人生という名の遊び場で、いま、ここを活かされ、すてきに活きる

時代の本質をとらえた、心に残るすてきなメッセージ[構想、視点、こころ]と、新たな気付きをあなたに届けます。みずみずしく、活き活きとした、すてきな旬(ときめき)を一緒に探しにいきましょう。      ◆◇たきがみ博士が選ぶ”すてきなメッセージ”のおすそわけ◇◆

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教育ニ関スル勅語「教育勅語」               高橋源一郎

 教育勅語とは、明治天皇の名のもとに、1890(明治23年)に発せられた「教育ニ関スル勅語」のことを指します。

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教育勅語①
「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

教育勅語②
「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」

教育勅語③
「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

教育勅語④
「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

教育勅語⑤
「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

教育勅語⑥
「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」

教育勅語⑦
「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

教育勅語⑧
「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。

以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」


*明治神宮の公式サイト 口語訳
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~


「ノブリス・オブリージュ」という言葉があります。

 「高貴な人の義務」という意味の言葉。

 高貴な身分に生まれついた人間には、
 人々に奉仕し、献身する義務がある。

 その思想を表した言葉です。

 事実、この思想が大切にされてきた英国では、
 第一次世界大戦において、
 貴族出身の下士官の死傷率が
 群を抜いて高かったと言われます。

 それゆえ、この言葉を聞くとき、我々は、
 その奉仕と献身の精神に共感を覚えるのですが、
 貴族という階級を前提とした思想に
 ささやかな抵抗を感じます。

 しかし、この言葉を深く見つめるとき、
 それが、実は、
 逆の意味を持っていることに、気がつきます。

 「高貴な人が自覚する義務」ではなく、
 「義務を自覚する人の高貴さ」

 たしかに、
 人々に奉仕し、献身することの義務を自覚した人間には、
 不思議な高貴さと、香りがあります。

 「ノブリス・オブリージュ」

 貴族階級が消えた現代において、
 いつか、この言葉が
 その意味において使われる時代が、来る。

 そして、そのとき、
 「義務」という言葉は、
 「使命」という言葉と、同じ響きを持つようになる。

 この言葉の余韻の中に、我々は、
 その予感を抱くのです。



 田坂広志

働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い。しかし、それでは人生は充実しないばかりか、長時間労働で心身ともに蝕まれてしまうだけだ。しかも近年「生きる意味が感じられない」と悩む人が増えている。結局、仕事で幸せになれる人は少数なのだ。では、私たちはどう生きればよいのか。ヒントは、心のおもむくままに日常を遊ぶことにあった――。独自の精神療法で数多くの患者を導いてきた精神科医が、仕事中心の人生から脱し、新しい生きがいを見つける道しるべを示した希望の一冊。

頭も心も同じようなものだろうと思っている人は少なくないと思いますが、それは間違いです。「頭」とは理性の場であり、一方の「心」は感情や欲求、感性、直観の場で、「身体」と分かち難くつながっています。例えば「頭」は仕事を進めるための情報処理を行い、過去を分析したり、未来を予測したりします。それに対して「心」は野生原理の感情や欲求の場ですから、仕事はしないで「休みたい」とか「眠りたい」「遊びたい」とかいう欲求を抱えていたりします。

 本来、動物は「身体」と連携した「心」のみでできているのですが、近代以降の人間は、「頭(理性)」が思い上がって「心」の出した結論を軽視し却下しがちなのです。「頭」が「心」の欲求に常に「フタ」をしてしまっているのです。「頭」が「心」を強力にコントロールしようとしているわけですね。これでは、うつ病などの精神的な病気を引き起こしてしまうのも仕方のないことです。

「日本語では主語が省略されることが多い」と私たちは学校で習ってきましたよね。その考え方で言えば、省略されることは多いものの、日本語に主語はあることになります。でも、そうではなくて、一見、主語とされているものは「主題」を立てているだけであって、そもそも欧米語のような主語がないのではないかという議論が近年活発になっています。そのため、日本語を用いる私たちは、「私」という一人称がない未熟な「0人称」にとどまってしまうという傾向を帯びているのです。

日本語では自己と対象の主客が合一的で、その間の境目があいまいです。話者は個人主義の欧米人のような確固とした主体を持っておらず、相手との関係によって話す内容さえも変化してしまいます。言い換えれば「誰」が言ったかはあまり問われない社会。「誰でも同じ意見である」「同じ価値観を持っている」という前提に立った社会であるとも言い換えることもできます。自分もほかの人間も考え方は同じだから、あえて主語を明示する必要はないということになるのです。

日本人の陥りやすい最大の問題点は、自分と人との「関係性」を最重要視してしまって、「関係性」を守るがために個人の方が歪んでしまうというところにあるように思います。その結果、個人が精神的に追い詰められていく。

小さな子供が無心で遊ぶように、大人も「心」を中心にして、生活全体を遊ぶべきなのです。ただし、それは大人ならではの成熟した遊びであり、頭脳を駆使した創造的な遊びになるでしょう。身近なところで具体的に言えば、料理とか日曜大工、音楽などもよいだろうと思います。実際にそういう「遊び」を仕事にまでしてしまった人もいます。

