大転換に備えよ  自由の気風・気概を羅針盤に

 英国の欧州連合(EU)離脱、トランプ氏の米大統領選勝利など、2016年は国際政治と経済の基本枠組みに大きな修正をもたらす出来事や変動が相次いで起きた。これらのショックを受けて、17年は新たな枠組みへの模索と調整の年とならざるを得ない。今後の変化の方向性について貿易と直接投資、競争による格差と再分配、言論の自由と進歩という視点から、筆者の大まかな見通しを述べたい。

まずトランプ氏が環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を明言したことで、アジア・太平洋の貿易体制に緩慢な変化が進行するはずだ。アジア諸国はTPPの枠組みから東アジア地域包括的経済連携(RCEP)へとシフトする可能性が高まる。米国のアジア市場離れが進み、アジアにおける政治的影響力も低下するだろう。RCEPがその輪郭を濃くするなか、メンバー中最大の経済大国、中国の発言力がますます強くなることは避けられない。

 ただ、その動きが急激かつ不可逆的に進行することはなかろう。直接投資の増大が自由貿易協定(FTA)を実質的に圧倒するほどの力を持つからだ。TPPや多くのFTAは貿易の量と方向に影響を与えるが、直接投資の影響はこれを超えるほど大きくなる。

 生産拠点が国際化すると、為替レートが円安に振れても、日本の貿易収支は理論通りには好転しない。通商政策を決定する政治と海外進出を決める企業は、必ずしも同じ目標とルールの下で行動するとは限らない。国家は一枚岩ではないからだ。

 トランプ氏の保護主義志向は、短期的な国内の利益を狙ったものであり、相手を富ますことで自らも豊かになるという「啓発された自己利益」の知恵から出たものではない。保護主義は、関税を巡る国家間の報復措置の悪循環を生み、世界全体の貿易量を収縮させる。一方、国内産業の保護は、失業者を減らし格差を緩和させるようにみえるので国内での支持を得やすい。

 トランプ氏は自由貿易で多くの白人労働者層が仕事を失ったと主張し、貧困や低所得に悩む人々から多くの支持を得た。しかしおそらく、彼は政権に就くと高所得層への減税政策を推し進め、彼に投票した白人労働者層を「裏切る」挙に出るのではなかろうか。そうした一貫性のなさは国内の社会的分断を深め、内政を不安定化させる要因となる。

 伝統的な米国社会には、競争の勝者に拍手を送り、勝者への嫉妬を潔しとしない気風があった。しかし決して競争を無条件に礼賛してきたわけではない。再分配への配慮と組み合わせて、競争に大きな社会的価値を認めてきた。

 経済活動という「ゲーム」は、個人の努力だけではなく運や社会的環境などのコントロールできない要素が結果を左右する。生得的な能力や家庭環境だけで競争の結末が決まるのであれば、勝者が特に祝福されることはない。勝者が獲得した富は、個人が独力で得たものではないという認識があったのだ。

 だからこそ競争を勝ち抜いたものが富を独り占めするのではなく、一部を社会に自発的に還元することで社会全体を豊かにするという再分配の哲学が意識されてきた。高所得層への高い限界税率などの政府の強制力に頼るのではなく、勝者が自らの意思で貢献するという気概があった。つまり「競争と再分配」が相補う形で社会を豊かにするという暗黙の合意があった。カーネギーが著書「富の福音」で説いた哲学はその代表例だろう。

 しかし近年の米国のスーパーリッチには富の社会的由来を自覚せず、富を完全な自己の独占物だと考えるものが多くなってきたのではないか。トランプ氏の言動に、公共の福祉を目指す政治本来の目的を見いだすのは難しい。彼が特定層から強い支持を得たのは、一部の人々が意識下に持つ差別意識をあおり立てたからであり、そこに公共の福祉の哲学は見当たらない。

 タテマエへの配慮のない発言は社会に危険な害毒となる。安っぽいホンネは、到達できない理想を語るのと同じくらい、百害あって一利なしだ。自由と平等という理念により何とか国家としての統合性を得てきた移民国家米国は、身もふたもない物言いによりその理念が力を失い、国民も政治家も短期的かつ利己的利益だけをベースに行動する傾向を強めるだろう。

 差別や偏見の助長を防ぐための「ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)」により多くの禁句が生まれた。そこでは直視すべき現実を熟慮の上で正直に語るという空気が失われたのかもしれない。しかし、タテマエとホンネは「虚と実」の関係にはない。健全な政治に求められるのは、到達可能な理想を掲げながら厳しい現実と向き合うというバランス感覚だ。

 トランプ氏の自己利益第一主義の言動は、経済学的にみても合理的なものではなく、極めて短期的な視野に基づいていると言える。経済合理性を貫けば、能力や生産性を無視した差別やエコヒイキは長期的に必ず利潤を低下させ、市場での敗退を招く。安直な言論は一時的に国民感情に訴える力はあっても、長期的利益や公共の福祉という点では社会に益することはない。

 その米国の思想風土の振り子が、新大統領の登場で大きく振れる。ロシアの政治的台頭も目覚ましい。他方、今後10年での中国とインドのさらなる躍進は確実だろう。中国とインドが経済の主役の座を降りたのは、産業革命以後のたかだか200年にすぎないから、21世紀中国の経済成長は「新たな勃興」ではなく「再登場」と言った方が歴史的には正確なのである。

 問題は、中国とインドがどの程度の経済成長を続けたあと安定成長期に入るのか、そしてその過程で日本が両国とどのような経済関係を結びうるのかという点だ。さらには中国とインド以外で今後どの国の中産階級が膨張し、大きな市場を形成するのかという問いも重要になる。

 一般に後発国の経済成長は「後発性の利益」によりかなり高いスピードを示す(図参照)。高度成長の軌道に乗る時期が遅いほど成長は早く、その終わりが訪れるのもまた早い。従って日本が経済関係、特に直接投資での結びつきを強める国はどこかも大きな選択問題となろう。

 「後の者が先になり、先の者が後になる」という状況の中では、固定観念や思い込みは禁物である。不確定要素が多いだけに、日本、そしてアジア・太平洋諸国が今後どのような通商と外交政策を展開していくのか、いくつかシナリオを描き分け、常に改定し続ける対応力が求められる。

 羅針盤があれば航海に大きな不安はない。だが信頼しうる羅針盤がなくなれば、船はさまよい暗礁に乗り上げる可能性がある。一番危険なのは、外部の敵よりも船内の統治の乱れだ。「国破れて山河あり」は外敵に「敗れる」のではなく内部の崩壊により「破れる」との意味だろう。「破れる」ような事態が起こりうるのは、国民が社会保障制度や高等教育などの欠陥に気付き、次第に気概を失い、思想や行動に活力がなくなったときだ。

 自由の気風や気概があればこそ、アイデアと経済的進歩は生まれる。あらゆる政治論争、経済活動のベースとなる言論・思想の自由を尊ぶリベラルデモクラシーの精神の強さが、われわれ日本人に問われ始めていることは確かだ。

*猪木武徳 大阪大学名誉教授