「ライフプラン」から「ライフワーク」へ

ライフプラン・シミュレータとは、
結婚、出産、住宅購入、退職などのライフイベントを入力していくと、
毎月の生活費や老後の生活資金はいくら必要か、などが具体的な数値で出力される便利なものです。

金融機関や保険会社などでは、ファイナンシャル・プランナーがこれを用いて、
自社の顧客に対して、例えば老後の生活資金が、何百万円不足する、ということを数値で示します。
そして、その備えとして今から外貨預金をした方がよい、投資信託を買ったほうがよい、というような指南をします。

しかし、これを使ってみると、一つの疑問が湧いてきます。
それは、「老後の備え」とは、一体何かということです。

「もちろん、それは老後の生活資金のことさ。
そんなの当たり前じゃないか」という声が多くの人から聞こえてきそうです。

でも、「老後の備え」とは、果たして老後の生活資金のことだけでしょうか。

多くの年配の方々と接していると、生活資金はもちろん重要ですが、むしろ「老後にどんな生活をしたいのか」の方が重要に見えます。

言い換えると、
「老後にどういう生き方をしたいのか」を、老後以前に熟考しておくことが肝心なのです。

ところが、この疑問は、実は、「老後」になってから思いついたのでは遅過ぎます。
本来、物心ついた頃から考え続けるべき課題です。

しかし、日々の生活の慌しさのなかで、その課題を考える作業から何となく逃げてしまう人が多いのではないでしょうか。

そして、逃げ続けた結果、定年退職になり、それから考えるという人が特にサラリーマン男性に多かったのではないでしょうか。

でも、これからは、もうそうはいきません。
なぜなら、定年退職という区切りが、事実上消滅しつつあるからです。

もちろん、65歳定年制という制度としての定年は法律で制定される限り、残るでしょう。
ところが、実際はいろいろな理由で、定年を待たずに今の会社を去っていく人が増えています。

これらの動きが示すのは、
定年を基準に「第一の人生」「第二の人生」と区切って考える時代が終わるということです。

だから、これから必要なのは、定年後の「ライフプラン」ではなく、定年の有無に関わらず、自分が一生賭けて追求する「ライフワーク」です。

自分のライフワークさえ明確であるならば、勤務先の会社や組織の都合に自分の生き方の選択を左右されることはなくなります。

したがって、これから求められるのは、
老後の生活資金の工面策を説明するだけの「ファイナンシャル・プランナー」ではありません。

それより、顧客のライフワーク探しを心底支えてくれる「ライフワーク・ナビゲータ」こそが求められるようになるでしょう。 

ワークライフバランス



 


「セカンドライフ」

「第二の人生」という言葉は、 
会社などの勤務先の“定年退職”を基準に、 定年前を「第一の人生」、定年後を「第二の人生」とする考え方からきたものです。

しかし、この考え方は、 
“定年退職”という「勤務先の制度を基準」に個人の人生を区分する考え方です。

日本には、こうした会社などの勤務先を基準に個人の人生を区分する「勤務先本位」の価値観が、まだまだ蔓延しています。

たとえば、「社会人」という言葉もそうです。 
今週は企業や省庁で入社・入庁式が行われ、多くの若者が「社会人」の仲間入りをしたとの報道が相次いでいます。

しかし、こうした入社・入庁をしない人、例えばスポーツ選手や写真家、農家、起業家などは社会人ではないのでしょうか。

立派な入社・入庁式のある勤務先の「サラリーマン」になることが、 あたかも「社会人」になることであるかのような 決め付けがなされている気がしてなりません。

参考までにアメリカではごく一部の職種を除くと、定年退職という制度はありません。 
年齢による強制的な退職を法律で禁じているからです。 
また、アメリカは労働流動性が一般に高く、 キャリアアップのために職場を変わることはよくあります。

このような背景から、勤務先の制度を基準に、個人の人生を「第一の人生」、「第二の人生」とする考え方はありません。

アメリカのものが何でも良いとは思いませんが、自分の人生の選択権を勤務先の制度に委ねず、あくまで自分自身で決めていくことが社会通念となっている点は優れていると思います。

人生の巡り会わせで出会った勤務先との縁はもちろん大切にすべきと思います。 
しかし、勤務先に「社員としての人事権」は渡すとしても、「人生の選択権」までは渡す必要はないでしょう。

そもそも、「ライフ(人生)」に「ファースト(第一)」も「セカンド(第二)」もありません。 
なぜなら、人生は一回きりであり、その人“固有の唯一”のものだからです。