現代人は、もはやハングリーに働かなくてもさすがに死ぬほどのことにはならないのに、「働くことこそ生きること」という“労働教”にいまだに洗脳されたままなのです。戦後すぐの時代の人々がハングリーに働くことが不可欠だったのは事実ですが、今はもう、そういう時代ではありません。にもかかわらず、日本人は「ハングリーモード」のスイッチを戻せなくなってしまっている。生きる手段に過ぎなかった「ハングリーに働くこと」自体が、自己目的化してしまっているのです。もっと一人ひとりが「生きる意味」を大切に生きてもよいのではないでしょうか。

誰でもいつかは必ず死ぬわけです。世間に振り回されている人が、最後に一番馬鹿を見るのではないでしょうか。「心」が本当にやりたいことをやらない人生なんて、後悔してもし切れません。


 大学闘争の嵐が吹き荒れていたキャンパスの
 正門前に掲げられた立看板。

 そこに、大きく書かれていた言葉が、
 いまも、心に残っています。


  力及ばずして敗れることは、辞さないが、
  力尽くさずして挫けることを、拒否する。


 当時、多くの学生の心をとらえ、
 彼らを変革の闘いへと駆り立てたこの言葉を
 数十年の歳月を経て思い出すとき、
 一つの問いが、心に浮かびます。


  この言葉は、あの時代の若者たちの
  単なる自己陶酔と英雄主義の言葉だったのだろうか。
  それとも、それは、あの時代の若者たちの、
  覚悟と矜持の言葉だったのだろうか。


 その問いを静かに問うとき、
 心の深くから、声が聞こえてきます。


  その答えは、まだ定まっていない。


 そして、その声とともに、
 一つの思いが、心に残ります。


  その答えが定まるのは、
  いま、ではない。

  あの若者たちが、その生を終える、その日に、
  答えが定まる。


 その思いが、心に残るのです。



 田坂広志

◇病気の原因

「自然に沿った生活をしていれば病気にならない」、では逆に病気になる、つまり不自然な生活とはどのようなものになるでしょうか。
・臓器(体を)自動的に調節しているのが、ホメオスタシスの3系で「自律神経系」、「内分泌(ホルモン)系」、「免疫系」からなる
・これらは、自律的に(意識しなくても)働き、それぞれが独立した系でありながらも連動して動いている
・この3系のすべてが重要であるが、特に自律神経系(交感神経と副交感神経がある)が3系を統括している 
・体と心の両方があって人である
・体と心は表裏一体であり、分けられないもの(一心同体)である
・健康に生きるためには体と心の両方が大切で、両方とも健全でなければならない
・ 本来は心と体に上も下もないが、より本質的には、心は体の上位中枢である
 
なぜなら、
①心の在り方はホメオスタシスの3系を介して臓器(体)を一つ上から支配している
 (怒りや苦しみの感情は体に負担をかける。反対に喜びは体に良い影響をもたらす)
②心(意識)の下には膨大な無意識があり、そのずっと奥では地球であり自然につながっている
つまり、心は地球(自然)を介して体(臓器)を更に上からも支配している
 
・私たち「ヒト」は単独で生きている存在ではなく、おびただしい数の微生物に囲まれ、共存している生態系である
・この微生物を排除したことが、現代病(アレルギー、自己免疫疾患、がんなどの生活習慣症、自閉症など)が爆発的に増えている最も根底にある原因である
・微生物を排除する行為も環境(地球)を汚染する行為も私たちの身体を傷つける行為もすべて同じである
・地球上の全て(微生物、植物、動物、地球)はつながっている生命であり、支えあって循環している
・医(病気や健康)の前に食があり、食の前に農があり、農の前に微生物(土、環境)がある
 

「自然に沿っていれば病気にならない」、「病気の原因は不自然な生活にある」この原則をこの図で説明します。

170217病気の原因
 
 
図では、自然(地球)→ホメオスタシスの3系(特に自律神経)→臓器のように、自然に沿って生活している人は自律神経(および3系)が臓器(体)を健全に調節します。
不自然な生活をすると、同じように自律神経を介して病気を作っていくということになります。
この不自然な生活(つまり病気の原因)を大まかに分類すると以下のようになります。
 
①不自然な農 
農薬、化学肥料、農業資材に使用しているもの、環境汚染(空気、水、放射能・・・)、ポストハーベスト、地産地消ではない、旬ではない など
 
②内因(からだの内部の原因) 
 食(日常の食事、量、内容、さまざまな化学物質)
 生活(衣住、運動、その他の生活様式など)
 遺伝
 
③外因(からだの外部の原因)
 環境毒(放射能、PM2.5、公害、経費毒、抗菌グッズ、薬、ワクチンなど)
 感染症
 ストレス(主にメンタルなもの)
 外力(物理的な)
 
④微生物の排除、バランスの崩れ(体の内外の状態)
 
