強さで驚かせました。
それでも、常に身辺整理はしているのだそう。
「この10年“もうダメかな”という状態なのに、まだ生意気に口をきいてるから、生かされてるんだろうな」 
「常に(身辺)整理はしている。
ウチの夫が『判子の置き場所は分かるようにしとけ』って言うから『もってくつもり』と聞くと『半分は資格があるだろ』だって」
 
このように、いつも死と向き合ってきた樹木希林さんの人生を知ると、より一層宝島社の企業広告に説得力を感じてきますね。
72歳を数えるいまも現役を続ける彼女からは、人生の先輩として学べることが多いでしょう。
また、「死」というものについてももう少し向き合い考えてみるべきかもしれないそう思わせられるお言葉の数々だと思いました。