「不快感」が無くなるほど、あなたの心は安心と幸せで満たされ、運もよくなり、仕事や人生がうまくいくのです。
あなたが子どもの頃から今に至るまでに、実にさまざまなことがありましたね。
怒ったこと、悲しんだこと、悔しかったこと、嫌で嫌でしょうがなかったこと、そのどれもがあなたの心の中であなたを傷つけ、ずっとあなたを苦しめてきたものだと思います。
そういう不快感を積み重ねてきた結果、いつからかさまざまなものに対して、苦手意識や嫌悪感、億劫な感覚、遠慮してしまう感覚などの不快感を覚え、足踏みし、もやもやし、自分がどこにいて結局何をしたらいいのか、一体何をしたいのか分からないような感覚になってしまいます。
今まであなたの中に積み重ねられて手放すことができなかった不快感の大部分は、あなたの中で「傷つけられた」という意識から、堅固に握りしめられている場合があります。
「私はこんなに傷つけられたのだから、絶対に許さない」
「私はこんなことをされたのだから、そう簡単に癒されるわけがない(癒やされてはいけない)」
「起こった物事は変えられないのだから、被害を受けた私の心も変えられない」
この感覚に共通しているのは、原因を起こった物事(人)に対して向けていることです。
では、大勢で旅行に行ったとして、みんな同じものを見て、同じものを体験し、同じ経験をしたとしても、それぞれが抱く感覚や感情が異なりますね?
それはなぜでしょうか?
それは物事にあらかじめ感覚や感情があるのではなく、あくまでもその感覚や感情を生み出しているのは、自分自身だからです。
では本来、物事には人の心を傷つける能力がもともと備わっていないとしたら、あなたは一体何にずっと傷ついていたのでしょうか?
このことから、本来物事とは感覚や感情がない、概念や価値観によって色づけされる前の「現象」であると表現されます。
では本来、物事には人の心を傷つける能力がもともと備わっていないとしたら、あなたは一体何にずっと傷ついていたのでしょうか?
唯一あなたの心に傷をつけることができるのは、あなたが物事に対して生み出した不快感という刀を、頑なに自分の内側で持ち続けようとした時だけです。
傷つくというのは物事に対して傷ついているのではなく、自分自身が生み出した感覚や感情によって、自分で自分を傷つけている状態です。
その中にはもちろん、相手や物事に非がある場合もあるでしょう。
あなたが悪いわけではないことのほうが多いかもしれませんね。
しかしあなたの人生から「幸せ」を奪う「傷ついた」「傷つけられた」という感覚は、相手やあなたの是非とは関係なく、あなたが概念や価値観をもとにその物事にしたジャッジと、そこから生み出した感覚と感情の不快感によって、すべて決められています。
そしてそれらを作り出すのは、被害者意識です。
被害者意識とは、起きた物事や結果は大半が自分以外の責任であって、自分の責任はほとんどないという価値観を持つ意識です。
実際は、はるか過去から現在に至るまで、自分の身の回りの行動と結果にはすべて自分の選択も含まれていますから、ほとんどの責任がないとも言い切れませんね。
そして自ら物事や相手の責任にして不快感を生み出したとしても、結局その不快感によって幸せになれるわけでもなく、起こってしまった物事や相手がどうにかなるわけでもなく、ただ単純に苦しいのはあなただけなのです。
ただ苦しいだけの被害者意識を手放すことによって、起こったことは過去のこととして、より理性的に行動できるようになります。
被害者意識は人生に不快感をもたらし、人生の運気を下げて、人生の成長を自分自身の手で奪うものになる恐れがありますから、気をつけなければいけません。
あなたならば被害者意識がいかに自分で自分の人生を台無しにしてしまうかが分かるでしょう。
本来のあなたの心は物事に傷つけられていたのではなく、物事に対して自らがジャッジをして生み出した、自分の感情によって自分で自分を傷つけているとしたら、その感情を手放すと人は、そもそも傷など実際は存在しなかったというほど、綺麗に今までの不快感は消えてなくなります。
人生の舵は常にあなたという船長が、唯一主導となって動かしているのです。
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