⑤ネガティブな心の状態 心が何よりも重要
 
これらのすべてが健康や病気に関係しています。
例えば○○をとるのが体に良い、○○が良くない、○○制限食、○○フリーダイエットなどという本や情報が次々と登場し、全く正反対な意見などもあり、とても混乱しています。
しかし、これらは、この図で言えば体(臓器)に影響する因子の一つ(②内因の食、栄養内の一項目)に着目していることに過ぎないということになります。
 
もちろん、これらの情報の中には役に立つものもたくさんありますが、一か所にのみ固執して考えると、全体の方向性を見失う可能性が高くなります。
 
つまり、健康や病気の本質をとらえるには、より広く、上にあげた図の全体を俯瞰してみる視野が必要なのです。
 
そこで見えてくることは、全てに共通する原理があるということです。
つまり、たくさんの知識や理屈を集めることよりも、このたった一つのシンプルな法則を理解し、実践しながら感じることがより重要であるということになります。
 
このシンプルな原理が、「生き方のあらゆることを自然(の法則)に沿うようにする」ということなのです。
 
また、全てはつながっているため、どれか(例えばヒト)にとって都合がよくて別のもの(例えば動物)にとって都合の悪い原理などありません。ですから、微生物、植物、動物、地球、環境にとって良いことは人にとっても良いことになります。
 
一見、ヒトにとっては都合の良くとも、他の生物に都合の悪いことは、視野の狭い短絡的な考えであり、どこかが必ず間違っているのであり、最終的にはヒトにとっても良くないことになります。
 
たくさんある情報の一つ一つの判断を、自然に沿っているか、沿っていないのか(全ての生物にとって優しいのかどうか)の基準で考えてみませんか。
 
それが、健康にとっても、環境にとっても、未来の子ども達にとっても最善の選択になるはずです。

◇腸および腸内細菌の状態が人の健康にとって最も大事

腸内細菌のほとんどは大腸におり、主要な栄養源は糖質であり、タンパク質や脂質ではない。ゆえに極端な糖質制限をしてはいけないということです(とくに日本人は・・・)。
特に肉、乳製品、牛乳など動物性食品では、大腸の腸内細菌の栄養にはなりません。

単糖類も多糖類も炭水化物もすべて糖質とひとまとめにして悪者のように誘導されていますが、制限したほうが良いものとしてはいけないものがあるのです。

①単糖類や二糖類(砂糖などの甘いもの)は小腸上部までにあっという間に吸収され、腸内細菌の栄養にはならない、一方で血糖値を急速に上げる作用が強く健康障害の主因です。

②オリゴ糖は腸内細菌、特に乳酸菌を増やすため腸にとっても良く作用します。しかし、オリゴ糖は大腸上部までに利用されてしまうものが多いです。

③多糖類(いわゆるデンプン)はゆっくりと吸収され、大腸下部まで届き、腸内細菌の主要な栄養源になります。特に消化の悪い未精製な穀物(米、イモ、豆)が腸にとって最もよい栄養源なのです。
ただし、精製度の高い(GI値の高い)多糖類(白米など)を大量に取ると、①と同様に糖質の害が大きくなるのは言うまでもありません。食事の原則は少食(腹八分)、一物全体なのです。

④食物繊維は水溶性と不溶性がありますが、いずれも人には消化できず栄養にはなりません。水溶性の食物繊維は、腸内細菌は消化でき栄養源になります。人が利用できないので大腸にまでたくさん届きます。不溶性の食物繊維は腸内細菌も栄養としては利用できませんが、糖の吸収を遅くし、便のかさを増し、腸を刺激するなど腸などにとってはよく作用します。

糖質を制限すると、とりあえずのダイエット(体重を落とす)になり、また、一部の人は一見調子が良くなる人がいます。
とくに、乳児湿疹、アトピーなどのアレルギー、自己免疫疾患(膠原病)、うつ、がん、糖尿病などの生活習慣病の一部などでよく見られます。これらは、まぎれもない事実です。
しかし、だからといって糖質を極端に制限することを良しとするのは、極めて短絡的な見方で、一見良いように見えるだけであり、万人に勧める食事法ではないのです。
すべてにはカラクリがあるのです。また、形だけのマクロビ食で元気がなくなる人がいることにも、やはりカラクリがあります。

いつも強調しますが腸および腸内細菌の状態が人の健康にとって最も大事です。
糖質制限食はこの腸内細菌をまったく無視した食事法だということです。

腸内細菌を無視しても、とりあえずは健康そうに生活することはできます。
しかし、健康にとって最も大事な腸内細菌をないがしろにすることは、その後どのような影響が出るでしょうか。

とりあえず、見た目だけ良いということが現代社会のあらゆるところに見られます。
例えば、化学肥料と農薬を使えば、農作物は一見とても良く育ちますが、土の中の微生物は大きくバランスを崩していきます。
本来は野菜に養分を供給しているのは土の中の微生物なのですが、土の中の微生物がダメージを受けても、毎年(初めから分解されている)化学肥料をやり続ける限りは、とりあえず見た目だけは立派に育った野菜を収穫することができます(現代農法)。
しかし、このような農法で作られた野菜の栄養価や病気に対する抵抗性、環境に対する影響はどうでしょうか。