「セカンドライフ」という 
“他人に作られた”言葉に踊らされること無く、一回きりの人生はあくまで“自分で創りたい”ものです。 

100514活きる
 
 
ナノコーポとは、微細を意味するナノと法人のコーポレーションとの造語。

ナノコーポの定義は「Convergence of worker and company」。つまり「働く人」と「会社」とが一体化することです。社員が一人でも法人形態をとり、個人事業やボランティアとは一線を画します。

旧来型の会社組織ではなく、自分のこれまでのキャリアを活かし、自分のやりたいことを仕事にして、他人に雇われずに、収入を得ながら働き続けるスタイルです。

ナノコーポという言葉には、 
「あくまで自分サイズの事業規模にこだわり、拡大を目指さない」という意味が込められています。

アメリカ国勢調査局は、2002年現在で従業員がいない会社のオーナー、つまりナノコーポを1760万人と見積もっています。 
この数字は、アメリカの労働人口の約13.5%に相当します。



最近、日本でも団塊世代の定年による大量退職後のライフスタイルが話題に上ることが多いのですが、定年制度のないアメリカでは、日本の定年60歳より前の年齢で、第二、第三の人生を選択する人が大勢います。

ナノコーポの業種には、コンサルタント、広告・PRクリエーター、 ライター、プログラマー、ファイナンシャル・アドバイザー、不動産業、住宅ローン業などが比較的多い。 もともと独立自営の人もいますが、近年の傾向は、それまで勤務していた大手企業を退職して独立した元サラリーマンが増えていることです。

世界最大の高齢者NPO、AARPの調査によれば、 
日本の団塊世代にあたるベビーブーマー(1946年から64年生れ)の8割は65歳を過ぎても働きたいと考えています。 
サラリーマン退職者のナノコーポが増加しているのは、こうした背景があります。

このように増加するナノコーポという働き方の意義は、一体何でしょうか。

ナノコーポとは、大組織でサラリーマン生活を経験した人が、組織の力ではなく、個人の力で、自由に働くためのスタイルです。 
それは、主人のいる「小作農」の立場を辞め、自分の土地で自分のために農業を営む「自作農」に似ています。

自作農では、自分自身で畑を開墾し、耕し、種を植え、水と肥料を撒く。 
雑草が生えれば、自分で刈り取り、虫がわけば、自分で消毒します。 
そこに何の種を植えるのか、どういう形態の畑にするのかも、全て自分の選択です。

そして、上手く実れば収穫は全て自分のもの。 
逆に実らなければ、収穫はありません。 
全てが自分の選択であり、誰かに依頼されたり、 強制されたりしてやるものではありません。

自由には、必ず責任が伴います。 
ただ、その責任が、会社の都合で与えられたものなのか、 自分の主体的な選択なのかで、納得感が大きく異なるはずです。

これまで書籍・新聞・雑誌で述べたとおり、 ナノコーポという働き方には、メリットもデメリットもあります。 
大企業に居残り続けるか、それとも、ナノコーポを選ぶかは、結局、個人の価値観の問題です。

ただ、私がアメリカで出会った多くのナノコーポたちは、自分自身で自分の働き方を選択できる自由を心から楽しんでいるように見えました。 
私の友人が語っていた次の言葉が、今も印象に残っています。

「大企業を辞める前は、いろいろと不安もありました。 
でも、やってみると、意外に何とかやれるものなんです。 
むしろ、組織に頼らなくなってからの方が、自分自身や自分のビジネスについて、以前より深く考えるようになりました」。

日本では、「起業」というのは、一般にリスクが高いと思われています。 
ましてや、定年前後の年齢で起業するのは、それなりの資金と共に、相当な覚悟が必要だというイメージがあります。

しかし、実際にナノコーポを立ち上げた人たちを見ていると、逆に、自分の生き方を自分で決定できることで、むしろ、リスクが低くなっているように見えます。 
リスクというのは、最低ラインが見えたら、それ以上のリスクはないからです。

仮に、65歳まで今の会社に居続けるとしても、 その後の生き方をどうするかという課題は必ずついて回ります。 
自分の好きなことをしたいと思うならば、なるべく早いうちに始めた方がよいでしょう。

たとえ会社は定年でも、人生の定年にはしたくないという人にとって、ナノコーポという「現代の自作農」は、面白い選択ではないでしょうか。

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給料のためではなく、大切な価値を生みだすために働きたい。
人生を消耗させるためではなく、人生を豊かにするために働きたい。
自分だけのためでなく、社会のために働きたい――。

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