劣等感でつぶされそうなあなたへ

 劣等感って誰しもが持つ感情です。決してそれが悪いわけでもない。でも、気をつけないと、競争の無限ループへとあなたを引き入れる怖いものです。どうやって劣等感と付き合えばよいのか、そんなことを考えてみました。
 まだ、アップルで社内政治に明け暮れていた頃のこと。僕は、なんだかいつも疲れきっていました。長時間労働だったし、注目される会社でそれなりに責任のある立場だったし、おまけに他言語で毎日社内政治だからかと思っていました。でも振り返ってみると、なんか当時のあの疲労感の原因は、もっと違うところにあったような気がする今日この頃です。


◇偶然いい仕事をしたあの頃 

 僕は、2002年にアップルジャパンから本社へ転属しました。そして、渡米直後にiPod Miniの開発に関わることになったのです。アップルで秘密プロジェクトに関わると、普段とは全く違った指揮系統に組み込まれて仕事をするはめになったりします。直属の上司さえプロジェクトの内容を知らされません。そんなこと、支社では絶対にあり得なかったので本当に驚きでした。こうして僕は、ひょんなことから副社長と直接仕事をする機会に恵まれたのです。

 渡米早々にこんなふうに抜擢されて、僕は、燃えに燃えていました。少しでもいい製品を世の中に届けたい。そんな気持ちでいっぱいだったのです。自分が問題だと思うことを包み隠さず子細にまとめて、プロジェクトの期間中だけ直通になった副社長に毎週のように送っていました。すると副社長からのリクエストで、毎日送れとのこと。そしてさらに1、2週間すると「このレポートはよく書けているから、上級副社長に直接送るように。」とのお達しです。マジか? これがその後何を意味するのかもわからないまま、上級副社長へとせっせとレポートを送り続けました。

 バタバタと2つばかりプロジェクトを終わらせて気がついたこと、それは部署間の凄まじいまでの権力争いでした。それぞれのマネージャーたちは協調し合う仲間のはずなのに、そんなのは、まったくの建前なのです。失敗は他部署のせいにし、他部署の手柄は自分の手柄にする。そんなことが、ごく普通に行われていました。

 そして僕は、最初の2つのプロジェクトで、けっこう敵をたくさん作っていたようなのです。何でもかんでも正直に上に報告すれば、顔がつぶれる人がいる。ライバル視され、警戒される。当たり前のことですが、渦中では考えもしなかったんです。


◇青かった時代が終わって 

 今考えてみると、僕は、なんかいい感じに周りの空気を読まずに、偶然いい仕事をしてしまったようなのです。社内競争なんて眼中にもなく、いい製品を世に送り出したい気持ちに突き動かされていました。そのうちにジョブズに会う機会ができたりね。まったく有り難いことです。

 やがてiPodを離れ、Macintosh 製品の品質のシニア・マネージャーへ。管理する人数も増えたし、発言権も確実に高まったのです。でもだんだんね、気がついてしまったんです。社内にはいろいろな思惑の人がいて、うまく味方を作ったり敵をつぶしたりしないと出世できないらしいって。いつの間にか同ランクの管理職たちを力関係で眺めるようになり、自分の立ち位置に一喜一憂するようになっていきました。

 気がつくと僕は、お客さんの手に渡る製品の品質を第一に気にする朴訥とした新人マネージャーから、自分の立ち位置にに汲々とする、どこにでもいる凡庸な管理職へと成り下がっていたのです。自分では正しい方向に進んでいるつもりでしたが、青かった故に輝いていた新入りは、いつの間にか可も不可もない平凡なシニア・マネージャーになっていたというわけです。

 こうしていつの間にか、社内政治に明け暮れるようになっていました。出過ぎる杭は打たれないのに、わざわざ自分から「打たれやすい杭」になったようなものです。全くアホですね。世の中を力関係で捉え、そのなかで一喜一憂する生活は、実に疲れるものです。僕は段々とひどく消耗するようになり、「ああ、こんな会社ヤメたいな。」と思うようになっていました。それなのに会社のネームバリューや給料や多額のストックオプションで、どうにもヤメるにヤメれません。あちらこちらを病みながら、ヨロヨロと会社に通い続けました。


◇どうすればよかっただろう

 今考えてみれば、やるべきことは極めて明確です。社内政治になんて気にせず、ひたすら愚直でいれば良かったんです。その結果、出世できなかったかもしれません。でもそれはそれ。きっと、正しいことをキッチリやったというプライドで胸を張ることができたでしょう。適度に嫌がられながらも自分の立ち位置が確立できたでしょう。器でもないのに上ばかり見て、なんだか自分で自分の価値を下げてしまったように思うのです。

 こうした見当違いの努力は、結局のところ自分の「劣等感」のなせる技だったように思うんです。劣等感は誰にもあるものです。容姿だったり学力だったり、仕事の出来不出来だったり……。アップルでのし上がってくる奴らなんて、世界的に有名なブランド大学の院卒とか、三か国語ぐらい喋るとか、デザインや設計やプログラミングでスゴい実績があったりするのが普通です。そんな奴らと自分を比較してコンプレックスにまみれながらジタバタする。そういう気の持ちようが、自分の持ち味を殺していったように思うのです。

 多分、愚直であることこそが、僕の持ち味だったんです。英語もうまくないし、政治もうまくない。頭だってとびきりいい訳じゃない。けれども丁寧な仕事を心がけ、包み隠さずなんでも報告する。きっとそういう部分が買われたんです。でも、全然自覚できなかった。もっとスマートにカッコ良く、みんなと対等にやっていけるはずだ。いや、やらなければ。こうしてみずから不毛な競争へと身を投じ、自分の劣等感を刺激し、始終疲れきっていたように思います。


◇ジョブズに倣って 

 外国に住むって、そのままハンディキャップを背負い込むということでもあります。言葉の壁はなかなか超えられないし、現地人のようにスマートになんてやれない。どうしても劣等感が刺激されます。でも不利な外国人だからこそ、そんなものに飲み込まれてはいけないんです。自分なりの良さ、自分なりの持ち味がきっとあります。英語が得意ではないからこそ、現地人と同じ価値観を持たないからこそ、生きる部分があるはずなんです。

 自分の良さって、自分ではなかなか気がつけないものです。自分の欠点こそが、むしろ長所だったりもするんですけどね。多分、劣等感って、自分がそれをどう意味付けするかが大事なんです。開き直るのではなく、自分のいいところも悪いところもまずはキッチリ直視する。人との競争で、自分の劣等感をごまかさない。こうすることで、見えてくるものがあります。


 冷静に考えれば、ジョブズって、どう考えても人格障害って感じですよね。でも彼はそれを持ち味に変えてしまいました。禅に傾倒していたことが、彼自身を素直に受け入れることに繋がったのかもしれません。

 自分の駄目なところも受け入れて、自分で自分を許してやる。そうやって初めて、自分の良さが見えてくるような気がするんです。アップルを退職して今月でちょうど5年、そんなふうに感じる今日この頃です。


松井博 (まつい ひろし)

作家・経営者。2009年まで米国アップル本社勤務。著書に『僕がアップルで学んだこと』、『企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 』、『10年後の仕事のカタチ10のヒント シリコンバレーと、アジア新興国から考える、僕達の仕事のゆくえ』などがある。現在はクパティーノで保育園事業も手がける。