これとまったく同じことを人で行っているのが糖質制限食になります。
糖質制限食(ケトン食、低インスリン、ロカボ、MEC食なども同様)が最新の理論を駆使したあたかも素晴らしい健康法であるという情報が氾濫しており、実際に実践している人や指導をしている人がとても多い状態です。
推奨している意見も含め網羅的に情報を検討しましたが、糖質制限食は、ごく一部の非常に限られた人以外、とくに日本人には全くお勧めできない食事法になります。


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◇自然に沿った生活

自然の仕組みの原則は以下のようになります。
・自然とは、ありとあらゆる生命(いのち)を産む、育む、伝えていくシステムである
 
・あらゆる生命とは動物(人、動物、鳥、魚、虫など)、植物(草、木、花など)微生物(原虫、真菌、酵母、細菌、ウイルスなど)のすべてになる
 
・どれもが地球の分身という生命であり、この意味において等価であり、人も含めどれが上も下もなく、ただ役割の違いがあるだけである
 
その他にも重要な自然の摂理 
・全てが全てを互いに支えて循環しており、不要なものは何もない
・何も要求しない
・自動的に調整されている
・短期的ではなく長期的(最終的)な目的のために調節される
・個ではなく全体のために働く
・持続可能な(持続していく)システムである
・例外はない(真の平等)
 
さて、自然の摂理、法則について理論的に書きましたが、抽象的すぎるため、具体的な自然に沿ったものの選択の仕方がわかりにくいかもしれません。
 
そこで、どのようにすれば自然に沿っているかの判断をより実践的にわかりやすく示したいと思います。
この判断の方法は、普段の日常生活から仕事や健康など生涯の問題に至るまで、ありとあらゆる選択に適応できるものとなります。
 
例えば、どのような食事を選ぶのか、どのような服を着るのか、どのような洗剤を選ぶのか、どのような仕事を選ぶのか、選挙でどの候補者を選ぶのか、子どもに大切な何を伝えるのかなど、ありとあらゆることに関して応用できるのです。
 
あらゆる情報が氾濫しており、全く逆のものも含めて、様々な情報が次から次に現れ、勉強すればするほど「どのように考えれば良いのか」分からなくなります。
 
情報が無限にあるということは情報がないことと同じなのです。
枝葉の情報を集めれば、自分の考えに沿ってどのようにでも理論を組み立てることが出来ます。
例えば、私は砂糖の摂取を控えるように指導していますが、砂糖の利点だけを寄せあつめて、一見完璧な「砂糖を摂るべき本」を書くことも出来るのです。
 
しかし、これから示す考え方は、枝葉ではなくもっとも大切な中心にある原則で、すべての考え方のベースになりうるものです
この考え方を本当の意味で理解すれば、もはやありとあらゆる情報の選択に迷わなくなると考えています。
 
まず、重要な原則として以下を押さえる必要があります。 
・この世界に存在するすべてのものには意味があり、無駄なものはない
・本当に正しいこと(自然の法則)は、あらゆる生物・空間・時間・次元においても正しい
 
簡単に言えば、自然の法則は、自分にとっても、自分以外のすべての人にとっても、人以外のすべての生物にとっても、また、いつの時代も、どこにいても変わらないものなのです。
 
つまり、自然の法則は、全ての生命に平等で調和的に働き、全ての生命を生かし発展させるためにあります。
 
人にのみ都合の良いこと、ましてや日本人にだけとかお金持ちにだけなど特定の人にのみ都合の良い自然の法則などあるはずがないということです。
 
繰り返しますが、一時的に都合がよく見えることでも、自然の法則に合っていないことは、短絡的で、どこかが必ず間違っているのであり、最終的には自分を含めてすべてに良くない結果となります。
 
また、人間も自然の一部として存在し、その活動も含めて自然だという意見があります。
間違いではないと思いますが、人には自由意思があり、その活動をどのようにするか(自己中心的で行くのか、調和的に行くのかなど)の選択が出来ます。
知性を持った生命体としてその能力をどのように発揮するのかが人という生命全体の生きる意味にもなるでしょう。
 
では、自然に沿ったことを選択するための具体的な判断の方法を示します。 
生物的、空間的、時間的の3つのパターンを示しますが、どれも同じで、今の自分から初めてどんどん範囲を拡大していきます。
 
自然に沿う選択とは、どこまで拡大しても(右にいっても)良いものを選ぶという事です。
 
① 生物的
 人→動物→植物→微生物→地球
 
② 空間的
 自分→家族→親戚→仲間→地域→日本→世界→地球
 
③ 時間的
 今→1週間後→1ヶ月後→1年後→10年後→100年後→1000年後…
 
これから行おうとするすべてに関して、以下の様に選択すれば、ほぼ間違いなく自然に沿った選択ができます。
 
・人にとっては都合が良いけど動物にとっては良くない事よりも、人にとっても動物にとっても良い事を選ぶという事です。
さらには、人にとっても、動物にとっても、植物にとっても、微生物にとっても良い事のほうがさらに良い選択という事になります。
 
・自分にだけ都合が良い事よりも、自分にも家族にも、日本人の全てにとっても、世界中の全ての人にとっても良いと思われることをすれば良いのです。
 
・本当に正しいことは今も、10年後も1000年後も100万年後も正しい事なのです。
 
 
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お金を一切使わない男に学ぶ、新しい社会の作り方

 現代における私たちの暮らしは、とても手軽で便利ではあるけれど、必要な物の素材がどこでどんな風に育って、どんなひとが、どうやって作っているかというのは、なかなか見えない。もし自分の足で探した素材を自分の手で作ったとしたら、私たちは自分を取り巻く環境にもっと興味を示すだろうし、来年も再来年も収穫できるような環境を作ろうと思うだろう。お金を使うことで隠れてしまった私たちと自然の繋がりが、お金を使わないことによって蘇る。そして買った物とは違った味わいと愛着が生まれ、決して簡単に捨てたりはできない。

“世界中に何百万種類もいる生き物の中で、人間だけが食べるのにお金が必要だと思っている。りんごの木にお金を払わなくても、りんごの木はりんごを食べたい人にりんごを与えてくれるよ“

“ほとんどの人はお金を払わなきゃできないことがたくさんあるって信じている。そして僕に聞くのさ。「もしお金を使わないのなら、どうやって家を建てるんだ?どうやってテーブルや椅子を作るんだ?どうやって洋服を縫うんだ?」そういう時は僕はこう答えるよ。“鳥が巣を作るのと同じようにするんだよ”

無償で分け与えたり、助けたり、教えたりすることはペイ・フォワード(未来への贈与)だと言う。一見無償に見えるものの、その行為を通して人との繋がりができる。その繋がりがいつか自分を助けるというのである。お金を使わないことで人と人との繋がりまでも再生できる。

いまから6年前、お世話になった会社を卒業するにあたり、課題として”細胞を活かしきる”を設定し、日々の生活スタイルの見直しに着手しました。

テーマは、「腸を元気にして、血液の汚れを解消し、血流をしっかりする」です。この取り組みで得られた成果を、ただ長生きするためではなく、アンチエイジングでもなく、”すてきに活ききる”ために、ひとりでも多くの方に私たちが本来持っていた免疫力を取り戻すチャンス(機会)として、お届けしたい。

そこでまず、血流の改善に向けてラドン浴ができる環境を整え、夜はその部屋で寝ることにしました。
また、昼間は友人、知人を始めとして多くの方に利用していただき、いろいろな体調、生活習慣の話題に話を咲かせていました。

女性の多くの方が冷え症、低体温であることがわかってきました。また、代表的な生活習慣病であるがんの病の方が、”冷え症”、”便秘”、”肩こり”の症状とお友達であることもわかりました。

そこで、腸を元気にする、血流を改善することを通して、体温を上げる環境を整備したいと考え、関連機材を1年間くらい探していました。
偶然なのですが、”陶板浴”が効果あるというメッセージをツイッターで知りました。

そして、アップワン社の家庭用陶板浴にたどり着き、無料レンタルの気軽さも含めて、即ハーフ&ハーフ(ひのき)を購入しました。
最初は、早起き(4時ごろ)して2,3時間陶板浴の上で寝ることにしました。5月から夏にかけてでしたが、気持ちよく目覚めることができ、陶板浴の効能を実感できるようになりました。

また、このころから昼間の時間帯に「ラドン浴&陶板浴」をセットで利用される方も増え、陶板浴を自宅でも利用するために購入される方が、少しづつ増えてきました。

現在、わたしはアップワン社の家庭用陶板浴のサポーターとして、
腸を元気にする、血流を改善することを通して、体温を上げることを目指した生活習慣・環境改善の取り組みを、提案しています。
 
ひとりでも多くの方に、”簡単で便利な生活から、細胞をしっかり活かしきる生活へ”向けた気づきをお届けできることを、本当にうれしく思っています。

また、最近はいつも陶板浴の上で7時間程度寝ています。
 
その結果、しっかり身体の声を聴くことができるようになったことで、
わたしの肌艶が良く、心身ともに元気なことにより、お客さまへの説得力が増しています。

今後もサポーターとして、アップワン社の家庭用陶板浴の利用、および自宅での陶板浴生活の推進に取り組んでいきたいと思います。


160509-1陶板浴



☆170130陶板浴レンタル
 

☆ラドン浴、陶板浴は低周波放射線や電磁波を利用した治療法です       山中 圭子 
 
陶板浴の「テラヘルツ波エネルギー」は、それが電磁波で大胆に言うと遠赤外線に近いものです。
遠赤外線よりも、さらに効果的に体内を温める働きがあると考えても良いでしょう。

ラドン浴の方は、低周波放射線が分解されて発生する「ラドン」という気体を体内に吸い込むことで、体内でもラドンが崩壊し、その刺激によって免疫力にスイッチが入って。免疫が高まるというシステムです。
低周波放射線は、自然界にあるものなので、玉川温泉や三朝温泉がラドン浴温泉として有名です。

どちらも、人体に小さな刺激を与えて体内の活性化を図るものだと理解しています。
体質や病気の種類を選ばない本質的な治療法なので、その意味では安心です。

お近くで体験できる方は、試されたら良いと思います。







すてきに活ききる

簡単で便利な生活から、細胞をしっかり活かしきる生活へ
症状対応(部分最適)から、すてきに活ききる(全体最適)アプローチへ

”よく活き、よく老い、よく死ぬ” ための生活の知恵共有サロン

Cafe すてきに活ききる 旬(ときめき)亭
http://sutekini-ikiru-cafe.jimdo.com/


001-170107 がんに代表される生活習慣病への対処法

 

 


過去が咲いている ”いま”、
 
未来のつぼみでいっぱいの ”いま”、
 
希望に満ちた新たな年、2017年がもうすぐ始まります。
 


現代は、長いデフレの時期から時代の転換点を迎え、混迷した時期から脱しつつ、次の上昇期へ向かう国家再生の出発点にあります。

そんな中、私達は現状に甘んずることなく、ひとつ高い次元に向かう努力が必要な時期にあると感じています。

これまでは、物質的な豊かさの中で富を築き繁栄を謳歌してきましたが、
これからの時代はそのような物質文化から脱して高い精神文化を追求していくべきであり、その転換ができなければ文明社会としての維持存在が難しくなることは自明です。


経済的豊かさばかりを追求してきたことにより、本来日本人が歴史と伝統の中で積み上げてきた民族規律意識は大きく低下し、その精神性は安定と誇りを大きく欠く事態になっています。

国家存続にはもちろん経済は大事ですが、それも確たる精神性に基づいてのこと。

日本が置かれた直近の改革は、これまで疎かにしてきた精神性の改革と改善から始めるべきです。



2017年、こころ豊かなライフスタイル

◇「愛」
人間が人間らしく生きていく 、
多様性を認め合い、そのことを楽しめる、自分という個を尊ぶことができる社会、
愛とは、相手を大切にする心の働きであり、相手を認める心です。

人間が社会の中で人間らしく生きていくための心の働き、生命をいつくしむ共生の心、それが愛。

共に生きるという本能からくる直感的な愛が、自己責任という確かな生き方に裏付けられて、
はじめて人間が人間らしく生きていくことができる。



◇「夢」
活き活きとした自分を実現する、愛という価値で夢を満たしていく、そんな自分でありたい 、
活き活きとした活力ある、みずみずしい愛のある人間関係が息づく、絆のなかに生きているという実感のある社会、明るい未来を描けること、それが夢。

今日よりも明日が良くなるという実感を持てることが、活き活きとした活力の源になります。



◇「絆」
みずみずしい愛にあふれた人と人の関係を実現する、
すべての生命体と共生をはかり、繊細な生態系にいかされていることを自覚できる社会、 
相手を大切にし、認め、活かすような関係、そこには人間としての豊かな心の働きがあります。

そして、その絆の中でこそ個人が輝きます。

絆は社会を共に創り出すという共創の機能そのものです。



そのために、

☆楽をするから楽しむへ
お金で得られる楽に代わって、自分の時間を上手に使って得られる充実感を楽しむ。


☆量の消費から質の追求へ
生活のさまざまな面で高質化が進む、本物が使われる時代、本物には社会に対する考えの主張があります。
相手を大切にする心が形になった本物のある暮らしが始まる。


☆生態系と共生する
自然を身近に感じ、生命を大切にするくらしが始まる。
自然のすばらしさを感じ、自然を活かす行動、自然のリズム、ゆったりとした時の流れに身体が共鳴する。


☆創造する喜び
ものづくりのあるくらしは、物事を知り、協力し、ものを循環させる。
創造する喜びのあるくらしは、自分らしさを生み出す。


☆人と人の絆を実感する
個人がそれぞれの時間や能力を生かして、役割を果し、楽しみながらたすけあいのあるくらしを実現する。


☆稼ぐから、仕事をする、生活をするへ
仕事とは、どれだけ自分を豊かにできたかである。


☆未来を見つめる心を形にする
環境と生命を育む、子どもを育む、自分を育む、文化を育む。
自分の行動が具体的な形になっていくことを実感する喜び。


☆愛を実践する
個人が中心でありながら、人と人が良い関係を築く、人を認め、受け入れ、個人を活かすくらしがこころ豊かな生活につながる。



★☆ シニア社会における”健康と死の意味” ☆★
http://tokimeki0106.blog.jp/archives/19060707.html



☆ 他人に期待すれば不満になり、自分を信頼すれば自信になる

☆ 人間関係とは、他人を通して自分自身との付き合い方を学ぶ機会なり

☆ 自分の短所を受け入れるとき、自分らしさという魅力が生まれる

☆ 最も空しい人生とは、すべてが思い通りになる人生である

☆ 幸せは得るものではなく、気付くもの

☆ 樹木は、上に伸びる前に下に伸びる

☆ 他人との対立は、自分の心の中の対立に過ぎない

☆ 幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せを感じる

☆ 孤独を知らなければ、本当の繋がりが分からない

☆ 内側から生まれてくる至福は、失うことがない
 
 

 人生の「分かれ道」とは、何か。

 そのことを教えてくれる、
 一つのエピソードがあります。


 ある男性が、海外出張のとき、自動車を運転していて、
 一瞬の不注意から、瀕死の重傷を負う事故に遭いました。

 そして、運び込まれた現地の病院での大手術によって、
 その男性は、九死に一生を得たのですが、
 残念ながら、左足を切断する結果になってしまいました。

 意識が回復し、左足を失ったことを知ったその男性は、
 一瞬のミスによって迎えた人生の明暗に、
 ひとり、病院のベッドの上で嘆き悲しんでいました。

 しかし、そこに日本から駆けつけてきた、その男性の妻は、
 病室に入るなり、夫を抱きしめ、言ったそうです。


  あなた、良かったわね!

  命は助かったし、
  右足は残ったじゃない!


 このエピソードは、我々に、
 大切なことを教えてくれます。


 我々の人生の、本当の「分かれ道」は、どこにあるか。

 それは、どのような出来事が起こったかに、あるのではない。


 起こってしまった出来事を、どう解釈するか。


 その解釈にこそ、あるのです。



 田坂広志

宇宙に充満しているテラヘルツ波は、自然界のあらゆる生命や物質から放射・吸収されている電磁波であり、またあらゆるものを構成する分子が発する振動(波動)である事が分かっています。
自然界においては、我々の身体から放出されるテラヘルツ波があらゆる生物の中で最も多い事が知られています。特に赤ちゃんのテラヘルツ波は放射線量が多く、平均放射率も高くなっています。
 
一方で年齢を経て生命力が衰えた人、健康を害した人ほど、総じて放射量や平均放射率が低下します。人間の体内水分は、幼児で70%、成人男子で60%、高齢者で55%と年齢を重ねる毎に減少していきます。この様に体内水分量とテラヘルツ波の放射量が比例している事が分かります。
 
植物や動物、食品においても人体と同様の傾向を示します。即ち、新鮮な植物や元気な動物から発せられるテラヘルツ波は放射量、平均放射率が高く、逆に鮮度が悪かったり不健康だったりすると、それらの動植物から発せられるテラヘルツ波の放射量、平均放射率は低いのです。
 
これらの事象からも水はテラヘルツ波を蓄積している事が良く分かります。
また細胞内に目を転じると、テラヘルツ波はミトコンドリアによく浸透・吸収されるという性質も持っています。ミトコンドリアは「エネルギー(ATP)」を作り出す働きをしていますが、その活動を左右するのがテラヘルツ波なのです。
加えて、分子間結合の重要な要素である「水素結合」と「ファンデルワールス結合」部分はテラヘルツ帯の周波数で振動している事が分かっています。つまり、分子と分子はテラヘルツ波によって結合しているのです。
 
これらの事から「テラヘルツ波」は生命エネルギーの根幹に関わる波長だと捉える事が出来ます。実際、劣化細胞を修復する作用の発見等、医療分野でも注目されており、「生命光線」とも言われています。

詳しくは、
http://sutekini-ikiru-cafe.jimdo.com

 

何も変えないで、人生が変わるわけがない。

なのに、世の中には
自分は何も変えないで、人生を変えようとしている人が多く、

そうでない人の中にも、
変わるためには生活の全てを変えなくてはいけないと思いこみ、
変わること=不安なことだと思っている人がいる。

でも、もしも生き方を仕事にしたかったら、
変えるのはちょっとずつでいい。

毎日リップの色を変えたり、
アイラインの引き方を変えたりと研究すれば
運命のメイクにいつかたどり着く。

それと同じで、最初は自分にしかわからない程度、
ほんのちょっとだけ生活を変えてみて
それを毎日繰り返す。

それが、無理なく心地よく
"生き方を仕事にする"コツだと思う。

変わりたい時、一番やりがちな失敗は
出来ることを増やそうとすること。
でも、出来ることは少なくていいと思う。
むしろ少ないほうがいい。

だからこそ、新しいことを人生に取り入れるよりは
もうすでに自分のやっていることを、
お金にする方法を考えてみてほしい。

まずは仕事以外で自分が一番時間とお金を割いていることを探す。
その時間や額が多ければ多いほどいい。

お金を払ってでもしたいことを
お金を受け取ってできるようになることが、
好きを仕事にするということ。

自分が一番好きなことが無事に分かったら、
その後、考えるべきは
いきなり全てのお金を回収しようと思うのではなくて、
シンプルに、支払っている分の一部を回収する方法。

たとえば旅好きな会社員の知人は
旅メディアのライターを副業でしている。
支払われる原稿料は数千円だけど、
旅先でのランチ代くらいにはなる。

音楽好きの知人は、ライブハウスを借りて
定期的に友人と演奏会を企画している。
まだまだ赤字らしいけど、
一部はチケット代で取り返している。

「ちょっとでも回収出来たら、それでいい」

それくらいの気軽さで始めるから続くのだ。
続かないことは、つらくなる。
続けるために、つらい努力はしない。これが鉄則。

生き方を仕事にしたい人がやるべきこと。
それは、会社を辞めることでも、
資格を取ることでもない。

「好きなことをやる時間を増やす」
「好きなことのためのお金を経費にする」

この2つの方法をとにかく考えて
思いつくことを片っ端から小さく試そう。

ちなみに、私自身も、最近今まで以上に
旅が好きになったから、
旅を経費でするために、
ちょっとした実験を始めてみた。

今後お金になるかどうかはわからないけど、
「なるかも、ならないかも」を
実験することがまた楽しいし、仕事になったら万々歳だ。

尊敬する本田健さんが
「お金を使っていても、払っていても楽しいのが、
仕事にしたいほどの趣味」
と言っていた。

私もいつか仕事にするために、
まずはお金をかけることを楽しもうと思う。


はあちゅう

何故いま「瞑想」なのか。
 
そもそも瞑想には集中力を高めたり、記憶力を向上させたり、頭が整理されたりする効果があると指摘されている。
情報過多、複雑化する社会の中で、物事の解決処理を担うトップリーダーたちにとって、論理的思考の限界を感じることもままあるだろう。
その先にある見地・境地が「直感」であり、その内なる声を引き出すのが「瞑想」であるのではないか。
 
しかし、瞑想というと、つい難しいものと構えてしまう。
だが、彼らは皆、瞑想をもっと気楽に考えればいいという。
 
実際、先人たちの瞑想への考え方・取り組み方も異なる。
先に挙げた松下幸之助は、毎日2回以上、万物を存在せしめる宇宙根源の力への感謝をこめて瞑想していたという。
中村天風は、瞑想を「何も考えない、何も思っていない」心の状態を感得する方法だといい、黒い丸い点やローソクの灯を凝視し、集中力を得ることで瞑想に入るコツを説いている。
一方、この瞑想を科学的に見ていたのは、ソニー創業者の井深大だ。後に瞑想の研究所も立ち上げている。人々の潜在意識がどう成功につながるのかを研究させていたという。
 
すなわち、瞑想は一様ではない。
場所も時間も決めなくていい。座禅を組む必要もない、座ることさえしなくてもいい。あなたの好きな時に、好きなようにやればいいとトップリーダーたちはいう。瞑想時間も思うまま、感じるに任せてやればいいと。だから、3分でも1分でもいい。ただ、呼吸を整えてみればいいのだと。呼吸に意識を向けることで、緊張が解け、心の乱れが整っていくのがわかるから、という。
 
時に、瞑想は万能なパワーチャージのように語られるが、彼らはそれも違うという。
瞑想は、この現代社会を生きていく上で、誰にでも簡単にできる「精神」と「身体」のデトックス法だ。
 
誰もが持っているその「才能」や「潜在性」は社会通念や規則、環境や固定概念、社会秩序や習慣といったノイズによって見失われがちだ。
だからこそ、世界のトップリーダーたちは、そのノイズを取り払うため、真の自分に向き合うため、自分の底力を引き出すために瞑想を使う。
 
誰もが自身の才能を持ち合わせているならば、それを存分に引き出したい。
その手段として瞑想が有効だとトップリーダーたちが証明するのなら、それを使わない手はないのではないか。



                                 瞑想という名の昼寝を味わってください

008                    

ハンモックチェアは、呼吸で揺れます。
意識が呼吸から離れたとき [無意識]、ハンモックチェアの揺れはとまり、瞑想を体感できます。
そして、過去の悩み、将来の不安から解放されます。

   緊張を取り除き、リラックスする、
   無を体感し、すべてを受け入れる、
   時が過ぎゆく感覚を味わい、いまここを味わう。


傷ついた心から、欲と思考を一つ一つ取り除いてやって、 ようやく静かになった心を、そっと優しく扱ってあげることが 瞑想です。
ただ、「吸う・・・吐く・・・吸う・・・吐く・・・」 これだけの世界で、あなたの心はとても落ち着いて、穏やかになるでしょう。 
ほんとうの静けさや、透明感を知るでしょう。

体の内側から、優しさや喜びが湧いてきます。それは生物が本来もっている  生きる喜びなのです。
そんな穏やかで優しい時間が、これまで傷ついてきたあなたの心を癒すのです。 
外部のあらゆることが感じられなくなり、自分と外部との境界線がなくなります。
すべて溶け合って、自分はこの世界と繋がっていることが解ります。

いっさいの苦しみは消え去り、穏やかです。
体の内側からの喜びは、もっと繊細なものになり、心からの喜びに変わります。
体の感覚から、心だけの感覚に変わっていくのです。

 

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